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♪♪Inolvidable 忘れ得ぬ♪♪



 メキシコの鉄道は1,873年征服者コルテスの上陸で知られるベラクルスとメキシコシティー間に布設されたのが最初であるが、1,887年、ブラジル、アルゼンチン、ペルーが2千キロを超えている時に僅か570キロしかなかった。 それが、6期34年の長期に亘り大統領の座にあり、良くも悪くもメキシコ近代化の父と言われるポルフィリオ・ディアス政権の間に飛躍的に延び、2万キロに迫る迄になった。
然しメキシコの鉄道は、その多くがアメリカ資本主義による一次産品収奪の手段として敷設されたという悲しい歴史を持っている。

メキシコの鉄道
 つまり、主要な路線の殆どは南北に走り、北はアメリカ国内に通じている、国内経済繁栄の為に必要な網の目の横糸が不足しているのだ。
 それでも兎に角、日本の5倍の国土に26,623kmの鉄道網を持ち、1.990年には1,700万人の人々の移動手段であった。 それが1,997年には、僅か370万人と20%に迄激減してしまう。 一方で道路網は34%、バス輸送は15%増えているのだ。
 なお、1,910年に勃発し以後30年の長きに亘った革命で果たした鉄道の役割は大きく、多くのドラマを生んだ。
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鉄道の街アグアスカリエンテス

 メキシコの東西南北のほぼ中心、臍と言われる位置にあるアグアスカリエンテス市は、鉄道華やかなりし頃、その立地環境から鉄道産業の中心的役割を担って来た。
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 人や物流と言う意味では、決して重要な位置を占めては来なかったが、全国に張り巡らされた路線の中心に位置すると言うことから、車両の組み立てや路線保全の中心地だったのだ。
 この町ではかつて、6千を超える家族が直接国鉄から生活の糧を得、その他にも国鉄を得意先とする中小企業が多くあったとかで、今でも、溶鉱炉を模した巨大なモニュメントやその近くに「鋳物街」と名のつく通りが残っていたりする。
 だが、私と鉄道といえば北部にある、鉄道マニアなら御存知の「チワワ鉄道」という渓谷を縫って走る観光路線に一度乗ったことがあるっきりで、通常の交通手段として利用したことはなかった。
 私のかつての職場が鉄道線路沿いにあり、丁度出勤時間帯に通過する列車があり4、50両はある貨車の列に、2両だけ客車がついているのを見ていた。
 一度は乗ってみようと思っているうちに、民営化され、99年12月をもって、旅客サービスはなくなってしまった。
 民営化の話は相当前からあったが、線路1km当り一人の従業員がいる会社を誰が買うものかという話だったのだが、貨物輸送の方は結構ペイするものとみえる。 旅客が80%も減っているのに対し貨物の方は年間(97年)約320億ton*kmと13%減で留まっているからだろう。



駅 周 辺
この記事は博物館が出来る前に書かれました

entrada  駅は、「ナコサリのヒーロー」と呼ばれる主要道路から一区画はいったところにあるが、この通りの名も鉄道に由来している。
 その昔、危険物を積んだ列車がナコサリという町を通過する直前に火災を起こした際、走る列車から助手を飛び下り避難させた後、自分は列車を人里離れたところ迄誘導し列車もろとも爆死した、勇敢な機関士を記念しているのだ。
 旅客サービスのなくなった現在、駅前の公園は誰の管轄になったのであろうか、噴水の水は止まり、芝生も水やりが不足しているが、それでも植え込みの間を掃除する人影は見られた。


 公園を抜けると駐車場を挟んで駅舎がある。 旅客サービスがないにしては駐車している車が結構あり、貨物輸送で生き延びている鉄道の鼓動を感じさせる。
 駅舎は1,910年にイタリア人建築技師の設計で建て直されたものであるが、この町にあるどの公共建築物よりも風格があり、かってこの駅舎が町の顔であったことを思わせる。
fachada

sala  だが、建物のどのドアもかたく閉ざされており、一部の部屋に物憂気な職員の姿がまばらに見えるのみである。
 ガラス越しに、かっての待ち合い室を撮らせてもらったが、椅子等の備品は既になく、時刻表等も見られなかった。
 部屋はコの字状になっており、右がホーム側で、左のガラスの部分の向こうから入って来る。
 思いのほか狭いスペースに疑問を呈すると、ここは一等客用であったとのこと。 言われてみると、医務室やトイレと書かれたドア等、建て具が立派なのに気がつく。  建築当時、汽車で旅する人士の得意げな姿が白黒写真で浮かんで来るようである。
 だがいまや、メキシコシティー迄の料金は一等で450円、エコノミーで300円と高速バスの五分の一程度でも利用客がなくなってしまったのだ。
 さぞかしのろいのだろうと思ったが、聞けば8〜10時間と言うことで、高速バスの6〜7時間に対し料金差ほどの差異はない。
 時とは流れるもので、測るのではないと言うのんびりしたアスタ・マニャーナの世界にも。時を金で買うせちがらい時代が来てしまったのだろうか。


pasajeroext  引き込み線の片隅に客車が置いてあった。 一等客車だ。 長いこと化粧直しをされなかったのだろう、晩年の苦しい時代を物語っているようだ。 だが、室内は思いのほか綺麗で、座席はリクライニング出来64席だ、エコノミーの方は一車両100席とのこと。
 車両の保有台数の推移を見ると旅客輸送の歴史がハッキリ読み取れ興味深い。 すなわち、エコノミー車両は全国で約250両で10年前も今も殆ど変わらないのに対し、一等車は10年前エコノミーの2倍あったのが現在は五分の一になってしまっているのだ。
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 つまり、10年前の汽車旅行は裕福な階層の人々のものだったのが、次第に貧しい人々のものに移行し、遂には彼等からすら見放されつつあるという歴史だ。 ちなみに一両22ベッドの寝台車が10年前には196両あり、現在でもまだ18両残っている。

 さて、駅舎の反対側、すなわち線路側には過去の旅客輸送の栄華の残滓と、貨車輸送に生き残りをかける現在の苦闘が共存していて面白い。
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senal

plataforma  かってこの駅に降り立った人々が見上げたであろう、駅舎中央の時計の下には、駅名とこの路線の南北終着駅迄の距離を表した、古めかしい銘版が今も残されている。
 北はアメリカとの国境の町シウダ・ホアレス迄1,367.849km、南はこの国の主都メキシコシティー迄584.889kmとある。
 メキシコに初めて鉄道が敷かれたのは、日本に遅れること1年、1,873年、この町にやって来たのが1,884年、爾来北の革命軍南下の足となって革命の成功に貢献したのをはじめ、メキシコ近代化の歴史に深く関わって来た、その歴史がこの駅舎と銘版に染込んでいるようだ。  おそらくは、もう二度とこのプラットフォームに降り立つ人も、この銘版を仰ぎ見る旅人もいないであろうと思うと、盛者必衰の感に胸をうたれる。


 だが、線路の上にはまだ僅かな鼓動が感じられる。 ディーゼル機関車は10年前の8割になったとはいえ、全国に1,318台稼動しており、有蓋、無蓋の貨車が合わせて約2万2千両、その他タンク車等特殊車3千両を牽引している。
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 果たして鉄道の再建は成るのであろうか。
 輸送貨物量は97年の数字で約4千5百万トン、走行距離を加味すると約320億トン・キロとなり、内訳のトップは約47%の工業製品、以下28%の農畜産物、15%の鉱産物と続く。
 しかし、気になるのはどの品目をとっても、この10年間減少傾向に歯止めがかかっていないことだ。
 民営化は緒についたばかりで、その効果はまだ統計に表れてこない、大いに期待したいところだ。

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