
02/05/03
バリア‐フリー【barrier free】(バリアは障壁・障害の意)
身体障害者が社会生活を営むうえで、支障がないように施設を設計すること。また、そのように設計されたもの。 (広辞苑)
たとえ、ハード面が整備されたとしても、人が人に差別されるならば、命に価値基準が設けられるならば、それは見えないバリアーとなり、障害者のみならず、全ての人、その社会生活の支障となるでしょう。
本当のバリアフリー社会というのは、
いかなる命も、役に立つからとか、優れているからとか、美しいから等と評価されから価値があるのではなく、少数者だからといって差別されるのではなく、或は、希少だからと言って珍重されるのではなく、同じように尊重され、その命を全うできる社会。
障害が有ろうと無かろうと、助けが必要な人には手が差し延べられ、人と人との間で当たり前に生活できる社会。
それこそが本当のバリアフリー社会であり、障害が有ろうと無かろうと、全ての人がその命を全うできる社会です。
そうした面から、NHK特集「奇跡の詩人」はどうだったでしょうか。
それから、いつも腹立たしいのは、障害を持った芸術家の扱いです。
盲目のピアニストとか、口で描く画家とか、知恵遅れのとか、脳性麻痺のとか。
障害者を舐めないで欲しい。
障害があるのに頑張ったね、という扱いをやめて欲しい。それは、芸術とは別次元の事です。
書きたい、演奏したい、歌いたい等、表現したいという芸術的欲求に突き動かされるならば、実行するのです。
絵を描きたいという、止むに止まれない芸術的欲求があるのならば、筆を持つのです。 手で持てなければ足で、足で持てなければ口で、芸術的欲求に突き動かされたら、やるのです。
自分のできる事で、自分を表現しようとするのは、芸術家としても、人間としても当たり前の事で、努力や苦労などというものでは無く、人から評価されるものでは無く、そんなもので、表現行為を評価しないで欲しい。
障害者に対して失礼です。障害者の、のみならず、全ての表現行為を、馬鹿にしています。
例えば、沢山の絵にまじって、一つの絵がある。 その絵に心を動かされ、どんな人が描いているんだろうと知りたくなって調べたら、障害者だった。 こうあるべきです。
私が障害を持った、芸術家なら、やがて障害を憎むようになるかも知れません。
初めは、障害があるからという事で注目され、自分の作品が多くの人に知られるようになって、嬉しいかもしれません。
しかし、それは直ぐ不満に変わるでしょう。 障害者が書いたという色眼鏡をとって、俺の作品を見てくれ、俺の絵はどうなんだ、色眼鏡無しに、芸術として、あんたの心を動かすのかと。
障害者であるが故、先入観を持たれて、作品を直に感じて貰えないとしたら、芸術家として障害を恨むようになるかもしれません。
女性なら、比較的わかって貰える感情かもしれません。
正当な抗議を、女のヒステリーと扱われたり、女なのに良くやったとなど評価されたりするからです。
女なのに、こんな文章が書けるのかといわれる”女流”作家とか、”美人”ピアニストとか、本質と関係のない事で評価される事ばかりなので。
そんな風に感じてしまうのは、私が人の評価を気にしすぎるからかもしれません。
芸術家は、人の評価など気にせず、表現し続けるのかもしれません。私は芸術家ではないのでわかりませんが。
以上のような事を踏まえて、NHK特集の「奇跡の詩人」です。
見ていない方の為に番組を要約すると、
出生直後の大手術の影響で脳障害を負い、脳性麻痺になった少年、日木流奈(ひき・るな)君が、ドーマン法という過酷なリハビリ訓練を通して、文字盤によるコミュニケーションを獲得し、哲学書から天文書まで2千冊以上の本を読み、人を感動させ癒しを与える詩や文章を書く、というドキュメントです。
この番組が、障害者に希望を与えるのだそうです。 本当でしょうか?
このことについて、あの番組は何も答えてくれません。
なぜなら、ドーマン法について、何ら検証がなされていないからです。
ドーマン法を行った障害者に、平均して、どれくらいの効果があったのか、他の方法に比べてどうなのか、流奈君の例は特殊なのか、連続した成果の最高の例なのか? 機能回復の過程や他の例が全く示されていません。
誰にでも、今までの方法より、一定以上の効果があるリハビリ法が開発されたというのなら、お金がかかっても、また、過酷だけれど、それに耐えた後に何らかの成長がもたらされると、希望を持つ事ができます。それなら理解できます。
しかし、”奇跡の”と冠されているという事は、絶対にあり得ないから、或は、ほとんど起こらないから、そう冠されている訳で、絶対か殆どあり得ない事が、障害者にとって、一体、何の希望になるのでしょう。
こうした番組こそが、障害者をはじめ、全ての人を不幸にするのです。
頑張って、障害を乗り越え、競争に勝ち、勝利をつかみ取る。人の役に立つ価値ある事を為し遂げる。(過酷なリハビリ訓練を通して、文字盤によるコミュニケーションを獲得し、哲学書から天文書まで2千冊以上の本を読み、人を感動させ癒しを与える詩や文章を書く) これこそ、人が生きる道だ。 人間の、命の尊さの証明だ。 人間らしさの証だ。 人間の可能性の証明だ。
では、
頑張れない人間は? 障害を乗り越えられない人間は? 競争に勝てない人間は? 人の役に立てない人間は? 何も成し遂げられない人間は?
本当に必要な事とは、
例えば、あの番組の中でいえば、他の家族との交流に、当たり前のように流奈君がいる社会。
彼が、2千冊以上の本を読もうが読んでいまいが、詩なんて書こうが書くまいが、文字盤でコミュニケーションをしようがしまいが、関係なく、当たり前に受け入れられている社会。
何かを成し遂げたから、何かの価値があるから、彼の周りに人がいるのではなく、当たり前に、人の輪の中に、彼がいる社会です。どこへ行っても自然に。
これは障害者に限った事ではなく、全ての人に言える事です。
誰もが、何らかの障害を持って生きています。
いじめられれば、或は、犯罪の被害に遭えば、人が怖くなる。 レイプされれば、男性が怖くなる。
それほどではなくとも、人は、誰かに傷つけられた傷を持ち、誰かを傷つけた傷を持ち、悩みを持って生きています。
もし、乗り越えられたなら、それは素晴らしい。しかし、乗り越えられなくても、生きているだけで素晴らしい。
乗り越えられなくても、頑張れなくても、弱くても、受け入れられ、当たり前に生きていける社会。
それこそが、全ての人にとって、必要な事でしょう。
今の社会の息苦しさの一つは、全ての人間に競争を強制する事です。何かしらを成し遂げる事を強制します。そして、勝った者こそが、何かを成し遂げた者こそが、何かしらの価値を持つ者こそが、一定の基準以上の者こそが生きるに相応しいと言っているようです。
そんな社会は、誰にとっても、生きにくい社会ではありませんか?
NHK特集「奇跡の詩人」は、それを助長していませんか? がんばりを強制しませんか?
次に、あの番組を成立させている、文字盤を用いたコミュニケーションについて。
見た方は、どのように思われたでしょうか?
子供を懐に抱え込み、右手にボードを持ち、左手で子供の手を持ち、子供の手の動きをサポートし、母親が喋る速度と同じぐらい早く、文字盤を指さす。すごい速度です。
脳性麻痺でしょう?
脳性麻痺は、麻痺の形として、強剛性とアテトーゼ型に分けられます。
強剛性(痙直型)は、読んで字の如く、体が固く硬直してしまう麻痺。
アテトーゼ型は、下らないお笑いタレントが真似をする、自分の意志とは違って、体が動いてしまうもの。
手足、特に先端を不自然にひねったり、過度に曲げ伸ばしをする。顔をしかめたり、首をねじ曲げたり。自分の動かしたいように動かず、そうなってしまう場合が多い。精神的緊張、動作を始める時に起こりやすい。
アテトーシスとも言う。
また、麻痺の分布から、単麻痺、四肢麻痺、三肢麻痺、片麻痺、対麻痺(両足)など、分類されます。
出演した子供の場合、歩行訓練で両足に尖足が見られたと記憶しています。また、入浴シーンを見る限り、両手にも麻痺が見られ、強剛性の四肢麻痺である事が解ります。見た限りでは、アテトーシスは、あまり見受けられませんでした。
(尖足とは、足関節が底側に曲がってしまって、反対側に反らす事が出来なくなった状態。脳性麻痺が原因の場合、底屈の筋緊張が高まり生じます。)(尖足変形は、発病初めには矯正できるが、やがて、軟部組織が短縮し、骨が変形し固定され、外科手術のみの治療となる。)
その麻痺の程度から、あの速度は信じられませんでした。しかも、母親が力ずくで動かしているような場面もあります。
私は、「なに、これ。」「母親が動かしてるじゃん。」と思いました。母親が勝手に子供の手を動かしているようにしか見えませんでした。
これについて、番組では、何ら検証されていませんでした。
だから、待っていました。
批判が続出するだろうから、それに対してどのように答えるかで、検証などせずとも、本当の事が解ると思ったからです。
その答えが出ました。
http://www.zakzak.co.jp/top/t-2002_05/2t2002050203.htmlより、一部転載
ある医療関係者は「母の意思で手を動かしているのだろう。第三者による検証はできるはずで、それがなければ信じられない」と話す。
一方、流奈君の父、貴さん(34)は視聴者の反応について「真実であるとしかいいようがなく、どう言っても、分かってくれる方は分かるし、分からない方は分からない。だから、真偽の話で流奈のエネルギーを使って弁明しようとも思いませんし、そのような(真偽を問う)取材には応じられません」と話した。
ZAKZAK 2002/05/02
流奈君は、息をするのも辛いと言いつつ、何を訴えていたのでしょう。
人々の幸せ、世界の平和、愛の重要性などを訴え、大人達にメッセージを残そうとしていました。
なのに、どうして、「分かってくれる方は分かるし、分からない方は分からない。だから、真偽の話で流奈のエネルギーを使って弁明しようとも思いませんし、そのような(真偽を問う)取材には応じられません。」等と父親は言うのでしょうか?
世の中が、
こんなにもおかしいのは、
息苦しいのは、
不幸なのは、
争いに満ちているのは、
分からない人が大勢いるからでしょう?
騙されている人が大勢いるからでしょう?
(だから、私は書いています)
分からない人にこそ、分って貰う事が重要でしょう?
ただ、真偽を問う取材には応じれば良いのです。あんなに長い取材より、遙かに簡単で負担が少ない。
どうせ、母親でなければ駄目だと言うに決まっているので、こうすればいいでしょう。
流奈君は、耳が聞こえるどころか敏感である。つまり聞き取りに支障がない。
母親は、文字盤を読み上げているのだから、聴覚は関係なく文字盤を見るだけでよい。
母親に、クイズなどでお馴染みの密閉型ヘッドフォンをつけて貰い、大音量で音楽を流し、第三者が流奈君と会話できるか試してみれば良い。
母親が読唇術を使える可能性も考慮し、会話する人間は、唇を隠す。
これで、母親が喋っているのではないと、自分で動けない・しゃべれない障害児を利用した腹話術ではないと、子供の指す文字盤を読んでいるだけだと、完璧な検証ができるでしょう。
たった、これだけです。取材時間30分も掛かりません。
そうやって、証明しさえすれば、
分らない人に分って貰えるチャンスが生まれ、疑って、その言葉に耳を傾けなかった人が、真剣になって聞いてくれるようになるかもしれません。
社会を変えようと願うならば、分らない人をどうやって説得するかが、最も重要であると同時に、いやそれよりも、耳を傾けて貰う事が、最も難しい事です。
ところが、彼は、疑いを晴らし、奇跡であると証明する事により、容易に、そのハードルを越える事ができるという、武器を持っています。
なぜ、それを使って、人々に語りかけようとしないのでしょう?
人々の幸せ、世界の平和、愛の重要性などを訴えているのに、最大のチャンスを生かさないのでしょう?
通常の人間に与えられていない武器です。世の中を良くしようと、私もここで文章を書いています。
テレビに出て、注目され、しかも、真実だと証明するだけで、さらに多くの人に理解して貰える機会を作り、更に、本当の奇跡だと名声を高め、今まで見向きもしなかったような人々にメッセージを送る事ができるチャンスなのに、何故それをしないのか?
それは、ペテンだからです。
とんだ偽物でした。障害児を教祖に仕立てた、新手の詐欺、金集めの新興宗教でした。(アメリカかどこかで、先例があるらしいです。)
私には、そうとしか思えません。
残そうとしているメッセージと、実際の行動、つまり、更に多くの人に伝え世の中を良くするチャンスなのに、証明しない事の矛盾によって、自ら、ペテンだと証言したようなものです。
NHKの見解はこうです。
http://www.nhk.or.jp/special/schedule/top2-0205xx.htmlより要約
「お母さんが自分で話しているのではないかという点については、流奈くん自身が、非常にゆっくりですが、補助を受けずに文字盤を指して言葉をつくれることを確認しています。」といい、
取材スタッフは、お母さんの知らないことを流奈くんが話すケースを何回も確認。
お父さんや親しいボランティアの人も文字盤を使って簡単な意志疎通ができること。
主に、以上をもって、確かな事だとのべています。
知性のかけらもありません。 何ら検証されていません。
補助を受けずに文字盤を指して言葉をつくれる。
お父さんや親しいボランティアの人も、文字盤を使って簡単な意志疎通ができる。
それらが一体、何の証明になるのでしょう。
私は、字が書けます。
字が書けたら、面白い小説が書けるのでしょうか? 美しい詩が書けるのでしょうか? 難解な学問的論文が書けるのでしょうか?
文字が書ける事と、それらを書く能力は全く別な事です。 当たり前でしょう。
なぜ、「非常にゆっくりですが、補助を受けずに文字盤を指して言葉をつくれること」や「簡単な意志疎通ができること」が、母親を通して語られた言葉が、彼の物だと証明しているのでしょう。
NHKの特集番組は、比較的良いものがあります。(ドキュメント物は、問題が起こって犠牲者が出た後で報道するので、現実には役立たずの、言い訳程度の意味しかなく、やらないよりはマシと言った物で、本質は報道しないので、再発防止の役にも立たない。)
しかし、今回の番組は一体なんでしょう。あまりに酷い代物です。
まるで、新興宗教の勧誘ビデオのようです。
仮に事実だとしても、そんな机上の言葉に意味があるのでしょうか。
番組は言います。
「流奈君は、養護学校に籍を置いていますが、通学はしていません。
地元の小学校に通う葉月さん(ボランティアでリハビリを助けてくれる家族の娘)は、学校や遊びなど同年代の子供達について直接知る事ができる数少ない友達です。」と。
人間というのは、人間関係の中で揉まれ、感情的経験を積み重ね成長していくものです。
人間の善意、好意、愛情、理解される事の暖かさなど。
人間の欲望、様々の作為、悪意、嫉妬や妬み。違った考えの持ち主との衝突などなど。
様々な人々、様々な出来事、様々な感情の荒波の中で、色々な事を体験し、失敗もし、心を育てていきます。
本で学ぶ事があっても、それが現実の中で生かされ、実行できて検証され、納得し身に付いて、自分の血となり肉となって初めて意味を持ちます。そうした経緯を経ていない物は、単なる頭の中の知識に過ぎないでしょう。
(私も頭でっかちの方なので、人の事を余り言えませんが。)
昔の人だったら言うでしょう、
「世間の荒波に揉まれた事のない人間が、何ふざけた寝言を言ってるんだ。」と。
アメリカなどでは、飛び級があり、小学生の年齢でも博士号を取得している人間がいます。
ところが、そのことが問題になっています。知性は、伸びているけれども、学校では年の離れた人ばかりなので、同年代との人間的付き合いが少なく、感情的体験も少なく、知性と感情のバランスが良くないと。
知性ばかり発達しているが、人間的中身は、体験と人間関係の貧困さから、年齢以下の子供であると。
自分の家族、ボランティアの人々、自分の講演を聴きに来る人、そうした人間としか関わりが無く、人間が見せる、むき出しの欲望、むき出しの悪意、徹底した無知や無関心、そうしたものに、曝された経験もなく、人の渦の中に投げ込まれ、揉まれた事のない人間に、一体何が語れるのでしょうか?
彼のウリは、脳性麻痺児・その年齢にはあり得ないレベルの表現と、哲学書から天文書まで2千冊以上の本を読んだ事です。
しかし、その障害と年齢、2千冊以上の読書というハッタリを剥ぎ取ってしまえば、実に陳腐な言葉ばかりです。
何かに悩み、自力で何とかしようと、本を読んだり、精神世界や、セミナーか何かに首を突っ込んだ事がある人なら、お馴染みの言葉ばかりです。
こだわりを捨てれば、自由になれる。
障害があるとか無いとか、人と比べたりしない。
愛が全て。
自分を否定されない環境があった。
などなど。
本屋に行けば溢れています。彼独自の言葉など、何も感じられませんでした。
精神世界や、セルフヘルプ、人生訓に、アダルトチルドレン、神経症に対人恐怖などなど。
言うは易し、行うは難し。 現実には、読んで頭に入った後、様々な経験を積み、やっと、この事だったのかと、理解できる事です。
彼独自の言葉など、何も感じられませんでした。
さらに、詩についても納得できません。(その芸術的評価は、人によるでしょうが。)
心が動かされるどころか、胡散臭さが募るばかりです。
テレビでは、
「言葉、
渇いた喉の染み入るジュースのように、
脳に染み入る言葉。」
などと、言っていました。正確には覚えていません。
全く変な印象です。腑に落ちません。
彼は耳は確かで、敏感すぎるといっていました。そして、3才でリハビリをはじめ、5歳の時初めて、ボードによるコミュニケーションを獲得したとの事。
人間は、見る事と同時に聞く事、それらの蓄積により、ある時期を超えると、発語し、言語による表現が開始されます。
彼の場合、入力は問題なく、出力を5歳の時初めて獲得した事になります。
ならば、本当に知性の問題がないならば、彼の中には、表現したくても出来ない言葉が溢れていたはずで、ボードによるコミュニケーションを獲得した時に、自分の指先からほとばしり出る、自分の言葉を経験したはずです。
彼の言葉の身体感覚としては、入って来るのではなく、聞く事によって中に溢れていた物が、やっと出て行く初体験、表現するという初体験、その感覚の方が強烈だったはずです。耳は確かなのですから。
同時に、彼の表情を見ていると、場面場面に全く無関係な表情を浮かべている事が良くあります。
それから考えれば、ボードによるコミュニケーションを獲得した時に初めて、自分の感情に正確に反応してくれる他人に出会う初めての経験、理解してもらい、人と繋がる初めての経験をしたはずです。表情で表現できないのですから。
テレビからの印象だけですが。
彼の語る言葉、全てから、彼らしさや、彼の身体感覚が伝わってきません。表現に対する情熱も。
余りに空虚で、余りに他人事で、抽象的で、非肉体的で、何も心に伝わってきませんでした。何かヒントでもと、期待して見ていたのに。
それが、私の感想でした。
それにしても、哲学から天文学まで2千冊以上読んだという人間が、小学校の通信教育教材を面白いと言い、それをもう終わっちゃったと自慢してみせる矛盾は、何なのでしょう。
それとも、ほとんど唯一の友達、愛しているという、大好きな女の子の前で、上がっちゃったのでしょうか。或は、かっこつけてみせる子供らしさだったのでしょうか。
しかし、人に人生を語ってしまうほどならば、そんな自慢は嫌われるという、当たり前の事が分らないのは、いかがなものか。と言うよりも、そんな自慢をしてしまう程度の人間性とは、いかに?
真実だとするならば、それが、本で読んだだけの人間の限界でしょう。何も体現していないと言う事です。
確かにリハビリは、相当の苦労でしょう。しかし、それのみであって、年齢以上の人生経験を出来るはずがありません。それどころか、上記のように、同年代の子供が体験しているはずの諸々の事を一切体験していません。
だとするなら、あの番組は、二千冊以上読んだという事に価値を見いだしているのでしょうか。
(それにしては、彼の知性・知識が発揮された言葉は何もありませんでしたね。上記のような自慢をする人間性なのに。)
それは、頭でっかちという言葉を忘れた、偏差値偏重主義の弊害では?
それとも、脳性麻痺と言わず、脳障害と言う事で、イディオ・サバンとの連想を匂わし、脳の神秘に惹かれている?それにしては、検証が全くありませんでした。
とにかく、????という番組でした。
陳腐な言葉・机上の言葉、その価値は別にして、本当ならば、医学的に、すごい事です。上に引用したZAKZAK記事の最後の部分、
「同番組の内容について、山野美容芸術短期大学の中原英臣教授(医学博士)は「もし真実なら大変なことで、多くの障害児と親には光明となる。それだけに番組内で機能回復の過程を説明したり、検証すべきだった。できるだけ早く、医学的に実証すべきだと思います」と話している。」
と言う意見の通り、医学的検証を望みます。
でなければ、彼らの著作とドーマン法のプロモーション番組でしか有りません。
もし、印象通りのペテンであったならば、或は、好意的に解釈し、現実を認めたくない親の妄想ならば、早急に親子共々救ってあげなければなりません。
「辻元清美議員にまつわる一連の騒動について」や「民主国家になる日は来る?」の一部をはじめ、いままで書いたように、国が、国民を騙し、再び戦争に向かおうとしている今、余りにも情けない限りです。
マスコミは、規制三法案に対して、疑惑が追及できなくなると言っています。
しかし、疑惑を追及した事など有りません。これを報道しなさいと、リークされた物、許された物だけを報道しているに過ぎません。
鈴木宗男を追求しているが如きですが、ムネオハウスは、ODA以下の最も小さい問題です。
保坂展人議員の政界レポート「保坂展人の突風行脚の記」に記されているように、ソンドゥ・ミリウ水力発電事業は200億円近い事業の疑惑、マクユニ・ンゴロンゴロ道路整備計画は30億以上の問題。
外務省の必死さ、日本の官僚・政治家の体質からすれば、日本のODA総額、約1兆4,500億円(2000年支出純額ベース)全てに疑問が湧いてきます。そうした大問題であるにも係わらず、どこか追求していますか? 報道していますか?
機密費を、一人の犯罪の問題にすり替え、その後、田中真紀子の首を切り、隠蔽しようとする小泉政権の追求は?
小さな問題で、鈴木宗男をトカゲの尻尾として切り、すべて闇に葬ろうという事でしょう?
狂牛病という、国民全ての健康を危険に曝す大罪を、産地偽装という小さな問題で打ち消し、厚生労働省・農水省を庇って、追求しないマスコミは、誰の味方?
二度とマスコミが生き返れないようにするような法律には反対ですが、既に死んでいますから。マスコミは。
メディア規制三法には反対と騒いでいるけれども、規制されるどころか、政府に協力させられる、有事法制に反対しないとはこれ如何に?
戦前日本が、ナチス独裁のドイツと防共協定を結ぶという、その後の日本の運命に係わる大問題の時、当時のマスコミは、阿部定で大騒ぎをしていましたとさ。
インターネットなどで情報を収集したり、自分の頭で考えようとする人は、良いのですが、「奇跡の詩人」は14.2%(ビデオリサーチ調べ=関東)という高視聴率を記録し、視聴者から電話やメールで寄せられた意見は1日までに約1300件。賛否は「ほぼ半々」だそうです。
否定しないまでも、検証が全くないあの番組の作り方で賛美してしまう人というのは、ほんとに・・・
やっぱり、改革無くして成長無しとか、備えあれば憂いなしですか・・・
文句を言う事が大切です。
政治家は、落選すればただの人ですから、選挙民の意見に敏感です。
マスコミは、視聴率が無視できず、同時に、多数の抗議に敏感です。
多くの人が抗議すれば、対処せずにいられません。 声を上げる事が大切です。
私は、しつこいクレーマーよろしく、メールを書いています。勿論、短く、礼儀正しい、素朴な疑問を一通ですが。
02/05/03