2003.9.1〜9.30

新しいマラルメ全集
2003年9月30日(火)

出版されたばかりの、プレイヤード叢書版の新『マラルメ全集』第二巻を購入。データは以下の通り。例によってアクサンの類は省略して表記する。

◎Mallarme, OEuvres completes U, Edition presentee, etablie et annotee par Bertrand Marchal, Bibliotheque de la Pleiade, Gallimard, 2003.

詩集を収めた第一巻が出たのは五年も前だが、ともかくようやく出版された第二巻には、"Vathek" や "Divagations" や "La Derniere mode" や翻訳などが入っている。これらの多くは筑摩書房版『マラルメ全集』で読めるが、あの全集はいつまで経っても肝心の第一巻(もちろん、詩が入っている!)が出版されない。どうなっているのかしら?

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今度の土曜日(10月4日)に予定されていた〈朗読千夜一夜〉が、急に延期になった。どうした訳かしらね? ともかく、この日記の読者で聴きに行こうと予定していた方々、よろしくスケジュールを変更してください!

エリア・カザン、夢路いとし、そしてルキウス・アンナエウス・セネカ……
2003年9月29日(月)

昨日、エリア・カザンが亡くなったそうだ。享年94。優れた映画監督であったことは間違いないが、例の件で、やはり心から悼むというわけにもゆかない。残念なことだ。むしろ今日は、25日に78歳で亡くなっていたという漫才の夢路いとしの方に、深く哀悼の意を表したいと思う。夢路いとし・喜味こいしの漫才は、特に近年、神品と評すべき芸域に達していたと言えるのだから。

夜、横浜の〈鳥伊勢〉で焼鳥を食べたのだが、その直前にセネカの悲劇『ティエステス』を読んでいたと言ったら、連れの顰蹙をかってしまった。あんな内容の作品を読んですぐに、美味そうに焼鳥を食べるなんて、どういう神経をしているのか、到底信じられない、というわけ。ううむ、そんなものかなあ? ちなみに『ティエステス』は、シェイクスピアのあの偉大な『タイタス・アンドロニカス』に大きな影響を与えた作品である。

クォーテーションとかマトリモニーとかカントニーズとか……
2003年9月28日(日)

奥村晃作さんが、インターネット上の日記で「三蔵2」第三号に触れてくださった。ありがたいことだ。拙作「(彌撒)と(晩餐)」についても、「現代のラジカルなテーマに正面から挑んだ力篇」という高い評価を与えてくださっているが、「詞書(注記、間奏)を伴う 3首がセットで織り成される 78首の大連作」という紹介には、ちょっと虚を突かれたような思いがする。あの作品は 104首の連作なのだが、奥村さんは、規則的に登場するラテン語の引用入りの短歌を詞書のようなものとして読まれたわけだ。なるほど、そういう読み方もあるのか、と思うと同時に、もともとラテン語の部分は飛ばして読まれてもよいと考えていたわけだから、これはひとつの読み方として間違いではない、とも思う。さらに言えば、これは外国語の引用などという賢しらな仕掛けのある短歌に対する、ただごと歌の歌人からの鋭い批評だと考えるべきなのだろう。さすがは奥村さん、と言わざるを得ない。御批判、肝に銘じますね! 外国語の引用は、でも止めませんが……。ちなみに、「三蔵2」第三号に素晴しい作品「朗読のための五十首」をお寄せいただいた岡井隆さんは、拙作を羅和辞典片手に読み解かれたそうだ。これまた、なんとありがたい!

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「週刊新潮」の今出ている号の結婚のコラムは、友人の道子ちゃん(写真付きの実名報道だから、ここでも名前を出してよいだろう)について。お父上が有名人だから取材されたというわけだろうが、ともかく、めでたいことだ。新郎のザビエルくんには、去年の暮に私もニューヨークで紹介されている。リヨンの大学に属する数学者で、ともかく掛け値なしの好青年だった。道子ちゃん、ザビエル、私、それに日本からやって来ていた道子ちゃんのお友だちの素敵な御夫妻と五人で、オフブロードウェイのショーを観、そのあとミッドタウンのゴージャスなヴェトナム風フレンチのレストランでお洒落な食事をしたのだった。楽しい夜だったなあ!

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友人(もちろん、道子ちゃんではない)の東京のアパルトマンで、日本語 50%、英語 30%、広東語 20%のパーティ。実に楽しい、充実した集りだった。

"Ulysses" の初版は限定 1,000部、『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』は限定 500部、なのだった!
2003年9月27日(土)

注文しておいた下記の本が届いた。

◎James Joyce, ULYSSES, A facsimile of the first edition published in Paris in 1922, Orchises Press, 1998.

要するに、Sylvia Beach の Shakespeare and Company が限定 1,000部で出版した『ユリシーズ』初版(1,000部中の 784番)の復刻版というわけだ。総ページ数 752、24.5p× 19p× 4.5pという大きさのハードカヴァーで、表紙はエメラルドグリーンのクロスに白い箔押。ともかく立派な本である。Chester G. Anderson の Thames and Hudson Literary Lives 版 "James Joyce" には著者による書き込みの入ったこの本の 606ページの校正刷の写真が掲載されているが、その訂正の直り具合(出版時には 609ページから 610ページにずれ込んでいる)を眺めたりして、とりあえずは楽しんだ。最初は Penguin Books 版(あの悪名高い Hans Walter Gabler 校訂版!)で、ついで Everyman's Library 版で親しんできた(もちろん、翻訳の傍らに置いて)作品だが、このエディションがやはり一番好ましいように思われる。"Aeolus" という通称のある新聞記事のスタイルの章など、見出しの活字が実に味わい深かったりするのだ。ともかく、実に素敵な本である。

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経堂のギャラリーイヴで開かれていた〈西山美なコ個展=百花殘る。と、聞きもし、見もし……〉の最終日。夕方、ギャラリーに顔を出した。御来場いただいた方々、イヴ叢書\『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』(西山美なコ・美術/石井辰彦・短歌/佐藤紘彰・翻訳)をお買い上げいただいた方々に、深く感謝申し上げる。イヴ叢書\は、今後も売り切れるまでギャラリーで販売されるほかに、六本木の青山ブックセンター、池袋のぽえむぱろうる、京都の恵文社一乗寺店などでも取り扱っている。より多くの方に読んでいただけると、嬉しいのだが……。ちなみにインターネット上では、奥村晃作さん、荻原裕幸さん、鈴木竹志さんなどが、それぞれの日記で好意的に取り上げてくださっている。ありがたいことだ。

Liszt とか Hugo とか Said とか
2003年9月26日(金)

未明、北海道で大きな地震があった。私はたまたま大阪に出掛けていて、あの阪神淡路大震災を体験しているのだが、あれは本当に恐ろしい瞬間だったなあ!

必要があって、リストの "Annees de Pelerinage" (機械的な都合でアクサンの類は省略したが、要するに『巡礼の年』と訳されるピアノ曲集)の Dover のリプリント版全曲楽譜を購入。"Deuxieme annee: Italie" すなわち「第二年:イタリア」の最終曲「ダンテを読んで」の原題は "Apres une lecture du Dante: Fantasia quasi sonata" だが、リストがインスパイアされたユゴーの詩(詩集 "Les Voix interieures" すなわち『内心の声』所収)のタイトルは "Apres une lecture de Dante" だったはず。フランス語がほとんどわからないということもあって、この違いが気になってしかたがないのだが……。

昨日、エドワード・W・サイードが亡くなったそうだ。67歳というのは、若いなあ! 西洋による自己中心的な東洋支配の様式をオリエンタリズムと呼んだパレスチナ出身のこの批評家は、あの September 11 の悲劇のあと、病身に鞭打って活発な発言を続け、われわれの視線が一方的なものになるのを防いでくれたのだった。その業績は、頌えられなければならない。

若さ、という痛々しさ
2003年9月25日(木)

(あとで書きます)

"Woyzeck" それから "Wozzeck"
2003年9月24日(水)

(あとで書きます)

お彼岸なので
2003年9月23日(火)

お墓参り。我が家の菩提寺は、かつては横浜の海岸にあったのだが、戦後の高度成長期に一体が京浜工業地帯として急速に発展したので、同じ横浜市内ではあるが山の中に引越したのだった。土地が高く売れたおかげで豪華なお寺にはなったのだが、墓参に出掛けるのがいささか不便なのが難点。でも、かつてはのどかな片田舎だった周囲が、今や住宅地になってるってことは、あそこから会社や学校に毎日出掛けている人がたくさんいるってことだよね。ううむ、贅沢な不平ってことか!

反戦ミュージカルを観る
2003年9月22日(月)

青山劇場で、中島かずき作・加納幸和演出のミュージカル『OINARI 浅草ギンコ物語』を観る。出演は宮本信子、中条きよし、村田雄浩、橋爪淳、柳家花緑、大鳥れい、粟根まこと、植本潤、加納幸和ほか。個性の強い役者を集めたのだから、もう少しどぎつくしてもよかったのじゃないかしら? 満州の戦場で展開される八甲田山死の行軍をテーマにしたレビューってのも、ブロードウェイの『プロデューサーズ』におけるナチスのレビューの線を狙っているのだろうけれど、もっと徹底しなくっちゃ。で、結局これって反戦ミュージカルなんだけれど、反戦の訴えが生に出過ぎているようでもあるし……。来月、名古屋の中日劇場でも公演するというけれど、それまでにもっと凝縮してほしい。着想(戦時中の浅草六区や上海に妖力のある狐たちが出没するという趣向)は面白いのだから!

リストを聴きながら
2003年9月21日(日)

リストのピアノ曲を聴きながら過す、気怠い日曜日の午後。宿題がまったく捗らない。

当代の播磨屋
2003年9月20日(土)

歌舞伎座の昼の部を鑑賞。ただし、都合が悪くて一番目の『毛谷村』(梅玉・時蔵)は観なかった。観たのは下記の演目。

◎『六歌仙容彩』より、芝翫・福助の「業平」と富十郎・雀右衛門の「喜撰」
◎『天衣紛上野初花』より、吉右衛門・梅玉の「河内山」

「業平」も悪くはなかったが、さすがに「喜撰」が至芸と頌えるべき出来映え。「河内山」は初代吉右衛門の五十回忌追善の演目だが、当代吉右衛門の河内山も、今や絶品と呼べるだろう。又五郎が和泉屋清兵衛で付き合っていた。そうそう、芝翫が踊っている最中にかなり大きな地震があったが、舞台は粛々と進行、大きな拍手を浴びていたっけ。

「三蔵 2」第三号、完成!
2003年9月19日(金)

「三蔵 2」第三号が完成した。力作揃いの充実した内容だと、自信を持って宣言したい。目次は以下の通り。

◎四方田犬彦「ハディージャ」
◎岡井 隆「朗読のための五十首」
◎小林泰子「ホテル・カリフォルニアの夏」
◎小池昌代「黒い静かな電話」
◎田口犬男「犬男の国のアリス Alice in Inuo's land」「田口犬男の『偉人伝』」
◎石井辰彦「(彌撒)と(晩餐)」
◎四方田犬彦・石井辰彦・小池昌代「偶然」

定価は 1,000円(税込み)。問い合せは三蔵社(151-0053 東京都渋谷区代々木 5-20-23 小池方)へ。池袋のぽえむぱろうる、京都の三月書房など、限られた書店にも置かれる予定。10月4日に築地の兎小舎で開かれる朗読会〈朗読千夜一夜〉、11月8日に白金の明治学院大学で開かれる朗読会でも、販売される予定。

セネカの悲劇を読もうかな!
2003年9月18日(木)

何だか急にセネカの悲劇を読んでみたくなって、昨年新しいエディションになった Loeb 版の戯曲集の第一巻(第二巻は 1917年に出た旧版のままだが、近々新しくなる予定)を購入。出版データは以下の通り。

◎SENECA, Tragedies I, Edited and Translated by John G. Fitch, Loeb Classical Library 62, Harvard University Press, 2002.

この巻に収録されているのは、"Hercules" すなわち『ヘルクレス』、"Troades" すなわち『トロイアの女たち』、"Phoenissae" すなわち『フェニキアの女たち』、"Medea" すなわち『メデア』、"Phaedra" すなわち『パエドラ』の五作品。言うまでもないことだが、シェイクスピアなど後世(もちろん、ある時期までの、だが)の劇作家に与えた影響という点では、セネカの悲劇はアッティカ悲劇を遥かに凌いで重要なわけで、現代においてももっと広く読まれてしかるべきだろう。幸い邦訳が京都大学学術出版会の西洋古典叢書に入っているので、日本でも簡単に楽しめるようになっている。ありがたいことだ。

今回は素直にブラヴォ! しかし過去の思い出が……
2003年9月17日(水)

NHK ホールで、来日中の Teatro alla Scala のもう一本の演目、"Otello" を鑑賞。『マクベス』と同じくグレアム・ヴィックの演出(2001年初演)だが、今回は音楽ばかりでなく、舞台そのものを楽しむことができた。エツィオ・フリジェリオの機能的な装置(スカラ座は基本的に一度に一杯しか道具が組めないので、その道具をいろいろ変化させて使うことになる。現在進行中の改築でステージがふたつに増えるそうだが、ともかくフリジェリオの今回の装置は、よく出来ているといえるだろう。日本だと、オテロの立ち聞きの場面などミラノ同様には出来ないみたいだが)のお陰が大きい。フランカ・スクァルチャビーノの豪華な衣裳も、効果的だった。

演奏は、『マクベス』同様、さすがにスカラ座と言うべき高水準にあった。いつ聴いてもこの作品は変なオペラだとは思わずにいられないが、ともかくヴェルディの書いた音楽は『マクベス』など比較にならないほど充実しているわけだから、さらに楽しめたと言える。リッカルド・ムーティ指揮のオーケストラとコーラスは、いつもながら驚嘆すべき力を発揮していた。優れた歌唱を示した独唱陣は、主要な役のみ書けば、オテロにクリフトン・フォービス、ヤーゴにレオ・ヌッチ、カッシオにチェーザレ・カターニ、デズデモナにアンドレア・ロスト、エミリアにロッサーナ・リナルディなど。日本公演の楽日ということで、招聘元の NBS 好み(というか、プロデューサーの佐々木忠次さん好み)の派手なカーテンコールが付いていた。

でもね! もう20年ほども前になるが、同じスカラ座の公演で、ゼッフィレッリの演出と美術(!)、カルロス・クライバーの指揮(!)、タイトルロールはまだ上り坂にあったドミンゴ(!)という夢のような『オテロ』を体験してしまっている身としては、あの舞台を懐かしく思う気持ちを否定することができない。最高の舞台を経験してしまう、というのは、不幸なことなのかもしれないね。ああ!

またしても鰻!
2003年9月16日(火)

お昼に築地の竹葉亭本店で、鰻の蒲焼と鯛茶漬を食べる。六日間で三回の鰻ってのは、茂吉的と言えるのかな?

パーティ、それからカジノ
2003年9月15日(月)

(あとで書きます)

夏休みの宿題
2003年9月14日(日)

明治学院大学の〈読む短歌・詠む短歌〉では、夏休みの宿題を出している。自由な題材で三十首以上の連作をつくる、というものだが、「先生」である私も、つくらなくっちゃね。テーマは、9月6日にさいたま芸術劇場とシアターコクーンを梯子していてようやくひらめいたのだが……。「学生」のみなさんも、苦吟中かな?

ピンダロス、それから鰻
2003年9月13日(土)

Loeb 版の原文と英訳を参照しながら、西洋古典叢書版のピンダロスを少し読む。二年ほど前に出た本(Loeb 版はさらに数年前)だが、折に触れて数篇の詩を読み返すと、なにやら心が洗われるように思われる。古典とは、そういうものなのだろう。

野田岩で、養殖鰻の白焼と天然鰻の蒲焼の、ちょっと贅沢な晩餐。そう言えば、一昨日にも(精進料理ではなく!)鰻を、宮川本廛で食べたのだった。

アラファト議長、追放?
2003年9月12日(金)

イスラエル政府が、パレスチナのアラファト議長の「追放」を決定したそうだ。なにを考えているのやら! 

哀しみの日
2003年9月11日(木)

もう二年、と言うべきか、まだ二年、と言うべきか……。ともかく、今日は September 11th である。二年前のあの日、世界は変り、私も変ったのだ。

(この項、つづく)

明日を前にして
2003年9月10日(水)

September 11 の悲劇で御子息を亡くされたという住山一貞という方の英訳付き歌集『グラウンド・ゼロの歌』(創英社/三省堂書店、2003年)を読む。技術的にはアマチュアの作品集に過ぎないとも言えるが、詠まれた状況が状況だけに、言いようのない厳粛な読後感に誘われた。子息の杉山陽一氏は当時の富士銀行ニューヨーク支店に勤務していて、テロに遭遇したとのこと。翌年 DNA 鑑定によって死亡が確認されたとかで、享年は三十四。夫人との間にはふたりの男の子があり、事件の半年後に三人目の男の子が生れたということだ。標題に原爆の爆心地という意味で使われてきたグラウンド・ゼロという言葉を敢えて使うことについて、住山氏は次のように書いている。「東西のグラウンド・ゼロを結ぶ最大の共通点はなにか。それは歴史の非情の中に抹殺される者は常に無名で平凡な、しかし真摯に生きようとしている人間だということではないのか。その思いをこめて、私はこの作品に『グラウンド・ゼロ』の言葉を使うこととした」と。あの悲劇に巻き込まれてしまった人間の発言として、心に刻んでおきたいと思う。

さらに言っておこう。歌人としては私はこの歌集を、あのテロに際してテロリストを支持した大辻隆弘や高島裕といった歌人たちに読ませたいと思う。あの日、あの悲劇を知って「壮快」だと感じ、それを歌に詠み、発表し、あまっさえ歌集に収録して恥じない大辻隆弘を、歌人としても人間としても、私は赦せない。あの日命を落とした数千人の無辜の死者と、住山一貞氏を含むその遺族も、彼を赦さないはずだ。住山氏の想いによって WTC の死者たちと繋がった広島・長崎の死者たちも、おそらくは赦さないだろう。私はそう信じないではいられないのである。

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月があまりにも冴え冴えとかがやく夜、関口芭蕉庵で、例によって素人が集まった句会。と言っても今回は、小澤實宗匠がゲスト出演してくれた。ありがたいことだ。で、なんと今回は拙句が第一席を獲得してしまったのである。以下のような句だ。

  初物の梨の手ざはり荒々と

音楽だけにブラヴォ!
2003年9月9日(火)

東京文化会館で、来日中のスカラ座の公演(招聘はNBS)を鑑賞。演目は "Macbeth" で、指揮はもちろんリッカルド・ムーティ。この作品、完成度が高いとはちょっと言いにくいわけだが、音楽的には大いに満足すべき出来映えだった。独唱陣も頑張っていたが、何と言ってもオーケストラ、さらにはコーラス(合唱指揮はブルーノ・カゾーニ)がさすがに凄い。第四幕冒頭のスコットランド亡命者たちの合唱など、鳥肌の立つ見事さだった。主な配役は、マクベス(マクベットと発音するのかな?)にアルベルト・ガザーレ、バンコにイルダー・アブドラザコフ、マクベス夫人にパオレッタ・マッローク、マクドゥフに今を時めくサルヴァトーレ・リチートラ。

しかしグレアム・ヴィックの演出(1997年初演)は、ちょっと納得できなかった。このオペラは、『ドン・カルロ』のように豪華なコスチュームプレイとして上演しなければならないというわけではもちろんないが、しかし今回の、中央に巨大で邪魔な立方体の置かれた装置や平板な色彩の衣裳には、失望させられたと言わざるを得ない。美術と衣裳は、あのミュージカル『オペラ座の怪人』の装置で知られるマリア・ビョルンソンで、昨年53歳の働き盛りで亡くなった彼女を悪く言いたくはないのだが、これはともかく失敗だと思う。せっかく第三幕の魔女のバレエをカットしなかったのに、それも変な踊り(振付はロン・ハウエル)になっていたし……。もちろん、バレエの音楽そのものは堪能できたのだが。アッバードの時代にはスカラ座では、『マクベス』はジョルジュ・ストレーレルの演出で上演されていた(マクドゥフをドミンゴに入れ替え、あとはこの演出の初演のキャスト、すなわちアッバードの指揮にカップッチッリ、ヴァーレット、ギャウロフで録音されたDGのLPは、かつて私も楽しんだものである)のだが、あの演出でこそ持ってきてほしかったと思ったのは、私だけではないに違いない。

律義に三回インターミッションを取る公演なので、午後6時開演(早過ぎる!)で終演は10時をまわっていた。先月31日の初日にはどこかの国のプライムミニスターが来場したせいで、さらに30分長くかかったのだとか。おいおい!

思慮深げなところのある痩せた少年!
2003年9月8日(月)

「新潮」に短期集中連載というかたちで発表されてきた四方田犬彦の「ハイスクール 1968」が、10月号の第三回で完結した。〈僕たちの〉あの時代が見事に定着された、傑作だと思う。一気に読了してしまった。

実は今回の掲載分には、ほかならぬ私自身が登場する。四方田犬彦と私=石井辰彦は、ここに書かれてある通り、ふたりとも予備校生だった1971年の秋に出会ったのだ。高校時代以前の友人と会うことはもう滅多にないので、実質上彼が一番古い友人ということになる。感無量、とはこのことかしら? かつての「思慮深げなところのある痩せた少年」(私のこと!)も、今や愚かさのみが増さりゆく肥った中年である。

「新潮」10月号の特集は「折口信夫没後五十年」。この3日が五十年祭だったのだが、ともかく、そういう特集の組まれた雑誌で少年時代の私が回顧されているというのには、因縁とでもいったものを感じないではいられない。四方田犬彦も引用している通り、1973年に私が「現代短歌大系新人賞」という賞を受賞した際、選者のひとり中井英夫はこう私を評しているのである。「まるで冥府から釋迢空と三島由紀夫が相談して送ってよこしたよう」だと!

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初物の松茸を、天麸羅で食べた。考えてみれば、今年は西瓜を食べずに夏が終ってしまったのだった。あらまあ!

戦略的人選、とか、志ある出版社、とか……
2003年9月7日(日)

長野県佐久市という出版社としては変った場所に腰を据えて刺激的な活動を続けている邑書林から、《セレクション歌人》というシリーズが刊行され始めた。「藤原龍一郎・谷岡亜紀完全プロデュース」とうたわれていて、全三十三冊+別冊一(別冊は歌論集になる予定)という編成。一作家一冊の作品集となっているので、収録される作家数は三十三。各冊に短歌五〇〇首、散文四〇枚、略歴、初句索引が収められ、二名のプロデューサーのどちらかが書き下ろした作家論が併録されることになっている。四六判並製(ジャケットは二色刷に墨箔押)、本文160ページに作家の写真が口絵として付き、定価は1,300円(税別、別冊は特別定価)。北見隆のデッサンを用いた装幀は間村俊一。で、第一回配本二冊のうち、『31 吉岡生夫集』が今手元にあるのだが、なかなか好ましい本だ。『勇怯篇 草食獣・そのV』(短歌新聞社、1988年)が完本で収録され、そのほかの四冊の歌集が抄録されている。散文は、五章からなる「秋の歌人・長塚節覚書」。藤原龍一郎執筆の作家論「無敵の草食獣」が例によって行き届いていて、読者にとってはナヴィゲーターの役割をきちんと果たしてくれるはずだ。初句索引は、現代の作家なんだもの、必要ないと思うけどね!

しかしなにより興味深いのは、収録される三十三名の歌人の人選だろう。生年で言えば1950年生れの沢田英史から1975年生れの永田紅までが選ばれているのだが、歌壇内外の知名度にはほとんどとらわれない、過激なまでに地味な顔触れになっている(ただ、それが寂しい感じにならず、充実した雰囲気さえあるのが面白いところ)のである。同じ世代に属していても、華やかな活躍で注目度の高い歌人は周到に排除され、マイナーポエットと言っては語弊があるが、存在感が強いとは言いにくい歌人が積極的に選ばれているのだ。もちろん、その作品には読む価値が十分あるのであって、そこのところをふたりのプロデューサーが名前を出して保証しているというわけだろう。陽の当らない優れた仕事に照明をあてようという戦略的な人選として、高く評価したい。もっとも、さらに高く評価したいのは、商売として成り立たせるのが大変なのが目に見えているこのようなシリーズを果敢に出版する、邑書林という出版社である。奥付に編集担当として名前が挙げられているのは俳人でもある島田牙城だが、ともかく志ある企画として応援したいと思う。

余談ながら、この四月にあるパーティでこのシリーズのプロデューサーのひとりである谷岡亜紀に紹介されたのだが、彼は私のことをまったく知らなかったらしい。ううむ! まあ、私はマージナルな歌人だし、地味な性格でもあるから、無理もないことなのかなあ……。もう少し派手になろうっと!

キリアン、それからニナガワ!
2003年9月6日(土)

パフォーミングアーツの梯子をすることになってしまった。どちらも必見と言える舞台なので、苦にはならないけれどね。

まず、都会の喧噪から遥かに離れた与野本町という田舎町(田舎って差別用語かしら? でも、こう表現せざるを得ない長閑な町である)にある、極めて充実した活動で知られる彩の国さいたま芸術劇場へ。ここへ来るのは、まさに地の果てへ来るという感じだが、それはともかく、そこで鑑賞したのは "KYLIAN PROJECT for SABINE" と題されたプログラム。イリ・キリアンが振り付けた(舞台美術も担当)二作品、昨年の9月23日にさいたま芸術劇場で世界初演された "WHEN TIME TAKES TIME" と、今年の9月5日、つまり昨日さいたま芸術劇場で世界初演された "FAR TOO CLOSE" の二作品が、休憩を挟んで続けて上演された。両作品とも、ダンサーは、三十年以上にわたってキリアンのパートナーであり続けているサビーネ・クップファーベルクと、エゴン・マドセン。西洋の舞踊のダンサーとしては既に老境にあるふたりの、年齢から来る無惨さと背中合わせになった豊かさや強さが、特に印象的だった。音楽はディルク・ハウブリッヒ、衣裳はヨーク・フィッセル、照明デザインはケース・チェブス、キリアンのアシスタントはデイヴィッド・クルーゲル。静謐な悪夢をふたつ続けて見たような、不思議な感覚に陥ったと言っておこう。

***

与野本町から渋谷までの電車でひと眠りし、Bunkamura のギャラリーで建石修志さんのゴージャスな個展を観る。ついでに Bunkamura ザ・ミュージアムで《フリーダ・カーロとその時代 Women Surrealists in Mexico》展のカーロの作品のみを急ぎ足で観た。

***

夜、Bunkamura シアターコクーンで、大竹しのぶをタイトルロールに迎えた蜷川幸雄演出のソポクレス『エレクトラ』の初日を観劇。出演は大竹しのぶ(エレクトラはこの人のために書かれたのでは、というくらいのはまり役)のほかに、クリュタイムネストラに波乃久里子(新境地を拓いて流石)、オレステスに岡田准一(一回目の出ではディクションが悪くてどうなることかと思ったが、二回目の出ではひたむきな若者をきちんと造形していた。この場面で相手をする大竹しのぶのお陰もあるかな? 将来が楽しみ、かも)、クリュソテミスに山口紗弥加、守役に塾一久、アイギストスに原康義、ミケーネの女たちのコロスに市川夏江をはじめとする16名、など。台本は現代ギリシア語訳からの山形治江の重訳、美術は中越司、照明は原田保、衣裳は前田文子、などなど。アテネに持っていって上演する計画があるらしいが、ともかく見事な舞台だと言える。

開演前「凄く楽しみです。だって『エレクトラ』は中学生の頃から親しんでるんですから」と申し上げたら、蜷川さんは「それは大変だ! でも、まったく新しい『エレクトラ』ですよ」と、自信のほどを示されていたが、なるほどね! 熱い血の通った、驚異的な舞台に仕上っていた。今回は役者たちが全員ほとんどノーメイクに見えるのが特徴的だったが、この一事に示されているように、装飾を極力廃した、むきだしの暴力と悲劇性が生々しい舞台である。

そう言えば、また宣伝になっちゃうけれど、近日発売の「三蔵 2」第三号に掲載される拙作「(彌撒)と(晩餐)」にも、オレステスが登場する。数日前に触れたカパネウスと違い、名前まで出てきたりするのだ。最初に親しんだ『エレクトラ』はソポクレスのでもエウリピデスのでもなく、ホフマンスタール/シュトラウス組のだったけれど(アッティカ悲劇を全集で読んだのは高校生の時だ)、あの哀しい物語から大きな影響をこうむり続けて来たことは、ともかく間違いない。

***

終演後、小林恭二さん一行と〈龍の髭〉で食事。再来年の二月、小林さんの戯曲が蜷川さんの演出でシアターコクーンの舞台に掛かる予定なんだとか。成功すると素敵だね。で、いつの日かエルサレムに一緒に行こう、なんて話題で盛り上がる。

ほんの少しだけドライに!
2003年9月5日(木)

丸の内ピカデリー 2 で、ジョージ・クルーニー初監督の映画 "Confessions of a Dangerous Mind" (邦題『コンフェッション』)を観る。製作総指揮はスティーヴン・ソダーバーグで、脚本は今を時めくチャーリー・カウフマン。出演はドリュー・バリモア、ジョージ・クルーニー、ジュリア・ロバーツ、サム・ロックウェル、ルトガー・ハウアーほかで、ブラッド・ピットとマット・デイモンがちらっと姿を見せる。The Dating Game や The Gong Show で名高い TV プロデューサー、チャック・バリスの、副業に CIA のエージェントをやっていて 33 人もの人間を殺したという内容の自伝(ちゃっかり unauthorized と明記されているらしい)の映画化で、監督第一作としては上々の出来だと言えるだろう。ただ、嘘だか本当だかわからないこの手の原作の映画化としては、ちょっとウェットになりすぎたかな? ロックウェル演ずるバリスにあんなに悩まれては、観客としては楽しめない。同じ奇想天外な話の映画化としては、さすがにスピルバーグの "Catch Me If You Can" の方が一枚上手だったような。からっとしていてシャープだったものね!

〈西山美なコ個展〉へどうぞ!
2003年9月4日(木)

夏休み中だった〈西山美なコ個展・百花殘る。と、聞きもし、見もし……〉が、今月に入り再オープンしています。この機会に、是非御覧下さい。詳しくは以下の通り。祭日でない火曜から金曜はお休みですので、御注意下さいね。

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西山美なコ個展
百花殘る。と、聞きもし、見もし……

2003年9月1日(月)―9月27日(土)
土曜・日曜・月曜・祭日11時―19時開廊(13時―14時休憩)

「かわいい」「ピンク」といった少女性を表す言葉で語られると同時に、「みだら」「猥雑」という性的欲望の視線をまとってきた西山美なコ作品。
今回出品の「Sugar」シリーズは歌人・石井辰彦とのコラボレーションにより、砂糖菓子で作られた薔薇の花、王冠、ティアラの甘く美しく可憐な姿が、時間とともに溶けて崩れてゆく、その存在のはかなさと残酷さを呈示します。

同時刊行
イヴ叢書\『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』
西山美なコ・美術 石井辰彦・短歌 佐藤紘彰・翻訳
500部刊行・限定番号印字・定価3,500円(税込)

ギャラリーイヴ
〒156-0052 東京都世田谷区経堂 1-23-9
Tel. 03-5426-2787 Fax. 03-5450-0701
小田急線・経堂駅南口より徒歩3分

*****

なお、上記イヴ叢書\『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』は、東京・池袋のぽえむぱろうるでも取り扱っています。ここにはサンプル本が置いてありますので、中を見ることが出来ます。御利用下さい。

「三蔵 2」第三号のお知らせ!
2003年9月3日(水)

いよいよ今月下旬に、「三蔵 2」第三号が発行されます。内容は以下の通り。

◎四方田犬彦:ハディージャ
◎岡井 隆:朗読のための五十首
◎小林泰子:ホテル・カリフォルニアの夏
◎小池昌代:黒い静かな電話
◎田口犬男:犬男の国のアリス Alice in Inuo's Land/田口犬男の「偉人伝」
◎石井辰彦:(彌撒)と(晩餐)
◎石井辰彦・小池昌代・四方田犬彦:偶然

ちなみに岡井隆さんの作品は、今年の五月に朝日カルチャーセンター・横浜で朗読された書き下ろし作品「親子といふ題の朗読のための二十首」と、六月に marathon READING 2003 で朗読された書き下ろし作品「溺れるものはさくらんぼでも掴むといふ話」30首とを併せたもので、活字化されるのはもちろん今回が初めてです。また、巻末の「偶然」というのは、同人競作のエッセイです。

拙作「(彌撒)と(晩餐)」は、全部で104首の連作。「るしおる」50号(書肆山田)に発表した「(water)and(stones)」の続きでもあります。今回は欧文の引用がラテン語に限られている(ギリシア語からそのままラテン語に取り入れられた言葉はありますが)上に、その半分はひろく知られている言葉で、しかもそれが規則的に登場します。したがって、いつもより読みやすいのではないでしょうか。もちろん、欧文の引用はとばして読んで一向に構わないのですが……。

「三蔵 2」は、東京・池袋のぽえむぱろうるや京都の三月書房など、ごく限られた書店にごく限られた部数置かれる予定です。確実に入手するためには、書店または発行元への予約をお薦めします。発行元の三蔵社の住所は、以下の通り。定価は1,000円(税込み)の予定です。

◎三蔵社 151-0053 東京都渋谷区代々木 5-20-23 小池方

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夕方、美容院に行こうとしたら時ならぬ盛大な雷雨で立ち往生。国会議事堂が落雷でちょっとだけ破壊されたのは、堕落した政治家たちへの天罰、ないしは警告かしらね? そう言えば、上記の拙作「(彌撒)と(晩餐)」にはカパネウス(テーバイ攻めの七王のひとりで、ダンテの地獄にも登場する)が出てくるのだが、彼を撃ち滅ぼしたゼウスの雷、というのは、今日のみたいに派手だったのだろうか、と思えるほどに凄い雷雨ではあった。で、結局、鰻を食べて帰る。やれやれ!

というわけで、なんだか三日続きの岡井隆さん関連の記述になってしまった。

岡井さんの新歌集
2003年9月2日(火)

著者をまじえ、岡井隆さんの新しい歌集の打ち合せ。間違いなく、素晴しい歌集になるだろう。

歌文集と全詩集
2003年9月1日(月)

「現代詩手帖」9月号に、荻原裕幸さんが「閉じることの解消として」というタイトルで岡井隆さんの近著『旅のあとさき、詩歌のあれこれ』(朝日新聞社)の書評を寄稿している。荻原さんは「詩歌集と詩歌論を一体化した本がなぜほとんど出ないのか、ということがずっと気になっていた」のだそうで、「歌文集『旅のあとさき、詩歌のあれこれ』は、そのような試行をかたちにした一冊である」と書く。言われてみればたしかにそうだ。で、荻原さんの示唆する通り、こういうかたちの歌文集には、大きな可能性があるのではないか、とも思われる。たとえば、インターネット上で日記を発表している歌人が、短歌に、それが創作された時期の日記を併せて編集し、一冊の歌文集に仕立てて発表する、なんてのはどうだろう。かなり面白いものになるのではないだろうか。

ちなみに「現代詩手帖」は、9月号と10月号の二号連続で、吉本隆明を特集する。版元の思潮社が『吉本隆明全詩集』(1812ページもある大冊で、定価も税抜きで25,000円だとか!)を上梓したのに連動した企画だ。でも、私は吉本隆明をまともに読んだ経験がない。高校生の頃、現代詩文庫の彼の巻を読んだが、印象に残っていないし……。相性が合わなかった、ということか、きちんと出会うことができなかった、ということか、まあ、こういうこともあるだろうね!


2003.8.1〜8.31

またしても、テロ!
2003年8月31日(日)

一昨日、イラクのナジャフにあるアリ廟というモスクで、大規模な爆弾テロがあった。テロリストは虐殺の相手を選ばない。忌まわしいことだ。

海賊と宝石と晩餐と
2003年8月30日(土)

丸の内ピカデリー 1 で、ゴア・ヴァービンスキー監督の "Pirates of the Caribbian: The Curse of the Black Pearl" (邦題は『パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち)を観る。主演はジョニー・デップ、ジェフリー・ラッシュ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ。ともかくものすごく上出来のエンターテインメントで、大いに楽しめた。文句なく面白い!

銀座の大通りと二丁目の西側の角に最近オープンした〈カルティエ〉を見物。欲しい物が一杯! ああ、お金持ちに生れていたら……。ちなみにこの四つ角(銀座通りと二丁目および三丁目の交差点)、すでに三丁目の東側(松屋の北の角)に〈ルイ・ヴィトン〉が営業中の上に、三丁目の西側(以前、鐘紡だったりワーナーブラザーズだったりしたビルのあった場所)には〈シャネル〉が自社ビルを建設中。これでもうひとつのコーナーの三共薬局が何かゴージャスなお店になったら、ある意味で素敵なのにね! ちなみに、近藤書店とイエナがあったビルには〈ディオール〉が入るらしい。

友人数人と、龍土町(と言うか、現在は西麻布)の〈まんざら〉というお洒落な店で、シャンパンを飲みながら創作和食の晩餐。夜の六本木ヒルズをちょこっと散歩してから帰る。この新しい街の〈ルイ・ヴィトン〉も、オープンが近いようだ。こういう店がいくつも出来、繁盛しているところを見ると、私以外の日本人はみんなお金持ちなのかしら、と疑わないではいられないなあ!

中華街で晩餐
2003年8月29日(金)

中華街の北京飯店で晩餐。来年の2月1日に開業する元町中華街駅は、北京飯店のすぐそばだが、そうなると直通運転の東急東横線でやってくる客で、この店も今より混むことになるのだろうか? お気に入りの店ゆえにあまり混んで欲しくない、というのは、常連客の我が儘だろうけれど。

火星・北京・虐殺者の地獄
2003年8月28日(木)

昨日は六万年ぶりの火星大接近だったらしい。そんな恐ろしげな日に始まった北京の会議が、戦争になど発展しませんように!

大阪では、小学生を八人も虐殺した一種のテロリスト宅間守に死刑が宣告された。死刑という制度の是非はともかくとして、極刑は当然だろう。少しも改悛した様子がないことが非難されているが、遺族や被害者の心中は察するに余りあるが、私は宅間守は改悛しなくてもよいと思う。もし地獄があるとしたら、改悛しない宅間守は必ずそこへ行くことになるはずだし、彼が改悛しないことで数倍した日本人の大多数の憤怒の総量が、彼を地獄のさらなるデプスへと追い込むことになるはずだからだ。いずれにしても、痛ましい事件の不愉快な結末ではある。

フィンランド現代音楽、咲き誇る!
2003年8月27日(水)

昨夜にひきつづき、サントリーホールのサマーフェスティバル。今夜は大ホール(ステージの床を張り替えたのかしら?)で、[音楽の現在]の管弦楽コンサート。フィンランドの五人の作曲家の作品(全曲日本初演)が演奏された。ヴェンナコスキの作品など、今年の6月4日にエサ=ペッカ・サロネンの指揮でヘルシンキで初演されたばかりだとか。演奏は秋山和慶指揮の東京交響楽団(クラリネット独奏は十亀正司、コントラバス独奏は永島義男、ヴァイオリン独奏は大谷康子)。面白い、充実したコンサートだった。プログラムは以下の通り。

◎ユッカ・ティエンスー:《オーケストラのための前奏曲「夜明け」》(2000)
◎キルモ・リンティネン:《クラリネット、コントラバスとオーケストラのための二重協奏曲》(2002)
◎ロッタ・ヴェンナコスキ:《サカラ》(2003)
◎ウルアス・プルッキス:《魅惑の園 オーケストラとヴァイオリンのための8章の音楽物語》(2000)
◎セッポ・ポホヨラ:《トゥララーラ》(2000)

終演後、会場で出会った友人と軽い食事。兎のテリーヌ、ブレス産の鶏のポワレ、無花果のタルトなどを食べた。友人はワインで煮込んだ牛の頬肉を食べていたっけ。

We are small country, but music life is strong.
2003年8月26日(火)

サントリー財団のサマーフェスティバル 2003 の、[音楽の現在]は今年はフィンランドの作曲家の作品を特集している。今日はその室内楽コンサート(サントリーホール小ホール)。マグヌス・リンドベルイとカイヤ・サーリアホの作品集(全曲日本初演)で、プログラムは以下の通り。初来日のアヴァンティ!室内オーケストラ(指揮とヴァイオリン独奏=ヨーン・ストールゴード)が、素晴しい演奏を聴かせてくれた。

◎リンドベルイ:《…タルチュフからだと、私は思う》(1981)
◎リンドベルイ:《蒸気船ビル号2世》(1990)
◎サーリアホ:《光の弧》(1985-86)
◎サーリアホ:《ノクターン》(1994)
◎サーリアホ:《睡蓮(秘密の園V)》(1987)
◎リンドベルイ:《コレンテ(中国版)》(2000)

考えてみれば、現代音楽に占めるフィンランドの音楽家たち(作曲家も演奏家もあわせて)の存在は、いかにも大きい。無料で配布されたプログラムに、駐日フィンランド大使エーロ・サロヴァーラ氏が「フィンランドは小国ですが、人々は豊かな音楽生活を享受しています」と書いている。英文では We are small country, but music life is strong. となっているが、まさにこういう国こそ真の大国、真に strong な国だと言えるのではないだろうか。日本の総理大臣も、音楽が好きならなおのこと、こういうコンサートにこそ進んで出席すべきだろう。音楽家たちにはもちろんだが、こういう優れた音楽家たちを育てた国と国民には、敬意を表さずにはいられない。

鰻聖! そして何と、ミルク鰻丼!
2003年8月25日(月)

「芸術新潮」9月号の特集は、〈森村泰昌が語る伝説の女性画家フリーダ・カーロのざわめき〉。で、これもとっても面白いが、今回は四方田犬彦の連載〈あの人のボナペティ〉に触れておきたい。なんたって今回のタイトルは、「斎藤茂吉のミルク鰻丼」というのだから!

ここで筆者は、西のギュンター・グラスに対して、茂吉を東の〈鰻聖〉と読んでいる。これ、本当に存在する言葉なのだそうだが、たしかに茂吉に相応しいよね。没後50年ということで、茂吉に関してはいろいろな文章が書かれているが、これが最高の追善の文章だと言えるのではないかしら。

でも、茂吉が特に戦時中に好んで食したというミルク鰻丼は、ちょっと食べてみたくはないような……。丼によそった冷飯の上に、今も製造販売されているという浜名湖食品のうなぎ蒲焼缶詰の中身を乗せ、そこにホット・ミルクを注いで紅生姜を添える、というもの。ううむ! 現代の茂吉(鰻好きの歌人、ということで)を自認する小生としては、やはり一回は賞味してみるべきなのだろうか。悩ましい問題だ!

ちなみに、来月刊行予定の「三蔵 2」第 3 号に掲載の拙作「(彌撒)と(晩餐)」には、鰻を詠んだ短歌が一首登場する。茂吉の詠んだ鰻の歌とは趣が違うけれど、まあ、御一読ください!

充実した一日
2003年8月24日(日)

で、夕御飯を食べるのを忘れてしまった!

ペトロニウスとかアポコロキュントシスとか
2003年8月23日(土)

ペトロニウスの一部分を読み返したり、メリルの詩を摘み食いしたり、という一日。ペトロニウスと言えば、この秋、フェリー二の『サテュリコン』と『ローマ』が DVD 化されるそうだ。それと、岩波文庫版のペトロニウスにも Loeb 版のペトロニウスにも、セネカの『アポコロキュントシス』がおまけに付いているのは、面白いことだよね。私はこの『アポコロキュントシス』というタイトルの音が、なんだかとっても好きなのだ。

一国の総理大臣がバイロイト詣でをするのはいかがなものか、という話
2003年8月22日(金)

日本の総理大臣が、バイロイト音楽祭まで『タンホイザー』を鑑賞しに行ったのだとか。これって、いいのかしら? 彼がオペラ好きなのはわかるけれど、バイロイトにはやはり行くべきではないと思う。あそこはナチスの記憶がまだ濃厚に残っている場所なのだから。エスコートしたのはドイツの首相だが、あの国の首相がバイロイトを訪れるのも、戦後はじめてのはずだ。ともかく、軽率なことだとは言える。靖国神社参拝と同じ感覚なのかな? まあ、演目が『マイスタージンガー』でなかったのが、せめてもの救いだったと言うべきか。やれやれ!

バイロイト音楽祭の名誉のために言っておくが、あれはとてもすばらしいフェスティヴァルだ。あそこで収録された録音や映像(クナッパーツブッシュ指揮の『パルジファル』、ベーム指揮の『トリスタン』や『リング』、シェロー演出ブーレーズ指揮の『リング』など、名演の枚挙に遑がない)に、わたしはどれほど影響されたか知れないし、一生に一度は訪れたいとも思う。しかし、現役の政治家は、やはり〈バイロイト詣で〉は慎むべきなのではないだろうか。特に首相はね!

子ども連れで!
2003年8月21日(木)

分れた連れ合いが急用ができたと言うので、久しぶりに会う下の子を連れて、青山劇場にミュージカル『シンデレラストーリー』を観に行く。脚本=鴻上尚史、演出=山田和也、音楽=武部聡志、作詞=斉藤由貴、振付=前田清美、出演=大塚ちひろ、井上芳雄、デーモン小暮閣下ほか。大人がひとりで観るのにはちょっとどうかと思うけれど、子ども連れ、家族連れで観るのには相応しい、よくできた作品ではある。でも、やっぱりもうちょっと捻ってあってもよかったかなあ……。

なんてね、上の記述にはほんの少し〈嘘〉が混ぜてあります。だって、急に暑くなっちゃったんだもん!

六本木ヒルズで素敵なパーティ/またしてもテロ!
2003年8月20日(水)

六本木ヒルズのグランド・ハイアットで、中村雀右衛門さんのお誕生日のパーティが盛大に開かれた。何と83歳! 司会者に38歳だと紹介されていたが、たしかに京屋の旦那は、舞台の上では38歳どころか18歳でも通るだろう。10月の歌舞伎座では雪姫を演じられるそうだし……。真に奇跡的な存在である。心からおめでとうと言わなければならない。

パーティのあと、久しぶりに表参道の Bloomin' へ。ブランデーをシャンパンで割ってビターを入れたカクテル〈シカゴ〉などを楽しむ。

***

バグダッドの国連本部でおぞましいテロが発生した。やりきれないことだ。イスラエルでも大きいテロが起って、和平どころではなくなっているようだし……。いずれ日本人もまた犠牲になるだろう。それも、2001年9月11日の惨劇(多くの日本人が命を落した)よりさらに直接的なかたちで……。そんな事態になっても、なお「壮快」などと叫ぶ人間はいそうだけれどね。やれやれ!

天空の城への橋
2003年8月19日(火)

新橋演舞場で、Inouekabuki Shochiku-mix『阿修羅城の瞳 BLOOD GETS IN YOUR EYES』を観る。特に贅沢な装置と照明が印象的だった。スーヴェニア・プログラムが贅沢すぎるのは、困ったことだけど。作=中島かずき、演出=いのうえひでのり、出演=市川染五郎、天海祐希、伊原剛志、夏木まり、ほか。最初の10分ほどは、その飛んでいる世界に馴染めずにちょっと恥ずかしい感じがするが、慣れてしまえばこちらのもの、大いに楽しめた。それにしても、天空に浮ぶ鬼の城=阿修羅城への入口である橋が夜空に出現する場面は、感動的だったなあ! 

ヘルメスのサンダル
2003年8月18日(月)

「るしおる」50号を眺めていて、ジェイムズ・メリルの詩「遺言書」に次のような部分があるのに気が付いた。

  ヘルメスのサンダルを思わせるその翼、杖に巻きつく
  蛇のような首、それは相手を突き刺しつつ逃がしてやる猟師…

同じ号に発表した拙作「(water)and(stones)」にも「泥棒の神さまのサンダル」という表現でヘルメスのサンダルが言及されているので、なんだか不思議な感じがしたのである。メリルは、オカルト詩人だも言えるわけだしね! なお、メリルの原詩 "The Will" には、ヘルメスという名詞そのものは出てこない。原文も引用しておこう。

  Winged like a sandal, necked like the snakes on a wand,
  Stalker that spears and spares. . .

二行目の and はイタリック。1976年に出版された詩集 "Divine Comedies" に収録されている。

仕事の鬼?
2003年8月17日(日)

ちょっと仕事の鬼(?)になってみました。珍しいね!

天然の鰻
2003年8月16日(土)

横浜高島屋の野田岩で、鰻の白焼と天然鰻の蒲焼を堪能。ちょっとした贅沢、ちょっとした茂吉気取り……。

冷夏、そして停電……
2003年8月15日(金)

冷夏(暦の上では秋だけど)である。しかも激しい雨! NY を含む北米のかなり広い地域が blackout してしまった。テロでなければよいが……。

日記の夏休み
2003年8月14日(木)

要するに、特に書くべきことがない。避暑にでかけるほどお金持ちでもないしね!

性愛を詠む/裸体を描く
2003年8月13日(水)

高島裕の新しい歌集『雨を聴く』(ながらみ書房)を読む。作者は昨年の5月号を最後に「未来」を退会し(昨年の6月付けで出版された前作『嬬問ひ』は、その5月号に発表した作品群で閉じられていた)、以後それほど発表の場に恵まれていたわけではないように見えたのだが、しっかりと短歌を詠み続けてきた、ということだろう。おそらく全編書き下ろしかそれに近いと思われるこの歌集、連作性の強い、かなりユニークな一冊に仕上っている。短歌の世界では話題になるに違いない。一巻の白眉は「雨を聴く」と題された章で、男女の性愛が巧みに描写されている。『嬬問ひ』は、テロリズムを礼賛する姿勢が顕著な連作「アルカイダ」などを含んでいて嫌悪感を催させる歌集だったが、今回はそういった躓きの石がほとんどなく、個人的にも楽しめた。

東京藝術大学大学美術館で、《ヴィクトリアン・ヌード  19世紀英国のモラルと芸術》展を観る。この展覧会については、以前「芸術新潮」が特集した際に触れておいたが、やはりテイト・ブリテンのオリジナルの状態で観たかったなあ! というのが正直な感想。もちろん、一見の価値はあるのだけれどね。

琥珀の歌姫も革命家も……
2003年8月12日(火)

(あとで書きます)

アメリカ風のビュッフェ・パーティ
2003年8月11日(月)

(あとで書きます)

うしろむきの抒情
2003年8月10日(日)

(後で書きます)

ソドムの住人としてのプルースト
2003年8月9日(土)

昨年の11月に出た本で、すぐに買ったのになぜか室内で行方不明になっていた下記の一冊が、颱風が近づいたせいかもしれないけれど、突然出現。読み始めたらあまりにも面白くて、一気に読んでしまった。

◎エドマンド・ホワイト『マルセル・プルースト』(田中裕介訳、ペンギン評伝双書、岩波書店、2002年)

要するにこれは、同性愛という切り口で描かれたプルーストの評伝である。著者は1969年のあのストーンウォール暴動(クリストファー・ストリートにあったストーンウォール・インを舞台に、同性愛者たちが警官たちと対峙した!)に居合わせたのを契機に積極的な活動に転じた高名なゲイの作家で、程度の差はあってもどうしても類書が曖昧にしがちだったプルーストの性生活を率直に提示している。プルーストの評伝は何冊も読んでいるが、中でも飛び抜けて面白い、刺激的な一冊だ。何と言っても『失われた時を求めて』は、人類史上最も偉大な文学作品のひとつであり、20世紀最高の小説(私見では『ユリシーズ』と一位を分け合うように思うが、『失われた時を求めて』をより高く評価する人の方が多いかも知れない)でもあるわけだが、同時に、『サテュリコン』が最大でも全体の五分の一に満たない分量しか残っていない(現在読むことができるのは第13、14、15巻であり、しかもそれも完全ではない)以上、史上最大最良のゲイ文学でもある。最後まで読んだ読者は、語り手を除くほとんどすべての主要登場人物が実はソドムとゴモラの住人であったことを知り、例外なく愕然とするのではないだろうか。この評伝は、そのような驚愕を含んで偉大な全七巻の大長篇の魅力と、それを生み出した作家のひととなりとを、簡潔かつヴィヴィッドに示していると評価できる。

ただしこの本には、写真の類は一切入っていない。プルーストが当時の愛人リュシアン・ドーデ(アルフォンス・ドーデの息子でのちのウージェニー皇妃の私的侍従)およびロベール・ド・フレール(オペレッタのリブレット作家でのちに侯爵)と三人で撮った写真を母親に拒絶される描写があるが、これなどやはり現物を見ておきたいところだ。で、手持ちの、写真のたくさん入った以下の二冊(アクサン類は省略して表記する)を取り出して来たのだが、これまた長い時間をかけて眺めることになってしまった。件の写真は前者の方に入っている。

◎Jean-Yves Tadie, PROUST; LA CATHEDRALE DU TAMPS, Decouvertes Gallimard, Gallimard, 1999.
◎William Sansom, PROUST, Thames and Hudson Literary Lives, Thames and Hudson, 1973.

日中、颱風の余波で風雨が強かった。

立秋、そして颱風……
2003年8月8日(金)

今日から秋。梅雨明けが遅かったので、本格的な夏は短かった、ということだ。颱風も、秋の颱風らしく日本列島に沿って進みそうだしね。

都市詠の歌人
2003年8月7日(木)

(あとで書きます)

NO SOULS CAME FROM HIROSHIMA U KNOW
2003年8月6日(水)

NO SOULS CAME FROM HIROSHIMA U KNOW
EARTH WORE A STRANGE NEW ZONE OF ENERGY
Caused by? SMASHED ATOMS OF THE DEAD MY DEARS
News that brought into play our deepest fears.

ここ数年、8月6日になると、この詩句を思い出す。ジェイムズ・メリルの偉大なる "THE CHANGING LIGHT AT SANDOVER" の第一部 "THE BOOK OF EPHRAIM" の P の章の一節である。詩人とそのパートナーであるデイヴィッド・ジャクソンの前に霊界から現れたイーフレイム(ブレイク風の肉体と血で洗った金色の目を持つ、ティベリウス帝の武官にしてカリギュラ帝の愛人でもあったユダヤ系のギリシア人の青年!)が、キャピトルで示された部分が彼の言葉なのだが、こう語ったのだという。広島の惨劇にあたっては、霊界には誰も来なかったというのだ。なぜなら、霊は原子に宿るらしいのだが、原爆が炸裂したその時、原子そのものが破壊されてしまったからなのである。もし本当にそうなのだとしたら、何と恐ろしいことだろう!

志村正雄さんの翻訳でも、引用しておくべきだろうか? イーフレイムの発言の部分は、カタカナである上に、ゴチックで印刷されている。

ヒロシマカラ ヤッテキタ タマシイハ ヒトツモ ナカッタンダヨ
チキュウハ エネルギーノ フシギナ シンチタイヲ モッタ
そのようにしたものは? シシャ(死者)ノ ゲンシガ ハカイサレタタメ
僕らの深層の恐怖を活動させたニュース。

私の手許にあるテクストは、以下の二冊である。邦訳は、まだ第一部(原作は全三部+コーダで構成されている)のみが出版されている状況だ。続刊が待望される。

◎James Merrill, THE CHANGING LIGHT AT SANDOVER, Including the whole of The Book of Ephraim, Mirabell's Book of Number, Scripts for the Pageant and a new coda, The Higher Keys, Alfred A. Knopf, 1982.
◎ジェイムズ・メリル『イーフレイムの書』(志村正雄訳、書肆山田、2000年)

(この項、つづく)

風邪には鰻、でしょう、多分……
2003年8月5日(火)

夏風邪がなかなか完治しないので、雨の中、鰻屋にたどりついて鰻を食べる。着席したまま大声でセルラーフォンをかける下品な中年男と、もっと下品な大声で笑う若いホステスというふたり連れが(もちろん喫煙席に)いて、他の客や従業員からの冷たい視線を気にせずに鰻を食い散らかしていた。やれやれ!

奥村晃作さんと飯田に行こう、かな! という話
2003年8月4日(月)

奥村晃作さんが、イヴ叢書\ 『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』 (ギャラリーイヴ) の御感想を、インターネット上の日記 (7月31日の項) に書いてくださっている。ありがたいことだ。もっと多くの方に読んでいただきたい冊子だが、出版形態が特殊なので、ちょっと無理かしらね。特に私の連作は、今後当分歌集などに収録しない約束になっているので、とりあえずはあそこでしか読めないんだけど……。

ちなみに、奥村晃作さんは長野県飯田市の御出身で、しばしば帰郷なさっては歌会などをなさっているらしい。実は私には、大学のゼミ(驚くなかれ、「金融論」のゼミなのじゃ!)の親友で飯田市近郊の豊丘村出身というのがいて、現在は飯田市に暮している。で、何回も飯田、というか下伊那を訪ねているのだ。残念ながら、ここ十年ほどはお互いに忙しくて、ちょっと脚が遠のいてはいるのだが……。ともかく、飯田市も下伊那郡も、本当に素敵な場所(土地も人間も!)だと断言できる。特に、ヨーロッパの城塞都市みたいにちょっと小高い所にある飯田市は、すがすがしい街だ。奥村さんにくっついて、久しぶりに行ってみようかなあ!

真夏の葬儀、すぐさま偲ぶ会
2003年8月3日(日)

一昨日の夜、ここ一年ほど会っていなかった友人の突然の死が伝えられた。死因は心臓麻痺らしいが、ひとり暮らしの上、アート系のフリーの職業でたまたま仕事が一段落したところだったせいで、発見されるまで二週間ほど経過してしまった(一応、命日は7月17日となっている)らしい。痛ましいことだ。で、今日がお葬式。谷中の古いお寺で執行されたのだが、すでに荼毘に付された仏さまというのにも、困惑させられたなあ。ものすごく暑かったけれど、それ以上にとんでもなく辛い葬儀だった。

しかし、酒好きだった故人を想い、すぐさま谷中のスイス料理店で、遺骨を囲んでの盛大な偲ぶ会が開かれたのでもあった。私より五歳ほど年長だった故人の先輩や同僚たち(私の尊敬する先輩たちでもある)のスピーチは、どれも心に沁みるもので、本当に素晴しい会になったのは、ともかく何よりのこと。さすがに年老いられた母君はこの会には欠席されたが、第一発見者である気丈な妹さん、かつての奥さんや十五歳位になっているはずの御長男なども参加されていて、不在なのは故人だけ、と思われるのが、辛かったのはたしかだけれど……。故人の冥福を深く祈りたいと思う。

バレエ、バレエ、バレエ!
2003年8月2日(土)

東京文化会館で、〈第10回世界バレエフェスティバル〉のAプロを観る。午後6時から4時間の、至福の時! 本当はBプロもガラも観たいところだが、このティケットだって手に入ったのが奇蹟みたいなもの。よしとしなければならない。

プログラムを紹介しておこう。演目の前が出演者、後が振付家と作曲家である。

◎レタ・ホジキンソン/ロベルト・ボッレ IN THE MIDDLE, SOMEWHAT ELEVATED フォーサイス/ウィレムス
◎マリーヤ・アレクサンドローワ/セルゲイ・フィーリン ROMEO AND JULIET "Balcony Scene" ラヴロフスキー/プロコフィエフ
◎アリーナ・コジョカル/アンヘル・コレーラ TCHAIKOVSKY PAS DE DEUX バランシーン/チャイコフスキー
◎フィリップ・バランキエヴィッチ LA FILLE MAL GARDEE アシュトン/エロール
◎アリシア・アマトリアン/フリーデマン・フォーゲル GISELLE コラーリ+ペロー/アダン
◎シルヴィア・アッツォーニ/アレクサンドル・リアブコ GETTING CLOSER ノイマイヤー/ローレン
◎アニエス・ルテステュ/ジョゼ・マルティネス ESMERALDA プティパ/プーニ
◎オレリー・デュポン/マニュエル・ルグリ SYLVIA ノイマイヤー/ドリーブ
◎アレッサンドラ・フェリ PAVANE バランシーン/ラヴェル
◎ディアナ・ヴィシニョーワ/ウラジーミル・マラーホフ MANON "Bedroom Scene" マクミラン/マスネ
◎タマラ・ローホ/ホセ・カレーニョ LE CORSAIRE プティパ/ドリゴ
◎ジル・ロマン ADAGIETTO ベジャール/マーラー
◎ガリーナ・ステパネンコ/アンドレイ・ウヴァーロフ LA BAYADERE プティパ/ミンクス
◎シルヴィ・ギエム/ニコラ・ル・リッシュ DOUX MENSONGES キリアン/モンテヴェルディ+ジェズアルド+グレゴリオ聖歌
◎バルボラ・コホウトコヴァ/イナキ・ウルレザーガ DON QUIXOTE プティパ/ミンクス 

(この項、つづく)

レディーファーストじゃないのね?
2003年8月1日(金)

相変らず風邪でダウン。でも、精を付けに、夜はしゃぶしゃぶ屋に……。やれやれ!

穂村弘さんと東直子さんの共著『回転ドアは、順番に』(全日出版)を読む。昨日触れた小林信也さんとは対照的に(と言っては失礼かしら?)存在自体がはなばなしいふたりの売れっ子歌人が、疑似恋愛を楽しんだ合同歌集、といったところだろうか。不思議な本だと思う。それぞれのコピーライトを明確にするために、紺と臙脂の二色で印刷されている。才気の一冊だ。

ひとつだけ、ちょっとした疑問がある。なぜ著者の順番が〈穂村弘+東直子〉なのだろうか、ということだ。ふたりは対等の関係にあるのだから、こういう場合、レディーファーストにすべきなのでは? アルファベティカルオーダーでも五十音順でも、東さんの方が前だし……。もしかしたら、いろは順、または年齢順なのかしら? 今度どちらかに会ったら、聞いてみようっと!


2003.7.1〜7.31

サラリーマンは気楽な稼業ではない!
2003年7月31日(木)

風邪でついにダウン!

小林信也さんのはじめての歌集『千里丘陵』(本阿弥書店)を読む。作者にお目に掛かったことはないが、随分真面目な人なのだろう。サラリーマンの悲哀が滲み出ていて、一種の感動を覚えた。こういう作品世界も、あってよいはずではある。

『旅のあとさき、詩歌のあれこれ』、および岡井隆の次の歌集について
2003年7月30日(水)

岡井隆さんの『旅のあとさき、詩歌のあれこれ』(朝日新聞社、ISBN4-02-330734-3)が出た。齋藤茂吉の足跡をたどった昨年秋のウィーン、ミュンヘン旅行に取材した短歌100余首に、詩歌に関する問題にふれたエッセイや講演記録などを併せた一冊。新見恵里子さんの手になる岡井隆さんの肖像画や旅行中の写真も収められている。特に岡井隆ファンにとっては、必携の本だと言えるだろう。定価は2,800円+税。ちなみに、近々出版される岡井隆さんの次の歌集はイタリア旅行を題材にしていて、『旅のあとさき、詩歌のあれこれ』と補完しあうことになる。こちらもお楽しみに! 原稿の段階で拝読したが、紛れもない傑作ですよ。

待ってました! また待ちます!
2003年7月29日(火)

ベニサン・ピットで、ニナガワカンパニー・ダッシュ公演 『MATSU 2003・待つ』 を観る。蜷川幸雄の薫陶を受けている若者たち(味のある年配の役者もいるが)による『待つ』と銘打たれた公演は、これで七回目だろうか。演出が蜷川幸雄から井上尊晶に代って、爆発的な想像力の世界からより求心的な演劇的世界へ微妙に移行した感じがするが、面白くて過激であるという点では、相変らず比類がない。例によってさまざまなテクスト(川上弘美の「どうにもこうにも」とか高橋源一郎の「さよならギャングたち」とか)をコラージュした台本が使われていて、それが今回は巨大なジャングルジムで演じられる。特に最後の45分間は、シドニー・ルメットが監督しヘンリー・フォンダが主演した映画(1957年の製作で、原作と脚本はレジナルド・ローズ)が名高いあの "12 Angry men" が猛烈な速度で演じられて、圧巻だった。いつ観ても、ニナガワカンパニー・ダッシュの『待つ』シリーズは、その時々の最も熱い舞台である、ということだろう。次回も絶対に見逃せない。要するに私は、『待つ』を〈待つ〉観客なのである。

夏風邪!
2003年7月28日(月)

昨日から夏風邪をひいている。錦見映理子さんの歌集『ガーデニア・ガーデン』(本阿弥書店)の批評会が昨日あり、何と岡井隆さんがパネリストをつとめられるというので、ちょっと覗いてみようかと思っていたのだが、それももちろん断念。ともかく今回の風邪は、咳がひどいようだ。

地震と戦争
2003年7月27日(日)

宮城県では大きな地震が続き、自衛隊は創立以来初めて本物の戦場に赴くことになった。やれやれ!

あの時がどう歌われているか……
2003年7月26日(土)

栗木京子さんの歌集 『夏のうしろ』(短歌研究社)を読んだ。実力のある歌人であることは十分承知していたが、今回の歌集はまた一段と面白い。充実の一冊である。

このところ新刊の歌集を手に取ると、どうしてもまず、2001年9月11日の悲劇がどのように詠まれているかを検証してしまう。詠まない、というのもひとつの意志表示だとして、ともかくあの惨劇に歌人がどう対応したかは、極めて重要な問題だと思われるからだ。歌人としての、いや人間としての、それは試金石なのではないだろうか。 『夏のうしろ』 はその点でも、大いに納得の行く歌集である。

Pink, Black, and Red.
2003年7月25日(金)

日比谷スカラ座 2 (全席指定になっていた!)で、トッド・ヘインズ監督の "Far From Heaven" (邦題は『エデンより彼方に』)を観る。心に沁みるような映画だ。主演のジュリアン・ムーアも素敵だし……。

ホモセクシュアルが病気として扱われ、黒人が「存在しない存在」だった時代に、そのふたつのタブーと深くかかわってしまった女性を主人公にした作品。1950年代に忌み嫌われたピンク(ホモセクシュアル)、ブラック(黒人)、レッド(共産主義)のうち、今やピンクとブラックは一応の市民権を獲得した。しかしレッドは、もう脅威でもなんでもない、ということなのだろう。この映画でも、共産主義はマッカーシズム絡みでちょこっと会話に登場するだけだ。で、この映画(映画だから在る程度の誇張があるのかも知れないが)を観ると、この間 DVD で観た "High Society" すなわち『上流社会』(その製作年は1956年で、『エデンより彼方に』の1957年秋から翌年の春という時代設定にほぼ等しい)が如何に偽善に満ち溢れていたかがよくわかる。あのミュージカル映画に登場する人物は、白人に尻尾を振っているとしか思えないルイ・アームストロングを含め、偽善者ばかりではないか! あの映画に覚えた違和感ないしは嫌悪感は、こういった点にも由来していたらしい。

なにごともなく……
2003年7月24日(木)

特別に書き記すようなことのない一日。まあ、こういう日もあるさ!

問題の歌集
2003年7月23日(水)

加藤治郎さんの最新歌集『ニュー・エクリプス』(砂子屋書房)を読む。作者の個性に溢れた、彼にしか出せない歌集であることは間違いない。評判になることだろう。私も一気に読んでしまった。

しかしながら、なんて書くと大袈裟だけれど、私には加藤治郎さんの作風にいまひとつ馴染めないところがある。独特のシンタックスとかイメージの飛躍の仕方などが、ちょっと理解しにくいような気がするのだ。機会があれば、これらの問題についてきちんと論じてみたい。少なくとも、他の歌人たちがどう考えているのか、じっくり聞いてみたいと思う。荻原裕幸さん、『ニュー・エクリプス』の勉強会を開催する際には、案内状を送ってくださいね! 名古屋へだって駆け付けますから。

要するに、これは「問題の歌集」だってことだ。「問題の歌集」でない歌集は、つまんないよね!

贔屓のひきたおし?
2003年7月22日(火)

シャンテ・シネ 1 で、フランコ・ゼフィレッリ監督の映画 "Callas Forever" (邦題は『永遠のマリア・カラス』)を観る。タイトルロールを演じたファニー・アルダンは頑張っているが、どちらかと言えば愚作だろう。ちょっと残念!

ゼフィレッリは、オペラの演出家としては師のルキノ・ヴィスコンティに比肩されるべき存在なのだと、彼の演出した舞台を初演を含めいくつも観た経験からすれば、言ってもよいのかも知れない(ヴィスコンティの舞台は、再演のものは観ているが、当然ながら初演のものは観ていない)。しかしながら、映画監督としての力量は、ヴィスコンティの足元にも及ばないと、残念ながら断言せざるを得ないのである。今回の作品でも、名誉を挽回してはいない、ということだ。

ゼフィレッリがカラスに寄せる愛情は、よくわかる。しかしこの映画は、贔屓のひきたおしと言うか、カラスに対する一種の冒涜になっていないだろうか? カラスの偉大さは、EMI に残されたいくつもの素晴しい録音で偲ぶべきなのであり、それで十分なのだ。映像としては、彼女はもちろん歌わないのだけれど、パゾリーニの 『王女メディア』 という傑作が残っているのだし……。

正論の歌人
2003年7月21日(月)

荻原裕幸さんに、イヴ叢書\『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』(ギャラリーイヴ)をお読みいただけたらしい。〈ogihara.com〉 の7月16日の項に、感想をお書きいただいた。ありがたいことである。

荻原さんによると、私の作品ではしばしば、正論が表に出過ぎてしまうらしい。ううむ、そうかも知れないなあ! 原則として私生活に取材しないので、どうしても観念的な作品になってしまう、ということかしら? ともかく、心に刻んでおきたい意見だと思う。

乗り物の歌
2003年7月20日(日)

「レ・パピエ・シアン」 8月号の特集 「乗り物の歌」 は、同人たちがそれぞれ乗り物に材を取った古今の短歌十首を撰ぶ、という試みだが、桝屋善成さんが拙作を一首撰んでくださっている。私の短歌は、連作性が強すぎて一首を抜きにくいところがあるのだろうか、一首の短歌としての自立性が弱いのだろうか、こういう場合めったに撰ばれないので、やはり嬉しい。撰んでいただいたのは、 『海の空虚』 (不識書院、2001年) に収めた連作 「風景の中へ船出して」 の中の一首である。

歌うセレスト・ホルム!
2003年7月19日(土)

DVD で、チャールズ・ウォルターズ監督の(と言うより、この場合はビング・クロスビー、グレース・ケリー、フランク・シナトラが主演し、ルイ・アームストロングが本人役で登場する、と言うべきだろう)1956年の MGM ミュージカル "High Society" すなわち 『上流社会』 を観た。それなりの出来映えのエンターテインメントではあるが、いい気なもんだ、と思わないではいられない脳天気な映画でもある。私の好きなセレスト・ホルムがシナトラとデュエットする(吹き替えだろうけれど)シーンが、まあ御愛敬。特典映像として付いている、素敵なお婆さんになったホルムが案内役をつとめる "Cole Porter in Hollywood: True Love" (コール・ポーターのエピソードより、この映画を最後に引退してモナコ大公妃になってしまったグレース・ケリーのエピソードの方が多くて面白い)と、エド・サリヴァンが登場するオリジナル予告編、それに短篇アニメーション "Millionaire Droopy" を観れば、本編は観なくてもいいかもしれないね!

お口直しに、横浜の野田岩で、鰻の白焼と蒲焼を食べる。

歌集の相談
2003年7月18日(金)

岡井隆さんの新しい歌集について、美味しい土耳古料理を食べながら、出版社と相談し、原稿を託す。詳細はまだ発表すべきではないだろうが、ともかくユニークな、素晴しい歌集になることは間違いない。年内発行の予定である。

ついでに、私の次の歌集についても、ちょっとだけ相談。こちらは来年出版したいと考えている。

雑誌の死
2003年7月17日(木)

雑誌は、廃刊によってのみ死ぬわけではない。発行が続けられていても、死んでしまうことがある。玉城入野さんが編集部から抜け、リニューアルしたということになっている「短歌 WAVE」の最新号を見て、そう思わずにはいられなかった。残念なことである。

呉茂一訳 『イーリアス』、再登場!
2003年7月16日(水)

平凡社ライブラリーに、呉茂一訳の 『イーリアス』 が収められることになった。今月出た上巻には、第12書までが収録されている。

なんて書くと、「あれ?」と思う人も少なくないだろう。かつて岩波文庫で出ていた翻訳(全三巻)が、全二巻に再編され、平凡社ライブラリーから出ることになった、ということだ。違う版元の、しかし同じ文庫版(平凡社ライブラリーは心持ち大きめだけれど)に、ひとつの翻訳が移行するわけで、ちょっと珍しいことだと言える。岩波文庫は1992年に松平千秋訳の 『イリアス』 (こちらのタイトルは長音を表記しない。全二巻)を出していて、1953年から58年に掛けて出版された呉茂一訳 『イーリアス』 は絶版になっていたのである。それを平凡社ライブラリーが創刊10周年の記念に引き継いでくれたわけで、これは本当に喜ばしいことだ。松平千秋訳 『イリアス』 (散文訳である)の存在意義は十分にあるが、呉茂一訳 『イーリアス』(行分けの訳である)は名訳の誉れ高いもので、これからも長く、多くの読者を獲得してゆくべきものだからである。私が最初に読んだ "Ilias" も、もちろん呉茂一訳だった。のちに松平千秋訳 『イリアス』 も読んでいるし、Loeb Library 版も持ってはいるが、今でも私にはホメーロスは、呉茂一の訳した日本語で語り掛けて来るのである。

新しい翻訳が出るのは、ありがたいことだ。しかし、新しい翻訳によって古い翻訳が完全に不要になってしまうかと言うと、そんなことはない。古いけれど素晴しい訳は山ほど存在するのである。その最も顕著な例として私は、今なお岩波文庫で現役を続けている山川丙三郎訳 『神曲』(全三巻。1952年から58年にかけて岩波文庫に収められた)をあげておきたい。プリンストン大学版の膨大な註などを参照してみればこの訳の凄さが一段と深く理解されるはずだが、そうでなくとも、日本語の詩として最上級の出来映えだということは一目瞭然だろう。奇蹟的な名訳である。

詩法の大家、書法の俊秀
2003年7月15日(火)

岡井隆さんに、「三蔵 2」第3号に掲載させていただく連作短歌50首の原稿を頂戴した。もちろん傑作である。ありがたいことだ。雑誌の発行は、9月初めまでずれこみそうだけれど……。ともかく、御期待いただきたい!

岡井さんの次の歌集の原稿も、お預かりした。「読んでみて問題がなかったら、版元に渡してください」ということだけれど、問題ないに決まっているじゃないねえ! 一読三歎、圧倒されるなんてものじゃないのだから……。でも、この素晴しい歌集の原稿を誰よりも早く読めるというのは、嬉しいことではある。ともかく、タイトルなど詳細は、固まってから書くことにしよう。

***

明治学院大学言語文化研究所で開かれた唐翼明(タン・イーミン)さんの書道パフォーマンスを見学する。唐さんは、中国湖南省生れ。武漢大学大学院を経てコロンビア大学で博士号を取得した。専攻は、魏晋時代の古典文学。現在は台北の国立政治大学で中国現代文学の教授をつとめている。優れた書家でもあり、1989年の天安門事件に際しては、留学中だったアメリカで活発な抗議活動を行ったのだとか。魅力的な方だった。

中国の書法と日本の書道とは微妙に異なっていて、正しくは書法と言うべきなのだろうが、いずれにしても今回のパフォーマンスは、非常に興味深いものだった。前半の中国書法についての概説は簡潔かつ明解、後半の書の実演も実に刺激的……。夏目房之介さんの質問に答えての、中国における書と畫の関係についての解説など、それだけで一冊の小冊子ができてしまいそうなほどの内容の濃さだった。

かつて私も高校生だった!
2003年7月14日(月)

「新潮」の8月号から、四方田犬彦の「ハイスクール 1968」の短期集中連載が始まった。今回は、1968年4月の高校入学から1969年夏までの3章200枚。著者がその高校時代を、芸術や社会に対する多彩な批評を鏤めながら回顧している。学年を同じくする私にとっては、特に興味深い著作だ。私のとはいくらか似ているがかなり違ってもいる、刺激的なハイスクール・ライフが活写されていて、飽きさせない。次号が楽しみである。

「新潮」8月号には、井上ひさしの新作戯曲「兄おとうと」も掲載されていて、これまた楽しく読んだ。兄おとうと、とは、吉野作造とその弟・吉野信次のこと。信次は二度も大臣をつとめたのだとか。

時折のロルカ、絶対のロルカ
2003年7月13日(日)

必要があって本棚から出してあった古いペンギン・ブックス版ロルカ詩集(表紙に Cecilio Parraga 筆の素敵なロルカの肖像画が印刷されている)を、ふと手に取り、結局読み耽ってしまった。これを購入したのはもう随分前のことだが、あの時より遥かに楽に、楽しく読める(この詩集はバイリンガル・エディション。もちろん読むのは主として英訳の方で、原文は時々参照して音を確かめたりするに過ぎない)。英語を読む力が少しは増したのも確かだとしても、やはりこのとしつき、それだけロルカに親しんできたということだろう。まったく得難い、特別な詩人である。

上記ロルカ詩集のデータは、以下の通り。手許にあるのは1983年印刷の第5刷。折に触れて20年ほど読み続けてきたことになる。

◎Lorca, SELECTED POEMS, Introduced and Edited by J.L.Gili, with Plain Prose Translations of Each Poem, Penguin Books, 1960.

ゴダールにヘルダーリンを教えられ……
2003年7月12日(土)

DVD で、ゴダールが1963年に発表した "Le Mepris" すなわち『軽蔑』を観る。中学生か高校生だった時に TV で観て大きな影響を受けた映画だが、久しぶりに観て、やはり感心してしまった。もちろん、懐かしい。でも、作品はまったく古びていない。

この映画から少年だった私は、いろいろなことを学んだのだった。たとえば、あからさまだったり微妙だったりする引用の効果について……。たとえば、言語の多様性に由来する屈折した面白さについて……。たとえば、古典ギリシア世界を本来彩っていたはずの色彩について……。たとえば、芸術(ここでは映画だが)を創造する上でのさまざまな障害について……。たとえば、ブリジッド・バルドーとベルトルト・ブレヒトとが B.B. というイニシャルを共有することについて……。本人の役で出演しているフリッツ・ラングが、彼が監督していることになっている映画中映画『オデュッセー』のラッシュ・フィルムの試写会場で、ヘルダーリンの詩を朗読するシーンがある。そこで初めてあの忘れられない詩人の名を知った私は、翌日書店に駆け付けて、当時出ていた角川文庫版『ヘルダーリン詩集』を購入したのだった。その時以来私は、ヘルダーリンの詩を読む度に、あのラッシュ・フィルムが映し出していた着色された彫像群と青い海とを思い出さずにはいられなくなったのである。

不味い煙草
2003年7月11日(金)

渋谷の〈じゃんか〉という店で、《marathon READING 2003》 の反省会。反省会、というより、二度目の打ち上げ、かな? ともかく、経理面でも成功だったようで、喜ばしい。

田中槐さんから、いわゆる〈恩賜の煙草〉なるものを分けてもらい、試みに喫ってみる。ものすごく不味かった。これはやはり、実際に喫うべきものではなく、神棚に祭っておくべきものなのだろうか?

殺人を犯す少年たち
2003年7月10日(木)

長崎で起きた4歳の男の幼児殺人事件の犯人として、12歳の男子中学生が補導された。世間は驚きに包まれている。陰惨な事件の、陰惨な結末だ。

三島由紀夫の名作、『豊饒の海』四部作を除けば長編小説の分野における彼の最高傑作だと断じたいあの『午後の曳航』を、私は思い出した。あの小説では主人公の少年たちは、自分たちが刑法上罪を問われない年齢だというのを承知の上で殺人を犯すに至る。でも、あそこでは殺されるのは母の愛人なのだから、今回の事件ほどには陰惨だとは言えないだろう。もちろん、三島由紀夫はあの小説ではオレステスの悲劇を(殺される愛人が母と結婚する予定であったことを考えれば、オイディプスの悲劇をも重ねて)書き換えているわけで、ギリシア悲劇的な荘重さも当然存在する。そこが文学の文学たる所以なのかもしれないなあ。

今回の長崎の事件も、沖縄で起きた中学二年生同士の殺人事件なども含め、ギリシア悲劇的な、人間の力の及ばない不条理な運命の悲劇と考えて、あるいはよいのかもしれない。太古から現代に至るまで一貫して、人間とは、惨めな自滅を繰り返してやまない、愚かな生き物でありつづけているのである。

石井辰彦さんの日記のようになってきた
2003年7月9日(水)

鈴木竹志さんの日記〈竹の子日記〉の7月3日の項「今日も不調」に、体調不良で日記の書き込みもままならない状況を嘆かれたついでに、タイトルのように書かれてしまった。きちんと日記を書きなさい、という鈴木さんの「愛の鞭」だと考えよう。4月14日以降、少なくとも5月以降、せめて6月以降の未記入の日記、なんとか近日中に補完したいと思う。是非とも!

石井辰彦みてさはぐ
2003年7月8日(火)

秋山巳之流さんの句集『うたげ』(北溟社)が届いた。秋山巳之流とはすなわち編集者・秋山実その人であって、毀誉褒貶相半ばするその個性の強さは、かなりひろく知られていよう。その秋山さんが癌に倒れて出した最新句集なのだが、辻井喬さんの帯文にある通り「著者と交遊のあった人の名が飛び交う。生者と死者の区別はない」という、一風変った句集だ。何しろ、秋山さんと「交遊のあった」とは到底言えない程度のお付き合いの私までもが、登場するのだから驚くではないか! 引用しておこう。

  雪をんな石井辰彦みてさはぐ

何だかこれ、いい句かも。ちなみに「雪をんな戀におちたり正津勉」という句もあって、雪をんなは私をみてもさわぐだけ、恋してまではくれないらしいのだけれど……。

秋山さんは目下、入院中とのこと。恢復を祈っておきたい。

イヴ叢書\ 『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』 発行!
2003年7月7日(月)

経堂のギャラリーイヴで、西山美なコ個展 《百花殘る。と、聞きもし、見もし……》 のオープニング・パーティが開かれた。素敵な個展(詳細は7月2日の日記参照のこと)に仕上ったと思う。私は書き下ろし50首の連作 『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』 を朗読した。

というわけで、イヴ叢書\ 『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』 が、今日付けで発行された。西山美なコ・美術、石井辰彦・短歌、佐藤紘彰・翻訳の、500部限定の出版で、造本は白井敬尚、編集は郡淳一郎、発行はギャラリーイヴ(発行人・山元千秋)である。定価は税込みで3,500円。一般の書店にはほとんど出ない冊子であり、数にも限りがある。普通の歌集みたいにはあちこちに配ったりできないのだが、是非多くの人に読んで欲しい一冊だ。印刷も造本も、茫然とするほど美しく仕上っている。お薦めしておきたい。

この数日で、私の新作短歌が合計151首、まとめて世に出たことになる。「(water)and(stones)」は101首からなる連作で、その掲載誌「るしおる」50号の発行日は6月30日になっているからだ。多作に過ぎると批判されるかも知れないが、私はこれを誇りに思う。

豚小屋とピノキオ
2003年7月6日(日)

DVDで、パゾリーニの "Porcile" すなわち『豚小屋』とディズニーの "Pinocchio" すなわち『ピノキオ』を観た。両方とも、素晴しい映画である。観終って、心が洗われていると感じないではいられなかった。

『豚小屋』は、題材は相当にえげつない(カニバリズムとベスティアリティ!)が、映画自体は静謐な哀しみに溢れている。何とも美しい映画だ。『ピノキオ』を観るのは初めてだったのだが、スピルバーグの "Artificial Intelligence: A.I." がいかに多くをこの古い長編アニメーションに負っているかを再確認できたのも、楽しいことだった。

「るしおる」50号!/燕尾服の紳士たち/鮎・穴子・兔
2003年7月5日(土)

書肆山田の詩誌「るしおる」50号が届けられた。これほど高度に充実した内容の雑誌が50号まで出たというのは、日本語の文学の力を示す、顕彰すべき出来事だと言えるだろう。編集部(鈴木一民さんと大泉史世さん!)には心から讃辞と祝意とを届けたい。ちなみに「るしおる」は1989年1月の創刊。私は1994年12月刊の23号からしばしば登場させていただいている。

記念すべき「るしおる」50号の目次を、紹介しておこう。日本の詩の世界の最高の書き手たちの力作が揃っている。ここに参加できたことを、私は誇りに思わないわけにはゆかない。

◎小池昌代:地上を渡る声 1
◎平出隆:一日の島
◎高貝弘也:半世紀 2
◎白石かずこ:僧侶、傾く
◎古井由吉:[詩への小路 19]ドゥイノ・エレジー訳文 4
◎山崎佳代子:ベオグラード日誌 6 小さな箱のさいごの消息
◎鈴木志郎康:お喋り不安
◎高柳信:昏迷都市彷徨 1
◎倉田比羽子:地の上の足音
◎野村喜和夫:(くるみ、マグノリア、答えよ)
◎石井辰彦:(water)and(stones)
◎鈴村和成:碑の心音
◎関口涼子/吉増剛造:「宛先人不明につき差出人に転送します」ともに震える言葉 3
◎ジェイムズ・メリル/長畑明利訳:一千年の平和の国 他
◎北島/是永駿訳:黒い地図 他
◎岩成達也:誤読の飛沫 15
◎阿部日奈子:鉄骨に踊る
◎季村敏夫:山の出来事
◎佐々木浩:人生の果まで
◎平田俊子:パン屑
◎浅見洋二:読者の夢、作者の夢 古典中国の詩と詩学 6
◎長島確:戯曲の翻訳を問う
◎高橋睦郎:死者と未来者のあいだで
◎藤井貞和:詩的分析 8 複屈折修辞

「るしおる」50号は、特別定価1,200円。流通機構上はISBNコードを持つ書籍なので、大きな書店の詩歌書籍売場に置いてあるはず(先日創刊された「短歌ヴァーサス」が書店で見付からない、という声がいくつかあったようだが、あれも流通機構上は書籍扱いなので、雑誌売場にはなかったということだと推察される)だ。「今、深い仄闇に包まれている場、詩と思索・文学と哲学の場に微かな光を発しつづけてゆきたいと思っています」という編集部の言葉に、大いなる賛意と更なる期待とをを表明しておきたい。

***

東京宝塚劇場で、宝塚歌劇月組公演を観る。出演は、紫吹淳、映美くらら、これで退団する汐風幸、彩輝直、大空祐飛、月船さらら、そしてあの松本悠里さま(!)などなど。霧矢大夢が数日前から休演していたが、代役を月船さららら(三つ目の「ら」は複数をあらわす接尾辞)と分担した北翔海莉が、特に大役・ジョゼッペで健闘していた。演目は、酒井澄夫作・演出の『花の宝塚風土記』と、植田景子作・演出の『シニョール・ドンファン』の二本。ニュー・ミュージカルと銘打たれた後者は、わけのわからない筋立てに加え、ファッション・デザイナーが主人公なのに外部から招いたデザイナーの衣裳が意味不明のみっともなさで、楽しめなかった。座付きのデザイナーの衣裳が使われるフィナーレ(特に黒燕尾服の群舞!)で、ようやく救われた、と言うか、やっぱり観に来てよかった、と思ったのは、私だけだろうか?

***

宝塚歌劇の終演後、お向いの帝国ホテルのカジュアル・フレンチ La Brasserie で食事。このレストラン、久しぶりだ。シェフが替ったのだろうか、ともかく 〈シェフ永井明の特撰メニュー〉 というのを注文してみる。前菜、魚、肉はそれぞれ二種類ある中から選べるのだが、私が食べたのは以下の通り。

◎あゆのテリーヌ仕立て すっぱい蓼のオイルで
◎本日のスープ(根セロリの冷製スープ)
◎穴子で山芋とフォアグラのムースを包んで
◎うさぎ胸肉のロースト ピスタチオの風味で
◎自家製焼菓子とアイスクリーム
◎コーヒー

どの皿にも心憎い工夫が施してあって、しかも美味しかった。お手頃な値段(このコースは¥6,500)だし……。ちょっと永井シェフ、要チェックかもね。

もう夏休み!
2003年7月4日(金)

春学期最後の〈読む短歌・詠む短歌〉の会。次回は10月の第一金曜日だ。大学って、夏休みが長くっていいなぁ! ともかく、この会では私自身も多くのものを得たように思う。秋学期が楽しみだ。

Das Passagen-Werk
2003年7月3日(木)

ベンヤミンのあの "Das Passagen-Werk" の翻訳、邦題『パサージュ論』(今村仁司・三島憲一ほか訳)が、岩波現代文庫に収録され始めた(全5巻)。この翻訳は1993年から95年にかけて全5巻の単行本として刊行されたもの(今回の文庫版では断章番号順に編集されている)で、私も勇んで読み始めはしたのだったが、途中で挫折している。文庫版なら読破できるというわけではもちろんないが、この偉大な書物がより手に取りやすいかたちで世に出るのは、本当に喜ばしいことだ。間違いなく、20世紀の後半を生き延びた人間が21世紀の初頭に読むには最も相応しい書物のひとつである。

西山美なコ個展 《百花殘る。と、聞きもし、見もし……》 のお知らせ!
2003年7月2日(水)

私の友人であり、ニューヨークにおいては一時的に隣人でもあった西山美なコさんの個展が、経堂のギャラリーイヴで開催されます。夏休みを挟んだ長い個展ですので、是非とも一度お立ち寄りください。DMに記載されている事柄を、下に書き写しておきます。

***

西山美なコ個展

百花殘る。と、聞きもし、見もし……

2003年7月7日(月)―7月28日(月)・9月1日(月)―9月27日(土)
土曜・日曜・月曜・祭日11時―19時開廊(13時―14時休憩)

「かわいい」「ピンク」といった少女性を表す言葉で語られると同時に、「みだら」「猥雑」という性的欲望の視線をまとってきた西山美なコ作品。今回出品の「Sugar」シリーズは歌人・石井辰彦とのコラボレーションにより、砂糖菓子で作られた薔薇の花、王冠、ティアラの甘く美しく可憐な姿が、時間とともに溶けて崩れてゆく、その存在のはかなさと残酷さを呈示します。
(協力・千葉由美子)

同時刊行
イヴ叢書\『百花殘る。と、聞きもし、見もし……』
西山美なコ・美術 石井辰彦・短歌 佐藤紘彰・翻訳
500部刊行・限定番号印字・定価3500円(税込)

ギャラリーイヴ
〒156-0052 東京都世田谷区経堂 1-23-9
TEL:03-5426-2787 FAX:03-5450-0701
小田急線・経堂駅南口より徒歩3分

***

なお、個展と叢書の共通タイトル中、「百花殘」の部分には「ヒヤククワくづ」というルビが付いています。

前川佐美雄賞、など
2003年7月1日(火)

第1回前川佐美雄賞と第11回ながらみ書房出版賞の授賞式とレセプション。会場はお茶の水の東京ガーデンパレス。受賞作は、前者が大口玲子『東北』(雁書館)、後者が黒瀬珂瀾『黒耀宮』(ながらみ書房)。受賞者がふたりともまっすぐな性格の持ち主だったこともあり(作品はそれぞれに屈折してるけどね!)、とても楽しい会になった。

及川〈晋樹〉隆彦さんに、ながらみ書房出版賞も名称を変更し、版元に関係なく若い歌人の仕事を顕彰する賞にしたらどうか、と提案しておいた。名称は、岸上大作賞なんてどうかしら? 個人的には、岸上大作を私は評価してはいないのだけれど。

レセプション会場である歌人から、「石井くんの作品は、ありゃ短歌なのかね? 詩なのかね?」と訊かれてしまった。まあ、一般的な歌人の作品と較べると、連作性の強い私の作品はずっと現代の行分け詩や外国の詩に似ている、とは言えるのかもしれないが、でも、考えてみればやはり変な質問だよね。歌人とは主として短歌という詩的フォームを用いて詩を書く詩人にほかならないのだから。自分の短歌は詩ではない、などと嘯く歌人がもしいるといたら、そんな歌人は歌人ではなく、愚かな形式主義者に過ぎないのだ。ということは、もしかしたら私はあの時、実は褒められたってことなのかしら?