第7 被告が本件契約書に署名・押印した経緯

事実関係
 被告が,手話通訳者がいない状態で,銀行員やY・Tから何の説明もうけることなく,したがって,契約内容について何も知らないまま,自己の行為の結果がどのようなものであるかを全く理解しないで,銀行員とY・Tに言われるままに署名・捺印したにすぎないことは,以下の理由により明らかである。

(1) 銀行員が,被告の保証意思及び担保設定意思を全く確認していないことについて
 Y・Tとともに被告方を訪問し,被告に契約書を提示して署名・捺印させた銀行員O・Tの証言によれば,O・Tは従前,Y・Tから「被告は耳が不自由なだけで,それ以外は一般の方と変わらない生活をしているという話を聞いていたため,」(平成11年3月8日証人尋問調書5頁,34〜35頁),自分が口頭で話し,Y・Tが身振り手振りで説明したので,被告が理解したと思い,被告が本当に理解していたかどうかは確認していないと述べている(同49頁)。

(2) 銀行員とY・Tが行ったとする説明について
 O・Tの証言によれば,被告に対して行った説明は,まず,O・Tが話し,金銭消費貸借契約証書とか根抵当権設定契約証書と大きな文字で書かれた契約書の表題部分を指で指し示したとのことであるが,鑑定書によれば,被告は「貸越,所定などは読めず意味もわからない。」「貸し渋り,介護保険,時効,連帯保証人については手話でも説明できず,意味がわからない」とされ,また,本人尋問においても,口座や振替の意味がわからないと述べており(本人尋問調書31頁),銀行員が文字を指し示しても何の意味もないことは明らかである。また,その後でY・Tが身振り手振りを行ったとのことである(同12〜13頁,21〜24頁)が,O・Tが言ったことをY・Tが身振り手振りで一つ一つ説明していたかは定かではないと述べてもいる(同47〜48頁)。
 O・Tは,被告方を訪問する前に被告が聴覚に障害のある人であることを知っていたのであるから(同40頁),口で話しても通じないことは承知していたはずである。また,Y・Tが身振り手振りで説明したと言うが,連帯保証と根抵当とかいう言葉や契約の意味を,手話さえ出来ないY・Tがいったいどのようにして身振り手振りで被告に説明したというのか。身振り手振りでそのような難解な法律用語を相手に理解させるなどということはおよそ不可能なことであり,全く説明をなさなかったと同義である。加えて,契約書には内容的な記載はほとんどなされていなかったというのである。この点,O・Tは,金額欄のみは「鉛筆書きで500万と書いてあったと思います。」と証言しているが曖昧である上,もし記載されていたとしても鉛筆で書くということは内容が未確定であることを意味するから,金額の記載があったとは到底言えない(同14〜16頁)。被告が仮に難しい漢字を読めたとしても,記載がない以上契約内容を理解できたはずがないのである。

(3) O・Tらが行ったとする説明に対する被告の対応について
 O・Tの証言によれば,被告は本件契約書にすらすらと署名・押印し(29頁,33頁),契約書の内容については,被告は何も質問せず(54〜55頁),何の反応もなかった(51頁)とのことである。このような態度は健聴者の場合にもきわめて不自然なものである。まして,聴覚に障害のある被告の場合,前記第2の3の聴覚に障害のある人の一般的特性の項で述べたように,そのような態度は行為の意味をまったく理解していなかったことを示すものに他ならない。そして,聴覚に障害のある人がそのような態度をとる場合には,日常的に聴覚に障害のある人とあまり接したことのない人でも,相手が内容を理解していないことは容易に推測しうるところである。
まして普段人と接する機会が多く,契約締結の機会も多い銀行員であれば,その経験上被告が内容をまったく理解していないことはきわめて容易に判断しえたはずのものである。したがって銀行員としては,被告が契約内容を理解していないと考えるべきであったのであり,後日手話通訳者をつれて再訪し,十分説明をした上で契約を締結すべきであったのである。他人の債務に対する保証や担保権設定などは,場合によっては今回まさに問題となっているように,全財産を失う危険のある重大な契約なのであるから,相手方が聴覚に障害のある人であり,内容を理解していない可能性があれば,銀行が通訳を同行させて説明すべきなのである。然るに,O・Tは,Y・Tの「耳以外は普通の生活をしている」旨のY・Tの言葉を漫然と信じ,被告の能力について何ら調査せず,また,契約内容の説明を全く行わずに,いわば,被告の無知と信頼を利用して,被告に署名捺印させたものと言わざるをえない。


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