閼伽出甕 論考集「阿弖流為と田村麻呂について」(3)

[但し書き]



#6389/6389 日本史ボード
★タイトル (FHJ55492)  98/11/13  10:47  ( 96)
エミシ】阿弖流為と田村麻呂について〔3〕   アコ(96行)
★内容
 つづきです。

 前回(#6387)紹介した田村麻呂等に東北地方で殺された者のうち、「大滝丸」
「大嶽丸」「高丸」「大武丸」などは、その主体が同一であろうということは、
容易に想像されるのですが、『国史大辞典』「あくろおう 悪路王」項(高橋崇
氏による)には、

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「
蝦夷の首長で坂上田村麻呂に討たれたという伝説的人物。『吾妻鏡』に「賊主悪
路王」が田谷窟(たっこくのいわや、平泉の西約六キロ)に城塞を構えたとある
のが初見。『元亨釈書』には奥州逆賊「高丸」が駿河国に遠征し、田村麻呂に攻
められ奥州へ逃げて殺されたとみえ、『義経記』では、「あくじ(悪路・悪事)
の高丸」と同一人になる。以後、田村麻呂の鈴鹿山賊退治説話と結びつき悪路王・
高丸・大だけ丸など同一人または一味として物語類にあらわれる。悪路王は、国
家に最もはげしく抵抗したが田村麻呂に降伏し、延暦二十一年(八〇二)河内で
処刑された蝦夷首長阿弖流為(あてるい)が伝説化されたものであろう。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

とあり、「悪路王」を含めて、それらは阿弖流為の伝説化された姿であろうとし
ています。たぶん、これが通説なのでしょう。

 なお、「阿弖流為」(阿弖利為という表記もある)というのは、その名を耳に
した者が、そのままを漢字で表記したもので、「悪路王」はそれを和語的表記に
直したものであるというのが通説のようです。

 また、「悪路王」とともに居たとされる「赤頭」が、阿弖流為とともに平安京
へ行った、母礼のことであるとされているようです。

 しかし、今まで紹介してきたものだけでも

(1)阿弖流為も母礼も、奥州で田村麻呂に殺されたのではない。
(2)「阿弖流為」と「悪路王」は、その音があまり似ていない。
(3)「母礼」と「赤頭」は、その音が似ているとは思えない。

といったように、阿弖流為に関する記録と悪路王に関する伝承とで、一致してい
るのは、田村麻呂と戦ったという一点のみなのです。

 たとえば、「卑弥呼」は中国史料にしか登場せず、国内伝承はありません。そ
こで、国内史料に登場する天照大神、神功皇后、倭迹迹日百襲姫などに比定する
研究があるわけです。阿弖流為についてはどうなのでしょうか? 東方地方、も
う少し地域を広げて東日本全域でもかまいませんが、そこに「阿弖流為」という
人物に関する伝承は存在しているのでしょうか? また、それら地域に関らず、
阿弖流為=悪路王 or 高丸 or ... とする伝承が存在しているのでしょうか?

 そんな疑問があったので、『国史大辞典』「あくろおう 悪路王」項に挙げら
れている史料にひとつひとつ当たってみることにしました。

 まずは『吾妻鏡』(*1)の記事ですが、これは文治五年(1189)九月廿八日(28)条
にありました。内容は、平泉で奥州藤原氏を討った源頼朝が、捕虜30人余りを伴っ
た帰路の途中、田谷窟(現「達谷の窟」)に立ち寄ったという話で、その地の解
説として《是田村麿利仁等将軍。奉綸命征夷之時。賊主悪路王并赤頭等構塞之
岩室也。》といった伝承と、岩室の前に田村麻呂が鞍馬寺に摸して多聞天像を安
置し、西光寺と号したという縁起を記しています。しかし、悪路王や赤頭たちが、
この地で田村麻呂等に殺されたとも、都に連れていかれたとも書かれていません。

(*1)あずまかがみ【吾妻鏡・東鑑】アヅマ‥
鎌倉後期成立の史書。五二巻。鎌倉幕府の公的な編纂といわれる。幕府の事跡を
変体漢文で日記体に編述。源頼政の挙兵(一一八○年)から前将軍宗尊親王の帰京
に至る八七年間のわが国最初の武家記録。〔CD-ROM『広辞苑』第4版〕


 次に、『元亨釈書』(*2)の記事は、巻第九、感心一、清水寺延鎮伝にありまし
た。延鎮が田村麻呂と親友だったそうで、仏教説話をからめながら、高丸を射殺
した話が記されています。

(*2)げんこう‐しゃくしょ【元亨釈書】‥カウ‥
三○巻。虎関師錬の著。仏教渡来以後元亨二年(一三二二)までの四百余人の僧伝・
仏教史を漢文体で記したもの。〔CD-ROM『広辞苑』第4版〕


 最後に、『義経記』(*3)ですが、巻第二、「鬼一法眼の事」にありました。天
皇の宝として代々秘蔵されている十六巻の書物があり、《本朝の武士にて、坂上
田村丸、これを読み伝へて、あくじの高丸を取り、藤原利仁これを読みて、赤頭
の四郎将軍を取る。》といった形で登場しています。この「取る」は「首を取る」
という意味でしょうから、「あくじの高丸」は田村麻呂に、赤頭は藤原利仁に殺
されたということでしょう。

(*3)ぎけいき【義経記】
源義経の生涯を中心とする一種の軍記物語。八巻。作者未詳。室町初期成立。数
奇な境遇の中で生い育った義経の幼年期と、没落してゆく晩年の悲劇的な運命を
主として描き出し、また弁慶の活躍に多くの筆を費やす。判官(ホウガン)物語。義経
(ヨシツネ)物語。〔CD-ROM『広辞苑』第4版〕


 これら史料の成立順は、『吾妻鏡』→『元亨釈書』→『義経記』のようですが、
悪路王・赤頭の伝承は、この順に変化してきたのではなさそうですね。つまり、
本来『義経記』が伝えるように、「あくじの高丸」は田村麻呂に殺され、「赤頭」
は藤原利仁に殺されたという伝承があり、それが『吾妻鏡』に記される時点で
「田村麻呂・利仁が悪路王・赤頭を」という形になったのではないでしょうか。
それを確認するため、さらに史料に当たります。


※『吾妻鏡』『元亨釈書』は『新訂増補国史大系』版を、『義経記』は岩波書店
 『日本古典文学大系』版(岡見正雄校注)を用いた。

 つづきます。                 FHJ55492  アコ


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