
日本車輛 東京支店蕨工場の歴史
街の変遷 川口市 芝園団地以前
私が幼い頃に祖父がこの沿線に住んでいたので、線路沿いの1本道からよく電車を眺めていました。ある時、祖父の家
で誰に見せてもらった写真か忘れましたが、近所を写したスナップ写真の背景にすでに何も無くなっている大きな工場が

写りこんでいるのを見てとても不思議でした。それが日本車輛鰍フ車輛工場だと知り、偶然図書館で社史の資料を発見
1978年頃に配置図と年表を大学ノートに書きとめておいたものです。(当時はコピー機が無く半紙に鉛筆でなぞりました)
すでに工場がこの地を去り30年余りの月日が立ち、当時を知る文献もほとんど見あたらないので貴重なテーマとして取り
上げました 文献は日本車輛80年史というタイトルかと思いますが、その書籍も以後手にする事が無く確認していません。

年表
昭和3年 (1928) 4月3日 鉄道省に埼玉県芝村、東京支店工場新用地、専用側線設置申請
5月5日 東京支店工場、新工場建設の為埼玉県北足立郡芝村に土地3万8810坪購入
12月8日 鉄道省から埼玉県芝村東京支店新工場専用側線設置認可受く
昭和4年 (1929) 6月6日 東京支店新工場用地専用側線工事着工
昭和5年 (1930) 5月1日 東京支店新工場用地埋立工事着工 10月2日土盛工事完成し工場建設に着工
昭和9年 (1934) 4月1日 東京支店工場狭 の為埼玉県北足立郡芝村大字芝へ移転、東京支店蕨工場と呼称(建坪5718坪)
鉄道車両・自動車部門操業
10月18日 内村有水路敷205坪無償譲渡 12月28日診療所開設(内科・外科・小児科)
昭和10年(1935) 3月15日 製缶・仕上工場461坪増築 5月20日自動車工場440坪完成 5月28日 閑院宮載仁殿下、本店工場御視察
6月25日 客車組立工場747坪増築 昭和11年(1936) 11月11日 自動車工場240坪増築
昭和12年(1937) 1月28日 唯一の機関車鹿島参宮鉄道向 10tB型 90PS DL完成 2月1日 木工・薄板・溶接工場312坪増築
9月30日 自動車工場359坪増築 ((世相・11月4日 戦艦大和 呉で起工))
昭和13年(1938) 5月20日 組立・自動車・ポイント工場等2818坪増築
昭和14年(1939) 1月10日 朝香宮鳩彦殿下 東京支店蕨工場視察 2月26日親和会発足(共済会のはしり)
5月4日 陸軍々医学校向濾水自動車製作の為自動車工場10日間連続夜勤
昭和15年(1940) 4月1日 蕨工場所在地は川口市芝大字2870番地と呼称変更 6月25日蕨市蕨字宮内に社宅用地1626坪購入
7月3日 資源愛護の日として工場内屑鉄拾い実施 10月19日 陸軍向鉄舟上げ下ろし用桟橋設置
昭和16年(1941) 4月2日 東京支店に私立日本車輛蕨工場青年学校開設 7月1日 東京支店に特設防護団編成
昭和18年(1943) 9月1日 工場事業場管理令により本店工場、鳴海工場、東京支店蕨工場は鉄道大臣管理工場となり監理管が常駐
11月30日 自動車部門休業
昭和19年(1944) 6月9日 川口市芝神戸に徴用工宿舎購入 ((世相・10月24日 レイテ海戦 戦艦武蔵沈没))
12月24日 ロケット砲弾、鉄舟の生産本格化、木製飛行機も設計(翌年原図の段階で終戦)
昭和20年(1945) 2月8日 火災により製材工場焼失 ((世相・4月7日 戦艦大和 沖縄救援途中 南九州沖で沈没))
6月1日 東京支店(丸ビル内)を東京支店蕨工場に移転 8月15日 全従業員 『終戦の詔勅』 録音放送を集合して聞く、
全工場操業停止、本店工場戦災により60%焼失 本店鳴海工場・東京支店蕨工場・仁川支店工場は戦災なし 在外資産
総額2023万円全て喪失 8月21日蕨工場操業開始 11月2日蕨工場で労働組合結成 11月20日賃上げの労働争議発生
昭和21年(1946) 10月1日 東京支店蕨工場に健康保険組合設立
昭和22年(1947) 1月26日 ボイラー室から出火、従業員休憩室・ボイラー室全半焼 5月1日 蕨市内に414坪を借用して助縄社宅20戸建設
8月30日 蕨市蕨字新兵衛の借用地1904坪埋立て、運動場として使用開始、昭和29年7月、同30年1月に購入し野球場とす
昭和23年(1948) 3月6日 過度経済力集中排除指定により蕨工場を第二会社とし分離設立の再編成計画を持株会社整理委員会に提出
昭和27年(1952) 8月18日 長崎国鉄総裁、蕨工場に来訪し日本国有鉄道初の電気式DC キハ44000型視察
昭和29年(1954) 1月10日 蕨工場を電車専門工場にする為の設備増強に着手
昭和32年(1957) 9月16日 分岐器工場用地として貯木池4000u埋立完成 10月16日 赤外線乾燥炉・水洗ブース付高能率塗装工場建設着工
昭和33年(1958) 4月1日 タンクローリー・トレーラー部門生産開始
昭和36年(1961) 4月7日 保税工場の認可受く 5月10日 交流電車試運転設備・電車総合試験場完成
昭和37年(1962) 12月1日 付属独身者用和楽寮完成
昭和38年(1963) 9月30日 4775uのマンモス車両組立工場完成
昭和42年(1967) 3月31日 鋼体第三工場2184u・FRP作業場完成 12月29日 粉粒体タンクローリの草分けとしてセメントローリーの製作開始
昭和43年(1968) 9月28日 蕨工場に電車荷重試験場完成、山陽新幹線試作車951型ECの構体強度試験に初使用
昭和45年(1970) 5月15日 蕨工場のセメントローリー設計・製造を豊川工場へ移設 7月1日大利根工場化成品工場2159u完成に伴い化成品部門移転
12月15日 鉄道車両業界不況により豊川・名古屋・蕨の鉄道車両 3工場を豊川に集約し蕨工場は住宅公団に売却 体質改善等を発表
昭和46年(1971) 2月20日 蕨工場 敷地12万3215uを日本住宅公団に売却 閉鎖と機構の簡素化に伴い1540名希望退職 3月1日 蕨製作所と改称
4月13日 鉄道車両部門豊川へ移設 蕨製作所からの最終出場車両として日本国有鉄道向け 113系EC 4両出場
4月15日 蕨製作所 第一次解体工事着手 7月10日 第一次解体工事完了
9月30日 FRP工場閉鎖、要員・設備は大利根製作所に移転 11月10日 分岐器設備を平和軌工(現関東分岐器)岡部工場に移転完了
11月10日 第ニ次解体工事着手
昭和47年(1972) 3月10日 第ニ次解体工事完了 3月16日 蕨製作所 敷地 日本住宅公団に引渡し。
その後、跡地は芝園団地となり現在に至る
*芝園団地は当初30階建ての超高層住宅「幻の超高層芝園団地計画」があったそうですが15階で着工したそうです
参考文献 日本車輛80年史 より抜粋