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今夜の番組チェック

失敗体験記

1986年から1年に1回ハワイ旅行をしている私(Yumi)ですが、基本的に危険な場所には行かないし、危険な事もしないのであんまりデンジャラスな事には遭遇していません。
そんな中で出会った出来事を少しだけ紹介します、よかったら読んでみて下さい。

もしかすると、これを読んで下さった皆さんも、ここに書いたようなアクシデントやハプニングに出会ってしまったり、これ以上の出来事に出会ったりすることもあるやもしれません。確かにその時は、かなり舞い上がったり、パニクッたり、動揺したりすることでしょう。
しかし!生命に関わるようなことでも無い限り、後になってみると『あんなこともあったよねーっ』と、結構よい思い出になったりしてます。
ただし、自分からワザワザ危険なところに行くのは、絶対に止めて下さいね。日本ではない文化の中にいるということは、心に留めておいてね。

Fumiが描いたクイリマの絵です(実物とはケッコウ違います)

●2004年
 
2004年は、なんと災害の多い年だったのでしょう(今の時点で、今年はまだ2ヶ月残っていますが)。
 観測史上最多上陸数の台風、そして〈新潟県中越地震〉。『被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し明け
 ます。』2004年の私たちのハワイ旅行は、〈台風23号〉のまっただ中に飛行機が飛び立ち、そして 
 〈新潟県中越地震〉は、旅行中に起こってしまいました。
 ここでは、台風の来ている中で旅に出た私たちの体験を書かせていただきます。
 まず当日の朝、東京はまだ静かな空模様でしたが、飛行機の出発時間は、午後8時55分。
 天気予報では、ちょうど関東付近に最接近するのがそのころだと言ってるし、「本当に行けるのかなぁ」ど
 うなるのかと心配しながら仕事をしていると、午前11時頃に旅行社から「航空会社から出発時間が早くな
 るかもしれないので1時間早く集合して下さい」との連絡が入り、予定より1時間少し早く出発しました。
 そして更に、成田空港へ向かう電車の中で家から携帯に「旅行会社から『出来たらもう30分早く来て下さ
 い』って今電話が来た」との連絡が入りました。
 そして空港に着き集合場所に行くと、係の人が「出発の時刻が7時30分になりました」とのこと。私たち
 は「台風が来る前に飛ぶようにするんだね」と話し合いながら指定のゲートへ時間までに行き、家には「行
 けるみたいだから」と電話をして、7時30分には機中の人になっていました。
 ところが、一向に離陸の様子にならない。初めのうちは雨もそれほどではなく、風などほとんど吹いていな
 かったのが、次第に雨風が凄くなってきて、機体がぐらぐら揺れだして、そのうち「管制塔からの指示で
 30分ほど待機します」とのアナウンスが、そして30分たった頃「ただいま成田空港は離発着全てが停止
 されています」とアナウンスがありしばらくすると風がおさまってきて、飛行機の離発着が再開され出しま
 した。やっと出発かと思っていたところに「当機は、機体に不備が見つかったため、ただ今よりゲートに戻
 ります」そして「成田空港は、23時以降の使用が出来ないので、23時を過ぎた場合の本日のフライトは
 中止となります」と言うような(ショックのあまりはっきりと覚えていません)アナウンスが・・・
 整備の人が乗り込んできて10数分で帰っていきました。
 結局飛んだのは、10時30分を数分過ぎていました。飛行機の扉が閉まってから3時間後のことでした。
 ただ、台風が来ているので凄く揺れるかなと思ったのですが、殆ど揺れなかったのは、よかったです。

                     上空から見た、カウアイ島
●何これ!
 
それは2001年9月11日朝のことです。
  ボーっとしたまま洗顔をしていた私(Fumi)は、「何これ!」と言う妹(Yumi)の叫びにビックリしてテレビの
 前へ、画面に映し出されていたのは、双子ののっぽビルに突っ込む飛行機の映像、「新作映画の宣伝?」と
 聞く私に「なんだろう」と言いながら他チャンネルに変える妹。
 しかしどの局を見ても同じ映像が・・・。『こんな事が実際に起こったことなのか』と、しばしボーゼンと
 した私たちですが、なにせニュースは全部英語の放送だったので解る単語を並べて、理解できたのは『テロ
 リストがアメリカン航空とユナイテッド航空の旅客機をハイジャックして、【ワールド・トレード・センタ
 ー】と【ペンタゴン】に突っ込んだ。』と言うこと。
 
  しかし、この日はイオラニ・パレスのツアーを予約しておいたので支度をしてホテルを出たのですが、その
 時点ではまだ、遠いアメリカ本土の東海岸で起きた事件という感じだったのですが、イオラニ・パレスのボ
 ランティアのガイドさん(日本人)が「実は…」とテロ事件のことを話して下さって、「そして全米の全て
 の空港が既に閉鎖されています」と教えてくださいました。
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  9月13日、この年はパック・ツアーでの旅行だったので、ツアー・デスクに帰国のことを聞きに行ったら
 「空港の閉鎖は、いつ解除になるか解りません。11日、12日、13日帰国予定だった方達は、宿泊費自
 己負担で延泊されてます」とのこと。『いったい、いつ日本に帰れるんだーっ!!』『延泊分て、いったいい
 くらになるんだ。』『仕事は、どうなる』など頭の中でぐるぐる回ってました。そして大好きなハワイなの
 に、『いつ日本に帰れか分からない』となると、やけに日本が、家族が、愛犬が恋しくなる…。
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 そして色々と有りましたが、無事に帰国することが出来ました。
 今は、テロ事件で犠牲になられた方々のご冥福と、お怪我をされた方々の一日も早いご回復を祈り、パパや
 ママを亡くしてしまった子供達のこれからの幸せを心から願っています。
 こんな事は、二度と嫌です。戦争なんてしないで欲しい。
●臆病なのは、私だけ?
 それは1987年7月の出来事です。
 私(Fumi)の初ハワイ旅行(海外旅行が初めて)の時、羽田空港発着で唯一の国際便チャイナ・エアだ
 ったのですが、これがまたとーっても揺れまくりまして、私は【お守り】を握りしめ、「どうぞ無事に着き
 ますように、せめて一目ハワイを見せて下さい」と祈り続けたのです。みんな眠っているらしい機内で、他
 の乗客(隣のYumiを含め)を『みんな、なんて度胸が有るんだ』と思いながら恐怖のあまり一声も発す
 ることができず、当然一睡もできずにホノルル空港に到着したのです。
         
 そして、飛行機を降りた所から入国審査(イミグレーション)を受ける所まで乗っていく【Wikiwik
 i BUS】の中で聞いた会話、「凄く揺れたね」、「怖くて一睡もできなかったよーっ」、「俺も」、
 「恐怖のあまり声も出なかった」等々。寝ていると思った乗客のみなさん(Yumiも含めて)の殆どが私
 同様、恐怖のために寝ることもできずにただ固まっていたのです。その後十数回ハワイに行っていますがあ
 んなに揺れたことはありません。
●鍵、鍵?  そして若者って…
 これも1987年7月の話です。
 宿泊一日目のことです。
 姉(Fumi)がシャワーを浴びていると突然警報音が鳴り響きました。私(Yumi)は、シャワー・ル
 ームの姉に「何かあったよ。早く出て」と叫び、あわてて服を着てシャワー・ルームから出てきた姉と部屋
 を飛び出し(当然エレベーターは使わずに)確か7階からロビーに非常階段で下りて廻りを確かめてみまし
 たが、別になにも異常は無く、騒いでいる人も無く、火も煙も見えず、私たちはまた非常階段を上って部屋
 に帰りました。

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 そして、宿泊二日目の午前3時頃またしても警報音が!! 
 当然ぐっすりと眠り込んでいた私たち。ドア寄りのベッドに寝ていた私が先に目を覚ましドアを開けたので
 すが、熟睡中に起こされたせいでしょう、廊下が白っぽく見えてしまったのです。
 んでっ、『こりゃ今夜こそは本当か!!』って思い、あわてて姉を起こし部屋の鍵を握りしめ、姉の 「鍵持
 った?」の声に「持った!」と答え、二人ともスリッパのまま部屋の外へ。
 そして(当然エレベーターは使わずに)非常階段でロビーまで行くと、アウトリガー系のホテルだったから
 でしょうか
 日本人は私たちだけみたいで、皆さんTシャツに短パン、さすがに足元は裸足かスリッパの人が多かったの
 ですが、そんな中で私はしっかりパジャマ を着ていました、何とも恥ずかしかった…。 
 そんなこんなでしたが、結局この日も火災ではなく報知器の誤作動だったみたいで(説明は全て英語のみだ
 っ たので、多分そうだと思う)、ぞろぞろとみんな部屋に引き上げて行ったので、私たちも帰ろうと思い
 フト
持って来た鍵を見ると、手のひらの上にはスーツケースの鍵が…。
 『ウッソー!どーしよーっ。フロントには日本語が全然分からないと言ってた人が一人いるだけ。』何たっ
 て英語は学校の勉強でも不得意科目だった私たちとしては一体何と言えばいいのか(プチ・パニック)。
 頭の中がフル回転しているのが自分でも解るくらい。で、出てきた言葉が「エクスキューズミー、ルーム・
 キー、イン マイ・ルーム」(大笑)。
 でも、ちゃんと理解してくれましたよ、何とか通じるもんですね。                  
 あの頃はまだカード・キーじゃないホテルも割とあったので起こってしまった(?)出来事です。
 (カード・キーだったらテレホン・カードと間違えたりして・・・)。

 ただ、あの時とっても驚いたことは、日本人観光客の若い女の子達がその時間にまだワイキキの街をうろつ
 いていた、ということです。日本女性はタフです。
●1000円だけど
 ある年のこと、指定料1000円を払えばホテルを指定できるというツアーでのこと。
 いざ着いてみると、「ダブル・ブッキングのため、○○ホテルに変更したから、そっちへ行ってくれ。荷物
 は、もうそっちへ運んだから」と言うんです。
 そんなーっ!!。私たちは、指定料(1000円だけど)払って、このホテルを選んだんだぞーっ!
 その上、変更先のホテルは、『ここだけは、イヤだよね。』っていってたホテル。
 
 ツアー・デスクに行って、「指定料(1000円だけど)払ってまで選んだホテルなんだから絶対に変更し
 たくない!」と、私たちにしては珍しく強くクレームを付け(当然よね。)一歩も引かないっていう態度に
 出てたら、どうにか話が付いて希望したホテルにチェック・インが出来ました。その上、ダブル・ブッキン
 グだって言ってたからどんなダサい部屋になるのかなって思ってたら、意外にもそのホテルの中では、上の
 方の階のそれも角部屋(東南向き)だったのでビックリ。
●バス停はどこに?
 まだ『The BUS』のルートもしっかりとは解らずにいた10年ほど前のこと。
 カイルアに行った帰りに『ウインド・ワード・モール』に寄ってみようと言うことになり、バスの運転手さ
 んにやっとの思いで(やっぱり、発音がねぇ、なかなか通じなくて…)、ウインド・ワード・モールに行く
 には、このバスでよいということを事を確認し、乗り換えのバス停と何番バスかを親切に教えてもらいなが
 ら、無事に到着。 が、しかし…

 今度は、帰りのバス停が発見できずウロウロ…。しばらく探してやっと見つけたバス停で結構何分もバスを
 待っていたけど(その探していた間もバスは一台も通らなかった)なかなか来なくて、そこに12・3才位
 の女の子が二人来たので、ちょっと不安だった私(Yumi)は、その子達にチョー少ないボキャブラリー
 の中から「アラモアナ・ショッピング・センターに行くバスは、このバス停で良いの?」みたいなことを聞
 いたら「NO!」との答え。
 そこで正しいバス停を聞くと、7〜80メートル離れた所にあるバス停を指さされたのです。私たちはお礼
 を言いそのバス停に向かい歩き出しました。その時、それまでどちら方向にも一台も通らなかったバスが、
 そのバス停に向かって近づいて行くではありませんか。もちろん私たちは、死に物狂いで走りましたよ。
 次はいつ来るか判らないもの。

●バス停はどこに?U

 これまた、10年ほど前『The BUS』でドール・パイナップル・パピリオンへ行った時の事。
 行きは良かったのですが、帰りのバス停を見つけられなくて(またかよ!)。「どーする?」「ワイキキ方
 面に向かってバス停があるまで歩いてみる?」(ちなみに、次のバス停だと思われる所はとてつもなく遠
 い)なんて言いながら探していたら、ドール・パピリオンの隣に植物園があるのを見つけたので「そっちも
 見ていこうよ」と言うことになり、一通り見学して出てきたら、あんなに一生懸命さがしても見つけられな
 かったあの『The BUS』マークが目の前に有るではないですか。
 一応ベンチっぽい物もあったのですが、何と言ってもあの赤土が、ベンチや柱までも赤土色に染めてしまっ
 ていて全然目に付かなくしていた上に、『The BUS』マークは、右側を走って来るバスの運転手さん
 にさえ見えればいいって感じに貼ってあったんで、道路の反対側から見てた私たちには、見えなかったので
 す。(皆さんも気を付けてね)

 こんな思いをしても、やっぱり私たちは『The BUS』に乗ってます。『The BUS』に乗ってる
 と親切な人に会ったりして結構楽しいです。

●バニラ…
 これもやっぱり10年ほど前のこと、初めてフローズン・ヨーグルトのお店に行き注文したところ
 「バニラ」がどーしても通じずに、何度言っても店員さんは「バナナ?」と聞き返すんです。
 『なんで、どーして』と焦りまくり、結局あきらめました。ナサケナイ…
●友情の島
 日帰りでモロカイ島に行った時のことです。
 往復の飛行機とレンタカーがセットになったツアーをクレジット・カード会社の現地デスクで予約。
 宿泊していたホテルのコンシェルジュで、当日ホノルル空港までのシャトル・バスを予約。
 そして、いざ当日の朝ことです。
 約束の時間になってもバスが来ない。『まあ、ハワイアン・タイムだから…』と思いつつも、20分過ぎ。
 ちょっと不安になったのでコンシェルジュに確認に行ったら、「何処で予約をしたの?」と聞かれたので
 「ここです」と答えたら、バス会社に確認してくれて「バスは、遅れているけど行くから待ってて。と言わ
 れたからもう少し待って
 みてください。」とのこと。
 それからまた、10分くらい過ぎ…。またコンシェルジュに行ったけど「もう少し待って」と言われ、また
 10分くらい経ち…。
 バスは、飛行機の出発時間よりもかなり余裕を持って予約してあったのですが、ついにもう待てないと思い
 再度コンシェルジュへ、
 そうしたらコンシェルジュの人が「バスの料金でタクシーで行って下さい」と手配してくれて、超アワテテ
 空港へ。その時初めてリムジンのタクシーに乗ったのですが、あんまりにもアワテテいたので、感動してい
  る余裕がなかった…

 そのうえ空港でも一波乱有って、
 ちょっと勘違いをしていた私たちがタクシーを降りたのは、インターアイランドのターミナルビル。だけど
 チケットを発券してくれるのは違うビルだったので、チケットを発券してくれるビルまで必死に走り、チケ
 ットを受け取って、またターミナルビルまで、ゼイゼイしながら走り、出発にはどうにか間に合いました
 が、すでにクタクタでした。
 
 そして飛行機は、初めて乗る【18人乗りのプロペラ機!】ドアは副操縦士さんがロープを手で引いて閉め
 るドア! 
 コックピットと客室の間もドアなんて無く、離陸をしたらものすごく揺れるし、とっても怖かった。

 でも、モロカイ島は静かで自然がいっぱいで何も無いところが素敵な島でした。これからもあんまりウルサ
 イ島には、なって欲しくないなぁ。
 そして、白い砂浜が何処までも続くパポハク・ビーチにまた行きたい。
              
       モロカイ島パポハク・ビーチ(ここの砂がワイキキ・ビーチに運ばれるそうです)

          
            セント・ジョゼフ教会          ダミアン神父像
●海岸の苔
 ある年のこと、『あまり大きくない、きれいなビーチを探そう』みたいなテーマで過ごした年だったと思い
  ますが、デイ・バックを背負い、住宅街の間にあった狭い道を通って、海岸に出て、岩場の向こうの小さな
  砂浜を目指し歩き出した時、足元が苔で滑ることに気が付いた妹(Yumi )が、後ろを付いて歩いていた私
  に向かい「滑るから気を付けて」と声をかけてくれました。
 私は、「うん」と答えながら滑って見事に尻餅を付き、恥ずかしさと痛さで笑いながら立ち上がったとこ
 ろ、更に前に転んで膝を打ってしまいした。そして、その一部始終をサーフ・ボードを抱えたかっこいい男
 の人達に見られていたのです。
 お尻と膝とデイ・バックの底は、苔色に染まるし、手は岩で打って痛いし、とっても情けなかった。
●バスパスが…
 
ある年のこと、10泊予定での旅だったので1ヶ月有効のバスパスを購入したのですが、まだ日程の半分過
  ぎ位の日の夜、ホテル内のコイン・ランドリーで洗濯をして部屋に帰ってしばらく経った頃、ふと『私った
  らバスパスはどこに置いたんだっけ?』と思い、鞄をひっくり返して探したけど見つからない…。
 そして気がついた!『今洗ってきたズボンのボッケに入れてたはず』。慌ててボッケを探ってみたけど入っ
  てない。

 諦め半分でコイン・ランドリーへ行ってみたら、ランドリー・ルームの終了時間で係りの人がちょうど鍵を
  かけに来ていたところ。「大切な物をマシーンの中に忘れたみたいなので、見ても良いですか」と聞いたら
 「どうぞ」と開けてくれたので、急いで私(Fumi)は洗濯機、妹(Yumi)が乾燥機へ…。そして妹の「あった」
  と言う声が!。 乾燥機を覗いて見るとドラムの壁にペタッと張り付いていました。
 実は、ビニールの袋に入れておいたのでちょっとヨレッてなってたけど、ちゃんとバスパスの状態でいてく
  れました。良かった!
 係りのお兄さんに「何を忘れたの?」と聞かれ、ヨレヨレのパスを見せました。お兄さんは、笑いながら
 「有って良かったね」と言ってくれました。
 皆さんにも、バスパスはビニール袋に入れる事と、洗濯が終わってコイン・ランドリーから帰るときは、
    洗濯機と乾燥機のチェックは2度することをお薦めします。
 バスパスは残りの日程もちゃんと使用出来ました。
●ホテルT
 ホテル滞在何日目だったか覚えていないのですが、ある朝起きてバスルームへ向かう途中ドアの隙間から紙
  が入っているのを見つけ、『何だろう…』と思いつつ見てみても全てが英文、解るのはルームbセけ。
 持って行った辞書で訳してみても今ひとつ内容が理解できず、一体何事が起こったんだろうとドキドキ!
 恥ずかしながら最後の手段で現地の知人にTelして「こうゆう風なことが書いて有るんだけど…」(英文)
  と読み上げ、訳してもらったら、何の事はなく簡単に言えば、『その部屋のツケ(チャージ)がキャパシティ
  を越えてしまったので、それまでの分を支払って下さい。』と言うことだったのです。
 【何故そんなに使ってしまったかというと、当時はまだ国際電話のプリペイド・カードは無く、クレジッ
  ト・カードでキャッシュレスで電話をかけられると言うこともまだあったかどうか…(私たちは知らなかっ
  た)それで日本に電話をするのは専らホテルの部屋からだったので、電話料金だけでキャパシティがオーバ
  ーしてしまったのです。(ちなみにその時のキャパは、$40位だったと思います。)】
 で、フロントのキャッシャーへその紙を持って行き、支払いを済ませてOKでした。

●ホテルU
 ある日、部屋へ帰ってみると一枚の紙が……(またかよぉ)
 今回は、姉が辞書を使って何とか訳してみました。そこには『翌日、朝からこの部屋の掃除をするので(し
  かもカーペットのクリーニング)、8時半頃までには部屋を出て下さい。』と書いてありました。『都合が
  悪ければハウス・キーパーまでTel下さい。』とも書いて有ったのですが英語でどう言えばいいか解らない
  し、まっイイか。と、翌朝は早くに部屋を出て行きました。(特にきれいになったとも思わなかったことも
  事実です。)

●ホテルV
 ある日、部屋へ帰ってみると電話のメッセージ・ランプがピカピカ光っているのです…。
 エーッ、何?。私たちにメッセージを残す人なんていないはず…。 まさか、家で何かあったのか?
 しかし、またしても英会話力が…。質問は、英会話の本に書いて有るんだけど、それに対する答えはきっと
  聞き取れない。「仕方ない、フロントへ行こう。」直接話せば何とかなるだろう、ボディランゲージという
  手もあるし…。
 そしてフロントへ行ってみると、女性が一人。一応「Can you speek Japanese?」と
  訪ねてみるが、やっぱり「No!」との答え。ここからがボディランゲージの出番です。「マイ・ルームズ テレホン・ランプ」と言いながら、手のひらを開いたり閉じたりしてピカピカと点灯している振り(?) 
  でも、ちゃんと解ってくれました。 
 で、何のメッセージだったかというと、【ハワイ観光局からのアンケートのお願い】でした。全く、人騒が
  せな…。

●ホテルW
 
ある年(パック・ツアー)のこと、チェック・インのためホテルに向かうバスに乗車中、サイレンの音が聞
  こえてきました(ワイキキでは、よく聞く音なので初めは別に何とも思わなかったのですが)、消防自動車
  がバスを追い越していったので「近いのかなァ」などと話していたら、なんと私たちが宿泊するホテルの前
  に止まっているではありませんか。
 そしてホテル内では、けたたましい非常ベルが響き渡り、消防士さんがウロウロしていました。
 しかし、そんな騒ぎの中でもツアー会社の女性は、淡々と自分の仕事を進め・・・、私たちに鍵を配りそし
  て、帰って行きました。(さすが)
 結局非常ベルは、何処かのバカがエレベーターの中でタバコを吸ったせいだと解りました。その事が解るま
  で私たちは入室も出来ず、非常ベルの鳴り響く中ロビーでボーッと待っていたのです。


●ホテルX
 【ホテルW】の続きになるのですが、やっとって感じで入室した私たちは、いつも必ずするチェック(トイ
  レの水は流れるか?、テレビ&照明は全て点くか?、バスタブの栓は閉まるか?の点検)をしたところ。
 『テレビは点かない、バスタブの栓は壊れてる、バスルームの洗面台とトイレがある側の天井一面に水滴が
  付いててポタポタとたれてくる、洗面台の下を開けたらカビ臭い…。』と言う部屋で、二人してボーゼン。
 ロビーに下りて、ツアー・デスクにTelして、そちらから言ってもらうことにしました。(この頃は、部
  屋の電話から外には一切かけないようになっていました。だって、市内通話25kのところに手数料50k
  もかかるんだもの。)
 この日はそんなこんなでとても疲れていたので、出来るだけ早くお風呂に入って、休みたかったのに修理の
  人がなかなか来てくれなくて、結局終了したのは、8時過ぎ…。
 しかも、天井からの水滴ポタポタは、エアコン(これがまたウルサイ)のせいだからどうしようもないって
  云うのよ!
 毎日ルーム・メイキングの時に拭いてもらうダケでした。(洗面台の下は開けなければいいと言うことで)
 でもね。ホテルの名誉のために云っておくけど、ここのホテルは、フロントやベル・ボーイさん達ってとっ
  ても良い方たちなんですよ!! 笑顔もすてきで(^O^)


●ホテルY
 2002年9月に宿泊したホテルでのこと、このホテルは部屋数が200ちょっとしかなくエレベーターも
  2機(メイドさんのお掃除用カートも、ベルの荷物もそのエレベーターで運ぶ)しかないエコノミークラス
  のホテルだったのですが、ある日ロビーでエレベーターに乗り、扉が閉まりかけた時に日本人の女の子が2
  人走って来たのを見たので、慌てて開くのボタンを押したら扉が5pくらいの隙間を空けたまま止まってし
  まい、どのボタンを押しても開きも閉まりもせずに動かなくなってしまいました。
 幸いにもロビーの階で止まっていましたので、走ってきた女の子に隙間から「すみません、誰かを呼んでも
  らえませんか」と叫び、フロントの男の人を呼んでもらいました。その人は力で扉を開けてくれました。
 その間わずか5分にも満たなかったと思うのですが、私(Fumi)が、トイレに行きたくて慌てていたので、
  どーなる事かとドキドキでした。
 ちょっとボロいエレベーターに乗るときは、色々な意味で注意しましょう。