【原告の主張】
 以下の通り、被告は本件各契約書の意味を理解したうえで署名したものである。O野は被告宅を訪問し、被告の保証意思を確認している。したがって、本件各契約は有効に成立している。仮に被告に錯誤があったとしても、被告には重過失がある。
(1)実印、印鑑登録証明書等の重要性についての被告の理解
 被告は、O野が本件各契約書に署名押印を求めると、被告が有する3本の印鑑の中から実印を選んだ。従って、被告は三文判と実印を区別する能力があり、かつ、本件各契約書には三文判ではなく実印を押捺する必要があることを認識していた。
 また、被告は、実印を金庫のようなものに保管していたというのであるから、実印が大切なものであることを理解していた。
 以上の事実に鑑みれば、被告は、本件各契約書に署名押印する際、重要な実印を使用する取引であることを認識していたことがわかる。
(2)印鑑登録証明書及び印鑑登録カードについて
 被告は、印鑑登録カードを金庫に保管しており、このように厳重に保管されていた印鑑登録カードをY口が無断で持ち出すことはあり得ないから、被告が原告に交付した印鑑登録証明書(乙11の5)は、被告自身が申請手続きを行って原告に交付したと考えられる。
 このように、被告は、印鑑登録証明書及び印鑑登録カードの重要性を認識したうえで、原告に印鑑登録証明書を交付し、実印を押捺していた。
(3)被告の不動産取引経験
 別紙物件目録1記載の土地及び隣接するY口の土地は被告が被告の父親から相続したものである。被告は、被告の弟の妻が兄弟めいめいの印鑑を作って押し、無断で土地を売却したことから、被告が弟に対して平等に分けるように要求したと供述する。これによれば、被告は、不動産の処分に際し、所有者の印鑑が重要な機能を有することを理解していることが認められる。
 被告は、父親から相続した土地の一部をY口に賃貸し、地代を取っていたのであり、通常人と同様に経済生活を送っていたことが認められる。
 さらに、その後、被告は、固定資産税が高額であったことから、相続した土地の一部をY口に1900万円で売却しているが、これも被告が一般の社会人と同様の経済生活を送っていたことを示している。
 被告は、「土地をあげる、はんこを押す、というように」「土地をあげますと、押すだけ。それは分かる。」と供述しており、ここからも、被告が土地取引に関して、実印を押すことの意味を十分に理解していることが認められる。
(4)本件不動産への担保設定行為
ア 本件不動産の不動産登記簿謄本によれば、被告は、本件根抵当権設定契約以前に、本件不動産に、T工機やY口の債務を担保するため、合計4回の担保設定を行っている。
 被告は、これらのうち3回については、印鑑を押した記憶が残っていると供述しているが、仮に意味の分からない書類であれば、これほどまでに何度も、印鑑登録証明書を準備したり、契約書に署名押印することはなかったはずであり、署名押印について疑問を述べたり、署名押印を取りやめたはずである。
(5) 被告は、市役所から来た手紙の意味が分からないときには手話通訳者を同行して市役所に行って質問すると供述しており、この供述からすると、被告は文書の意味が分からない場合に手話通訳者を通じて質問するという対処方法を心得ていることが認められる。また、証人I藤(以下「I藤」という。)は被告が本の意味を尋ねられたことがあったと証言しており、この点からも、意味が分からなければ質問するということが、被告の習慣として身についていたことが認められる。
 ところが、被告は、O野から本件各契約書への署名押印を求められた際、質問せずにうなずいて署名押印を行った。被告は本件各契約書の意味を理解していたからこそ質問しなかったのであり、仮に意味が分からなければ質問していたはずである。
 また、被告は市役所から来た手紙が金銭に関するものであれば親戚の助力を得て要件を処理するなど、慎重な性格の持ち主であり、書類の意味も分からないまま重要な実印を何枚もの書類に押印することはあり得ない。
(6)被告のコミュニケーション方法について
 被告はろう学校に13年通い、その高等部を卒業している。ろう学校では通常の教科の授業が行われ、ペーパーテストも行われていたのであるから、手話でなく文書による意思疎通を図ることができないということは考えられない。
 現に、被告は、病院で筆談とするすることもあったとか、口座振替を初めて利用するときも筆談で銀行員から説明を受けたと供述している。
 被告は、ろう学校で独話を学んでいること、健聴者の兄弟との間では口で話したりしていたと述べていること、Y子とは手話や身振り手振りで話していたと述べていることから、独話や身振り手振りによるコミュニケーションも可能であった。
 したがって、被告はO野が口頭で述べたことを口の読み取りで理解することもできたし、Y口の口頭、身振り手振りによる説明も理解できたうえ、本件各契約書のタイトルを見ながらO野の説明を理解することもできた。
(7)被告の文章理解力について
 被告はずいぶん昔から新聞を取っていること、証人I藤は被告の文章力がほとんどの聴覚障害者と同程度であるとしたうえ、ろう学校卒業生の大半が新聞を購読していると証言していることから、被告には新聞を理解する能力があったと認められ、新聞の購読をしている被告が一般常識たる担保や保証という契約の意味を理解しないということはあり得ない。
 また、証人I藤は被告に本の意味を尋ねられたと証言するが、文章によるコミュニケーションができないのであれば本など読まないはずである。
(8)被告が社会人として通常の生活を送っていたこと
 「保証」「担保」「抵当」等の用語の意味などは、社会生活経験の中で取得される社会常識であり被告がこれらの意味する能力がなかったというようなことはあり得ない。被告は、教師の手伝いの後、結婚し、洋裁で生計を立ててきたのであり、一般通常人と同様の社会経済生活を営んできたのであるから、「担保」「保証」等の社会生活経験の中で取得される社会常識を備えていたことに疑問の余地はない。
(9)錯誤について
 上記のとおり、被告が保証等の意味を理解できなかったことはあり得ないのであり、被告の錯誤主張には理由がないが、仮に錯誤があったと仮定しても、被告には重過失がある。
 被告は、金銭に関する問題の場合に特別な注意を払う能力を有していた。被告は、訪問したのが銀行員であることを認識していた。また、被告は実印と他の印鑑を区別する能力があり、実印の重要性も理解していたし、実印を押すことによって土地所有権が移転することを認識していた。
 以上によれば、被告は、署名の際に、原告担当者やY口の説明が分からなければ署名押印を拒否したり、質問をするなどの注意義務があった。被告が、意味がわからないまま署名押印したのであれば、このような被告の行為には重過失がある。
 被告は、手話通訳をたびたび利用していたから、健聴者との取引において、被告が手話通訳を依頼することは十分に可能であったのに、手話通訳の依頼もしなかった点に重過失がある。

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