INDEXへ戻る


1970年代の資料


1970年


1970年7月:週刊少年マガジン 26号

 (1970年7月:講談社:週刊少年マガジン26号:表紙)

 

表紙はペニスケースを付けたニューギニア原住民の写真です。ペニスケースですよ、奥さん!

よく見るとタマ袋も写っているのだが、袋はOKなのか?

ちなみに本の中ではこの表紙の写真について、全く解説されていません。

巻頭の特集は「学童疎開」です。疎開中の苦労話が載っています。

 (同誌:P11:一部)

 

なんか、これから漫画を楽しもうとする少年達をブルーにする内容だ・・・。

 (同誌:P189:一部)

 

2つめの特集は「魔女入門」です。中世ヨーロッパで行われた魔女狩りについて、

詳しく解説しています。この挿絵もよく見ると結構残酷な描写がある。

 (同誌:P192:一部)

 

当時は教会が政治をにぎっていたため、政治を批判する人を「魔女」にしたてて

処刑していたそうです。

さらに拷問を加える役人には手数料が支払われるため、「魔女」を捏造していたそうです。

特集の最後には「宗教と政治が結びついた時、悲劇がおこる」と書いてある。ためになるな〜。

 (同誌:もくじ)

 


1970年8月:週刊少年チャンピオン 19号

 (1970年8月:秋田書店:週刊少年チャンピオン19号:表紙)

 

 (同誌:特集:一部)

 

 (同誌:広告:一部)

 

当時の少年達が憧れたハイテクツールといえばラジオでしょうか。

 (同誌:P238)

 

故手塚治虫先生が描いた性教育をテーマにしたマンガ「やけっぱちのマリア」です。

この頃の少年誌では、粗末なお色気シーンが登場するようになってきたため、

子供達に正しい性知識を身につけてもらおうという意図があったようです。

なお、県条例で有害図書に指定している県もあります。

 (同誌:もくじ)

 


1970年11月:週刊少年マガジン 47号

 (1970年11月:講談社:週刊少年マガジン47号:表紙)

 

アシュラを子供の頃に読んで、おもいっきりトラウマになりました (;´д⊂)

この号の表紙のデザインも、とても少年誌とは思えません。

この頃の少年誌は、変なデザインの表紙が多かったです。

 (同誌:P167)

 

アシュラは傑作だと思いますが、子供が読むには怖すぎた・・・。

ここでは詳しく説明しないので、興味のある方はググッてみて下さい。

以下に同誌の一部を紹介します。

 (同誌:P121・P172:一部)

  

各方面からいろいろクレームが来そうな表現がバンバン出てきます。

ここでも詳しく説明するのはマズイと思うのでやめておきます。

 (同誌:裏表紙:一部)

 

同年は大阪万博があった年なので、こんなプラモの広告もありました。

 (同誌:もくじ)

 

マンガにしても特集にしても「毒」があって、今読んでも充分おもしろいです。


1971年


1971年4月:週刊マーガレット 16号

 (1971年4月:集英社:週刊マーガレット16号:表紙)

 

 (同誌:裏表紙:一部)

 

うわっ!みんな必ず目の中に星があるYO!

しかも似たような顔ばかりで、見分けがつきません・・・orz

 (同誌:もくじ)

 


1972年


1972年:LET'S GO WITH HASTY

1972年から73年にかけて早稲田外語の英語教則本に、吾妻先生の描いた

カットや4コマ漫画が使われていました。

 (1982年12月:サンリオ:吾妻ひでおマジカルランドの王女たち:P62:一部)

 

シンプルなキャラクターですが、なかなか洗練されたデザインだと思います。

 (同誌:P64:一部)

 


1973年


1974年


1974年6月:キャベツ畑でつまずいて

1974年に「別冊マーガレット6月号」に掲載された和田慎二先生の漫画です。

おそらく漫画の中で「ロリータ・コンプレックス」という表現が使われたのは、この作品が

初めてではないでしょうか?

 (1978年1月:集英社:マーガレットコミックス:明日香ふたたび:P107)

 

「岩田慎二」という登場人物が不思議の国に迷い込み、アリスを追いかけまわすという

ストーリーです。アリスがカワ(・∀・)イイ!!

 (同誌:P121)

 


1974年10月:「宇宙戦艦ヤマト」放映開始


1974年12月:りぼん 12月号

 (1974年12月:集英社:りぼん12月号:表紙)

 

カワイイからアプした。少女漫画なら何でもよかった。今は反省している。

 (同誌:もくじ)

 


1975年


1975年1月:週刊少年チャンピオン 5+6号

 (1975年1月:秋田書店:週刊少年チャンピオン5+6号:表紙)

 

もしかしてこの表紙のテーマは「カップル」なのか?

そーだとすると「恐怖新聞」のカップルはイヤすぎる・・・。

 (同誌:P171)

 

1972年から1976年まで連載されていた吾妻先生の漫画「ふたりと5人」です。

 (同誌:もくじ)

 


1975年?月:ボクの初体験

1975年頃に「週刊マーガレット」に掲載されていた弓月光先生の漫画です。

 (1995年7月:集英社:弓月光傑作選ボクの初体験1:P21:一部)

 

少女漫画に掲載されていた作品ですが、すごく(・∀・)エロイです。

マッドサイエンティストの手術によって、女性のカラダに男性の脳が移植されるわけですが、

そのショッキングな設定をよそに、ドタバタラブコメディが繰り広げられます。

1970年代後半から、男性が少女漫画を読むようになったといわれますが、

この作品のせいかも知れません。


1975年5月:週刊少年ジャンプ 19号

 (1975年5月:集英社:週刊少年ジャンプ19号:表紙)

 

みごとなアホ毛ですな。

 (同誌:P98:一部)

 

 (同誌:広告)

 

この頃は海外の短波放送を受信するBCLがブームでした。

家電メーカーからカッコイイデザインの短波ラジオが発売されていました。

 (同誌:もくじ)

 


1975年8月:週刊少年ジャンプ 34号

 (1975年8月:集英社:週刊少年ジャンプ34号:表紙)

 

 (同誌:P6)

 

工工エエエ(´Д`)エエエ工工

もしかしてと思ってググッてみたけど、やっぱりオッサンだった・・・orz

 (同誌:広告)

 

モデルガンとミリタリーグッズの通販広告。

モデルガンは真鍮製の薬莢に火薬を詰めて撃つと撃発音がする。

テルテル坊主のような形の樹脂弾を発射するBS銃というのもあった。

BB弾を発射するエアーソフトガンはまだ登場していない。

 (同誌:もくじ)

 


1975年10月:ファントーシュ創刊

1975年10月に創刊された日本で最初のアニメーション専門誌です。

商業誌ではなく自費出版誌なので、どれだけ流通していたかは不明です。

内容はTVアニメの記事は少なく、アート系アニメや人形アニメの紹介がメインでした。

1977年の7号で休刊となりましたが、本誌と入れ替わるように商業誌のOUTが登場します。

 (1975年10月:スタジオあかばんてん:ファントーシュ1号:表紙)

 

表紙の絵は古川タク氏の製作したフェナキストスコープです。

 (1977年1月:スタジオあかばんてん:ファントーシュ5号:表紙:一部)

 

上図は5号の表紙に使われていた森康二先生のイラストです。


1975年12月:第1回コミックマーケット開催

1975年12月に第1回の同人誌即売会「コミックマーケット」が開催されました。

1970年代になるとサークル同士の交流を目的にした「漫画大会」や「マンガフェスティバル」が

開催されるようになり、そのイベントの中で同人誌の即売が行われていました。

当時のマンガファンが、これらの同人誌を入手する為にはサークルの会員になるか、

前述のイベントに参加するしか方法がありませんでした。

これをヒントにして、米沢嘉博氏が所属する漫画批評集団「迷宮」は、同人誌即売専用の

イベント「コミックマーケット」を開催するようになりました。


1976年


1976年9月:週刊少年マガジン 38号

 (1976年9月:講談社:週刊少年マガジン38号:表紙)

 

少年マガジンは日本一だとアピールする表紙ですが、その左下に・・・。

 (表紙:一部)

 

マッスル関係者もさわやかにマガジンが一番だとアピールしております。

 (同誌:P124・P125)

 

ド━━━(゚Д゚)━━━ ン !!!

見開きでマッスルのケツのアップ!スゴすぎる!

しかもページの繋ぎ目をケツの割れ目に利用するというアイデアもの!

首にスカーフを巻くオシャレ心があるのなら、腰にも何か巻けと・・・。

 (同誌:もくじ)

 


1976年10月:冒険王 10月号

 (1976年10月:秋田書店:冒険王10月号:表紙)

 

 (同誌:P057)

 

この本には吾妻ひでお先生の「ぐるぐるメダマン」が掲載されていました。

 (同誌:もくじ)

 

 (同誌:裏表紙)

 

アオシマの改造車のプラモです。

今、ヤングに大モテの車はこれだ!!


1977年


1977年3月:SFファンタジア

福島正実氏の企画した本で表紙のイラストは空山基氏です。

 (1977年3月:学習研究社:SFファンタジア1地上編:表紙)

 

この本には竹宮恵子先生の「夢見るマーズポート」という漫画が掲載されています。

後に「私を月まで連れてって」というタイトルでシリーズ化されます。

主役の「ニーナ」は10歳のエスパー少女で、26歳の宇宙パイロット「ダン」に恋をするという

設定でした。ジャンルもSFなので、男性読者も多かったそうです。

 (1982年1月:小学館:FLビッグコミックス第1巻:P009:一部)

 

 (同誌:P009:一部)

 

「ダン」はたいくつな星間連絡船のパイロット職から逃れるため、精神異常者の

フリをして通行人の「ニーナ」にプロポーズをする。


1977年6月:月刊OUT 6月号

創刊号の5月号は小説や映画の情報を載せたサブカル誌で、あまり売れなかったそうです。

しかし、2号から加わった編集者Kさん(アニメックのK氏と区別するため"さん"付けにします)の企画

「宇宙戦艦ヤマト特集」がヒットして売り上げが伸び、アニメ誌路線に変更されたそうです。

 (1977年6月:みのり書房:OUT6月号:表紙)

 

通称「水玉ヤマト」と呼ばれる表紙です。B5の変形判で本棚に入れると取りづらい・・・。

 (同誌:P43:一部)

 


1977年9月:吾妻マガジンAlice

吾妻先生がファンから手紙をもらった時に、返事代わりに送っていた会誌です。

下図は1977年9月発行の「おたのしみ夏休み号にしようと思ったら夏は終わっていた号」に

掲載されていた吾妻先生の自伝漫画です。

 (1983年7月:しっぽがない:AZICON1プログラムブック:P54)

 


1978年


1978年2月:吾妻ひでおファンクラブ結成

主要メンバーに女子高生が多く在席し、「不条理日記」の「永遠編」にも登場して

「ファンクラブの会長他女子高生が四人もくる」と紹介されています。

 

会誌は「ポコ」という名前で、吾妻先生が表紙のイラストを描いています。

(情報提供:愛蔵版名無しさん)


1978年5月:竹宮恵子の世界

 (1978年5月:徳間書店:竹宮恵子の世界:表紙)

 

テレビランドの別冊として竹宮恵子先生のイラスト集が出版されました。

巻末部分に大泉サロンの仲間達との座談会が収録されています。

参加者は竹宮恵子、増山法恵、伊東愛子、たらさわみち、ささやななえ(敬称略)です。

 (同誌:P75:一部)

 

 (同誌:P75:一部)

 

なにやら正太郎君の事が話題に上っています。

この頃はまだ少年好きの女性を表す言葉は無かったようです。


1978年6月:週刊少年サンデー 25号

早坂さんが村上もとか先生のアシスタントをしていた頃は、「週刊少年サンデー」に

「赤いペガサス」が連載されていました。

 (1978年6月:小学館:週刊少年サンデー25号:表紙)

 

 (同誌:もくじ)

 

未確認情報ですが、早坂さんは主に車の絵を担当していたそうです。


1978年7月:アニメージュ創刊

 (1978年07月:徳間書店:アニメージュ創刊号:表紙)

 

「宇宙船とアニメージュは創刊号から揃えています!」(ウソ)

OUTの成功を横目に、徳間書店もテレビランド別冊という形でアニメ雑誌を創刊しました。

時期的には「さらば宇宙戦艦ヤマト」が公開直前の頃です。

 (同誌:P114:一部)

 

家庭用VTRは登場していましたが、まだまだ普及していなかったので、この頃のアニメは

8mmフィルムで供給されていました。


1978年8月:OUT 8月号

 (1978年08月:みのり書房:OUT8月号:表紙)

 

吾妻先生の本格的な特集をしたのは、このOUTが初めてでした。

美少女漫画ブームでブレイクする少し前に特集を組んでいるので、

OUT編集者の先見性がうかがえます。

また、この特集では「吾妻ひでおのみたされた生活」という漫画も

掲載されていています。

 (同誌:P53:一部)

 


1978年10月:Jun創刊

少年愛をテーマにした漫画雑誌が創刊されました。第3号から「June」に改題します。

こんにちのボーイズラブコミックのご先祖様にあたる本です。

 (1978年10月:サン出版:Jun創刊号:表紙)

 

読者のイラスト投稿コーナーは、女子高生の投稿者がメインでした。

 (同誌:P151)

 

ロリコンブームの数年前に少年愛ブームが始まっているので、

やはり、女性の方が男性よりませているのでしょうか?(;´Д`)?

1978年11月:週刊少年ジャンプ 46号

 (1978年11月:集英社:週刊少年ジャンプ46号:表紙)

 

それまでも、少年漫画の中にパンチラシーンはありましたが、この金井たつお先生の

「ホールインワン」という漫画では、その描写レベルが一段上がったと思います。

漫画のパンチラシーンの変遷を研究している方がおられましたら、情報求ム。(いません)

 (同誌:P92:一部)

 

 (同誌:もくじ)

 

「こち亀」の秋本治さんは、この頃に山止たつひこから改名したようです。


1978年冬:女子高生SF作家登場

日本初の女子高生SF作家として新井素子さんがデビューしました。

下図は1983年に出版された特集誌です。表紙を吾妻先生が描いています。

 (1983年5月:シャピオ:別冊SFイズム1:表紙)

 


1978年12月:OUT 12月号

 (1978年12月:みのり書房:OUT12月号:表紙)

 

 (同誌:P12)

 

新番組「マジカル7大冒険」の紹介。大場久美子と榊原郁恵が主役のバライティ番組。

 (同誌:P16)

 

新番組「走れ!ピンク・レディー」の紹介。後ろの着ぐるみはレッサーパンダ。


1978年12月:マニフィック創刊

OUTの編集者の一部が、ラポートに移って立ち上げたアニメ情報誌です。

1号、2号、3・4合併号の3冊を出した後、「アニメック」に改名します。

よってアニメックは5号からスタートしています。

この本は単にアニメの紹介をするのではなく、評論に重点をおいた硬派な雑誌でした。

 (1978年12月:ラポート:マニフィック創刊号:表紙)

 

 (同誌:P7:一部)

 

同誌に掲載されていた喫茶店の広告です。モカマターリヽ(´ー`)ノ

マシントレスが置いてあるのは便利ですな。

 (同誌:P2:一部)

 

同誌に掲載されていた第9回コミックマーケットの様子です。

参加サークル数は約200です。背後に「海のトリトン」の看板らしき物が写っています。

蛭児神建氏の編集した日本で最初のロリコン同人誌「愛栗鼠」は次のコミケ10で登場します。


1979年


1979年1月:マニフィック 2号

 (1979年1月:ラポート:マニフィック2号:表紙)

 

 (同誌:P48:一部)

 

ロリコンブーム直前という事で、ボーイズラブに熱中していた女性陣が勢力を握っていました。

もしかして現在の「腐女子」のご先祖様にあたるのだろうか・・・?


1979年3月:マニフィック 3・4合併号

 (1979年3月:ラポート:マニフィック3・4合併号:表紙)

 

 (同誌:P18:一部)

 

日本で初めてのアニメショップ「アニメック」が新宿御苑の前にありました。

マニフィック/アニメックの情報についてはこちらのサイトが詳しいです。


1979年3月:ポプラ社シンデレラ

このま和歩さんが幼児向け絵本の絵を担当しています。

 (1979年3月:ポプラ社:アニメ・ファンタジー13シンデレラ:表紙)

 

 (同誌:P5)

 


1979年4月:「機動戦士ガンダム」放映開始


1979年11月:少年ジャンプ増刊号

 (1979年11月:集英社:少年ジャンプ増刊号:表紙)

 

 (同誌:P3)

 

金井たつお先生の「いずみちゃんSOS」はこの後、「いずみちゃんグラフィティー」と

タイトルを変えて連載が始まります。

 (同誌:P204)

 

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


1979年12月:「ルパン3世カリオストロの城」劇場公開

当時のアニメ誌はガンダムの情報を大きく取り上げ、カリ城の紹介は小さかったためか、

公開当初の興行成績はあまりよくなかったそうです。

しかし、TVで放映されたことで人気が出ました。

この映画のルパンの台詞「妬かない、妬かない、ロリコン伯爵!」によって、

クラリスを好きな伯爵=ロリコンならば、

クラリスを好きなアニメファン=ロリコンという定義が成立してしまいました。

これ以降、アニメに登場する女の子が好きな人をロリコンと称するのが一般化します。


1979年?月:グループSHADO

庵野秀明氏が芸大に入る前に地元の山口県で主催していた自主制作アニメのサークルです。

 (1979年:SHADO:へたな鉄砲も数うちゃあたる!)

 

下図は1981年?月に「アニドウ」主催で行われた「第7回プライベート・アニメーション・フェスティバル」の

パンフレットの一部です。

 

(情報提供:名無しか・・・何もかも皆懐かしい様)


INDEXへ戻る