2002.9/1〜9/30

The Royal Tenenbaums
2002年9月30日(月)

シネスイッチ銀座2で、ウェス・アンダーソン監督の映画 "The Royal Tenenbaums" を観る。良くできた、と言うか、上質の、と言うか、ともかく洒落た作品ではある。しかしどうも、軽すぎる、と言うか、毒が足りない、と言うか、いささか食い足りない作品でもあった。ちょっと困惑!

この映画のプログラム冊子、これもまたお洒落だった。新書判程度のサイズの角背上製本で、ピンクの布装に金色の箔押し、紅いヘッドバンドにピンクのスピン入り、というのだから。内容はともかく、この造りで600円はちょっと安いのかも……。で、やっぱりこれも軽い!

まだまだ、お休み!
2002年9月29日(日)

(日記はまだまだお休みです)

まだ、お休み!
2002年9月28日(土)

(日記はまだお休みです)

お休み!
2002年9月27日(金)

(日記はお休みです)

ラテン、ジャズ、ミュージカルナンバー with コルネット、フリューゲルホルン
2002年9月26日(木)

国会での答弁中に泣いてしまうエリート外交官、だなんて! 絶対に信頼できないよなあ。

ものすごく責任のある職務に任命されてロンドンに赴任する友人(一種の同級生、かな?)を送る会に出席。会場は築地の割烹〈高野〉。そののち赤坂のバー〈Felice〉で呑んだのだが、このバー、プロの女性歌手4名にピアニスト、さらにコルネット吹きの青年(持ち替えで吹くフリューゲルホルンも達者なものだった)によるショータイムがあって、それが感心すべき高い水準だった。東京にも素敵な場所が、まだまだ探せばあるんだなあ。

たかがバーとはいえない……
2002年9月25日(水)

いささか旧聞に属することだが、9月12日付けの朝日新聞大阪本社版夕刊で、俵万智さんがクロノスのクロちゃんについて書いてくださった。大阪本社版でしか読めない週一回の連載コラム「俵万智の百人一酒」においてで、今回のタイトルは「重ねる杯 男たちの挽歌」というもの。「これほどまでに男たちの心をとらえた店があるということに、私は心を打たれる。たかがバーとはいえない、不思議なその磁場に、軽い嫉妬さえ覚えた」と結ばれている。ありがたいことだ。どういうわけかクロノスでは俵さんに遭遇したことがないのだが、クロちゃんが生きているうちにあのバーで待ち合わせ、三人でお喋りをしておけばよかったと、本当に悔やまれてならない。

お礼の意味も込めて、ちょっと宣伝。「俵万智の百人一酒」の二年半に及んだ連載は明日26日で終るが、来年1月には単行本化される予定だそうだ。版元は文藝春秋社。大阪本社版の地域でしか読めないのを残念に思ってきた好エッセイなので、全国の読者に届けられるのは、他人事ならず嬉しいことである。

Signs
2002年9月24日(火)

スカラ座1で、M・ナイト・シャマラン監督の新作 "Signs" を観る。たしかになにやらとんでもなく怖い映画だ。ヒチコックのあの名作『鳥』をお手本にしているそうで、それは間違いないのだが、焼き直しにならなかったどころか、ちゃんと独自の世界を創造しているところが、相当な才能だと言えるだろう。かなり感心。

そうそう、この映画の広告には、ちょっと文句を言っておきたい。本国での広告がどうなっていたのか知らないが、ともかく、喋り過ぎの広告なのだ。三つの兆候(サイン)というものを列挙しているが、作品の性格上、種明かしのし過ぎだろう。第二の兆候のミステリー・サークルの出現というのはよいのだが、第一の兆候は観客がだんだんわかってくるから面白いのだし、第三の兆候もそこまで言ってよいのかどうか……。まだ観ていない、でも観に行く気持ちのあるこの日記の読者には、広告を読まずに映画館に行くことを奨めておこう。『鳥』がお手本だ、ということも忘れて、ね!

亡き御骸をも見たてまつらん!
2002年9月23日(月)

お彼岸のお中日、ということで墓参。私自身は将来散骨してほしいようにも思うのだが……。いや、散骨するにしても、ともかく遺族が死者の死を確認する、という儀式は必要なのだろう。遺体や遺骨を確認することによって、遺族はその愛する者の死をどうにか受け入れることができるのだ。

こんなことを考えるのは、北朝鮮に拉致され殺された可能性の大きい人々の家族の悲嘆を見聞きし、同情することさえ不遜なのではないか、という思いにとらわれているからだ。愛する者の生死を確認できず、死んだと言われても遺体も遺骨もないのでその死を受け入れることができない、そんな状況は、どんなに辛いだろう。昨年の IXXI の悲劇においても遺族の多くが愛する者の遺体や遺骨と対面できなかったのだが、残された者の苦しみは、これまたいかばかりだったろうか。想像するだけで暗澹とした気持ちになる。そう言えば、戦争においてこそ遺体のない死者が大量に発生するわけだが、IXXI も今回の事例も、一種の戦争だったのだ、と言えなくもない。ああ!

「あが君や、いづ方にかおはしましぬる。帰り給へ。むなしき骸をだに見たてまつらぬが、かひなくかなしくもあるかな。明け暮れ見たてまつりても飽かずおぼえ給ひ、いつしかかひある御さまを見たてまつらむと、あした夕べに頼みきこえつるにこそ命も延び侍つれ、うち捨て給ひて、かく行くゑ(へ)も知らせ給はぬ事。鬼神もあが君をばえ領じたてまつらじ。人のいみじくお(を)しむ人をば、帝釈も返し給なり。あが君を取りたてまつりたらむ、人にまれ鬼にまれ、返したてまつれ。亡き御骸をも見たてまつらん」とは、『源氏物語』蜻蛉の巻における、浮舟失踪に際しての乳母の言葉である。ニューヨークで書いた拙作「雲隠・光源氏のための挽歌」(「ユリイカ」2002年2月号掲載)にも一部引用した言葉だが、これは人類共通の願いでもある、と言えるのではないだろうか。

久しぶりに中華街の北京飯店で晩餐。女児紅に北京ダック、海老とグリンピースの塩味炒め、細切り豚肉の甘辛ソース、レタスのスープ炒め、最高級牛フィレ肉の焼きそば、葱と醤油風味の特製スープ、などなど(名称はメニュー通りではない)。そのあと、Cable Car でウィスキー各種。

鮨**鮨**鮨
2002年9月22日(日)

七日の間に三回も、夕食に寿司を食べた。まあ、便利な食物ではあるけれど……。

Quid de Marcel Proust / The Stranger in Shakespeare
2002年9月21日(土)

筑摩書房から出版された『事典・プルースト博物館』(フィリップ・ミシェル=チリエ著、保苅瑞穂監修、湯沢英彦・中野知律・横山裕人訳)を、面白く読んだ。便利な上に、読んで楽しい一冊である。原著はロベール・ラフォンから1987年に出版された "Quid de Marcel Proust"。

もう一冊、みすず書房から出版されたレスリー・フィードラー著『シェイクスピアにおける異人』(川地美子訳)も、興味をひかれる本だ。ここで指摘される異人とは、女性・黒人・新世界の原住民・ユダヤ人の四種である。原題は "The Stranger in Shakespeare" で、1973年にロンドンの Croom Helm から上梓された。

そうそう、藤井貞和さんの新著『自由詩学』(思潮社)も、心して読まなければならない一冊である。考えてみれば、まさに今は読書の秋、なのだった。

西山美なコ展、素てキ!
2002年9月20日(金)

神宮前四丁目の Gallery Shimada で、今日オープンした〈西山美なコ展〉を観る。今回の作品は、ギャラリーの壁全面に、階調のあるピンクとホワイトで直接画かれたもので、安らぎと微妙なエロスとを同時に感じさせる、優れた仕事だと言える。会期は一応10月31日までだが、次の個展の企画がキャンセルになったとかで、さらに一箇月ほど長く展示される(というか、壁がそのままの状態で保たれる)らしい。

今回の作品が壁に画かれている、ということで、懐かしく思い出されるのだが、私が西山美なコに初めて会った時、彼女は自分のアパートメントの壁をペンキで塗っている最中だった。マンハッタンはチェルシーにある留学生だらけのチェルスモア・アパートメント(その昔、中上健次さんも四方田犬彦も住んでいた)に滞在することになって、荷物を運び込んだ時、隣の部屋で自らペンキ塗りをしていた彼女に紹介された、というわけ。隣同士の日本人で NY 遊学の先輩(おまけにふたりとも宝塚歌劇が好き!)、というわけで、彼女には随分世話になったなあ!

オープニングに集まった人々と、西山画伯(?)を囲んで、神宮前三丁目交差点の近くにあるオーガニック料理のレストラン Natural Harmony ANGOLO で晩餐。無農薬野菜の前菜、浅蜊と無農薬野菜のスープ、摘みたてのセージを添えた詰め物入りのズッキーニ、大量のハーブと茄子を添えたオーガニク・ポークのグリルと黒胡麻をかけた玄米御飯、無花果のタルト、エスプレッソといった献立で、ワインも白赤ともにヴェネト州産の無農薬葡萄のワインだった。こういう店だから常連が多いようだったが、ヨーロッパ系の男性と来ていた日本人の女性のお召し物が、ビキニの水着に羅を羽織った、といった感じで、さすがは神宮前、と変に感心してしまったりして……。

ともかく、〈西山美なコ展〉は、多くの人に観てもらいたい。マラソン・リーディングで活躍した若い女性歌人の方々には、特にお薦めですよ!

暗い数日
2002年9月19日(木)

国家(国家と呼べるとして)による大量誘拐殺人の実態が、さらに少しずつ明らかになってゆく。親元に手紙を出したことに対する見せしめの処刑? なんとも重苦しい気分にさせられる報道ではないか。

誘拐されて殺されて……
2002年9月18日(水)

北朝鮮に拉致された人々の過酷な運命を、まだその一端に過ぎないのかもしれないが、ようやく知る。暗澹たる思いは、一日中晴れなかった。去年の9月11日に感じたのとはまた違った、腹の底に響くような鈍い痛み。やりきれないことだ。どのような死に方をしたにしても、殺された、と言ってよいだろう。これを国家による殺人と言うとすれば、それは第一義的には、もちろん民主主義人民共和国を名乗る独裁国家によるものだが、日本という国家も間接的に手を下していたと言えなくはない。つまり、そのような国家を支える国民である私たちひとりひとりにも、いくばくかの責任はあるということだ。ああ!

歌人の松木秀さんの日記が、突然閉じられてしまった。御病気とのことだが、心配である。彼ほど明晰かつ冷静なものの見方を示す歌人は、他にはいない。彼が今度の悲劇をどう論評するか、是非とも読んでみたかったのだが……。

Gamlet
2002年9月17日(火)

北朝鮮関係のニュースを気にしつつ、新国立劇場中劇場へ。ペーター・シュタインがロシアの俳優たちを演出した "Gamlet" を観る。期待が大きすぎたのがいけなかったのか、現実社会の悲痛なニュースの前に色褪せて感じられたのか、いずれにしても、ともかく期待はずれの舞台だったと言えるだろう。

1998年に初演された今回の舞台は、四方を客席が取り囲む、ボクシングのリングを模したという方形のステージで演じられる。しかし、さしものシェイクスピアも、これでは本物の格闘技にかなわないのでは? 『ハムレット』は、もっとずっと熱い芝居であるはずだ。たしかになかなか優れた演出だとは言えるだろうし、演技陣もそこそこ魅力的ではある。しかし、それ以上では決してない。これほど温度の低い『ハムレット』は、初めて観たような気がする。

それにしても、ハムレット(ロシア語での上演なので、ガムレットと書くべきかしら?)が、ディスコテークで半裸の少女たちと踊ったり、ローゼンクランツとギルデンスターンの弾くエレクトリックギターの伴奏に合わせ "Can't Buy Me Love" をサックスで演奏したり、というのは、陳腐だよなあ! ザ・ビートルズの音楽がシェイクスピアに負けない強さを持っている、ということが、後者のシーンの突出した異常さ(他の曲も演奏するのだけれど、そちらは違和感がほとんどなかった)でよく理解できたのは、まあ収穫だったけれど……。

ロシア語の『ガムレット』といえば、1964年に製作された、グリゴリー・コージンツェフ監督、インノケンティ・スモクトゥノフスキー主演の映画が思い出される。小学生の私が初めて自分の意志で観に行った大人の映画が、あれだった。今日まで続く大きい影響を受けたことは、言うまでもないだろう。さらにもうひとつ、1989年の冬、つまりベルリンの壁が崩壊したりマルタ会談が開かれたりしていた頃、雪のモスクワ郊外のユーゴザーパド劇場で観た『ガムレット』も、忘れられない。このプロダクションは翌年だったかパルコ劇場でも上演されたのだが、ともかくさまざまなパワーが凝縮された、圧倒的な舞台だった。劇場の関係で、モスクワの方がさらに凄かったなあ! 外の雪まで融けちゃいそうな熱さの、言語になど限定されない見事な "Hamlet" ではあった。

そうそう、ペーター・シュタインの演出はもう一本、ウェルシュ・ナショナル・オペラにおけるヴェルディの『ファルスタッフ』を観ているはずだ。でも、どんな舞台だったか、記憶にない。シュタインの演出って、そういうものなのかしら?

道浦さん、お大事に!
2002年9月16日(月)

「未来」9月号の私の文章については、やはりかなりの反発が出ているようだ。もっとも今日、あそこで結社誌への長期に渡る欠詠を批判しておいた道浦母都子さんから、「貴重な意見をありがとう、でもあの時期本当に病気で短歌がつくれなかったの」といった主旨の留守番電話が入っていた。さすがは大人の態度だと評すべきかしら? 御本人にはいずれお見舞いのはがきを出させていただくとして、ともかく道浦さん、お大事に!

そう言えば今日は敬老の日。道浦さんも私も、どちらかと言えば青年よりは老人に近い年齢になってしまった。体調には気を付けなくっちゃね。

あまっさえ!
2002年9月15日(日)

「未来」9月号が届いていた。私が担当する「ニューアトランティスを読む」は、今回が最終回。言いたいことを言わせてもらったのだが、嫌われちゃうかしらね? もっとも、もともと嫌われ者なのかもしれないのだけれど……。

今回は誤植が二箇所ある。訂正を出すほどのものではないので、ここに記すにとどめておこう。すなわち、134ページの上段4-5行目の「あまつさえ」は「あまっさえ」が正しく、同ページ6行目の行末、「歌人を」のあとには、正しくは読点が入るのである。「あまっさえ」については、印刷所に直接入稿する際、わざわざ注記しておいたにもかかわらず、誤植されてしまった。まあ、原稿が遅くなったのが悪いのかもしれないのだが……。要するに、書きあぐねていた、というわけだ。

で、この号の真の目玉、驚嘆すべきページは、渡部光一郎という人の15首からなる連作「ぐろうばる」である。全体の詞書に「すぐにレッテルをはって片付けてしまうやり方を僕は好まない。」とあるのは、いかなる批判も聞く耳を持たないということなのだろうけれど、でもねえ! 純粋に短歌としてみれば無視してもよい作品だが、そこで詠われた内容には、誰だって困惑せざるを得ないはずだ。歌人に限らず、多くの方の意見を聴きたいものではある。それにしても、こういう傾向の作家がほかならぬ「未来」から出る、というのも、時代なのかしらね? 

京屋、大当り!
2002年9月14日(土)

歌舞伎座の夜の部へ。歌舞伎見物は四月以来だが、こんなに間が空いたのは、二十歳を過ぎてからでは初めてのことではないだろうか。七月と八月は毎年見物を休むのでいつものこと、要するに五月、六月の松緑襲名公演が魅力的でなかったのがいけないのだ。

内容についてはほぼ「渡辺保の歌舞伎劇評」に渡辺さんがお書きになった通りなのだけれど、ともかく演目は、我當主演の珍しい『時平の七笑』、芝翫が浮世絵から抜け出たような常磐津『年増』、雀右衛門の見事な八ツ橋に吉右衛門の佐野次郎左衛門、梅玉の栄之丞など手揃いの『籠釣瓶花街酔醒』、そして打出しはこれまた珍しい常磐津『女夫狐』(「四の切」の捩りであるこの舞踊を、狐が取り戻すのを霊玉から小鼓にするなどして、今回わざわざさらに「四の切」に近づけたのは、納得できない愚行である)。もちろん『籠釣瓶』が眼目だったわけで、特に京屋の八ツ橋は、仲之町を張る御職の風格と女郎の悲哀、深い人間味と恋する女の切なさをすべて備えた、見事な出来だった。しかも、この世のものとは思えない、凄絶なまでの美しさ!

芝居が跳ねてから、銀座五丁目の仏蘭西料理店 Vosne-Romanee(アクサンテギュ省略)で、シャンパンで乾杯ののち晩餐。テリーヌ仕立てのフォアグラを挟んだ炙った穴子、鴨のコンフィとソテしたフォアグラ、メインディッシュは牛の頬肉の赤ワイン煮・小玉葱とマッシュドポテト添え、デザートは黒胡麻のプディングとベリー類、などなど。充実したディナーだった。

なにごともない一日
2002年9月13日(金)

小宴の予定があったのだが、キャンセルに。で、鰻屋で鰻。

Berliner Ensemble / The Life and Death of King Richard the Second
2002年9月12日(木)

シアターコクーンで、ベルリナー・アンサンブル(あのブレヒトの!)の初来日公演 "Richard U" を観る。いかにもドイツ的、いかにもベルリン的、と評すべきシェイクスピアで、大いに感心した。

昨年11月に急逝したトーマス・ブラシュによるドイツ語訳、というか翻案が、まず凄い。台詞や場面を整理した、などという段階を通り越していて、たとえばヨーク公は自らの手でリチャード(ドイツ語での上演なのだからリヒャルトと書くべきかしら?)を殺してしまう始末! しかし、簡潔で力強い、優れた上演テクストだと言えるだろう。

1999年からベルリナー・アンサンブルの芸術監督をつとめるクラウス・パイマンの演出もまた、かなり過激。俳優は全員白塗りの厚化粧で、モノクロームのわざと安普請にみせた装置も白と黒を基調にした衣裳も(舞台美術を担当したアヒム・フライヤーって、以前ハンブルクで彼自身が演出した素晴しい『魔笛』に捕虫網を持って半ズボンをはいた白塗りのタミーノを登場させていた、あのアヒム・フライヤーだよね?)水まじりの泥濘によって汚されてゆく。権力闘争の醜さと空しさとを強調した、印象的かつ圧倒的な演出だった。

演技陣は、旧西ドイツ出身のミヒャエル・メルテンス演ずるリチャードを、明らかに演技術の基本が異なる旧東ドイツ出身の俳優たちが取り囲む、という構成で、成功していた。演技の様式の対立がそのまま権力の対立を表現しているみたいで、面白かったなあ! 主な配役は、ボリングブルックにファイト・シューベルト、ヨーク公にマンフレッド・カルゲ、オーマール公にマルクス・マイヤーなど。12名全員の俳優を評価しておきたい。

それにしても『リチャードU世』って、去年アルメイダ劇場の来日公演(『コリオレーナス』との交互上演だった)で観たばかりだ。権力闘争と権力の腐敗が冷徹な視線で描写されたこの作品、たしかにこの時代にふさわしい名作だと言えるなあ。ううむ!

IXXI
2002年9月11日(水)

あの悲劇から一年……。今日は本当に辛い一日だった。

会席、それからバーボン
2002年9月10日(火)

銀座八丁目の〈松濤〉で開かれた素人句会に出席。この会席料理店、菓子舗の〈源吉兆庵〉が経営しているらしい。綺麗だし、ちょっとした会合には好適かも。

数寄屋橋の名高い、と言うか昔ながらのバー〈ソフィア〉でバーボンを呑んで帰る。水割りに氷が入っていなかったりするこのバー、今や記念碑的存在だなあ。

中座炎上。そして、緑色研究。
2002年9月9日(月)

重陽である。

未明に道頓堀の中座が消失した。解体中だったわけで、失われたことにかわりはないのだが、やはり解体と消失は違う。WTC の悲劇についても言えるわけだが、多くの人の記憶に刻まれた特別の建築物が、突然、しかも不幸なかたちで失われる、というのは、辛いことだと言えるだろう。

中座には、先代鴈治郎や延若、先代仁左衛門や我童(みんな故人になってしまった!)の歌舞伎を観に、何回も泊りがけで出掛けたものだ。寛美健在の頃の松竹新喜劇の、観客のリクエストした芝居をすぐに上演してしまう、なんていうとんでもない公演も、ここで観たのである。私が大阪で阪神淡路大震災に遭遇してしまったのも、あの天災の前夜、中座で現鴈治郎の1000回目の『曽根崎心中』の舞台を観ていたからなのだ。なんとか修復し、劇場として残せないものかと思っていたあの小屋が、一瞬にして焼け落ちてしまうとは……。やはり辛いことだ。

夕刻、銀座6丁目の galleria grafica bis へ。〈勝本みつる展・緑色の研究 a study in green〉のオープニング・パーティ(ヴェルニサージュと言った方がよいのかしら?)に出席。今回のオブジェには、深いモス・グリーンに染められた兔のファーが使われていて、とっても魅力的だった。みつるさんの人徳で、楽しいお客さんがいっぱい集まってもいたし、素敵な展覧会の素敵なオープニングだったと言えるだろう。もう一度、混んでいない時に行ってじっくり鑑賞し、流行の言葉になってしまうが、癒されたい、と正直思った。会期は今月21日まで。

鎮守の社はお祭で……
2002年9月8日(日)

日常的な事柄を完全に省略するとなると、何も書くことのない一日、ということになってしまう。つまんないの! でもまあ、こういうこともあるだろう。

そうそう、鎮守の社が例大祭ということで、商店街が神輿渡御や大道芸や阿波踊りで賑わっていた。

公式記録?
2002年9月7日(土)

渋谷のルノアールで、TRL の集い。今回は、7月の Marathon Reading 2002 の公式記録ヴィデオを鑑賞する会。遅れて着いたので全部を観たわけだはないが、岡井隆さんの朗読を別格として、やはり高橋睦郎さんが褒めてらっしゃった We Are! のふたり組が、作品自体の出来も含め、出色だったような。

例によって田中槐さん行きつけの糀屋で小宴。そののち有志数名でクロノスへ。

New York, London, Lyon, Tokyo...
2002年9月6日(金)

銀座の治作(築地の治作の支店、というか気軽に入れるようにした店)で、晩餐会。ここは創作料理を売り物にしているので、いろいろ目先の変った料理が出たが、やはり一番の絶品と呼べるのは、鳥雑炊だろう。築地の店同様、この味とこくは簡単には出せないのではないか。

出席者は、ニューヨーク在住で来年はリヨンに住むことになるかもしれない友人、これからロンドンに引っ越す友人、もう十年ばかりロンドンで生活しているアーティスト、などなど。アーティストは、まだ若いのに渋谷が怖くて歩けないと言っていた。同感だなあ! 東京は怖い街だ。

ニューヨークの友人は、今月11日のフライトで帰るんだとか。勇気がある、と言わざるを得ない状況が、とても悲しい。

遂に! ミンコフスキを生で聴く
2002年9月5日(木)

マルク・ミンコフスキの指揮を、初めて生で聴くことができた。しかもオペラで! エクサンプロヴァンス国際音楽祭の東京公演と銘打って、現地では昨年初演された新演出の "Le Nozze di Figaro" が、オーチャードホール(ああ、このホールの音響の貧しさときたら! 改修費用を出してくれるお金持ちか企業は、存在しないのかしら?)で上演されたのだ。プレミエ同様、ミンコフスキの指揮で!

数多くのCD、特にオペラの全曲録音(ラモーの "Dardanus"、 ヘンデルの "Ariodante" や "Hercules"、グルックの "Iphigenie en Tauride"、オッフェンバックの "Orphee aux Enfers" や "La Belle Helene" など、どれもが溜息の出るような名演)で、ミンコフスキの輝かしい指揮ぶりには接して来たが、やはり実際に聴くと格別。期待に違わぬ、素晴しいモーツァルトを堪能することができた。

きびきびとしていてメリハリの利いた、躍動感溢れる指揮振りで、マーラー・チェンバー・オーケストラから、贅肉を削ぎ落とした、しかし痩せてはいないしっかりした響きを引き出していた。ことにテンポの設定や変化の付け方が絶妙で、アリアや重唱におけるオーケストラ後奏の雄弁さには舌を巻くばかり。第四幕フィナーレの伯爵のペルドーネのあと、伯爵夫人がそれに答える前のフェルマータの付いた二分休符が、ぎりぎりまで延ばされ、かつてない緊張感を生むあたりなど、神品と呼びたい出来だったと思う。何より、指揮をする姿が美しい。しばしば指揮者に見とれてしまう、なんてことは、オペラでは滅多にないことで、これもミンコフスキの才能の証なのかも知れない。彼の初来日が、カルロス・クライバーやアッバード、ゲルギエフといった指揮者たちが初めて日本でオペラを指揮したのと同等の期待をもって待たれていたのも、頷けることだ。ちなみに、この公演の宣伝で、ミンコフスキの名前がついに前面に出なかったのは、大いに訝しいことではある。ミンコフスキの登場は、大事件なのに!

歌唱陣は、以下の通り。いずれも適材適所(声楽的にだけではなく、見た目にも!)の配役で、演技力も高く評価できる。実に魅力的なマルコ・ヴィンコ(イーヴォ・ヴィンコの甥だとか)のフィガロをはじめ、ローラン・ナウリの伯爵、ヴェロニク・ジャンスの伯爵夫人、カミラ・ティリングのスザンナ、ステファニー・ドゥストラックのケルビーノ、ブライアン・バナタイン=スコットのバルトロ、マガリ・レジェのバルバリーナ、トラディショナル・カットが踏襲されてアリアは歌わなかったがマルチェリーナにはジェニファー・スミス、同じくバジリオにはジャン=ポール・フシェクール、そしてドン・クルツィオにアレッド・ホール、アントニオにジョセフ・ディーンという配役で、スター歌手こそいないものの、なかなか好ましい布陣だと言えるだろう。合唱はヨーロッパ音楽アカデミー、合唱指揮とチェンバロはミレッラ・ジャルデリ。演出はサー・リチャード・エアで、こちらは可もなく不可もない、といったところだろうか。エクサンプロヴァンスのテアトル・ドゥ・ラルシュヴェシュはオープン・エアの劇場なので、真夏の9時に開演だとすると、暮れてゆく本物の空がやがて星空に変ったりして、そういう環境ではなかなか素敵なのかもしれない(美術と衣裳はティム・ハトレー、暗めの照明はジャン・カルマン)なあ、というのが正直な感想。時代設定を1930年代にしたのも、思いつきの域を出ていないように思われた。まあ、邪魔にならない演出なので、文句を言うほどのことはないのだけれどね。

ということで、ともかくミンコフスキ、この次はオッフェンバックあたりを聴いてみたい!

bash
2002年9月4日(水)

ベニサン・ピットで、tpt の公演『bash』を観る。映画監督としても知られている(代表作は『ベティ・サイズモア』なのかな?)ニール・ラビュートの戯曲で、翻訳は常田景子、演出はデヴィッド・ゴサード。出演は秋山菜津子と千葉哲也のふたりだけ。ちょっと凄い、と言える舞台かも。

戯曲自体は、「オーレムのイピゲニア」「メディア再来」「聖者の群れ」とそれぞれ名付けられた三編からなるオムニバス(上演順は固定されていないらしい)になっていて、三編ともに陰惨な殺人(殺人事件にまでその時点で進行しているのはひとつだけ)の過程が、観客にむかって告白されるという趣向。「オーレムのイピゲニア」では父親による幼い娘殺し、「メディア再来」では14歳で妊娠した母親による14歳になった(あの時生れた)息子の殺人事件、そして「聖者の群れ」ではプラザでのパーティに出席するため恋人とニューヨークに出てきた青年(殺人と無関係なガールフレンドが登場するこの幕のみ、ふたりで演じられる)とその仲間によるセントラルパークでのゲイ男性リンチ殺人が、それぞれ語られるわけだ。しかも殺人者たちは、アメリカの典型的な善人(作家と同じモルモン教徒に設定されている)ということになっていて、まさにおぞましいかぎりなのだが、ギリシア悲劇が題材に使われているせいもあるのだろう、なにやら崇高な悲劇性を獲得してもいる。凄惨な傑作と呼べるのかもしれない。

しかしながら、「凄惨な傑作」であるがゆえに、舞台化を誤ると目も当てられないことになりかねないわけだ。そこのところが今回は、とてもうまく行っている。手堅い演出も賞讃しなければならないが、やはりふたりの俳優それぞれの、日常性と緊迫感とを兼ね備えた見事な演技こそ、絶賛されてしかるべきだろう。印象的な戯曲の優れた舞台化だと言える。多くの人に観てほしい(公演は9月29日まで)なあ!

アルマジロとトロイ戦争
2002年9月3日(火)

田口犬男の新しい詩集『アルマジロジック』(思潮社)を読む。哲学的なユーモアを湛えた、軽くて重い詩集、と評すべきだろうか。犬男ちゃんは、朗読も素敵だし、これからも注目してゆかなければならない詩人だと思う。12月7日(土)の夜、築地の兎小舎で開催される一回目の〈朗読千夜一夜〉で、一緒に朗読することになっている(他に、田中槐と松井茂が出演)のが楽しみだ。

故あって、ジロドゥの『トロイ戦争は起らない La guerre de Troie n'aura pas lieu』(翻訳は白水社版『ジロドゥ戯曲全集』第三巻所収)を読み返した。名作だと思う。ジロドゥやアヌイばかり上演していた頃の劇団四季が懐かしい、なんて書いたら、年寄だと嗤われるかしら?

コクトー、さらにコクトー
2002年9月2日(月)

新国立劇場小劇場で、東京室内歌劇場の公演を鑑賞。今回はコクトーのリブレットによる短いオペラの二本立。プーランクの『人の声 La voix humaine』(ピアノ伴奏版)と、ミヨーの『哀れな水夫 Le pauvre matelot』の二本で、出演は前者が堀江眞知子の女に、ピアノが河原忠之、後者が大間知覚の水夫、小林加代子のその妻、岸本力のその父親、工藤博のその友人に、佐藤功太郎指揮の東京室内歌劇場オーケストラ。演出は中村敬一。後者の方が楽しめたかな?

この団体の活動は、派手ではないものの高く評価されるべきだと思うけれど、その創立35周年記念公演として、来年の6月に、アンドレ・プレヴィンが作曲した "A Streetcar Named Desire" を上演(もちろん日本初演)するのだそうだ。期待しよう。ちなみにあの作品のサンフランシスコ・オペラでのプレミアはとてもよくできていたが、ううむ、ルネ・フレミングのブランチなんていう豪華さはどうでもいいけど、スタンを歌うランニングシャツがよく似合うマッチョな若いバリトン歌手って、日本に存在するのかしら? ちょっと心配でもあるなあ。

さて、数日お休みした日記を再開したわけだが、日常的なことは極力書かないことにしているこの日記で、なお日常的な事柄がいくつか(特別でない会食とか美容院行きとか)、これまで書かれて来たことに気が付いた。ちょっと反省。公開の日記なのだから、つまらないことは書かないようにしなくちゃね!

まだまだまだ、お休み!
2002年9月1日(日)

(日記は明日再開されます)


20028/1〜8/31

まだまだ、お休み!
2002年8月31日(土)

(日記は目下休憩中です)

まだ、お休み!
2002年8月30日(金)

(日記は目下休憩中です)

お休み!
2002年8月29日(木)

(日記をしばらくお休みします)

笑えて、しかも考えさせられる、二冊の書物について
2002年8月28日(水)

面白い本を入手した。去年スイスで出版された本で、テクストは英語である。以下の欧文表記、ウムラウトを無視しておく。

◎"From Abbey Road to Baby Road: Visual Cover Versions", edited by Christoph Alispach and Erika Keil, Museum fur Gestaltung Zurich / Christoph Merian Verlag Basel, 2001.

有名なレコード・ジャケットとそのイミテーションやパロディを集めたカラーの写真集(解説と二分冊)である。たとえば、タイトルに選ばれているザ・ビートルズのあの名高い "Abbey Road" のジャケットに関しては、お襁褓をしたあかちゃん四人が横断歩道を渡る Floyd Domino の "Baby Road"、裸の男たちが渡るレッド・ホット・チリ・ペッパーズの "The Abbey Road E.P."をはじめ、オリジナルや bootleg を含め18種類の「横断歩道を渡る人々」柄のジャケットが収録されている。さまざまなアーティストの印象的なジャケットの意匠は、さまざまに転用されて来た、というわけだ。最後を飾るのもやはりザ・ビートルズの "Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band" で、こちらはオリジナルを含め17種類が収録されている。なるほどね! ともかくこの小さな写真集(18p四方の正方形、つまりほぼシングル盤レコードのサイズになっている)、笑えて、しかも考えさせられる、深い書物だと思う。

二分冊の本の両方の裏表紙(レコードをそのままデザインしてあるので、B面のラベルに当たる)に大きく印刷されている、C.C.Colton 氏(誰なんだろう? 調べておきますね)の言葉を引いておこう。曰く、"Imitation is the Sincerest Form of Flattery." なるほど!

同時に手に入れたもう一冊の本(画集、と呼ぶべきだろうか?)も、笑えて、しかも考えさせられる本だ。テクストは英語、ドイツ語、フランス語のトリリンガル。

◎"Tom of Finland: the Art of Pleasure", text by Micha Ramakers, edited by Burkhard Riemschneider, Taschen GmbH, 2002.

この人の絵(イラスト?)は下品で性に合わないと思っていたが、体系的に整理されたコンテクストの中で纏めて見てみると、感慨深いものがある。素っ頓狂ではあるが、これもまた文化だったのだ。ううむ!

こちらからは、Tom of Finland 自身の言葉を引用しておこう。曰く、"If I don't have an erection when I'm doing a drawing, I know it's no good." 蓋し名言、と言うべきではないだろうか。

音楽を聴く聴衆の耳について(2001年9月11日以後の)
2002年8月27日(火)

サントリーホールで〈サマーフェスティバル 2002〉のコンサートを聴く。〈音楽の現在〜海外の潮流〜〉の管弦楽編で、曲目は以下の通り(括弧内は作曲年)。もちろんすべて日本初演である。

◎アルヴォー・ペルト《東洋と西洋〜弦楽オーケストラのための〜 Orient and Occident for String Orchestra》(2000)
◎ブレット・ディーン Brett Dean 《円形劇場 Amphitheatre》(2000)
◎メルリン・トワールホーヴェン Merlijn Twaalfhoven 《ほとばしり GUSH》(1999-2000)
◎ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ《駆け足のシンフォニカ Scorribanda Sinfonica》(2001)

どの曲も興味深く聴けたが、残念ながら心を動かされるまでには到らなかった。メシアンやリゲティの作品のように強烈な個性的方法が用いられているわけではない、というのが、印象を希薄にした原因なのだろうか。さらに言えば、これらの作品がいずれも2001年9月11日以前に完成されている、という点にも、問題があるだろう。私を含む聴衆の耳は、あの日を境に変化してしまったのだし、作曲家たちも、あの日以前と同じようには作曲できないのではないだろうか。当然のことながら、現代の聴衆は現代の作曲家の新しい作品に、どうしても時代との関連を読みとろうとしないではいられないはずだ。

四曲のうち、トワールホーヴェンの作品のみが、2001年9月11日以後に初演された。それも何と、9月14日に初演されたのだという。その日、アムステルダムの聴衆は、1976年生れの若い作曲家の元気いっぱいの作品に、どう反応したのだろう。そもそも、音楽会に行こうなどという市民が何人いたのだろう。この作曲家のみが来日し、自作の演奏に立ち合っていたのも、不幸な初演を経験した自作の心機一転の日本初演を、せめて祝福しておきたいと思ったからなのではないだろうか。

2001年9月11日以後数箇月、私はグレン・グールドが演奏したバッハの作品以外のあらゆる音楽を、モーツァルトさえも(!)、受け付けることができずに過した。世界はあの日、確実に変ってしまったのである。

なお今回の演奏は、秋山和慶指揮の東京交響楽団。優れた演奏だったと言えるだろう。

A Midsummer Night's Dream
2002年8月26日(月)

芝居が跳ねたあと、仕合せな気分に長く浸っていられるような舞台には、そう滅多に出会えるものではない。シアターコクーンで上演されている蜷川幸雄演出の『夏の夜の夢』は、そういった数少ない舞台のひとつだと言えるだろう。石庭を模したステージ(装置=中越司)で演じられるこのプロダクションは、1994年にベニサン・ピットで初演された時に観ているが、ロンドン公演を含む何回かの再演を経て磨き上げられ、一段と見事な舞台に成長していた。世界中探しても、これほど楽しく豊かな "A Midsummer Night's Dream" は、他にないのではなかろうか。

出演者では、何と言ってもタイテーニアとヒポリタの二役を演じた白石加代子が出色だったが、他の演技陣もみな好演。妖精たちも魅力的で、ひとりひとりの名前を挙げたいところだが、とりあえずは主な役柄についてのみ記録しておこう。オーベロンとシーシュースに瑳川哲朗、パックに台湾の京劇俳優・林永彪、もうひとり(?)のパックとフィロストレートに松田洋治、イージーアスに瀬下和久、そして若い恋人たちは、ライサンダーに MAKOTO、ハーミアに宮本裕子、ディミートリアスに鈴木豊、ヘレナに山下裕子。彼ら実際に若い俳優たちは、ディクションにやや難があったが、この欠点を補って余りある演出の力があり、さらに俳優たちに演じようとする強い意志の力(これこそ『アテルイ』でヒロインを演じたTVタレントに決定的に掛けていた力だ!)があった。職人たちは、ボトムの大門伍朗を筆頭に、クインスに石井愃一、スナッグに元関取の大富士、スナウトに塚本幸男、スターヴリングに岡田正。病気の山谷初男に代ってフルートを演じた花組芝居の山下禎哲が、劇中劇のシスビーで大いに客席を湧かせていた。

それにしても、蜷川さんって、凄いよなあ! 最後にパックが観客の拍手を求めた時、こんなに素直に客席中が喝采をおくることができる "A Midsummer Night's Dream" は、やはり稀有だと言えるだろう。この名作ロマンス劇を何十種類も観て来た経験からすれば、それは間違いないことだと思う。

TVを観て、あるいは途中で観るのを止めて……
2002年8月25日(日)

TV の話題をいくつか。

NHK総合で20日の深夜に再放送し、さらに今日の朝にも再放送していた「NHKスペシャル・幻の大戦果」は、興味深い内容の番組だった。先の大戦末期、陸軍部と海軍部が情報を共有できない大本営が、いかにして幻の大戦果をでっちあげ、その結果フィリッピンや沖縄の悲劇を招くことになったか、ということを、実証的に淡々と描いて、説得力がある。日本の指導層って変っていない、ということにも気付かせられ、暗澹とした気分にさせられる番組だ。土曜日、クロノスでも話題になっていたなあ!

NHK-BS2 で今日の深夜に放送された「3大テノール・ラスト・コンサート」は、あまりにも気の毒で途中で観るのをやめてしまった。本当は、K のアパートメントで観始めたものの、帰る時間になっちゃったからなんだけどね。それはともかく、この6月末、WCサッカー絡みで横浜アリーナで開催されたこのイヴェント、ああ、なんて無惨! かつての輝かしさはないものの大病を克服した人間としては立派だともいえるホセ・カレーラスはともかく、ルチアーノ・パヴァロッティがまったく声が出せていない。MET の大切なクロージング・ナイトをキャンセルばかりだったのだし、彼に歌わせるのはあまりにも酷だったと言うべきだろう。プラシド・ドミンゴだけは余裕綽々、ほかの二人にあわせて楽に歌っていたけれど、ともかくこれで70,000円とかいう入場料を取ったなんてねえ! ついでながら言えば、風呂屋の壁画を拡大したみたいな巨大な背景の富士山、および円形の障子、という装置も、凄まじいものではあった。あれ、装置家がこのイヴェントをからかってみせていたのかしら?

幸いにして私は、ドミンゴもカレーラスもパヴァロッティも、その最盛期にオペラの舞台で接している。たしかにあの当時(1970年代から80年代)の彼らは、素晴しかったなあ! で、今なお第一級の現役で通用するドミンゴって、やっぱり一段と凄いのかも?

というわけで、晩餐はまたしても K のアパートメントで摂ったのでした。

天上の音楽
2002年8月24日(土)

サントリーホールで、〈サマーフェスティバル2002〉のコンサートを聴く。没後10年になるオリヴィエ・メシアンの特集。曲目は以下の通り(括弧内は作曲年)。

◎《忘れられた捧げもの Les offrandes oubliees》(1930)
◎《コンセール・ア・クァトル Concert a quatre》(1990-91)
◎《ほほえみ Un sourire》(1989)
◎《クロノクロミー Chronochromie》(1959-60)

要するに21歳の作曲家がその天才を初めて世に知らしめた作品に、最晩年の未完に終った大作、モーツァルトの没後200年を記念して作曲された小品に、中期の傑作(18声部に分けられた弦が合奏するところなんか、凄いとしか言いようがないよね!)、という、考えられたプログラミングだったわけだ。で、やはりこう言うべきかもしれない。18世紀がモーツァルトを持ったように、20世紀はメシアンを持ったのだ、と! 天上に音楽が鳴り響いているとしたら、それは彼らの作品に似ているにちがいない。

演奏は、岩城宏之指揮の東京フィルハーモニー交響楽団。《コンセール・ア・クァトル》の独奏は、フルートが高木綾子、オーボエがトーマス・インデアミューレ、ピアノが木村かをり、チェロがルドヴィート・カンタ。特に大曲二曲(《コンセール・ア・クァトル》と《クロノクロミー》)は、名演と読んでもよかったのではないだろうか。素晴しいコンサートだった。

《クロノクロミー》繋がりで、二丁目のクロノスへ。クロちゃんの偲ぶ会の準備は、順調のようだ。

新しい詩集、書物、そして懐かしい『繻子の靴』
2002年8月23日(金)

最近手に入れた素晴しい本や楽しい本(読みさしのものを含む)を挙げておこう。

◎吉増剛造『ブラジル日記』(書肆山田)
◎吉増剛造『The Other Voice』(思潮社)
◎高橋睦郎『小枝を持って』(書肆山田)
◎相澤啓三『孔雀荘の出来事』(書肆山田)
◎岡井隆『短歌―この騒がしき詩型 「第二芸術論」への最終駁論』(短歌研究社)
◎坪内祐三『後ろ向きで前へ進む』(晶文社)

新刊ではないが、次の本も楽しんだ。この日記のフォームではアクサンの付いた文字が使えないみたいなので、アクサンの類は省略して表示する。

◎Paul Claudel, "Cent phrases pour eventails", Poesie/Gallimard.

要するに有名な『百扇帖』である。読んだ、と言うより、見た、と言うべきなのだろうが、歌人はともかく俳人は必見(必読?)の一冊だと言えるだろう。なぜこの本を買ったかというと、私の読書の出発点となった書物の一冊であるあの偉大な『繻子の靴 Le soulier de satin』を、数十年振りに読み返そうと考え、原典参照用に folio 版を買った、その序でにこちらも買った、ということだ。ちなみに、手許にある中村真一郎訳の完全版『繻子の靴』は、人文書院から1968年に出版されている。ああ、子どもの頃の読書!

K と横浜で寿司をつまむ。しんこの旬だそうだ。

ハンブルク協奏曲
2002年8月22日(木)

毎年楽しみにしているサントリー音楽財団の〈サマーフェスティバル〉が始まった。全公演に行けないのが残念だけれど……。今晩のコンサートは、小ホール(もちろんサントリーホールの)で、〈音楽の現在〜海外の潮流〜〉の室内楽編。この数年の間に初演された作品を集めたもので、もちろん全作品日本初演だ。曲目は以下の通り(括弧内は作曲年)。

◎イリネル・アンゲール Irinel Anghel 《殆ど永遠にU Le Quasi-InfiniU》 (2002。改訂版はこれが世界初演)
◎ジョナサン・コール Jonathan Cole 《ウロボロスU OuroborosU》 (1999)
◎ルカ・フランチェスコーニ Luca Francesconi 《新しい歌 Aria Novella》 (2001)
◎ジェルジ・リゲティ 《ハンブルク協奏曲 Hamburgisches Konzert》 (1998-99)

どの曲も楽しめたが、やはり聴き物はリゲティ(彼は1923年生れだ。元気だなあ!)の新作だった。B/Fのダブル・ホルンとナチュラル・ホルンを持ち換える独奏ホルンに19人編成の小オーケストラ(その内四人がナチュラル・ホルンという、とんでもない編成!)という組合せの作品で、五人のホルン奏者は徹底的に自然倍音を奏することが求められている。平均率で奏するその他の楽器と絶妙なズレが生ずるところが面白いわけだが、そんな小難しいことを考えなくても、十二分に楽しめる傑作だった。なにしろ、美しくて、しかもきびきびした曲なのだから……。この曲を聴けただけでも、コンサートに出掛けた甲斐があったと言うべきだろう。

演奏は板倉康明指揮の東京シンフォニエッタに、独奏ホルン=丸山勉、アコーディオン=御喜美江(アンゲール作品)、笙=東野珠実(同)。もちろん、高水準の出来だったと言えるだろう。拍手!

鞘師見習ひ!
2002年8月21日(水)

「短歌研究」9月号が〈短歌研究新人賞〉の結果を発表している。予選通過作まで紹介する編集方針に対しては賛否両論があるだろうが、それはともかく、受賞作以下予選通過作までで最年少の作者、1983年生れの岩堀壮司という人(作品はまだかなり未熟な感じだが、でも悪くはない)の職業が「鞘師見習い」になっているのに、ちょっと感動してしまった。鞘師の修行をする19歳の少年! ううむ。

19歳といえば、私が短歌を本格的に始めた年齢だ。大岡信さん、塚本邦雄さん、中井英夫さんが選考委員をつとめられた三一書房の〈現代短歌大系新人賞〉を「七竃」五十首で受賞したのは、20歳の時である。大昔だなあ!

K と関内の鳥伊勢、さらに中華街の Cable Car へ。

名優、そして美酒
2002年8月20日(火)

帝国ホテルの光の間で開かれた〈中村雀右衛門丈のお誕生日を祝う会〉に出席。1920年8月20日生れ、ということは、歌人の塚本邦雄さん(8月7日生れ。一般に流布している1922年生れというのは間違いだと、中井英夫さんがおっしゃっていたっけ!)や私の亡父(9月21日生れ)と同い年ということだが、何と若々しくお元気でいらっしゃるのだろう。今や名実共に歌舞伎界の最高峰であるジャックさん(京屋の旦那を、私たちはそうお呼びしている)は、来月は歌舞伎座で八ツ橋、10月は御園座で「鷺娘」と松緑襲名披露口上、11月は歌舞伎座で「十種香」の八重垣姫、12月は国立劇場で「毛谷村」のお園、来年1月は歌舞伎座で揚巻、といった具合に、毎月大役をつとめられる予定だ。この名優の舞台を楽しめることを、奇跡的な幸福と呼びたいと思う。

お祝いの特製ケーキを切り分けたのをいただくとき、五個しかない飴細工の大きな牡丹の花を一輪もらい、花びらを数枚おともだちに分けたものの、ほとんどひとりで食べてしまった。ありゃま!

宴果てて後、K と表参道の Bloomin' へ。ゴラン高原産のアイスワイン(実ったままで放置し自然に凍らせることによって糖度を増した葡萄で醸造した甘口の白ワイン)が、信じられないくらいの美味だった。西洋の古典詩歌に登場する蜜酒とはこれだろうか、蜂蜜のように甘く、しかもその甘さが口中に残らない、絶妙な美酒であった。数年前マルサラで飲んだ、シチリアとチュニジアの間にある小島でレーズン状態にした葡萄を用いて醸されたというワイン(アラビア語で「風の子ども」という意味の銘柄だと聞いた)も、こういった味だったなあ!

颱風とデリヴァリー
2002年8月19日(月)

颱風は逸れてしまった。持って出た傘も、ささずじまい。やれやれ、と言いたいところだけれど、でも、もちろんいいことだったんだよね?

K のアパートメントでデリヴァリーの夕食。東京や横浜でもニューヨークみたいに、チャイニーズのデリヴァリーが普及すればいいのに!

Party at the Palace
2002年8月18日(日)

NHK 総合で午前1時過ぎから、『ザ・クイーンズ・コンサート エリザベス女王戴冠50周年記念』という番組を観始めたら、面白くて最後まで(つまり午前4時近くまで)観続けてしまった。今年の6月3日にバッキンガム・パレスのバックヤードで、ロイヤル・ファミリー臨席のもとに開催された "Party at the Palace" の録画。リッキー・マーティンからサー・ポール・マッカートニーまで、綺羅星の如く文字通りのスターたち(ロッド・ステュアートとかオジー・オズボーンとかクィーンの残党とかトム・ジョーンズとかエルトン・ジョンとかエリック・クラプトンとか……。ああ、名前を挙げきれない!)が登場する、信じられないほど豪華なコンサートだった。

最後に女王とともにステージに上がったプリンス・オヴ・ウェールズ(エスコート役は The Fifth Beatle ことサー・ジョージ・マーティン。なるほどね!)が語っていた通り、イギリスの人々はこのコンサートで自国の偉大さを再確認したのではないだろうか。エリザベスU世の時代、間違いなくイギリスは、世界に冠たる音楽の王国となったのである。で、その中でも、やっぱりザ・ビートルズって飛び抜けていたんだなあ!

異常気象
2002年8月17日(土)

ヨーロッパは水害で大変だし、日本には颱風が頻繁にやって来るし、やはり地球規模の気象異常なのだろう。大きく報道されない異変も、アフリカとか中東とか南北両極とかいったメディアの眼の届きにくいところにはあるのだろうし……。WHO などもたとえばこの7月23日に "Helping People Reduce Their Risks of Skin Cancer and Cataract; a Practical Guide for Using the Global Solar UV Index" というプレス・リリースを発表したりして、注意を喚起しているしね。要するに、もう日光浴は出来ない、ってことだ!

で、日が沈んでから K のアパルトマンに赴き、晩餐。

心貧しき愛国歌人について
2002年8月16日(金)

インターネット上の意見の応酬は、顔が見えないせいか、罵りあいになりがちだ。だから自重すべきなのだろうが、大辻隆弘くんがその掲示板「水の回廊」で、この日記の一昨日の記述に異議を差し挟んでいるのには、やはりひと言応えておくべきだろう。

大辻くんはもっぱら、私が彼を「愛国歌人候補」と呼んだことに反発している。たしかに、説明不足なタームの使い方をした、とは言えるのかもしれない。その点は、反省すべきだろう。ともかく彼の記述を引用しておく。

「(前略)私は少なくとも、政治的な意味でこの国の体制を / 愛している訳ではない。 / / この前の未来の大会のシンポジウムでも、 / その部分は慎重に言葉を選んで発言したつもりだが、 / 『飛行機でビルに突っ込んでいった若者の心に感銘を受けること』 / 『回天を見て深く心を動かされること』 / / それらと / / 『国を愛すること』 / を単純にイコールで結ぶことは、あまりにも短絡的だ。 / / 『棄私』の精神を、 / すぐさま国家主義や『愛国』と結びつけてしまうところに / 私は、思想的な貧困を感じてしまう。 / 単純な二分法的図式にもとづいた戦後思想の『きめの荒さ』が / そこには現れているように思う。」

私は、「愛国歌人」の「愛国」という言葉を、「国を愛すること」という単純な意味で使った訳ではない。この点が説明不足だった訳だが、先の大戦時における大政翼賛歌人を愛国歌人と呼ぶ場合の「愛国」、あるいは世界中の極右の人々に共通すると考えられる自国第一で世界を見ようとしない独善的な愛国主義の「愛国」、そういう意味合いで使ったのである。私は大辻くんに、そういった心貧しい愛国歌人(「政治的な意味でこの国の体制を愛している訳ではない」人間が、しばしば極端な愛国主義者になり、体制を転覆し国家主義的な体制を樹立しようと画策してきたのではなかったかしら?)にはなってほしくない、ということなのだ。「愛国」と言えばコンテクスト(文章表現上の、さらには歴史上の)を無視して単純に「国を愛すること」だと捉え、「棄私」(珍しい言葉だね!)と言っても他者を救うために私を棄てるのと他者を殺害するために私を棄てるのとでは大違いだということに気付かないのは、きめの荒い考え方ではないのだろうか。

はっきり言っておくべきだろう。「飛行機でビルに突っ込んでいった若者の心に感銘を受ける」人間を、私は忌避する。他者を殺害して省みない「棄私」の精神を、私は拒否したい。そこにあるのは、思想的な貧困どころか、精神の荒廃、人間性の放棄にほかならないのではないだろうか?

それにしても、この問題をインターネット上においてのみ論じ合ってゆくのは、いささかしんどいことではある。会って話をすれば、意見は一致しなくても、仲良くはなれるかもしれないのにね。田中槐さんあたり、そういう場所をつくってくれないかしら? 大辻くんには断られるかもしれないけれど……。

風景の遺族
2002年8月15日(木)

8月15日である。半世紀以上前の戦争の死者たちを追悼する、追悼し続ける、というのは、おそらく正しい。だがそれは、横浜大空襲で焼け出されはしたものの、親類縁者にひとりの戦死者(兵士はもちろん、民間人としても)も持たない家に生れた私としては、微妙な違和感を覚えずにはいられないことでもあった。そういう違和感を覚えること自体を、恥じたりもしたのだが……。

その違和感が、今年は薄らいでいる。IXXI を経験したからだ。あの悲劇においても、私は友人や知己を失ったというわけではない。しかし、慣れ親しんだ風景を、私は失ってしまった。私は IXXI における、風景の遺族なのだ。日本の市民は半世紀以上にわたって、死者ばかりではなく、あの戦争で失われてしまった風景に代表される親しい存在の数々を悼んできたのだろう。そう考えれば、8月15日が半世紀以上も、すべての日本の市民にとって特別な日でありつづけてきた意味が、よく理解できる。なるほどね、だったら9月11日もまたそういう意味で、長く追悼の日となるのだろう。そして私は、生きてあるかぎり、ニューヨークの〈風景の遺族〉でありつづけるのだろう。辛いことではあるが……。

K と横浜のビアホールで一杯。この都市の景観も、大きく変った。繁栄の一環としての景観の変化は、それが喜ぶべきものだけではない以上、やはり悼むに値する。しかし天災や戦争、テロリズムによる劇的な変化は、それよりもはるかに強く追悼されるべきだ、ということなのだろう。あまりにも理不尽なことであるがゆえに……。

松江の鯛めし
2002年8月14日(水)

暑気払い、ということで、銀座にある松江の〈皆美〉で、K とちょっと贅沢な晩餐。烏賊とオクラの和え物、蟹真薯入りの枝豆の摺り流し、小海老と三つ葉の古風な掻き揚げ、鯛の蒸し物、初物の焼き松茸など、いずれ劣らぬ旨いもの七品ほどに、最後は不昧公好みとうたわれる名物の鯛めし。酒は松江の銘酒・李白(何て素敵な名!)の大吟醸で、最後にもちろんお薄。で、いつも思うのだが、ここの鯛めし(鯛のそぼろ、卵の黄身のそぼろ(って言うのかしら?)、同じく白身のそぼろを白飯に載せ、鯛のあらでとった出汁を掛けていただく、という古体な食べ物)、美味しいと言うべきなのだろうか。残さず食べてしまうのだから、不味いわけではもちろんないのだが、いささか物足りないような気がする。 K ばかりではなく、ここに案内した誰もが絶品だと賛美するのが、何となく納得できないのは、欧風の食生活やジャンクフードなどに慣れすぎて、繊細な味に鈍感になりつつあるということなのかもしれない。用心しなくちゃ!

愛国歌人候補?
2002年8月13日(火)

昨日は中上健次さんの10回目の祥月命日だった。時の経つのは、本当に速いものだと思う。中上さんは NY に住んでいらしたことがある(彼の住んでいたチェルスモアという古いアパートメントに、私も短期間滞在したことがある。部屋の奥に幽霊がひとり、立っていたっけ!)けれど、もし生きてらっしゃったら、IXXI とその後の情勢にどのような反応を示されただろう。

大辻隆弘の新しい歌集『デプス』(砂子屋書房)は、装幀の美しい本だし、この歌人も実力があるとは思うが、IXXI への彼の反応に関しては、吐き気を催さざるを得ない。その後の成り行きからアフガンの市民に同情を寄せた、というのなら理解できるが、数千人の人間の生命を飲み込みながら崩れてゆく WTC の映像を前に、あろうことか快哉を叫び、タリバーン(彼らがアフガンの市民をどんなに苦しめたか、思い出して欲しい!)どころかアルカイーダに共感を示すとは、どういうことなのだろうか。恥を知るべきだ。彼の掲示板「水の回廊」を覗くと、最近上京した際に靖国神社を訪れ、展示してあった人間魚雷回天を観て感動したらしいが、なるほどね、と言わざるを得ない。大辻隆弘が、愛国歌人(!)という忌まわしい存在になりきってしまわないことを、せめて祈っておこう。大辻隆弘と同様、新しい歌集『嬬問ひ』(ながらみ書房)であのテロを頌えている高島裕についても、ね! ふたりとも、短歌という文学にとっては得がたい才能だと言えるのだから。

漂泊の志を抱いている(と思われる)歌人、趣味が悪い(と疑われる)歌人
2002年8月12日(月)

坂井修一の新しい歌集『牧神』(短歌研究社)を、何となく読んでみる。私にはこの歌人の作品が、どういうわけかよく理解できない。難解、というのではないのだから、読み方を間違っているのだろうか。技術的にかなり難があると感じられてならない上に、内容にも付いて行けないのだが……。直前に「るしおる」47号掲載の岡井隆さんの大作「伊太利 旅のあとさき」を読んで感心したばかりだったから、相対的に劣って見えた、というわけでもなさそうだしね。もう一度、じっくり読み直してみるべきかしら?

この歌集には、ホームレスの人々がたくさん登場する。作中の〈私〉が作者その人とほぼ等しいと仮定しての話だが、坂井くんって、大学教授という職業に一応は満足しながら、ホームレスという境涯に心の底で憧れているってことなのかしらね。つまり、漂泊の志を抱いているってことだ。ううむ……。

ついでながら、短歌研究社の本の装幀にひと言。近年この会社のどの本の装幀にも CG が用いられているようだが、薄っぺらで安っぽく、どうも感心できない。水原紫苑の歌集『いろせ』なんか、素人がつくった結婚式の引出物のパッケージみたいだった。優れた装幀の歌集を続々出版している砂子屋書房あたりと較べると、その差には歴然たるものがある。書物にとって装幀がいかに重要かということを、短歌研究社の編集者には認識してほしい。それとも、趣味の悪い編集者が揃っているってことかしら? そうだとしても、作者も趣味の悪い装幀はきっぱり拒否しなくっちゃね! じゃないと、作者も趣味が悪いと思われてしまうだろう。ねえ、坂井くん、紫苑ちゃん!

短歌年鑑!
2002年8月11日(日)

郵便の山の中から、短歌研究社の「短歌年鑑」の名簿訂正用はがきの入った封書が出現した。締切は、あらら、7月30日! いくら何でも、早過ぎるんじゃないだろうか。ともかく、急いで投函はしておいた。

この短歌研究社の訂正用はがきには、毎回意味不明のアンケートが付いてくる。馬鹿馬鹿しくてずっと答えないでいるが、今回もまた素っ頓狂なアンケートだった。題して、「わからなくて困った批評用語」。わからない言葉が出てきたら、辞書をお引きなさい。辞書を引く用意もなく批評を読むなんて、愚かなことなのだから。今回はわざわざ別紙に、108語のタームが一覧表になって添付されているが、未知の言葉は一語もなかったし、当然何らかの辞書で調べられない言葉もないはずだ。歌人って、愚か者と怠け者の集団だったのかしら? やれやれ!

角川書店の「短歌年鑑」のはがきも、来月中旬までに出さなければならない。こちらには自選五首というのがあるのだけれど、私の場合、発表した作品はすべて連作(それも連作性が強固な!)なので、ちょっと困惑してしまう。それに、この一年で350首を超える短歌を発表しているわけだし……。まあ、今年は多くの歌人がそうするだろうが、IXXI 関連の作品を送っておくのが妥当なのだろう。ともかく、9月11日まで、あとひと月である。

というわけで、K のアパートメントで、出前の寿司とヴーヴクリコのロゼで晩餐。

開封作業とモンキー・ビジネス
2002年8月10日(土)

いくつかの特別重要な書籍を除き、6月からずっと開封せずにいた冊子小包の類を、一気に開封する。それだけで一時間以上かかってしまった。やれやれ!

DVD で、ハワード・ホークス監督の映画 "Monkey Business" を観る。かなりよくできたコメディだと思う。そう、あの『マリリン・モンロー ダイアモンド・アルバム』を買っちゃったって訳ね!

K と天一でシャブリに天麸羅。そのあと The Tavern でギネスを2パイント。

コレクター!
2002年8月9日(金)

「るしおる」47号の見本を、K に届ける。何を隠そう、K は私の書いたもののコレクターなのだ! で、 K のアパルトマンで夕食。

特記すべき事のさしてない日なので、宣伝も兼ね、「るしおる」47号の目次を写しておこう。ちなみにこの〈詩誌〉、流通上は書籍扱い (ISBN4-87995-551-5 C1392) なので、書店では雑誌売場ではなく詩書のコーナーに置かれているはずである。お間違いなきよう!

白石かずこ「浮遊する母、都市」
平出隆「パレードにて」
石井辰彦「(北の砦)と(南の塔)」
倉田比羽子「めぐらない季節」
オクタビオ・パス(野谷文昭訳)「詩人の仕事 『鷲か太陽か?』から」
粒来哲蔵「人形師・K」
ゲンナジイ・アイギ(たなかあきみつ訳)「森の傍らで 他」
ピエール・アルフェリ/アニエス・ディソン(関口涼子訳)「ピエール・アルフェリとアンヌ・ポルチュガルの詩」
松枝到「皇后と商人の見たもの 言葉の旅、イメージの道12」
古井由吉「ドゥイノ・エレギー試文 詩への小路16」
岡井隆「伊太利 旅のあとさき」
清水哲男「ウィンドウズ」
平田俊子「髪のこと」
渡辺洋「少年日記」
山本楡美子「中庭のある宿屋 他」
山崎佳代子「ベオグラード日記3 貝のための子守唄」
岩成達也「誤読の飛沫12」
川口晴美「彫刻家と詩人、詩と彫刻」
藤井貞和「詩的分析5 詩的補助動詞論」
浅見洋二「詩とはどこから来るのか、それは誰のものか(続) 古典中国の詩と詩学3」
矢川澄子「〈ありうべきアリス〉」

ううむ、やはり盛り沢山の、お買い得な雑誌だと言うべきではないだろうか!

北の砦の北の狼
2002年8月8日(木)

立秋である。だが、秋とは言えどあまりにも暑い。そこで納涼を兼ね、新橋演舞場で、松竹+劇団☆新感線公演、中島かずき作・いのうえひでのり演出の『アテルイ』を観る。市川染五郎の希望した題材の舞台化だそうで、染五郎が蝦夷の首長アテルイこと悪路王、堤真一が坂上田村麻呂を演じ、周囲を小劇場系の腕の立つ俳優たち(渡辺いっけい、金久美子、西牟田恵、植本潤など)や新感線の個性的なメンバーが支える、という作品。欠点をあげだしたらきりがないだろうが、それ以上にともかく面白かったのだから、上首尾だったと言うべきだろう。俳優たちもそれぞれに魅力的だったしね。ただ、香盤上のヒロインを演じた女優、初舞台だということだが、演技というものを基礎から勉強し直して欲しい。いや、このTVタレントには、そもそも芝居に対する愛情が希薄なのだ。リハーサル中に彼女を降板させられなかったことだけは、とんでもなく大きな欠点だったと言えるだろう。

劇中、アテルイ(高麗屋、素敵!)は「北の狼」と呼ばれる。「(北の砦)と(南の塔)」を発表したばかりの著者(鞄の中には「るしおる」47号が!)としては、なんとなく親近感を覚えちゃったりして……。

「るしおる」47号!
2002年8月7日(水)

書肆山田から「るしおる」47号の見本が届く。書店には、来週早々には並ぶだろう。白石かずこさんが新境地を拓かれた「浮遊する母、都市」をはじめ力作が揃って厚くなったので、1,200円という特別定価が付けられている。でも、かなりお買い得だと言えるはずだ。

「るしおる」47号に私は、新作「(北の砦)と(南の塔)」を発表した。「三蔵2」創刊号に掲載した「(奴隷船)と(墓地)」に続く作品で、100首の短歌によって構成されている。現時点での私の力を出し切った作品であることは、言うまでもない。後半において IXXI の無辜の死者たち、および失われた風景を鎮魂することもできた。作者としては、一応満足すべきだろう。

IXXI に関連して、すでに私は「全人類が老いた夜」20首(昨年11月に朗読会で発表。テクストは岩波書店刊『21世紀文学の創造G批評の創造性』所収の拙論「詩型のゆくえと批評意識」に引用してある)と「雲隠・光源氏のための挽歌」54首(「ユリイカ」2002年2月号)というふたつの連作を発表して来た。今回の作品はそれらに続くものでもあるわけだが、より透き通った仕上がりになっていると思う。間もなくあの悲劇から一年が経つのだから、当然なのだろうが……。

「るしおる」47号には、岡井隆さんも101首からなる連作短歌「伊太利・旅のあとさき」を発表されている。較べられても困るけれど、ともかく岡井さんの作品と同時掲載された、ということは、今回は拙作を眼にする歌人たちも増えるだろう、ということだ。なんだかどきどきしちゃうね!

美容院に行ったあと、松屋銀座の宮川本廛へ。鰻が焼き上がるのを待ちながら、「るしおる」をゆっくり読んだ。今夜の鰻は、自分自身へのちょっとした御褒美である。

アメリカ、そしてマリリン・モンロー
2002年8月6日(火)

シャンテ・シネで "In the Bedroom" を観る。著作権保有者との交渉が決裂してプログラム冊子(アメリカにはもともとないみたいだけど)が発行されなかった、という映画だが、作品自体も相当に風変りだった。シシー・スペイセクが山ほど主演女優賞を受賞したのも頷けるし、主要な5部門でノミネイトされながらオスカーをまったく獲れなかったのも納得できる作品。アメリカ的な正義の在り方に、反感を覚える観客は少なくないだろうなあ。良くできた映画(スリラーに分類されるべきだと思う)であることは間違いないのだけれど。

そうそう、昨日はマリリン・モンローの四十回目の命日だった。彼女の出演していた映画を考えれば、ハリウッドも遠くまで来たものだと思う。"Monkey Business" 以後の彼女の主演映画12作品("The Prince and the Showgirl" を除く)をセットにしたDVD(その名もたしか『ダイアモンド・アルバム』)が出たが、買っちゃおうかしら!

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2002年8月5日(月)

住民基本台帳ネットワークが稼働してしまった。拙速というか強引というか、ともかくよくないことではあろう。困ったことだ。個人的には、今日ばかりは横浜市民であることがちょっと嬉しいのだけれど。で、タイトルは付けられたら絶対嬉しくない番号の見本。いや、どんな番号でも嫌だけどね!

K と関内の鳥伊勢、ついで Cable Car へ。

濃緑の和蘭芹に魂の臭気あり
2002年8月4日(日)

渋谷ルノアール・マイスペースで開かれた、〈合田千鶴歌集『The Morning After』(砂子屋書房、2002年)批評会〉に、パネリストとして参加。私のほかのパネリストは大野道夫、川野里子、中沢直人、松原未知子の各氏で、司会は田中槐。初めての経験だった、というのは理由にならないかもしれないが、あまり大した意見を言えなかったなあ。ちょっと残念。で、二次会、三次会にも参加。合田さんの話を聞いていると、オランダに移住したくなってくる。

今日のタイトルは、近日中に発表される拙作の中の一首の前半。濃緑は「こみどり」、臭気は「にほひ」と読む。和蘭芹については説明の必要はないだろうが、アスパラガスのことを和蘭雉隠しと言うとは、最近まで知らなかった。

プラハの春、ローマの秋
2002年8月3日(土)

久しぶりに東京宝塚劇場へ。香寿たつきさま(なんて素敵! 正統派の二枚目とお呼びすべきでせうか?)の主演に、彩輝直さま、安蘭けいさま、渚あきさまなどが共演の星組公演で、『プラハの春』と『LUCKY STAR!』の二本立て。『プラハの春』はかなり素っ頓狂な話だが、それでも感動してしまったのは、1968年のプラハの春の悲劇から89年のビロード革命を経て今日まで、チェコの歴史をリアルタイムで見てきたからだろうか。レビューの方は、もちろん楽しかった。私の大好きな黒燕尾服(ただしタイを外した)の群舞もあったしね!

K と青山の Sabatini で晩餐。自家製生ハム、カプレーゼ、ポルチニ茸の自家製フェットチーネ、チーズとクリームであえた二色のニョッキ、アスパラガスのチーズ焼き、ミラノ風の仔牛のコトレット、バナナとチョコレートのタルト、マスカルポーネチーズのタルトなどに、ええと、あれは北の方の赤ワイン。新任の歌手(テノール)が、前の歌手より歌もギターも上手くて、楽しめた。

晩餐をグラッパで締めたのに、折角だからというので、表参道のバー Bloomin' でカクテルを数種類。なんだかゴージャスな一日だった。

ワイルドとヘルダーリン
2002年8月2日(金)

夕立、というか盛大な雷雨に出足を挫かれ、新宿南口の紀伊国屋書店で資料として必要な洋書を三冊(フランス語版の "Salome" とヘルダーリン関連の書籍二冊)購入しただけで、Tops & Saxon で食事をして帰る。

「八朔の雪」は今や「禁じられた遊び」である
2002年8月1日(木)

新暦でも八朔と言えるのかしら? 一度でいいから、いわゆる「八朔の雪」を見てみたかったものだ。

K のアパルトマンで食事をし、遠雷の幽かに響く中、夜遅く帰宅。で、このところ私が気に入っているTV番組を、紹介しておこう。それはフジテレビ木曜深夜(金曜になってから)の、『禁じられた遊び』(篠井英介主演)だ。この番組、かなりいい線いってるのでは?