
「スコット研究」(本ホームページに資料目録等を掲載しているが)は修士課程時代のテーマであったが、大学院後期課程修了時に学内の冊子の公募論文に応募して、以下の論稿を記したことがある。「教育」専門の雑誌ではないため、図書館等で目に触れることはないと考え、また掲載後すでに10年という年月を経たこともあるので、ここにその内容を記載させていただく。スコットに関する史料調査の報告(というよりも極めて気楽な)旅行記のようなものである。なお写真・資料はここでは省略させていただく。(「マリオン M.スコット関係資料をもとめて〜ハワイにおける教育史資料調査〜」日本大学文理学部『学叢』第52号
pp.144〜152 1993年)
マリオン M・スコット関係資料をもとめて
−ハワイにおける教育史資料調査−
はじめに
筆者は、わが国の近代教育史上における国際性と独自性とを明らかにすることを研究のテーマとしており、現在まで、資料上の問題から、明治初期における日米教育交流を対象とし、特にお雇い外国人教師(アメリカ人)の活動・影響を中心として考察してきた。明治以降のわが国の教育は、一面的には、欧米先進諸国の教育制度や教育方法・内容等を導入することにより発達してきた。そして、その導入に当たっては、@外国書の翻訳出版・研究、A日本より欧米へ留学・視察団の派遣、B外国人専門家の雇用(いわゆるお雇い外国人)の三つの方法を中心として推進されたのである。
日本近代教育におけるお雇い外国人の業績、影響について考える時、日本側の資料だけでなく、その外国人の出身地をはじめとする欧米側の資料を検討する必要性を痛感する。従来のお雇い外国人研究の多くは、主として日本側資料に依拠して検討され、したがって、その対象は多くお雇い外国人の日本における活動のみに限定され、またその内容も欧米側資料との対校が行われておらず、きわめて不十分なものであった。しかし、お雇い外国人の研究に日本所在以外の資料が必要なことは理解できても、そのような資料が実際に存在するかどうか、また、存在してもその資料をどのように収集するか、研究には多くの困難が山積している。
筆者は、これら資料収集に関して、次の三冊から多くの示唆を受けた。それは、加藤秀俊『取材学』(中公新書)、内田義彦『読書と社会科学』(岩波新書)、及び稲垣忠彦・寺崎昌男・松平信久編『教師のライフコース』(東京大学出版会)である。
『取材学』、『読書と社会科学』の二冊からは、文科系学問においても、自然科学における実験・データー処理の方法論を文書資料の収集・整理・分析に応用できること、特に歴史資料収集を、一種の「取材」あるいは実験のデーター分析としてとらえる視点を持つことを学んだ。またあわせて、「取材」した資料を、それを社会科学的に「読書」することにより、さまざまな側面から(例えば統計的、比較的に)考証を行う本来の実証主義(実証を重んじる立場)の必要性を認識することができた。
また、『教師のライフコース』および『取材学』からは、新しい資料「取材」の方法について教示をうけた。「取材」としての「聞き取り」の方法である。明治初期教育の生き証人が現存し、当時を明確に証言するということは、これまで試みられておらず、また現在においてはもはや不可能である。しかし、その当事者ではなくとも、外国人教師から直接指導を受けた者、その系統を汲む者、遺族、そしてこの外国人教師に対する先駆的な研究者(筆者にとっては、現地<欧米>における新聞記事執筆者や教育史研究者)等から「聞き取り」取材を行うことも、対象となる外国人教師のイメージを明確にするのにきわめて有用であり、またこの「聞き取り」も早急に行わねばならない時期となっていた。
一、スコット資料の所在状況
筆者は修士論文において、日本最初の師範学校教師としてアメリカ合衆国の教育方法・内容、および初等教科の近代的内容をわが国に導入することに貢献したマリオン M・スコット( Marion McCarrell Scott, 1843-1922)の教育活動を考察し、その研究の過程において日本国内に収集された彼に関わる在外資料を活用した。米国本土から来日したスコットは、約10年間の滞在活動の後にハワイに渡り、そこで死すまで教育者として活躍した。ハワイでの活動期間が約40年間と最も長く、当地で生涯を終え、また米国本土での活動期間が短いので、彼に関する資料は、日本以外ではハワイに最も多く存在する。
スコットに関する在外資料で、これまで国内に収集されたものには、平田宗史氏(福岡教育大)がその研究に使用された一連のものと、国立教育研究所(以下「国研」とする)所蔵の「M・M・スコット関係資料」(佐藤秀夫氏<現日本大学文理学部教授>収集,現在未整理)があり、筆者は特に後者の資料を利用して研究を行っている。この国研所蔵の資料はハワイにおいて体系的・総合的に調査・収集されたものであり、その内容は新聞、雑誌、論文から年報、書簡等におよんでいる。
筆者は修士論文提出後、学会誌及び口頭発表の形でスコット研究をまとめてきたが、1)前掲書3冊に刺激をうけ、1991年3月27日から4月6日までの10日間、ハワイにおいてスコット関係資料の調査を実施した。スコット研究をさらに深め、到達点を再確認するために、また今後の研究活動における方法の試行としても、国内での机上の情報収集(外部からの、二次的な)・分析(先行研究、文字から学ぶこと)から脱却するために、この現地調査を計画した。それはまた、大学内での一研究室(Inner
College ,Into College )のみでの規模を越え、広く外部との人的交流(Inter College あるいはInter National,いささか大袈裟であるが)へのチャレンジ第一歩でもある。そのために個別資料調査(既存資料のハワイでの所在確認および目録で確認済みの未所持資料収集及び関連新資料発掘)を行うとともに、資料の所在状況調査をも兼ね、さらに「聞き取り」取材を研究方法の一つとして試みることを目的とした。
以下に調査過程(取材旅行における方法)および新資料の簡単な紹介をしていきたい。
二、取材方法
@準備
前掲『取材学』によれば、研究における問題解決のためには「問題発見」能力が重要であり、その解決のために「情報を使う立場」を基本スタンスとするべきであると述べられている。真の教育とは、「自発性にもとづいてみずからの力で情報を使うこと」(同書・28頁)ができるようになることであり、それが「取材学」の立場であるという。
そして「取材」とは、「それぞれの個人の問題発見にもとづき、その問題解決のために必要な情報を選び出すこと」(同書・28頁)であると定義づけしている。
「問題解決のために必要な情報を選び出」して取材する時、その準備として予備知識・基本的情報を整理しておくのは当然のことである。特に、ひとに話をきく時に、また筆者のごとく海外において会話能力に自信をもてない時には、できるかぎり詳細な下調べが礼儀であろう。「良い問い」をするためには、発問以前の十分な情報収集が必要であり、そこから質問を練り上げ、リスト化しておくことが最低限の条件である。筆者にとって、この取材旅行実施が、修士論文・雑誌論文の執筆後であり、ある程度の資料整理ができていたことが救いとなった。
具体的には、それまでの研究成果の英文概要を作り、日本国内に収集されたスコット関係資料を目録化(仮目録)し、また現地での取材予定表および質問事項をリスト化した。さらに身分証明書、資料調査の目的等を英文で準備した。
Aネットワーク(頭・脚)
取材予定としては、ハワイ大学図書館(ハミルトン・ライブラリー)、マッキンレー・ハイスクール、ハワイ州立公文書館、ハワイ州立図書館を取材の中心とし、現地でのスコット研究を調べ、その著者やスコットの親族を訪ね、また埋葬された墓所を見つけ出すことを目的とした。そのために、場所を予め地図で調べ、宿泊場所をそれらに通うために便利なホテルに設定した。
ただ、具体的な取材対象者を特定できなかったことと、もちろんアポイントメントをとれていなかったことから、とても準備が十分とはいえなかった。その点については、現地で調査の進みに併せて、電話で行おうと漠然と考え、ホテルの部屋を仮研究室・連絡先・オフィスとして使用するつもりであった。
その不備を補うものとして実は、幸運にもある偶然の出会いに恵まれたのである。ハワイへの機上で、現地での準備として英作文していた筆者に、好意をもって声をかけてきてくれた隣席のかたが、ハワイ大学農業経済学教授のヒロシ・ヤマウチ博士(Hiroshi Yamauchi)であり、博士の紹介で大学内の諸施設を利用し、またファックスを使って様々なひとに質問書簡や取材依頼の書簡を送ることができた。なお、博士が発信先になっていただいて送った紹介のファックスは以下のとおりである。
〔※ 通信先(TO:)、日付、発信(FROM:)は略する。〕
SUBJECT: Mr. Toru Koga, Nihon
University
This is to introduce Mr. Toru Koga who
is a graduate student at Nihon University, Tokyo.
He is here under a Cooperative
Agreement between the University of Hawaii and Nihon University to conduct
research on the topic of "Marion M.Scott and Education in Early Meiji
Japan". The topic was initially documented in a Japanese book by his
Professor Hideo Sato who is currently with the National Institute of
Educational Research in Japan.
Mr. Koga will be in Hawaii till April
5, 1991 (Friday) do follow-up research on Professor Sato's earlier work.
Attached is a preliminary sketch of his scope of work which will require access
to historical material at the State Archives, the State Library and other
sources including knowledgeable individuals on the early history of teacher
education in Hawaii and Japan.
I would appreciate whatever assistance
you can provide him in carrying on his work here.
Thank you.
Mr. Koga is currently residing at the following address.
〔※ 滞在ホテル・ルームナンバー・電話番号、大学内での連絡先等、略する。〕
「日本大学とハワイ大学間における協定にもとづき調査に来た」〔筆者訳〕というのは正しくはないが、この紹介文を、具体的な質問事項、研究概要、身分証明書(写真)等とともに各方面へ送信した。まず先駆的研究者、教育史研究家、(大学や州立公共の)図書館員の方々と・・その過程において、質問事項にあるスコットの家族の系譜や調査に加えるべき場所・機関、会うべき人・・と調査対象が拡がり、さらに送信先・コンタクト先が拡大していった。
自己紹介文と身分証明書、それに加わったこの推薦状によって、見知らぬ地の見知らぬ人々に対して、自分という「人間」をアピールし認知してもらい、また「顔」をひろげることができる。そして連絡先(仮研究室)にあたる「頭」(頭脳)という中心地をもち、そこから「顔」をアピールし、その反応をアンテナ(眼と耳)でキャッチしていくことによって情報の裾野を拡げ、交流のネットワークも広めていくことができよう。
さらに、事前に相手がファックスで質問や概要を受け取ることで、問題を考慮し、答える準備ができ、円滑に、かつ重要な示唆を受けることができる。取材への準備は相互に時間的(考えをまとめる)余裕があることが望ましい。
場所と時間を有効に使うためには、交通手段・「脚」を効果的に用いる必要がある。筆者は前述のようにホテルを交通の便のいい場所にとる工夫をしたが、それでもなおかつ広範囲に能率の良い活動をするためには、バス等の使用のみではその機動性に限界がある。二日目以降は自転車を終日レンタルし、まさに「脚」を使った取材活動をした。
「脚を使う研究」というと、「いうまでもない、常識である」だの、方法論的に「理論的でない、思想性が乏しい」等の批判を受け、また「体力を使う」ことを揶揄されるであろう。しかし、調査目標・研究目的という「頭」がともなっていれば「脚を使う」のは有効な、そして必然の方法である。事実この取材中、各所で「日本人研究者の訪問があったかどうか」について伺うと、ほとんどが電話や書簡での問い合わせのみですましてしまい、実地に訪問せず直接に資料を見聞していない場合が多いという。時間の有無や問題関心の程度もあろうが、研究者として自立し認められた人でさえ、実際に「脚」を運ばないで、既知の資料やまとまった文献のみを使用して机上の研究で済ましてしまうことが少なくないようである。
フィールド・ワークにおいて、特に資料発掘調査においては、情報をネットワークとして拡げ有効に選び、できうるかぎりの原資料を、自分自身で確認することが必要である。自分を紹介・証明し、何が必要かを調査対象に示し、その結果得られた情報を頭と脚とのバランスのとれた作業をすすめて整理することが肝要である。
三、取材調査過程
@ハワイ大学マノア・キャンパス(University of Hawaii at Manoa,)
ハワイ最大の高等教育機関であり、その中心的キャンパス。マンモス校であり、様々な学部・学科・研究施設が各々のライブラリーをもつが、大学総合図書館にあたるのがハミルトン・ライブラリー(Hamilton Library)である。閲覧方法は開架式(一部閉架式)であり、旅行者であっても自由に利用できた(もちろん証明書や目的は述べた)。オンライン端末機によって文献を検索、スコット関係資料は館内別室(5F研究室)にある。貸出は、紹介状のおかげでIDがなくとも許可された(日大の学生証のみ)。同館には、日本やアジアに関する文献が多く所蔵されている。
同大学では他に、Educational Foundations 研究室のDr. Ralph Stueber の協力により、同研究室の Edward Beauchamp 教授(明治期日本の米人お雇い教師研究で有名)や大学内の他の研究室(Center for Japanese Studiesなど) の方々にスコット研究について話を伺うことができた。さらにStueber 博士の著書や、ハワイの初等教育史・師範教育史関係の論文・資料等をいただいた。
Aマッキンレー・ハイスクール( McKinley High School )
スコットが初代校長を務めたハワイの中心的ハイスクール。取材の趣旨を事前に述べてあったために、主要な資料の多くが既にコピーされてあり、同校『百年史』(" A Hundred Years ,1865-1965")や『ハイスクール・75年史』("
Seventy-five Years,A history of McKinley High School 1865-1940.")の記念誌とともにいただくことができた。さらに、学校カウンセラーの
Cynthia Kunimura 氏からは、スコット関連論文の執筆者を紹介していただき、またスコット奨学金のパンフレット(" Application
and guide for College scholarship funds " 米本土大学への進学者対象)をいただいた。同校図書館(High
School Library)には、特別コレクション「スコット関係文書」( Biography ; Scott, M.M.)がある。ほとんどが日本未公開の資料である。またスコットの後に校長となったギヴンス(W.E.Givens,1886-1971、第一・第二次の対日教育使節団として来日する)関係のコレクションもある。
Bハワイ歴史学会図書館 (Hawaiian Historical
Society Library)
同学会は『ハワイ歴史学会年報』("Annual report")を刊行しており、その中にスコットによる報告・記述も見られる。同様に、『ハワイ年報』(The
Hawaiian Annual)中のスコット関係文書もコピーした。
Cハワイアン・ミッション・チルドレンズ・ソサエティー図書館 (Hawaiian
Mission Children's Society Library)
同館は上記歴史学会図書館に併設されている。特に公教育関係文書、マッキンレー・ハイスクール関係の文書が多く所蔵されている。筆者は、ハワイ公教育省" Miscellaneous reports"中のスコットの報告、"High School
Report,"(視学官報告)等を入手した。 BCの図書館ともにカードによる検索方式・閉架式であり、コピーはライブラリアンに頼んだが、多量にもかかわらず快く受け付けていただいた。
Dハワイ州立公文書館(Hawaii State Archives)
国研所蔵資料(雑誌、論文、年報、書簡) の多くは同館で収集されたものであり、確認をしたが、ほぼ網羅されている。新たに、国研資料欠落分の年報類を収集した。同館は、カメハメハ大王像で有名なイオラニ宮殿に隣接している。カード・閉架式で、州立図書館の書誌・目録も備えている。所蔵資料は豊富で(今回調査において最多)、閲覧やコピーをするにあたってアーキヴィストの方々に大変お世話になった。
Eハワイ州立図書館(Hawaii State Public Library)
以前は上記アーカイヴスに隣接していたが、現在マッキンレー・ハイスクールの隣地へ移館されている。開架式。スコット関連としては、当時の新聞や表彰状がフィルムで所蔵されている。フィルム目録(INDEX)で確認し、自らロッカーから選出し、リーダーで読み取り、コイン投入方式でコピーをとる。
F記念碑、その他、
スコットの名を残すものとして、マッキンレー・ハイスクールの「スコット記念堂」(Scott Auditorium 現在管理塔として使用されている)がある。またスコット家の墓石はオアフ・セメタリー(Oahu
Cemetery)にあり、これによって彼の家族構成がわかる。2)それによって彼の血縁者をさがす中で、長女の再婚相手であるジョージ・ストラーブ(George
Francis Straub)の開いたストラーブ病院(病院図書室 Hospital Library)に関係を記す資料を見つけることができた。同院はホノルル最大規模の病院である。この資料も未公開のものであった。
また調査中、土・日曜両日は公立機関が休館であるために、彼の墓参りや、活動の跡地を訪ねた。Queen Emma St.や Fort St. 等、マッキンレー・ハイスクール以前の学校跡地等を探索した。そして聞き取り取材をし、後は資料の分析・整理に従事した。リゾート地を訪れたにしては地味な日々を送る結果となってしまった。
おわりに
以上、取材調査の過程を綴ってきたが、各機関のどこででも感じたのは、現地での外国人に対する親切のありがたさである。準備に力は尽くしたものの決して時間的余裕はなかった今回のスケジュールは、これらの方々の協力・御好意なしではとてもこなせなかった。さらに聞き取り取材については、統計的・心理学的方法をもってアンケート調査を行ったわけではないので、その取材の成果を資料として位置づけることはできないが、当初の目的どおりにスコット研究に拡がり(多様な視点、考証、日米での評価等)をもつことができた。お世話になった方々への感謝の気持ちを忘れずに、彼らの協力で収集できた貴重な資料を整理・活用し、またこの旅の経験を活かして、今後もフィールド・ワークをともなったバランスのいい研究を進めていきたい。3)
〔注〕
1) 拙稿「マリオン M.スコットの研究〜ハワイ時代を中心として〜」日本大学教育学会編『教育学雑誌』第25号 1991年3月 78〜90頁
同「マリオン M.スコットと日本の教育」日本比較教育学会編『比較教育学研究』第17号 1991年7月 43〜56頁
2) 墓碑によれば、夫人は Emma F. Brown(1851-1935)、長男 Leslie Preston (1876-1955)、長女
Gertrude(1876-1959)、次女 Marion(1879− 1915)の家族があり、三人の子どもはいずれも日本で(滞日中1871−1881) 生まれたと考えられる。
3) なお目録にはあるが欠けている新聞の再調査および新資料探索のため、Advertiser Building Library に閲覧を申し込んだが、一般公開は許可できないと断られた。
どの機関でも外国人でありながら、不便を感じることはなかった。真に教育の国際化を望むには、こういった寛容な態度が必要ではなかろうか。
筆者は現在、お世話になったハワイ諸機関に寄贈すべく、所在・件名別スコット資料の目録および解題〔英文〕を執筆中である。