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 1999年8月に開催された「第9回 教師&専門家のための登校拒否研修会」の内容を掲載します。同研修会は教員や専門家・関係者のための研究会ですが、なかなかいい会です。その道の専門家を揃えてくれています。今回も現段階の最先端の人物をパネラーとして迎えておりますが、まず初日の報告会の様子を収録します。
 この研修会のこれまでの内容は、主催の「教育研究所・内、登校拒否研究会」に録画ビデオがあり、音声録音テープの販売サービスもあるそうです。興味深い内容なのでいずれ入手して全部聴いてみたいと思っています。
 
 
第9回 教師&専門家のための登校拒否研修会
 
○初日・23日(月)
●10時半〜11時半・・・「不登校問題等に対する教育行政の取組み」
                村上尚久(文部省・生徒指導専門官兼課長補佐)
 ・・・まず行政サイドとして、不登校についての認識(中教審答申等)、最近の傾向(速報値)についての見解が述べられ、文部省の取組についていくつか紹介された。新学習指導要領やスクールカウンセラー派遣事業、心の教室相談員の整備等とともに紹介されたSSP事業について少し書くと・・・、今、全体で663に適応(つまり公金支出)が実施されることになったが、そのうち36が民間教育施設へ向けてのものである。民間教育施設に支出することについて、一部で「フリースクールに対する公的財政支援」と言われるが、これは『公金』であり、監督権なきものに支出するのは憲法違反である。あくまでも「研究調査の委託費」として出しているのだという立場だとのこと。
 あとの対象とされるものの多くは「適応指導教室」への支出であるが、ちなみにこの適応指導教室にも様々な形態があるが、ここ8年間で約10倍に増加してその規模も拡大しているという。また『復帰率』の差も大きく、だからこそ各機関関係者ごとに「研究を深めたい」「情報が欲しい」というニーズがあるのであるとのこと。
 また、平成4年の「いわゆる」柔軟化路線以来、多様性を理解するだのたんに強制ではだめとしてきたことからすると・・・、「今回のデータのように不登校が増えているのはその反映で喜ばしいことだ」との皮肉の声もある。「学校」のとらえかたが変わってきたという事実はあるが、しかしこんなに増えてしまっていいのかとの意見もある。またデータの中には明るい不登校も増えていると思えるが、・・・それらはけっして表面的なものからだけでは判断しにくいだろうとのことであった。
 最後に私見として、学歴信仰がなくなってきたという現実はあるが・・・、しかし「義務教育」の意味を考える必要があるのではないかと指摘する。「将来の自己実現のため」に、また「社会性」や「規範意識」のために義務教育がある。ここいらをきちんと認識していないことも根底にあるのではないかとのことであった。
 
 
●12時25分〜14時15分・・・「子どもをめぐる法律〜不登校、いじめ、学級崩壊〜」
                 下村哲夫(早稲田大学教授、筑波大学名誉教授)
*1、いじめ・不登校の提起するもの
 「子ども」を問う時、例えばよく教育関係のものとして知られる「権利条約」の名称の問題がある。「児童」なのか「子ども」なのか。また少年法改正の問題も話題となっている。結婚、アルコール、自動車免許・・・、子どもとはいつからいつまでのことなのか。本講義・本題目においては「小学校から中学校までの学齢児童」のこととすると、先ずその焦点が絞られた。
 ちなみに現在、不登校問題に関してはその出席をカウントするかどうかが焦点の一つであるが、適応指導教室(教育委員会の下)では出席として数えられ、民間教育施設の場合は将来学校に戻ってくる場合に出席として認めることとされている。
 また現在、教育問題としては学級崩壊が騒がれるが、校内暴力等が多いのにこちらは顧みられない。例えば黒磯の事件について、学校の責任が裁判で争われる。もっとこういう問題に目をむけるべき。
 「子ども」を考えるとき、「親と子」か、「大人対子ども」として考えるのか。憲法上、公民権行使のみしか、大人と子どもは分けられていない。・・・そうはいっても、実際には子どもの規定はある。「子どものための、子どもの権利」とか規制はある。下位法律にある。
 臨教審第2答申時は「いじめ」のピークであったが、その時に当時の中曾根首相が述べたことと、後の中教審で文相が述べたことに変わりはないし、むしろ状況は悪化している。「何をやっていたんだ」、「将来も心細い」というのが実態ではないか。
 21世紀の教育は「ゆとり」だという。「生きる力」をつけて、「善く生きる」のだというが、これは「何」なのか? 教育内容は42年に2割減り、今回3割減らす。じゃあ42年以前より5割減ということになるのは事実である。一方で基礎の重視を説く。これにはインチキがある。「国民教育の基礎教育は何か」の議論があっていらないのを削ったのならまだしも。「音楽、図工」とかは隔週か部活にいく。「国・算・社」らとは性格が異なる。学力の問題は必ず出てくる。
 「総合的な学習」という新領域(小中高校に共通に加わる新カリキュラム)には希望はあるとは思う。しかし、経験とはいっても、結果が学校が単なる遊び場で、塾が本来の学校にとなる危険性はないだろうか。裁量にまかすとはいっても、結局は似たりよったりになるだろう。独自性や各学校の顔となりえるだろうか。
 
*2、積極的不登校を考える 
 さて、本題の不登校であるが、これは「行かない」のか、「行けない」のか。とにかく増加中である。小中学校〜高校までの進学率は97%を超える。短大へは40%以上行くという。この増加と不登校との関わりを考えるべきだ。様々なタイプ分けがされるが、方針が混乱していて矛盾がある。一方でなくすために学校を楽しい場になんていう向山氏のような意見もある。一方で不登校を認めていこうという論調がある。現在779ヶ所、教育委員会主催の不登校施設があるが、民間の施設はほとんど把握されていない。
 中学卒業認定試験は昨年27人しかいなかった。大検を受けるには中卒検定を受かったものにするとのこと。日本では就学義務がなくてもこのように大学、大学院までの進学ルートが開いている(2000年もしくは2001年には)。教育史的にみて、就学義務から教育義務になった時期は半々である。
 
*3、いじめを病理現象としてとらえる
 学級崩壊は大阪→東京→宮城と、西から東へ移動していることがみられる。しかし調査の方法がバラバラで実際のところはわからない。授業中に、立つ、しゃべる、騒ぐ・・・、というが、秋ぐらいに定義されるだろう。
 いじめについては、いじめの4層構造は各国で同じである。判例では何かあるかといえば、裁判では「いじめられたら行くな」ということが前からあった。教育の現場では遅かった。ここ10数年間で「行かない」ことが認められてきた。それで不登校が増えてきたということもある。いじめの度合いの感じ方には、一人一人のメモリというか範囲がある。担任がそれを把握できればいいが、困難であろう。それで人数が少なければということで30人学級という話がでてきた。しかし、これも実際には地方まで含めてみれば、現在、日本の学校の3割は30人学級なのだ。それで成果がでているのかといえば、けっしてそうではない。「人数」だけを問題にしたのでは駄目で、別の基準が必要となるだろう。
 文部省は「総合的学習」だというが、これは失敗するのではないか。力の強いもの優先となり、いじめは大きくなり、基礎基本の力がおちる。率直にいって学力ではなく、遊びの時間。もう移行措置は始まる。高校では、補習の時間に充てるところが多い。現行で80単位ぐらいの課程が必要なところを実際には90〜110ぐらいはやっている。公立でも90単位ぐらい。それを減らされてどうやって生き抜いていくのか。大学入試をかえるのかといえば、学生の学力低下が指摘されたりしているのが現実だ。YGU(山梨学院大学)では一科目入試で科目を選択できて、しかも持ち込み可とするが、それでテストといえるのだろうか。規制緩和というのとは違うのではないか。現場に詳しいかたがわかっていない。マニュアル化されていくのではないか。
 
*4、校則、生徒心得等と懲戒 (部分社会論、ダークゾーン)
 いじめとかの法的責任は、という問題だが・・・、刃物を所持しているのがわかっているのなら、学校は取り締まる必要がある。裁判官と教員との常識の違いがある。また校則も問題になる。部分社会論である。学校は特殊である。例えばエホバの証人や、内村鑑三、国旗国歌、体罰の問題などがある。とくに体罰は増えるというが、これは毎年教師が凶暴になるのではなく、人権意識の高揚・増大ではないか。その表れなら歓迎すべきともいえる。戦後、体罰で死した例は4人である。近畿大学付属高校の例では、2年、保釈4分の3ぐらいで出てくると思う。これが相場である。ブラックゾーンはボーダーライン・・・、殴るかこづくかで許容限度だろう。「訓告」は「懲戒」処分でもない。そういう意識ではなくならない。さきの危険をさけるなら、自己防衛が必要で、これは体罰ではない。体育に多い。止めに入って怪我をするのも体罰ではない。2300件あって、ほとんどの教師がぶつかっていてもおかしくない。
 結論として、「日本人の学力は低下する」し、「学力差は拡がる」。ほぼ一年分である。1年分拡がってもいいというのならいい。しかし文部省は拡がらないと発言している。そこの言いきりの悪さが問題と思う。生涯学習振興会は塾の活用、協力を述べているがこれは「低下」を前提としているのだろう。「低下してもいいから、・・・学ぶことはいっぱいある」、そういうのならばよい。「総合的学習の時間」には期待はしている。ただマニュアル化した同じ学校にならないことを祈りたい。
 
 
●14時25分〜16時15分・・・「子どものストレス状況と学校の取組み」
                  滝充(国立教育研究所生徒指導研究室長)
 「ストレス」とは心に負担がかかって、心理的に負担がかかってしまった状態。一回だけでなく、続けられてるうちにある時に耐えられなくなる。「ストレッサー」とはストレスの原因。こういう説明は、ただ言葉を厳密にするお勉強ではなく、その後をわかるようにするもの。・・・とにかくいろんなストレッサーがあって子どもが反応する。そしていろんな問題行動がおきる。怒り、身体状況、いじめの加害経験とかに出ることが多いと考えている。いじめ被害は逆ベクトルで人間関係。
 ストレスはあるよりはないほうがいいが。しかしトレーニングを考えると必ずしもそうではない。ストレス=負荷をかけると強化できる。またストレッサーは〇(ゼロ)にできるのか。勉強や学校をやめりゃいいのか・・・、それはありえない。
 基本的には「コーピング」。とらえ方、対応。価値観、考え方によって、同じストレスでも同じような問題行動にいくとは限らない。
 ストレス状況をどちらかというと高まらないようにするというのがいい。@対学校、受験、成績→これを変えるのは無理というか大変、A対教師関係→やり方によっては可能。対応のほんのちょっと。B友人関係→へただとしたら、働きかければいい。何らかの形で教える。C家族関係→介入できないが、できる範囲である程度変えていく。→これらをコーピングを変えていくことができる。
 *教育制度を変えなきゃだめだ、ではなく、ストレスに限定するなどできることする方が現実的。
 「生徒指導」はどうも力づく的に考えられているし、事例が多い。なんで、起きてから?・・・起きてからの話は難しい。電話相談などでは限界がある。どうやって起きないようにするかが問題。「早期発見・早期対応」もいいが、「起きない方」がいい。
 いじめの国際比較をみると、日本の特異性がみられる。海外のいじめに関しては「男の子だけの問題じゃないんだ」とのフレーズがあることからも、Boy'sの問題である。日本の場合、閉じた空間ではないか。陰口=ネームこーリング・・・、海外では例えば米国ではグラウンドでする。開かれていることが多い。日本は知的、陰湿で・・・、攻撃的な行動とは違う。ストレスが原因というのが強く、また日本の場合、加害者と被害者が入れ替わることがある。中にあるストレス状態が問題と考える。
 ストレスの違いで同じ現象でも変化はある。余裕のある時とない時では同じことに対する考え方が違ってくる。例えば疲れて帰る最終電車で酔っぱらいが叫んでいる時にムカッとくるか、可哀相に思えるかの違いがある。
 さて、生徒指導であるが、昔は基準で取り締まるとか力づくというのが多いが、これは不良とかには有効な一面もあるかもしれない。いいか悪いかは別ではあるが。1970年代中盤から、カウンセリング型、対話型、ソフト型になってきた。いじめとかにはこちらが有効とされ、従来の取り締まり型では駄目とされたのである。
 要するに「学校が嫌なトコじゃなくなるってことで予防できる」と考えます。人間観、教育観で働きかけることでストレスを防げる。学校全体の取り組み、計画的な取り組みにくべきと考えている。最低、一年ぐらいのスパンで考えていないと無理。
 もともと教師も多様化している。それを一本化じゃ伝わらない。かりものの言葉でかりもののやり方じゃわかってしまう。どうすれば教師の本当の意識というのが出てくるか。そこでピースパックそのものじゃなくて・・・、日本式、日本の学校式に組み直す。米国のマニュアル方式では教師レベルに疑い。誰がやってもいいマニュアルと教材をつくるという。日本でそんなバカにするようなのは無理。
 「完成された教師をつくれ」と大学に求めるには、実習は短い。教育委員は自分たちで育てる感覚の欠如がある。教師の多忙感も問題だろう。日曜の部活とかでなく、他者よりも無意味に忙しく感じるのを多忙感という。これは教員どうしで仲が悪いだけ。お互いさまと思えない現実が。不信感がある。授業についても「あの先生はうまいから」という名人芸みたいにされてしまう。でも、法則化運動なんて、やってもいいけどどうするのか。遅いと思う。むしろ、先生方が学内で協力する方がいいし、はやい。他の学校で有効だからうちの学校でもなんてのは通じない。
 調査をしても、そのデータは共有されているのか。誰が処理したのか。課題設定をしてのぞむのが、PEACEメソッド。「忙しいし、忙しくなくても多忙感に満ちています」。ですから、学内で協力しあいましょう。入学式(ガイダンス)で口頭で、また配布して、あるいは家庭訪問や行事をからめるなどしてアピールをして、すすめることが重要で効果あることと考えます。(滝先生の講義の詳細は、先生の著書に載っております。)
 2日目以降の内容は、いずれ公開します。
 
○2日目・24日(火)
●9時30分〜10時半・・・「最近の児童家庭問題と福祉的対応」
              前橋信和(厚生省児童家庭局企画課児童福祉専門官)
●10時40分〜12時30分・・・「再登校時の援助の在り方」
              牟田武生(教育研究所所長)
◆◇●シンポジウム●13時半〜19時●
 ●13時半〜15時10分・・・パネラーによる現場からの報告(フリースクール、適応教室、小学校、養護教諭、カウンセラー、ケースワーカー他)
 ●15時20分〜16時50分・・・基調講演「不登校時の子どもの心理と援助法〜どうしたら学校、教室にもどれるのか」
           金子保(国際学院埼玉短期大学附属教育相談研究センター所長)
 ●17時〜19時・・・シンポジウム
     →→コーディネーター:池上彰(NHKキャスター『週刊こどもニュース』
 
○3日目・25日(水)
●9時半〜11時20分・・・「発達のつまづきとしてのいじめ・不登校」
              石郷岡泰(新潟大学名誉教授、仙台白百合女子大学教授)
●12時10分〜14時・・・「児童生徒のストレスと心身反応」
              梅垣弘(愛知教育大学教授)
●14時10分〜16時・・・「社会学から見た世界のいめ、日本のいじめ」
              森田洋司(大阪市立大学教授)