メディアリテラシー


 湾岸戦争で、イラク憎しの世論を煽った、原油まみれの水鳥が、実は、全く無関係のタンカー事故による映像だった事を知っている日本人がどれ位いるのでしょうか。これはイギリスのメディアが意図的に流したものでした。
(と記憶していたのですが、アメリカの攻撃による破壊で流れ出した原油による映像だとの話もあります。正しいのは、どちらでしょう。)

同じく、イラク兵をぶち殺せと世論を煽った、「病院に侵入したイラク兵が、保育器の中の赤ん坊を空中に放り投げ、銃剣で串刺しにしている。」とされた報道が、駐米クウェート大使とアメリカのメディアコンサルティング会社による捏造で、証言した少女が、駐米クウェート大使の娘であり、ずっとアメリカにいた事実を知っている日本人はどれ位いるのでしょうか。

数年前、このような事を教材として使用し、メディアリテラシーを行っているとカナダの中学校のドキュメントを見ました。

情報というのは、客観的な物ではなく、事実その物ではなく、作り手がいる事。ニュースも例外ではない事。
映像を撮り、編集をし、ナレーションを入れ、BGMを入れるという演出が施されている作品である事。
だから、スーパーなどで商品を見比べ良い物を選ぶのと同様に、メディアが伝える物を、選別する力を付けなければならない。と教えます。
雰囲気に騙されず、事実かどうか確認し、反対意見を考慮してみる、一つの立場から、一方向の情報の洪水には注意する、等々。
メディアに騙されないように教え、すべてのメディアを基本的に宣伝であると教え、それに対応し、生きていかなければならない時代にいると教えています。

その実例として、一つの映像が、BGMによってどれだけ印象が変わるか、ナレーションによりどんなに意味が違ってしまうかなど、ビデオによる授業が行われています。
また、企業の調子の良いコマーシャルに乗せられず、賢い消費者にならなければ、と教えます。
メディアが人を騙した実例として、上の湾岸戦争の例が用いられていました。

当然、このような事は、我が国の奴隷化教育には、あるはずがありません。


このような教育の中、「どうしても避けて通れない小泉純一郎批判」で、みたような人間、そして偽の改革の支持率が、メディアに煽られ、国民の改革への熱望を盗み90%近くの支持率を得ている。 本当に恐ろしい現実です。絶望的です。
恐ろしい状況なのに、国民の方は、改革が行われ良くなるかもしれないと期待を抱き、彼の行くところ多くの人集りです。

まるで戦前の提灯行列のようです。
当時のメディア、新聞・ラジオは、ミッドウェー海戦で我が艦隊大勝利と報道し、これを喜んだ国民は、提灯を持って市街を練り歩いたのです。小泉純一郎が総理になったと喜び、地元でやったあれです。報道を見た方もいるかもしれません。
現実はどうだったかというと、海軍の暗号が解読されていて、アメリカ側の損害が空母一隻に対して、我が国は、作戦に参加した空母四隻全てと重巡洋艦一隻を撃沈され、空母搭載飛行機285機全部を失い、多数の搭乗者を失い殆ど完敗でした。
これを機に我が国は敗戦に向かって真っ逆さまに落ちていきます。


日本人にとってメディアは、「日本人の自我の在り方」「世間の変化」で見たように疑似世間であり、ただの情報源ではないので、より一層の注意が必要です。
テレビを疑似世間としている我々は、情報により説明・説得などの必要が無く、小泉人気にみる通り、雰囲気を作り出されれば、それに乗せられてしまうという状況です。

注意が必要どころか、日本中の緊急車両のサイレンを鳴らし警告しても、もう手遅れのような状態かもしれません。
先の戦争で、数千万人を殺し、自らも三百数十万人死んでも学ぼうとしないのですから。

ファシズムというのは、一部の人間が、ある考えを持って、その考えを全体に強制するのではありません。
その考えを、全体に共有させてしまう、民衆を熱狂させ、民衆自体に反論を弾圧させてしまう、これがファシズムの恐ろしさです。
全体に共有させる過程で、強制やダマシが存在するけれども、最終的には、民衆自身がファシズムの主体になるのです。

こうした事を考えると、中身を全く判断せず、小泉批判、真紀子批判をすると、その中身についての批判ではなく、批判自体するなと、山のような抗議が殺到するという現状は、きわめて危険な現象と言わざるを得ません。

メディアリテラシーの教育を行わないと言うことは、騙しやすい国民を作ると言う事です。


 たとえば、先日起きた、将棋倒し事件の報道は、事実確認もせず、出来るだけセンセーショナルな方が面白いという、報道の悪い典型と言えます。それだけなら、まだ許せます。
しかし結局、警備の問題を、行政と警察への責任追求を、報道が矛先を逸らせ、弛める効果を果たしていると言う事は事実です。意図的な報道なら大問題です。

薬害エイズの時、大問題になっては困るので、責任追及を逃れる為に、国内エイズ患者発生第一号である、薬害エイズ患者を隠し、同性愛者のエイズ患者発生まで待って、それを第一号と発表した情報操作の手法です。
人間は先入観で判断する、だから、第一報でなるべく責任を逃れられる発表なり報道をする。

これは官僚と医師が行ったものですが、その後マスコミも、問題の根本である厚生省と製薬会社の癒着の構造には深入りせず、金に転んだ阿部医師をスケープゴートにして、問題の核心を糊塗すると言う報道をしてきた事を考えれば、当然信用出来ません。

不思議なのは、はじめは、「茶髪の少年がお婆さんを蹴っていて、酷かったと聞いている。」という、インタビューが、いつの間にか伝聞ではなくなり、見たと変わってきていました。同じ人物のインタビューだったと思います。
このインタビューされている人物に、その話を伝えたのは誰なのか、追求が必要です。
茶髪少年が暴れていた、という目撃談が、尻すぼみになっていく場合は、要注意です。

「事件の直前、茶髪の少年が暴れていた。」と、大々的に報道されました。
申し訳程度の情報として「屋根に上った茶髪少年が、子供を引っ張り上げて助けていた。誘導しようとしていた。」との目撃情報もありますと報道します。
事実確認もなく、このように報道されれば、人々の怒りの矛先は、少年事件が多発しているので、当然、茶髪の少年に向かうでしょう。

しかし、映像を良く見て下さい。あのような状況で、もし子供が転んだら、お年寄りがつまずいたら、暑さでめまいがして倒れたら、心臓発作が起こったら、貧血が起こったら、どうなるのでしょう。

何が原因になろうと、完全なる警備の失敗です。完全なる行政と警察の責任です。

真夜中に猛スピードで暴走する車のようです。事故が起きないのは、ほかの車が無く、普段起こるであろう、交通上のちょっとしたトラブルが無いからです。 もし昼間のように、急に路上駐車のドアが開いたら、ウインカーを出さずに発進してきたら、即大事故です。年末の時は偶然にも事故が無く済んでいたのです。

寒い季節だったから良かったのかもしれません。誰も躓いたり、しなかったのでしょう。気分が悪くなり、パニック状態に陥ったりしなかったのでしょう。暑さでめまいを起こす人もいなかったのでしょう。深夜なので、子供や老人が少なかったのでしょう。

警備会社の多くが、天下りの警察官を迎え、社員も退職警官と言った会社もあり、行政発注なので、イベント専門など大人数の整理や知識のある警備会社に頼まず、或いは警察が直接警備せず、警察関連だと言うだけで、知識のない警備会社に任せたのかもしれません。
私有地や施設内などではない限り、一般道路などで、警備会社が強制的に通行を遮断する権限はないはずです。

なぜ、警察は警備会社の要請を無視しているのか、警察内の派閥争い、つまり、上記の天下りグループとの確執、或いは上記とは全く逆で、行政側の利権で警備会社に任せて、警察は閉め出された事の不満から、警備に非協力的だったかもしれません。
警察が警備に非協力的だった理由の、徹底調査が必要です。

警備会社の要請通り、橋に流入する人々の、交通制限を行っていれば、防げたかもしれません。

普通、花火や祭りなどの警備は、警察が行っていませんか?
地元の場合どうだったのか思い出せませんが、あなたの町ではどうでしょうか。
周辺警備や駐車場なら分かりますが、一本しかない重要で、しかも危険な陸橋の警備が、なぜ、この花火大会では、民間の警備会社に任されたのか、不思議です。
どちらにしても、警備計画を提出し、許可を受けているのだから、許可した者の責任が問われます。

花火は、コンサートなどと同様、終了時刻が決まっていて、一気に人が移動するイベントです。
しかも、花火の場合、遅れて来て最後だけでも見ようとする人と、最初から見ていて満足し、混まないうちに早く帰ろうとする人が交錯し、大混乱になるのは当たり前の事です。

それに加え、
祭りや花見などで、羽目を外した若者や、酒を飲んで酔っぱらった人間が、暴れるのは”当たり前”の事です。
暴れなくても、酔っぱらっていれば、ふらふらして危険です。
コンサートなら、観客が興奮するのは”当たり前”です。それを前提に警備します。

話題のワールドカップでも、暴れるフーリガン対策に頭を痛めていますが、スポーツでも熱狂的ファンが暴れるのは、とくに海外では悲しいかな”当たり前”の事です。起きる事態を予想して、それに対応する方法を考えるのが警備の仕事です。

とくに最近、若者がモラルが無くなっているとか、直ぐに切れるとかの認識があるなら、それに備えるのが警備です。

もし報道通りだったとしても、暴れていたという茶髪少年と、行政・警察は同罪、いやもっと重いでしょう。
ふつう誰も将棋倒しの恐ろしさを知りません。すごい人混みの中にいても、エスカレーターにいても、もしここで誰かがつまづき転んで、将棋倒しにでもなったら大変だなどと想像しません。警備の専門家が危惧する事です。
決して、警備の責任追求を弛めてはなりません。茶髪少年の責任はもちろんですが、決してスケープゴートにしてはなりません。

これが、疑い深い性格から来た、妄想である事を願っています。
汚い利権争いなどで、子供達の尊い命が犠牲になったなど、考えたくもありません。
しかし、メディアという物の報道の仕方、それに対処する方法を常に考えていなければなりません。
メディアは、裏を取る事など一切せず、リーク情報や発表をそのまま報道するので、警察に都合の悪い話は、なかなか出てきません、我々はいいように操られてしまいます。

遺族や死者のプライバシーを取材・報道している暇があったら、もっとやるべき事があるでしょう。
監視カメラの映像を警察が公開しないならば、同じ条件下に同型のカメラを借り出して、検証をするぐらいの事はやるべきでしょう。
警察の言うように、照明の具合で見る事が出来なかったのか、検証が必要でしょう。
そうする事が本当の報道でしょう。「照明の具合で見られませんでした。」 はい、そうですか。では、子供の使いです。

警察に自浄能力がない事が明らかなのは、数々の事件で認識済みでしょう。警察自身の過失を警察により解明出来るはずがありません。
茶髪少年に蹴られたお婆さんはいるのか、助け上げられた、あるいは、助けられようとした子供はいるのか、そちらの方に取材を割くべきです。 それこそ、本当の報道でしょう。
茶髪少年について伝聞の証言をしている人物に、誰がその話を吹き込んだのか、調査が必要です。

しかし、絶対にやらないでしょう、なぜなら、メディアのハイライトが犯罪報道であり、とくにテレビ・新聞は、その情報のほとんどを、正式に発表された物では無い、警察からリークされた情報に頼っているからです。

警察のご機嫌を損ねると、他社が貰える情報も、貰えなくなり、差が付くからです。だから警察に不利になる取材・報道は、絶対に行いません。批判も言い訳程度か、中身のない、検証を伴わない、感情的な批判のみです。
報道が行われる場合は、すでに週刊誌などが報道してしまって、やらないと乗り遅れる場合だけです。

だから、週刊誌などで活動する、まともなジャーナリストを縛る為に、ストーカー被害などで不安な人々の願いにつけ込み、偽の個人情報保護法を作るのです。

本当の意味での報道など行われず、「容疑者の人権」に書いたような、ただの人権侵害ばかりで、我々に被害をもたらすばかりです。
松本サリン事件、この報道犯罪がしっかり総括されて、問題点が報道され、改善されたでしょうか。
全くされていません。相変わらず事件の本質と関わりのない、報道を繰り返しています。

その上、このような物が、報道だと我々は思いこまされ、少年事件などで情報が出てこない場合、人権侵害をしろと、多くの人々が自分の首を絞める行為を要求するようになってしまいました。

とにかく、余りにも杜撰な警備で、酷い事故です。
被害者のご冥福を祈りますと共に、責任追及がしっかり行われ、問題が起こらないようなシステムが作られる事を切に願います。

しかし、このサイト全体を読んでいただければ、無理である事が分かるでしょう。日本において、組織には自浄能力がないからです。

我々自身が、政治・官僚・企業・メディアなどのせいで、自分の置かれている状況に気付かなければ、今回起こった問題一つを取り上げても、たとえ、多少の改善をみても、本質が変わらない限り、繰り返される薬害や汚職を見るまでもなく、事件しろ、事故にしろ再び起こるでしょう。

大阪で起きた、小学校乱入刺殺事件も、なぜ措置入院させられたのに、それが機能していないのかが問題なのに、そうした問題を追求せず、精神障害者の人権を制限する方向に議論を持っていっています。
(その後の報道では、精神障害者を装っていたと伝えられるので、該当しませんが。)

治療がちゃんと行われていない事を改善せず、その結果起こる問題を、精神障害者に負わせて、隔離してしまうなど、躾をせずに、悪い事をした子供をぶん殴るようなものです。我々は、そうすべきでしょうか。
まず議論しなければならないのは、医療の問題でしょう。

「教科書問題」にしても、「靖国神社参拝の問題」にしても、問題点を報道せず、まるで中国や韓国がイチャモンをつけているがごとく報道しています。
我々国民に対する犯罪、世界の平和に対する犯罪であるにも関わらず、感情的に騒いでいるかのような報道をしています。
問題点を報道せず、いたずらに抗議だけを報道すれば、防御反応から反発心が起こるでしょう。
一体、何を目的とした報道なのでしょうか。 反発心を起こさせるのが目的でしょうか。

政治にかかわる問題などの報道をするときは、左右のイデオロギー対決に矮小化させ、実生活に関係のない、上の方でやってる話だと、人々に思わせ、中身を吟味させないようにしてきました。

あちこちに話が飛んでしないました。
メディアリテラシーについて知り、「最大の問題」で見るように、メディアの持つ問題について知り、まるで映画のマトリックスのような状態で、生かされている事に気づかなければなりません。

我々は、日々仕事に追われ、深く考えたり、調べたりするような余裕はありません。
だからこそ、余計に、批判的精神を持ち、メディアに接していかなければなりません。

上記のような疑いは、うがちすぎだと思われるでしょうが、それくらいの意識を持って、報道を疑ってかからないと酷い目に遭います。

バブルの時、危険を警告していた専門家が居たにもかかわらず、メディアに登場するのは、「不動産に投資しない経営者は、時代遅れだ。」といってバブルを煽る堺屋太一のような、官僚のお先棒担ぎばかりです。
マンションを買い換えろ、株を買え、盛んに煽っていました、その結果はどうでしょうか。

メディアを徹底して批判的に見ていかないと、とんでもない所へ連れて行かれてしまいます。


ホームに戻る  前のページに戻る


[PR]看護師の好条件求人なら:転職活動不安ですか?なんでも相談OK!