
第5 本件被告のコミュニケーション方法
1 本件被告のコミュニケーション方法がほぼ全面的に手話に頼っており,筆談や読話では複雑な取り引きをなしえないということが本件の原点となる問題である。この点を本件被告の生育歴と日常生活の場面とに分け,本人尋問調書の該当箇所を引用することによって以下説明する。
2 本件被告の生育歴
(1) 本件被告は9人兄弟の長男として生まれた。
本件被告は,生まれつき聴覚に障害がある。
(平成11年6月7日被告本人尋問調書1〜2頁)
被告代理人
生まれつき耳が聞こえなかったんですか。
はい。
( 中 略 )
どの程度の音なら聞くことができるでしょうか。
全く聞こえません。
例えば,太鼓の音ぐらいは聞こえますか。
響きは分かります。音は聞こえません。
また,あなたは,口でしゃべることができますか。
できません。
そうすると,聞くことも話すこともできないわけですね。
聞こえません。自分が発声している声も聞こえません。
それは生まれてから現在までずっとそうですね。
そうです。
(2) 本件被告の両親は,本件被告が11歳になるまで学校教育を受けさせず,しかも,家庭内での教育も殆ど受けなかった。
(平成11年6月7日被告本人尋問調書2〜4頁)
被告代理人
日本ろう話学校に入ったのは,年いくつのときでしたか。
11才のときです。
それまでは学校へは行っていなかったのですか。
行っていません。( 中 略 )
ご両親から,11才になるより前に「学校へ行け。」とは言われたことありますか。
ありません。
また,ご両親から生活に必要なしつけや何か教わりましたか。
いや,ほとんどありませんでした。
ご両親から国語とか算数とかは教わりましたか。
ありません。
ご両親とはどういう方法でコミュニケーションしていましたか。
仕草です。
ご両親とは筆談はやっていたんでしょうか。
していません。
(3) 11歳になったあと,ようやく私立日本ろう話学校に入学し,24歳の時に同校高等部(技芸科)を卒業した。しかし,本件被告が日本ろう話学校に在籍している期間には,太平洋戦争が発生していたために,本件被告は十分な教育を受けられなかった。このため,本件被告は,文章による日本語力を十分に身につけることができないまま卒業した。
(平成11年6月7日被告本人尋問調書6〜8頁)
被告代理人
学校で,銀行とのお付き合いの仕方なんて教わりましたか。
いえ,教わっていません。
あなたは学校を卒業する前に,戦争にかかっていたんですね。
太平洋戦争がありましたね。
はい。
それでどこか疎開しましたか。
はい。長野県に疎開いたしました。
( 中 略 )
それはどのくらいのあいだでしたか。
1カ月,1年か,ちょっと忘れました。
1カ月位だったと思いますけども,忘れました。
疎開と言いますと,学校ごと長野に移転しちゃったんですか。
はい。
( 中 略 )
学校では学科は何が得意でしたか。
洋裁ですね。
国語や社会,また算数といったものはどうですか。
得意ですか,それとも苦手でしたか。
数学は苦手でした。
国語や社会はどうですか。
程度は低かったと思います。
学校を出て,新聞なんか読めますか。
読めません。難しいです。
例えば,お金を借りるときの住宅ローンの金利の新聞記事など,読んで分かりますか。
分かりません。
(4) 被告は,日本ろう話学校では,発声読話の練習を受けたが,結局,発声読話は発達しなかった。
(平成11年6月7日被告本人尋問調書7頁)
被告代理人
学校では発音の練習とか声を出す練習とかは多かったんですか。
ありません。少しです。畑ばかりやってました。
疎開の時はそうだったと思うんですけども疎開はまた別として,普段の東京での勉強のことをお聞きしたいんですけども。普段の勉強は文章を書かせたりすることよりも,声を出させる練習が多いんでしょうか。
2時間発声の練習をしていたと思います。
(平成11年6月7日被告本人尋問調書5頁)
被告代理人
あなたは口話で十分なコミュニケーションができますか。
難しいですね。
学校の授業以外で,他の人たち,例えば友達とかそういった人たちとのコミュニケーションはどうしていましたか。
手話を使います。
3 本件被告の日常生活と手話
(1) 本件被告は,日本ろう話学校を卒業した後,洋裁の先生の助手の仕事をし,その後,両親が残してくれた土地・建物に居住して学校で習った洋裁の技術を活かし,妹から洋裁の修繕の仕事をもらってつつましく生活をしてきた。
(平成11年6月7日被告本人尋問調書8〜11頁)
卒業後の生活のことをお聞きします。あなたは日本ろう話学校を卒業してからしばらくの間,先生が洋裁を教える助手みたいなことをしてましたか。
はい。
それはどういう方法で教えていたんでしょうか。
先生が教えた後,お手伝いという形で一緒に教えます。
( 中 略 )
昭和33年ころから自宅で洋裁の仕事をしているんですね。
はい。
仕事の中でどんなのが多いんですか。
直しが多いです。
どんなものを直しているんでしょうか。
妹の店から直しの仕事が入って,丈を詰めたりそういう直しですね。
( 中 略 )
その洋裁の仕事の収入はどのぐらいでしたか。
波がかなり激しくあります。
生活はできましたか。
障害年金をもらっていますので,それを合わせていますから大丈夫です。
洋裁以外の仕事はしたことはないですか。
ありません。
(2) 被告は,病院に行ったり,高い買い物をしたり,銀行に預金口座を作ったりするときは,手話通訳者に通訳を依頼していた。自分一人では,病院に行ったり,高い買い物をしたり,銀行に預金口座を作ったりすることはできなかった。
(平成11年6月7日被告本人尋問調書13〜16頁)
被告代理人
病院へ行ったりすることあるでしょう。
あります。
そういうときは手話通訳は行きますか。
はい。
大きな買物したりするようなとき,一人で高い買物したりそういうようなときに,一人で買物できますか。
できません。通訳を連れて行かなければなりません。
その通訳はどこに頼むのですか。
三鷹市の通訳を頼みます。
あなたは銀行に預金口座を持っていますか。
あります。
自分で作りましたか。
ありません。妻に頼んで,妻は通訳を伴って行きました。
奥さんが通訳と一緒に行ったということなんですね。
はい。またはAさんが一緒に行きました。
要するに,あなたもあなたの奥さんも自分だけでは銀行とは取引はできないんですか。
できません。
(3) 本件被告は,親戚ともコミュニケーションをとるときは,主に手話,身振り,表情等で意思伝達する方法を取っていた。筆談はほとんどしなかった(平成11年6月7日被告本人尋問調書12〜13頁)。
(4) 他方,Y・Tは本件被告の妹であるY・Yの夫であるが,本件被告は,Y・Tとはほとんどつきあいがなかった。本件被告は,Y・Tとは血のつながりもなかった。Y・Tは手話もできなかった。
(平成11年6月7日被告本人尋問調書17頁)
被告代理人
それでY・Tさんとは付き合いはありましたか。
あんまりありません。
Y・Tさんと顔を合わせることはあったんでしょう。
あんまりありません。
Y・Tさんと会うときは,コミュニケーションの方法はどうでしたか。
あんまり。会うと,「おはようございます。」と言うようなことだけで,話し合うということはありません。
(5) 以上のとおり,本件被告は,日常的には手話でコミュニケーションをしており,銀行に預金通帳を作るときですら手話通訳者を必要とし,筆談はほとんどしなかった。したがって,文章力を養う機会もなかった。
また,銀行との関係では預金通帳を作る程度のものの取引しかなく,複雑な取引行為を行う機会もなかったのである。