
週刊女性 平成12年2月29日号より
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なぜ、もっと早く救急車を呼んでくれなかったのか…… |
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「先生、どうか、よっちゃんを返してください!」 昨年12月、福岡市の警固小で、生徒が持久走の練習中に死亡した。しかし、この事故は、その後の遺族の調べで学校側の報告とは事実関係が違っていることがわかった。学校への怒りと悲しみの中で、父は―――
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「毎朝、娘の学校まで10分くらいの道のりを、私が送っていたんです。私が大股で歩くと、娘は私の足跡をジャンプしてついてくる。私が小股で歩くと、その足跡に合わせてチョコチョコと……。
娘が亡くなってからは、私も死んだようなもの。自分の人生まで、陽子が死んだときに、ピシャリと幕を閉じてしまったような感じなのです。」
福岡市に住む宮崎さんが、"よっちゃん"こと愛娘・陽子ちゃん(9)を亡くしてから、2ヶ月が過ぎた。
あの時、救急車をもう少し早く呼んでくれていたなら、娘は助かったのではないか―――。いまなお無念さが日に日に募り、悲しみが色濃く迫る。
昨年12月3日、警固小3年生だったよっちゃんは、持久走の練習中に体調が悪化し、翌日未明に亡くなった。学校側の対応には不審な点が多い。振り返ってみよう。
「娘の陽子はときどき喘息の発作が出るんです。今朝も発作がありまして……。娘の体調には特段の注意をしてくださるようにお願いします」宮崎さんが担任の先生に面会して、願い出たのは事故の1週間前のことだった。「よく注意してみておきます」と担任の先生は答えた。事故の前日も、前々日も家で喘息発作が起きたので、連絡帳で“持久走の練習は休ませて”くれるようにと知らせたばかりだった。
事故のあった日も、よっちゃんは学校で先生に「のどが痛い」と訴えていた。ところが、午前中の休み時間に先生はよっちゃんにグラウンドを走らせた。そして、よっちゃんは給食当番をしたあと、警固小から大濠公園までクラスの子供たちと25分歩き、そこで何種類かの運動と10分以上のジョギング、本番さながらの1000メートルの持久走をするように指示された。先生が無理強いをすれば、どんなに体調が悪くても9歳の女の子に抵抗はできない。
15時8分ごろ――。よっちゃんは持久走の練習を走り、790メートルの地点で前のめりに倒れた。直後、右後方に転倒。歯を食いしばり両手をげんこつ状に握って前に突きだしたまま、足をバタバタ痙攣させてもがき苦しんだ。
15時10分ごろ――。子供たちの最後尾を走ってきた先生がよっちゃんを発見した。
しかし先生たちは対応策を相談したり、学校に電話をして校長の判断を仰ぐなどするばかりで対応を迷っていた。
15時36分――。救急車が現場に到着。よっちゃんにはわずかな意識があったものの、血圧も心電図も測定不能。
15時43分――。病院に到着。心臓も肺も機能停止しており、意識を回復することなく、翌日未明に亡くなった。
学校側は、15時15分には救急車で病院に搬送した、と教育委員会へ報告した。“28分間”の嘘。それが事実と異なることが明らかになると、両親に対して別の嘘を重ねる。「携帯電話は9機も持参していたが、連絡が遅れたのは119番に通じなかったから」
当日、回線は十分に空いていた。先生方は携帯電話で学校に連絡をしたはずで、学校から救急車の出動要請がなされている。本誌が警固小に確認すると、教頭はこう答える。
「実際に携帯から救急車を要請したのは2人で、つながらなかったというのは私たちにも全くわからず、もう頭が真っ白で動転していたのではとしか説明できません」
重大な過失があったからこそ、隠そうとしているのではないか。両親が不信感を募らせるのも無理はない。
「私たちは結婚も遅かったので、娘は“待望の子供”という感じで、大切に育ててきたんです。それこそ、娘が寝ている時も夜中に何回も起きて、ふとんをかけ直してやったり……。門限が5時だったんですけど、5分でも過ぎると、とても心配になってねぇ。家のまわりを走り回って探しましたよ。それで、あんまり心配なんでPHSを持たせたんです。でも、それももう必要なくなって……。お棺の耳もとに置いてやりました。電話したら、陽子が出るんじゃないかと思って……。本当に、そんなことあるはずがないのに、いまも解約できないでいるんですよ……。」
あの日から宮崎さんの目に涙の涸れることはない。よっちゃんがおばあちゃんへのプレゼントに用意していた手作りの『肩もみ券5分間』。毎年、家族を楽しませてくれた『お楽しみ会』。得意だったピアノ、バレエ、絵、満点のテスト……。
母の明子さんも、涙ながらに訴える。
「バレエの発表会を1週間後にひかえて、衣装合わせも終わって毎日、鏡の前に立って心待ちにしていたのに……。家族の写真や手紙と一緒にその衣装もお棺に入れてあげました。
どこか大人びたところがある子でした。ある時、友達にたたかれて帰ってきたことがあって。それで“たたき返したの?”と聞くと、首を横にふって“ううん。陽子がたたかれた時、悲しい顔をしてたはずだから、その悲しさは伝わったと思うから、それでいいの”と……。
私が連絡を受けて病院に駆けつけた時は、もう陽子は白目をむいていて、心臓マッサージを受けていました。あの子の意識がある間に、一番苦しい時に、母親の私が手を握って“がんばって、大丈夫だから”と励ましてあげたかったのに……。他人の校長先生が娘の死に目に会えたのに、なぜ、母親の私が会えなかったのでしょう。事故が起きた公園からの距離は学校も私の職場もそんなに変わらないのに……。それが、心残りで悔しくて……」
よっちゃんは悪い体調を押してどんな気持ちで走ったのだろう。倒れたときどんなに苦しかったことだろう。パパとママが恋しかったことだろう。
教師がひた隠す空白の時間さえなければ――。両親は慟哭のなかから訴えるのだ。
「先生、どうか、よっちゃんを返してください!」
先生は、よっちゃんの“命のカギ”を握っていたのに――。