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[但し書き]
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ここには、『隋書』に記されている「秦王国」について、 biglobe にあったSIG「歴史への招待」の「日本史ボード」へ、私が書き込んだものを集めた。 本編の前に、ここで問題にした点と触れていない点について、少々補足しておく。 まず、「秦王国」というのは、中国正史『隋書』の倭国伝に登場する謎の国の名で、岩波文庫の石原道博編訳『中国正史日本伝(1)』(新訂版)所収の「隋書倭国伝」注でも「不詳」(p.72)とされている。 なぜ、謎なのかというと、当時の他の史書にはまったく登場しないこと。そして、その国が七世紀初頭の西日本のどこかにありながら、中国風の文化を持っていたとされるからである。 そこで、古くから「松下見林は厳島とし、山田安栄は周防の音を秦王にうつした」(同注)などと考えられていた。また、近年では、石原氏も「山陽道西部にあった秦氏の居住地とも関係があるまいか。」(同注)と書かれているように、渡来系氏族である秦氏との関係が有力視されている。 このシリーズでは、『隋書』倭国伝と『日本書紀』をもとに、「秦王国」の所在地を穴門(あなと)すなわち現在の下関市壇ノ浦町付近を含む地域に比定した。 しかし、「秦王国」の所在地については、上述したように、古くから諸説があるのだが、それらについては、シリーズ内で特に検討してはいない。 また、このシリーズでは「秦王国」には、中国系の人びとが居住していた!としたが、通説では、中国系ではなく、中国文化を身に付けた朝鮮半島からの渡来氏族とされている。同様に、この点についても特に検討していない。 |
2004.02.17作成/2004.12.27更新