
第1 本件訴訟の争点
本件訴訟の争点は,原告に手話通訳者をとおして被告に説明する義務があるかどうかである。
この点,被告は,意思疎通,コミュニケーションの手段として専ら手話を用いており,筆談は十分なしえない。このため,原告は,本件契約の際には,被告が契約内容を手話通訳者をとおして説明をすべき義務があったことは明白である。それにもかかわらず,原告は上記義務を怠った。したがって,結論として,本件の契約は意思不存在ないし錯誤により無効である。
第2 聴覚に障害のある人の一般的特性
共通した特徴は,「聞こえないこと,また聞こえにくいこと」(器質障害)とこれが原因となって生じる「話せないこと,話しにくいこと」(機能障害)の二つである。
このために聴覚に障害のある人は音声によるコミュニケーションが困難であり,教育面,社会生活面で情報がすぐに入らないために,「学習及び情報障害」も生ずることが多い。
また,聴覚に障害のある人には情報が少ないために防衛能力が十分ではない人が多い。
被告も防衛能力が十分でないことは裁判所に提出した全ての証拠,証言に照らし明白である。
第3 聴覚に障害のある人のコミュニケーション方法
聴覚に障害のある人に対する主なコミュニケーション方法としては,読話・発語,筆談,手話,身振り等がある。
読話とは相手の口の動きを見てその発言内容を把握する方法である。しかし,唇の動きは非常に早いため目で唇の動きをとらえるのは困難であるし,同じような口型のことばや表現が多いこともあり,読話は極めて困難なコミュニケーション方法である
発語とは自ら声を出して相手に聞いてもらう方法である。発語についても,学校教育で十分な訓練を受ける必要があるところ,それを十分に受けていない場合は,発語は極めて困難である。
筆談とは,文字を筆記することによるコミュニケーション方法である。しかし,言語習得前に本人が失聴した場合は,耳から音声日本語が入ってこないために,学校教育を十分に受けないと,日本語に接する機会が少なく,文章力が不十分な場合が多い。
手話とは,手の動き等でコミュニケーションをする方法である。生まれつき又は極めて幼少期に聴覚に障害を生じた人には,耳から音声言語が入ってこない。そのような人が他人とコミュニケーションしようとすれば必然的に身体の動作,特に手指の動きを利用して目に見える形で行う以外に方法はない。このような人にとって一番早く習得する意思疎通方法が手話となる。逆に,そのような人にとっては,文章による日本語は,手話を習得した後に入ってくる言語である。この文章による日本語は,主にろう学校等において習得される。しかし,被告のようにろう学校に通う時期が遅れた人にとっては,文章による日本語の習得が容易ではなく,文章による日本語をなかなか使いこなせない人が多い。このため,文章による日本語によって他者とコミュニケーションをすることも困難である。したがって,文章による日本語による概念形成は容易ではない。
3 手話通訳について
社会には手話を知っている人がほとんどいない。聴覚に障害のある人が,手話を知らない人とスムーズにコミュニケーションし,社会的に自立し,社会的行動が自由にできるようにするためには,手話通訳者が必要不可欠である。
第4 国際人権規約と手話通訳の配慮義務
国連人権規約の立場からは,聴覚に障害のある人と企業とが契約を締結する場合には,企業の側に手話通訳者を用意する合理的配慮義務があることは当然のこととされている。また,世界的にも,数多くの国々が手話通訳者の提供等の合理的配慮義務を定めた差別禁止法を制定している。裁判官においては,このような世界的な趨勢にふさわしい判断が求められるのである。
第5 被告のコミュニケーション方法
1 被告は,ほぼ全面的に手話でコミュニケーションしており,筆談や読話では複雑な取り引きをなしえない。このことは被告の生育歴,日常生活から明らかである。
2 被告の生育歴
被告は生まれつき聴覚に障害がある。被告の両親は,被告が11歳になるまで学校教育を受けさせず,しかも,家庭内での教育も殆ど受けなかった。
11歳に私立日本ろう話学校に入学し,24歳のときに同校高等部技芸科を卒業した。しかし,被告が日本ろう話学校に在籍している間に太平洋戦争が勃発したために,被告は十分な教育を受けられなかった。このため,被告は,文章による日本語力を十分に身につけることができないまま卒業した。
3 被告の日常生活と手話
被告は,日本ろう話学校を卒業した後,洋裁の先生の助手の仕事をし,その後,両親が残してくれた土地・建物に居住して学校で習った洋裁の技術を活かし,妹から洋裁の修繕の仕事をもらってつつましく生活をしてきた。
被告は,病院に行ったり,高い買い物をしたり,銀行に預金口座を作ったりするときは,手話通訳者に通訳を依頼していた。自分一人では,病院に行ったり,高い買い物をしたり銀行に預金口座を作ったりすることはできなかった。
被告は,親戚ともコミュニケーションをとるときは,主に手話,身振り,表情等で意思伝達する方法を取っており,筆談はほとんどしなかった。
被告は,Y・Tとはほとんどつきあいがなかった。被告は,Y・Tとは血のつながりもなかった。Y・Tは手話もできなかった。
それゆえ,被告には文章による日本語を使う機会もなかった。
第6 鑑定について
込み入った事項についての被告とのコミュニケーション方法が文章ではなしえず,手話にたよっているということは専門家による鑑定の結果からも明らかである。それを端的に示すのが,「法律関係の用語が頻繁に使われている契約文を当時のY・K氏が独力で読んで理解したとはとうていかんがえられない」とのくだりである。ちなみにこの最終準備書面を被告に渡したが,文章では意味を理解できなかったのである。
原告は本件契約の前に何回も保証契約書に署名したことを契約の内容を理解していることに結び付けているが,そもそも手話通訳なしには複雑な契約をする能力を欠いている人には的外れな議論である。また,被告が書いた事項はほとんど住所と氏名だけであって,それ以外の複雑な取引に関する条項を自ら記載したものは皆無である。住所と氏名だけなら,どんなに文章力がない人にも書けるものなのである。
第7 本件契約書に署名・押印した経緯
被告が契約内容についてはまったく理解できないままに銀行員とY・Tに言われるままに署名したに過ぎないことは次の理由から明らかである。
1 銀行員は被告にまったく意思確認をせず,理解しているものと一人合点していること
2 手話通訳者なしには銀行員もY・Tも被告に取引内容を説明する能力を欠くこと
3 署名後も何らの質問もしなかったこと。契約の内容を理解できなかったのであって,聴覚障害者の場合は質問がないということは理解できないことを意味している。
第8 原告の説明義務違反
判例も認めているように,銀行は保証人と保証契約を締結するときには契約の内容を説明する義務がある。これを被告の場合に当てはめると,原告は手話通訳者を同行して説明する必要があるが,原告はそれをしなかったのだから,説明義務に違反している。この点は原告のT・O証人も今なら原告と取引するときは手話通訳をつけるという形で,認めるところである。
第9 第一勧銀事件等との関係
前述したように原告は被告が第一勧銀や富士銀行等との間で何回も抵当権設定契約をしているから,原告との間の契約も有効であるとしている。しかし,いずれの契約も不存在である。被告は文章が理解できないのだから債務を負担するということも理解できず,それが何度も繰り返されたのである。
第10 判例
かっては,判例も聴覚障害者の特質を理解しなかったが,最近では聴覚障害者には文章力がない人が多いということを理解し,それに応じた解決策を示している判例がどんどん出ている。それは証拠として提出したところである。
第11 結論
以上のように,被告は原告の手話通訳者を介した説明義務の違反のために契約内容を理解できないままに契約書に署名捺印させられたのであり,判例の傾向からも本件契約は不成立・不存在である。裁判所におかれては,原告の主張のような障害のない人からの思い込みからものを考えるのではなく,本件事案の全体像を正確に把握し,障害者の人権に関する国際人権規約の世界的潮流にも沿った判決を下されるよう,求める。