第6 本件被告の言葉・文章の理解力

1 これまで述べ来たったごとく,被告とのコミュニケーション方法はほぼ全面的に手話に頼っており,原告の主張するような文章(ないしは簡単な読話・身振り)では,被告に本件契約の内容を理解する能力がなかったのである。そのことは鑑定の結果からも明らかである。
「K・Y氏の文章理解力についての鑑定書」(以下,鑑定書という)10頁のWまとめA契約文の理解について,によれば,「法律関係の用語等が頻繁に使われている契約文を当時のK氏が独力で読んで理解したとはとうていかんがえられない。」とされている。これは,被告の文章理解能力についての各種検査の結果,被告の読み書き能力は小学校低学年程度(未成年者の意思能力に関しては,この程度では自己に不利益な法律行為をする意思能力を否定するのが通説・判例である。(新版注釈民法(1)252頁))であると判明したこと(鑑定書U・V)を根拠とする。
 また同B約定書が当時読みかつ理解できたかどうかについてによれば,「手話による通訳について考えると,今回の検査中にみられた手話によるコミュニケーション能力は,日常会話には対応できるが,こみいった話し合いは十分できず,意訳を必要とした。たとえ筆談をしてもらっても不十分である。今回の裁判の際の通訳は,通訳者が本人に通じるレベルまでくだいて意訳してくれたということである。当時の本人の能力ではこのようなベテランの通訳者がつかない限り,たとえ筆談を用いたとしても,約定書の理解にはいたらなかったと考える。」とされている。つまり,被告は単独では契約文を読んで理解する能力はなかったし,筆談を交えても理解は困難であったと推測され,唯一理解が可能になったと思われる状況は,ベテランの手話通訳者がついて本人の会話能力レベルに応じた手話でやさしく丁寧に通訳した場合のみであったであろうとしている。
 本件では,契約当時,手話通訳者が同席していなかったのであるから,本件契約当時,被告は本件契約書(甲B第2・3・6・9・10号証)の内容について,全く理解しえない状態で,かつ銀行員とY・Tに言われるままに署名・捺印したことが明らかである。

2 被告の本人尋問の結果からも,以下のとおり,被告が本件契約内容を全く理解しないままに署名・捺印したことが明らかである。

(1) 被告は,終始一貫して銀行員やY・Tに署名捺印するように言われるまま,丸く印をつけてあったところに署名・捺印したにすぎないと述べている。本件のような重要な契約の場合,このような主張は一見不自然な印象を与えるが,被告は先天的に聴覚に障害のある人であり,通常であれば身につけているはずの防衛能力のようなものを十分身に付けているとはいえず,また,以前何回か実印を使用して相続をした経験はあるものの,いずれもそのときの相手は血のつながった肉親であり,しかもそれによって何の損害も受けずトラブルも生じなかったことから,何ら警戒心を抱くことなく署名・押印したにすぎないのである。
 また,保証については,被告は本件以外においても何度も実印を使用している。しかし,被告は前記第2,3のとおり手話通訳者なしでは防衛能力を欠いている者であるところ,本件と同様に親族が関与していることから,被告としてはなおさら警戒をする理由がなかったのである。それゆえ,本件以外の保証においても,被告は,何ら警戒心を抱くことなく署名・押印したにすぎないのである。この点は,第一勧業銀行事件で明らかになった契約書への署名・押印時における第一勧業銀行との間のやりとりからも明らかである。(後記第9ご参照)。

(2) また,手話通訳者を通して被告と会話をしようとしても,ごく簡単な日常的なことはともかく,なかなか意思の疎通が困難な場合があることは,今回の被告本人尋問の内容や結果を見ても明らかである。
 たとえば,第14回口頭弁論における被告本人尋問における第一勧銀代理人の質問に対する回答(平成11年9月13日被告本人尋問調書8〜9頁)

原告第一勧銀代理人
一学年に何人くらいいましたか。
   大体9人,生まれつき聞こえない子供も一緒に勉強してました。歳はまちまちでしたね。
今言われた9名が一つのクラスを作るということですか。
   9人か,もう少し多かったのか,まあ9人,10人か,ちょっととにかく多かったです。
今の質問に答えてください。それが,一クラスを作るということですか。
   違います。5人というクラスもあれば3人というクラスもあります。ばらばらですね。そんなにクラス,クラスというものはないんです。
そのばらばらと言われたのは,たとえば教科によって人数構成が違ってくると,そういう意味ですか。
   何ですか,その教科っていうのは。
国語とか算数とか理科とか社会とか,そういう科目ごとに3人とか5人と変わってる?
   いいえ,違います。私の場合はですね,おもちゃとか人形だとか名前を発語の訓練をするということです。名前を教えてもらうんです,飛行機とか,ブーブーとかですね,いろいろ発音を口を真似て練習をするということです。それが小さいときに。
質問を変えます。あなたの陳述書によると,合計13年間,予科,初等部,中等部,高等部と行かれたということですね。

 また同10頁の同じく第一勧銀代理人の質問に対する回答

あなたが14歳で初等部に行ったというのは,平均的な年齢ですか。
   低い子もいますし,上の子もいますし,同じというわけじゃないですね。ばらつきはあります。
いや,あなたはだからそのうちで,ほぼ平均的な歳で入ったということに聞いていいですか。
   平均という意味はなんですか。平均とはなんですか。
つまり,だいたいの子は初等部に進学するのが14歳くらいと聞いていいか,どうかということです。質問を変えると。
   さあ……14というのは何なんでしょうか。
いや,先ほど14歳で進学したと言われたから,そう言っているんです。
   ……。

などが,ちぐはぐである。このような状態から見れば,本件で問題となっている保証とか抵当とかという言葉は,仮に契約当時,手話通訳者がいたとしてもかなり時間をかけて説明しなければ,被告にはおよそ理解できない事柄であったのである。


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