
第3 聴覚に障害のある人のコミュニケーション方法
1 聴覚に障害のある人に対するコミュニケーション方法は,筆談をすればよいとか,大きな声で話してやればよいとか,口を大きく開けて話せばよいというような,単純なものではない。一口に「聴覚に障害がある」といっても,後記2のとおり,失聴年齢やその成育歴等に応じてコミュニケーション方法は様々である。このため,聴覚に障害のある人とコミュニケーションをするためには,聴覚に障害のある人一人ひとりに最も適合したコミュニケーション方法を選択しなければならないのである。
2 聴覚に障害のある人に対する主なコミュニケーション方法としては次のものがある(乙第1号証・180〜190頁,乙第2号証・69〜74頁)。
(1)読話・発語
相手の口の動きを見てその発言内容を把握する方法が読話であり,聴覚に障害のある人が自ら声を出して相手に聞いてもらう方法が発語である。
しかし,読話という方法はコミュニケーションに困難が伴う。すなわち,唇の動きを目でとらえるよりも唇の動きの方が早い。また,口の型がつかめた場合でも,同じような口型のことばや表現が多く(日本語はラテン語系の言語に比較して特にそうである),会話の内容や前後関係が理解できていないと的中させることが困難なことが多い(乙第2号証・71頁)。
また,本人の失聴年齢,成育歴,学習歴によって読話ができるかどうかが違ってくる。
発語についても,高齢の先天性ろう者(注:生まれつき又は極めて幼少時に聴覚に障害を生じた者のことをさす)で手話教育を受けたり,不就学者の場合は話し方の教育を受けておらず,声を出せない者もいる(乙第2号証・72頁)。
これもまた本人が聴力を失った年齢,成育歴,学習歴によって発語ができるかどうかが違ってくるのである。
(2)筆談
文字を筆記することによるコミュニケーション方法である。
往々にして聴覚に障害のある人に対しても筆談すればコミュニケーション可能であると誤解されがちである。しかし,機能語(助詞,副詞等。乙第2号証・46頁)等の習得が不十分なまま学校を卒業した聴覚に障害のある人は,文章による日本語力の面で問題があり,このために,筆談によってもコミュニケーションを適切に行えないと言う問題がある(乙第2号証・56頁)。それゆえ,筆談ができるかどうかについても,本人の失聴年齢,成育歴,学習歴によって違いが生じてくるのである。そして,言語習得前に本人が失聴した場合は,耳から音声日本語が入ってこないために,文章による日本語に接する機会が少なく,文章力が不十分な場合が多い(乙第4号証・10頁)。特に本件被告はそうであり,文章によっては複雑な内容のコミュニケーションを図れない。
そうだとすると,銀行としては,文章力が不十分な人と高度の取引行為をしようとする場合には,相手が本当に理解しているかどうか,その人に適合したコミュニケーション手段を用いた上で,よく確かめる必要があることになる。
(3)手話
手話とは,手の動き等でコミュニケーションをする方法である。先天的に聴覚に障害のある人には,手話をコミュニケーション方法とする者が多い。
手話には,相手の発信内容を即時に理解できる,長時間で話し合っても疲労感が少ない,といった特長がある(乙第2号証・73頁)。
他方,音声言語に比して手話数が少なく一語多義的である,アクセント,イントネーションと同じく聴覚に障害のある人一人ひとりによって表現が微妙に違ってくる,という短所もある(乙第2号証・73頁)。
このような短所もあるものの,手話は,コミュニケーションと情報獲得上,他のコミュニケーション方法にはない大きなメリットがあるため,多数の聴覚に障害のある人(特に生まれつき又は極めて幼少時に聴覚に障害を生じた人)に使用されているコミュニケーション方法である。
すなわち,生まれつき又は極めて幼少期に聴覚に障害を生じた人においては,耳から音声言語が入ってこない。しかも,人間は極めて幼少期においては日本語の文章を見てもその内容は理解できない。そのような人が他人と意思疎通をしようとすればそれは必然的に身体の動作,特に手指の動きを利用して目に見える形で行う以外に方法はない。
このため,生まれつき又は極めて幼少期に聴覚に障害を生じた人にとっては,一番早く習得する意思疎通方法が手話となるのである。そして,このような人は,成長期に他者と手話によってコミュニケーションしあいながら概念を形成していく。他方で,そのような人にとっては,文章による日本語は,手話を習得した後に入ってくる言語である。この文章による日本語は,主にろう学校等において習得される。
しかし,被告のようにろう学校に通う時期が遅れた人にとっては,文章による日本語の習得が容易ではなく,文章による日本語をなかなか使いこなせない人が多い。このため,文章による日本語によって他者とコミュニケーションをすることも困難である。
したがって,文章による日本語による概念形成は容易ではないのである。以上の理由から,生まれつき又は極めて幼少期に聴覚に障害を生じた人には文章による日本語を十分に習得していない以上は同人に対して文章による日本語により物事を説明してもその内容を理解するのは困難である一方,手話は極めて幼少期から使用しているものであるから手話により説明をするとその内容を理解できることが多い。
しかしながら,被告は,後記第6,1@のとおり,手話によっては日常会話には対応できるがこみいった話し合いは十分にできず意訳を必要としたというような状態にあったのである。
したがって,被告においては,手話によるコミュニケーションが可能なのは日常会話にとどまるのであり,銀行との複雑な取り引きができるほどのコミュニケーション能力はなかったというべきである。
(4)身振り
不就学,あるいはそれに等しい状態にある人で聴覚に障害のある者には,原始的な身振り以外にコミュニケーション方法がない場合もある(乙第2号証・74頁)。
3 手話通訳について
上記のとおり,読話・発話,筆談によるコミュニケーション方法が困難である場合は,聴覚に障害のある人は手話を中心とするコミュニケーションをとることになる場合が多い。
しかし,社会には手話を知っている人がほとんどいない。
聴覚に障害のある人が,手話を知らない人とスムーズにコミュニケーションし,社会的に自立し,社会的行動が自由にできるようにするためには,手話通訳者が必要不可欠である(乙第3号証・253頁)。
本件訴訟においても,本件被告が口頭弁論期日,証人尋問期日,弁論準備期日,和解期日のすべての期日において出席するときは必ず手話通訳者が同席して,期日の内容を全て通訳しているのである。