
巡り来る幾億もの四季を翔けぬけて
大地が青々となる頃。きれいな球形の綿帽子をかぶったタンポポの花をつんで、その綿帽子をふーっと吹いて、幾本もの綿毛をそよ風に乗せる少年の姿を見ると、少年時代、私が体験したあの不思議な出来事を思い出す。
母が死んだ日のことだった。
終わりの近づく冬の、よく晴れた風のない日。その澄んだ青空に、ゆらゆらと天高く立ち昇っていく煙を、じっと見上げている幼い頃の私がいた。横には私の父親が立っていた。村のはずれ、森や畑との境界も遠く、ぽっかりと広がる野原の真ん中にある石造りの炉―――そこから煙は立ち昇っている。村人の誰かが亡くなると、この炉で遺体を火葬にし、煙突から立ち昇っていく煙を遺族や村人たちが眺め、死者との最後の別れを惜しむ―――そんな慣習が、私の村にはあった。
”火葬”という習慣に、当時の私は馴染めなかった。死んだ人の遺体は、ガラスのケースの中に大事にしまっておいて、ずっととっておけばいいのに―――そう思っていた。
「気を落とすんじゃないぞ、リンネ」
父が、私の肩に手を回しながら、そう言って私を慰めた。
「お母さんは死んじゃったけど、魂は草木や風や―――この大地の中の新しい命に生まれ変わって、ずっと俺たちのことを見守っていてくれるんだ……」
そんな父の話を聞いて、私はうなづきながらも、内心釈然としない思いに駆られていた。
”生まれ変わり”という考え方も、当時の私は好きではなかった。死んでから新しい命に生まれ変わっても、前に生きていたことを全然覚えていないのでは、死んでしまうのと変わらないではないか。そんな考え方よりも、死者の魂は死後、別の世界へ行って、そこで永遠に暮らし続ける―――そういった考え方のほうが、ずっと私を慰めてくれた。
母の葬儀も一段落し、日も暮れて来た頃。私は父に手をひかれて、一面の畑を貫く川沿いの道を歩いていた。畑はまだ大部分が雪に覆われていたが、所々に黒々とした地面が見えていた。川は雪解け水でかさが増え、流れも速かった。
時々、轍に張っている薄氷を踏み割ったり、ポケットの中に入っていたビー球をいじくりまわしたりしながら、私は亡き母のことを思った。家事の手伝いを自分から始めて喜ばれたこと。運動会のかけっこで一生懸命走って、初めてビリにならなかった時のこと……。家事のことでも学校のことでも、母に誉められることを思えばこそ頑張れた。これからはいくら頑張っても、母には誉めてもらえない―――その時は自覚していなかったが、私は生きていくことの意味を失いかけていた。
そんな時、私はポケットの中でいじくっていたビー球を外に落としてしまった。ビー球は転がって、川に落ちる少し手前で止まった。私はそのビー球を拾いに行った。
「おい、危ないぞ」
父が言った、が、その手で制止する前に、私はそちらへ駆けていってしまった。
そうしてビー球を拾い上げたその時、私は対岸に母の姿を見たような気がした。
「あ…!」
その姿に気をとられた私は、衝動的にそちらへ体を向けてしまい、バランスを崩して川へと転落した。じゃぼんっ、と水音がし、水の冷たさが全身を刺した。
「リンネ!」
父の叫び声が聞こえた。意識が急激に闇に沈んでいく中で、私は自分は死ぬのだろうか、と思った。
―――それもいいかもしれない、母のいる天国に行けるのなら……
次に目覚めたとき、私は見知らぬ家のベッドに寝ていた。ベッドのそばの窓から外を覗くと、針葉樹林にまわりを囲まれた、うっすらと雪をかぶった庭が広がっていた。
状況をつかめず戸惑っていた私のもとへ、「ギイ……」という音がして、部屋の中へ一人の老婆が入ってきた。真っ黒なフード付きローブに、トンガリ帽子―――ちょうどおとぎ話の中に出てくる魔女のような格好をしていた。
「気がついたかい、坊主」
老婆はそう言って、私に近寄ってきた。
私は母から聞いた昔話の中に出てくる悪い魔女のイメージを思い起こし、少ししりごみしたが、そんな私の心情を察したのか、老婆は言った。
「安心しな。取って食いやしないよ」
老婆は、私の額に手をあてたり、顔色をうかがったりした後、「うん、大丈夫そうだな」とつぶやいて、私のもとを立ち去った。
立ち去り際に、老婆は言った。
「回復したら、親のところに送り届けてやるから、それまではここにいなさい」
そういって、老婆は部屋から出て行った。
私は再び窓の外へと目をやった。見たこともない森の風景―――村の近くではなさそうだ。いったいどうしてこんな所にやって来たのだろうか。川に落ちた後、流されてきた?―――少々無理のある説明だとは思ったが、他の理由も思いつかなかったので、そういうことにして自分を納得させておくことにした。
しばらく後、私は再び眠りに落ちた。
その次に目覚めたのは、真夜中だった。
ふと、窓の外に不思議な光を感じ、窓ガラスに顔を近づけて夜空を見上げると、地平線へと流れ星が無数に降り注いでいるのが見えた。その光景に驚き、外に出てそれを見てみたいと思った私は、窓の鍵を外し、がらっと窓を引き開けた。冷たい空気が部屋の中へ流れ込んできた。
窓を乗り越えて外に出て、月と星の光を青白く反射する残り雪を踏みながら、庭の中央辺りまで歩いていって星空を見上げると、天空一杯に流れ星がひっきりなしに流れ、光のどしゃ降りとなって大地へと降り注いでくる様子が視界一杯に広がった。
しばらくの間、私はその神秘的な光景に目を奪われていた。やがて、その光景も見飽きて、夜の寒さが体温を奪うのを感じると、私は部屋の中に戻って、眠りについた。
翌朝。
窓から差し込む朝の日差しに起こされ、ねぼけ眼をこすりながら窓の外に目をやると、庭のある一点に強い光を感じた。ちょうど昨夜の流星雨を思い起こさせる光の色―――。驚いて目をぱちくりさせ、もう一度そこを見やると、いつのまにか光は消えていて、その場所には台車に積まれた何か黒い土―――腐葉土のようなものがあった。
気のせいだったのだろうか―――そう思いつつ、その台車のまわりを眺めていると、何やらあの老婆が、くわで土を掘り返して、台車に載せられていた黒い土と混ぜていた。
老婆がその作業を行うのをしばらく眺めていると、突然、老婆はくわを置いて、その場にしゃがみ込んでしまった。どうやら、何かのはずみで腰を痛めてしまったらしい。私はどうしようか、と戸惑ったが、困っている人は助けてあげなさい、との母の言いつけを思い返し、昨夜のように窓の鍵を開けて、窓を乗り越えて庭に出て、老婆のもとに走っていった。
「てて……、おい、大丈夫かい? 寝てなくて」
老婆が駆けて来た私に言った。うん、大丈夫、と私は返事をして、老婆の家の側に置いてあったベンチまで老婆を連れて行った。
この時初めて私は、日の光の下で老婆の家を見た。ごく普通の森の中の一軒屋、といった感じの家ではあるが、使われている材木がまるでまだ生きているような感じがして、不思議な雰囲気を漂わせていた。
老婆をベンチに座らせた後、私は少し緊張しながら、老婆の作業を手伝いをすることを申し出た。老婆は私の体を心配しながらも、お礼を言って、作業のやり方を説明してくれた。大体の手順は先ほどまで老婆の作業を見ていればわかるとおり、台車の上の腐葉土をくわを使って土とかき混ぜれば良いのだそうで、どれくらいの深さまでかき混ぜればよいのか、どんな要領でかき混ぜればいいのか、などの細かい部分も教えてくれた。
老婆の指示に従って、私は作業を始めた。台車の上の土を撒いて、雪の残る地面とかき混ぜる。最初のうちは楽しくやれたが、三十分もすると疲れてきて、しんどくなってきた。休み休み作業を続けながら、時たまベンチに座っている老婆のほうに目をやると、そんな私の様子を、母のような優しい目で眺めているのであった。
次第に日も高くなっていき、昼頃になった時。老婆の声で、作業は一旦中断され、昼ご飯のために家の中へ戻った。家に入る前に、私は自分の作業の成果をみた。まだ庭の五分の一程度を混ぜ返したに過ぎなかった。
ダイニングのテーブルは、大きな木の幹をそのまま輪切りにして使っているようだった。老婆の出した、干した野草のようなものの入った粥は、ほろ苦いような、甘酸っぱいような、不思議な香りと味がした。
昼食後、老婆も復帰して、二人で例の作業を再開した。その頃には、私が最初老婆に対して抱いていた警戒心も、もう無くなっていた。
昼食後の作業中は、午前中の時とは比較にならないほど体調は快調だった―――今思えば、老婆が昼食に出してくれた粥の効能だったのかもしれない。速いペースで作業は進み、それから二時間もたった頃には、庭の半分の作業は終わっていた。
「”生まれ変わり”というものを信じるかい、坊主」
休憩時間に、老婆は私に問い掛けた。ううん、と私は首を横に振った。
すると、老婆は、台車の上の腐葉土を指さして、言った。
「火葬され、燃やされた人間の肉体は、二酸化炭素という空気の成分の一つになって大気に溶け込み、その二酸化炭素は植物が光合成で取り入れてその枝葉となり、やがて朽ち果てた植物はあのような腐葉土となって、また新たな植物を育てる。植物は草食動物に食べられ、草食動物は肉食動物の餌食となり、その肉体となる―――やがては再び人間の肉体となるものもあるだろう……」
老婆は頭上の澄み渡った青空を見上げ、続けた。
「死んだ物も肉体も、その肉体を構成する物質は滅びることはない……。時には風と、時には土と、時には他の生命となり、ずっとこの大地に息づいていく……。そういう意味では、”生まれ変わり”という考え方は正しいといえるんだよ」
まだ幼かった私は、老婆の話はよくわからなかった。だが、その話を聞いて私は、煙突から立ち昇る母の生命の名残を眺めながら聞いた、父の話を思い返していた。
―――お母さんは死んじゃったけど、魂は草木や風や―――この大地の中の新しい命に生まれ変わって、ずっと俺たちのことを見守っていてくれるんだ……
日もすっかり暮れた頃、私たち二人は庭の全部の分の作業を終えた。
老婆は私に何度もお礼を言って、その後、今日はもうすっかり遅くなってしまったけども、お前ももうすっかり回復したようだから、明日には村に送り届けてやれそうだ、と言った。
昼食と同じ粥に、見たこともない動物の干物がついた夕食を食べた後、私は今朝まで寝ていたベッドに戻り、眠りについた。
その夜の眠りの中で、私は母の夢を見た。
夢の中で、母は優しく私を抱いた。私は、生まれたばかりの赤ん坊に戻ったような気持ちで、母に抱かれていた。永遠とも、一瞬とも思える時間、私は母の胸の暖かさの中に身をゆだねた。
だが、母は私を離した。私を離した後、母の姿は闇の中へと溶け込んでしまったかのように私の視界から掻き消えてしまった。闇の中に、なおも母の姿を探す私の目の前に、突如として、光の土砂降りが降り注いだ。昨夜見た、あの流星雨……。
降り注ぐ流星は次第に増えてゆき、やがて一閃の閃光となった。閃光の後、私の視界には、昼間老婆の見た、澄み渡った青空が広がった……
青空が老婆の家の天井に変わった。私は目覚めた。私の目には涙が溜まっていた。起き上がると、頬に一筋の涙が流れた。
ふと、私は周囲の気配が昨日とは全く違っていることに気がついた。空気が暖かく、心地よい。外からは鳥の歌声が聞こえてくる。
窓の外の光景を見て、私は驚愕した。木々が青々と萌えている。残り雪の白は消え去り、代わって庭一面に、白いタンポポの綿帽子が咲いていた―――たった一晩で、晩冬が春に変わっていた。
唖然としながらその光景を眺めていると、老婆が庭に立ち、一面のタンポポ畑を眺めている様子が見えた。私は興奮して玄関の方へ駆けて行き、外に出て、老婆の下へと走った。
そうしてやって来た私に、老婆は言った。
「……ごらん。冬、雪の下で死んでいったたくさんの生き物たちは、春、こうして新たな命となって花咲く……。この惑星が生まれてから何億年もの間、繰り返され続けてきた生命の営みだ」
そう言って、老婆が口笛を吹き、右手の指を頭上で円を描くようにして振ると、突然風が舞い起こり、無数のタンポポの綿毛が、その風に乗って空高く舞い上がっていった。
舞い上がる綿毛の群れの先の、春の明るい青空には、一筋の雲が流れていた。
「どんな命も、めぐり来る四季の激動を越えて、自らの命を繋いでゆき、次の世代に託す―――そんな使命を負って、この青空へと飛んでいく……。だが、」
老婆はそういうと、私のほうを見やって、続けた。
「人だけは、自らに課す使命を自分自身で決めることができる」
老婆はしゃがみこんで目線を私に合わせ、その優しげな瞳で私の目を覗き込み、言った。
「……母親から託された、坊主の命。その命で何を成すか―――それを決めるまで、坊主はまだここに来るべきじゃないよ」
そう言って、老婆は右手を私の胸にかざした。
突如、私の胸に衝撃が加わった。視界が赤い光に包まれて、私の意識はその赤色の中へと呑み込まれていった………
―――この大きな宇宙の中で、人の命なぞ何の意味もないかもしれない……。だが、大事なのはそこではないよ。重要なのは、この大きな宇宙の中で、お前の意思が何を成すかだ……
―――リンネ……
「リンネ!」
父の呼び声に、私は意識を取り戻した。
私はきょとんとして辺りの景色を見回した。夕暮れ時の冬の空。大部分がまだ雪で覆われた畑。雪解け水でかさが増えた川の流れる音―――どうやら、私が川に落ちてから、さほど時間は経っていないらしい。
私の周りには、母の葬式に参列していた十数人ほどの村人たちが集まっていた。みんな、私が助かったことに対して、安堵の表情を浮かべていた。
「ああ……、リンネ。良かった……!」
意識を取り戻した私の体を、父はぎゅっと抱きしめた。頬に落ちた父の涙が、温かかった……。
その後、父に抱かれて、私は家へと戻っていった。
その道すがら、私はふきのとうが芽吹いているのを見つけて、それを父にも指し示した。本当だ、と、父もにっこりと笑って言った。
春の息吹、雲の流れ―――その時私は、そういった大地の中のもの全てに、母の息使いを感じていた……。
大地が青々となる頃。きれいな球形の綿帽子をかぶったタンポポの花をつんで、その綿帽子をふーっと吹いて、幾本もの綿毛をそよ風に乗せる少年の姿を見ると、少年時代、私が体験したあの不思議な出来事を思い出す。
少年よ。君の生命の欠片は、この惑星の誕生以来、時には風と、時には土と、時には生命となり、巡り来る幾億もの四季を翔けぬけて、今は君の生命としてそこに在る。太古の昔より受け継がれてきたその魂のエネルギーをもって、これから巡り来るであろう幾つもの冬を乗り越えてゆけ。
〜Fin〜