| 閼伽出甕 論考集「中国正史に見る天皇家の祖神」(2) |
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[但し書き]
#6225/6225 日本史ボード
★タイトル (FHJ55492) 98/ 9/27 7:58 ( 77)
古代史】中国正史に見る天皇家の祖神〔下〕 アコ(77行)
★内容
『新唐書』日本伝、『宋史』日本伝の《「天御中主」を始祖とする》伝承は、
日本国の僧、〓然(チョウネン/「大」の下に「周」で「チョウ」)が、984年
に北宋の第二代太宗へ献上した『王年代記』によるものです。なお、『新唐書』
ではその概略のみなのに対して、『宋史』では、かなり詳しく引用されています。
そのため、現在、天皇家によって祀られている天照大神は、『新唐書』には登
場しませんが、『宋史』には記されています。そこで、ここでは、『宋史』日本
伝をもとに、当時中国に伝えられた「天御中主」〜「神武天皇」の天皇家系譜を
示しておきます。(表記には、主に新字体を用いました。)
天御中主__天村雲尊(*3)__天八重雲尊__天弥聞尊__天忍勝尊_
(1) (2) (3) (4) (5)
_贍波尊__万魂尊__利々魂尊__国狭槌尊__角〓魂尊(*4)__汲津丹尊_
(6) (7) (8) (9) (10) (11)
_面垂見尊__国常立尊__天鑑尊__天万尊__沫名杵尊__伊奘諾尊_
(12) (13) (14) (15) (16) (17)
_素戔烏尊__天照大神尊__正哉吾勝速日天押穂耳__天彦尊__炎尊_
(18) (19) (20) (21) (22)
_彦瀲尊(*5)___(第四子)神武天皇(*6)
(23) | (24)
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(*3)《其後皆以尊為号》とあり、『古事記』のように「神」ではなく、『日本書
紀』同様「尊」を用いている。
(*4)「〓」は「龍」の下に「共」。
(*5)《凡二十三世並都於筑紫日向宮》とある。
(*6)《自筑紫宮入居大和州橿原宮》とある。
『日本書紀』の天皇家系譜は、様々な書物に載っていますのでここでは割愛し
ます。また、『宋史』日本伝は、献上された『王年代記』(といっても、写本で
しょうが)を忠実に引用していると仮定して、話を進めます。
なお、この系譜が、『日本書紀』とは別系統の伝承によるものなのか、それと
も、『日本書紀』から派生した俗説の類なのかは不明です。(*7)しかし、少なく
とも、10世紀末頃に、日本国にこういった系譜を伝える書物が存在していたこと、
そしてそれを支持する人々がいたことは、間違いないでしょう。
(*7)津田左右吉氏は『日本古典の研究 上』の中で『宋史』日本伝が引く『王年
代記』に触れ、第十三代国常立尊〜第十七代伊奘諾尊が、『日本書紀』巻第一、
神代上、第二段の「一書」第二と一致していることから、“これは『日本書紀』
編纂前からあった系譜が、チョウネンの時代までにさらに潤色されて伝えられた
ものではないか?”としている。(岩波書店『津田左右吉全集 第一巻』pp.636-
637) しかし、“『王年代記』編者は『日本書紀』を参考にしていない!”こと
を立証するのは、現状では不可能なので、ここでは《不明》としておく。
ま、それにしても、表記違いや順番違いはともかく、「この神様は誰?」って
いうのもあり、ちょっと慌てますね。
それと、まず私はここに注目したのですが、第一代天御中主から第二十三代彦
瀲尊までが、《筑紫日向宮》に居たとあることから、いわゆる「天孫降臨」がこ
こでは否定されていることがわかります。また、神武天皇の居た《筑紫宮》も
《筑紫日向宮》を指していると考えてよさそうなので、《大和州橿原宮》に入っ
た神武天皇までが皆、《筑紫日向宮》に居たということなのでしょう。
では、この《筑紫》は、いわゆる「九州島」全体を指しているのか? それと
も「筑前国+筑後国」の範囲を指しているのか? この点については、10世紀末
頃まで、《筑紫》がどちらの意味で使われることが多かったかを『六国史』あた
りをもとに調査すれば、割りと簡単に答えが得られそうですが、カッタルイので
調べていません。(オイオイ)
ま、どちらの意味で用いられているにしろ、中国では、日本の天皇家は筑紫の
出身で、その祖神は、天御中主という名であり、日本で広く伝えられているよう
な“高天原から天降った神様の子孫”とは考えていなかったようですね。
ちなみに、前回(#6223)紹介したように、『日本書紀』は“天御中主尊は高天原
で生まれた”という伝承を載せていますから、『宋史』日本伝の記述と考え合わ
せると、「高天原=筑紫日向宮」となってしまい、話がかなりややっこしくなり
そうなので、ここでひとまず終わりとします。
FHJ55492 アコ