| 閼伽出甕 論考集「中国正史に見る天皇家の祖神」(1) |
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[但し書き]
#6223/6223 日本史ボード ★タイトル (FHJ55492) 98/ 9/26 6:45 ( 69) 古代史】中国正史に見る天皇家の祖神〔上〕 アコ(69行) ★内容 どなたの言葉かは忘れましたが、(^_^;)先日読んだ本の中に、《中国史料と国 内史料との記述を比較すると、古くなればなるほど、両者はかけ離れてしまう》 といったことが書かれていました。 実際、『日本書紀』に先行する中国正史の倭伝・倭人伝・倭国伝などと『日本 書紀』を比較すると、とても両者が同じ国のことを書いているとは思えない部分 が多いように思えます。では、『日本書紀』成立以降に成立した中国正史は、 『日本書紀』の記述と一致しているのでしょうか? 『日本書紀』巻第二十五、孝徳天皇、白雉五年(654)二月条に、遣唐使が中国 皇帝に日本国(倭国)の地理や国初神の名を問われ、それらに答えたという記事 があります。もし、これが事実であったならば、『旧唐書』以降の中国正史は、 遣唐使の答えに従い、《地理や国初神の名》を記している可能性が高そうです。 また、中国正史は先行する正史の記述を継承する傾向がありますから、遣唐使 以前にも日本国王(倭国王)の始祖などに関する情報が伝わっていたのならば、 それらも併記されているかもしれません。 そこで、『日本書紀』を基準にし、その前後に成立した中国正史から、日本国 王(倭国王)の始祖に関する記述を抜き出し、両者を比較してみることにしまし た。 以下は、倭人や倭国の「伝」がある中国正史を、成立時期の古いものから順に 並べたものです。(ただし、『元史』まで) 書名 成立時期 日本国王(倭国王)の始祖に関する記述 ======================================================================== 『魏志』倭人伝 297年以前 なし 『後漢書』倭伝 445年以前 なし 『宋書』倭国伝 488年 なし 『南斉書』倭国伝 537年以前 なし 『梁書』倭伝 636年 なし 『隋書』倭国伝(*1) 636年 なし(*2) 『晋書』倭人伝 648年 なし ――――白雉五年(654) ――――――――――――――――――――――――― 『南史』倭国伝 659年 なし 『北史』倭国伝(*1) 659年 なし(*2) ――――『日本書紀』成立(720) ――――――――――――――――――――― 『旧唐書』倭国伝 945年 なし(*2) 『旧唐書』日本国伝 945年 なし 『新唐書』日本伝 1060年 「天御中主」を始祖とする(*2) 『宋史』日本伝 1345年 「天御中主」を始祖とする(*2) 『元史』日本伝 1370年 なし ======================================================================== (*1)原文は、「倭」ではなく、人偏に「妥」で「タイ」となっている。通説にし たがい「倭」とする。 (*2)姓を「阿毎」または「阿毎氏」とする。 『日本書紀』には、天皇家の祖先とされる神々や一部の天皇に「天(あま/あ め)」の付くものはありますが、それが「氏」であるという記述はありません。 また、『日本書紀』巻第一、神代上は、最初に現われた神を、国常立尊、国狭 槌尊、豊斟渟尊としています。天御中主尊を最初に挙げているのは、「一書」第 四の後半部のみで、そこには《又曰く、高天原に所生れます神の名を、天御中主 尊と曰す。次に高皇産霊尊。次に神皇産霊尊。》とあります。 なお、『古事記』は天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神とし、「一書」 第四と一致しています。 このように、どうも、正史である『日本書紀』は中国へ正式には伝わっていな かったようなのです。では、『古事記』が伝わったのかというと、実はそうでも ないのです。 ※このシリーズでは、特に断らない限り、中国正史は中華書局の標点本と岩波文 庫版の倭伝・倭人伝の類を、『日本書紀』についても岩波文庫版を用いている。 つづきます FHJ55492 アコ