| 閼伽出甕 論考集「阿弖流為と田村麻呂について」目次 |
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[但し書き]
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「阿弖流為と田村麻呂について」(全16回) 【概略】 「悪路王(あくろおう)」は、『吾妻鏡』文治五年(1189)九月廿八日(28)条の《是田村麿利仁等将軍。奉綸命征夷之時。賊主悪路王并赤頭等構塞之岩室也。》を初見とし、その後は「あくじの高丸」と称され、坂上田村麻呂の敵役として東北地方を中心に広く伝承されている人物である。 現在でも岩手県・平泉の西にある「達谷窟」は、悪路王の史跡として紹介されており、古くから実在、非実在の立場から、歴史学や民俗学で研究対象とされてきた。 しかし、近年では、悪路王は、『日本後紀』等の正史に記録がある蝦夷(えみし)の首長・阿弖流為(あてるい)とする説が通説となってきている。 本稿は、その通説の問題点を指摘するとともに過去の学説を検証し、いままではあまり問題とされることの無かった、
「あくじ」とは、もともとは土地の状態を表わす言葉で、あえて漢字で表記すれば「悪地」のことである。その地の首長を「あくじ王」と呼んだが、それを「悪路(あくじ)」と漢字表記されたため、「あくろ王」とされてしまった。また、『吾妻鏡』では「悪路王」とともに「達谷窟」に籠ったとされる「赤頭」だが、これも「あかず」を漢字表記したもので、その主体は同じく「あくじ王」のことである。すなわち、「悪路王」「赤頭」「あくじの高丸」は、同一名の異表記にすぎないのである。なお、こういった異表記が生れたのは、方言により「か」「く」や「じ」「ぢ」「ず」「づ」が混同されたためと思われる。
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