第一章
'97年9月の出来事 2
「夢の実現へ・・・。若い頃から抱いていた、抽象画の世界。もっと追求しなくてはならないことはいっぱいあるはずだ。」



<9月21日〜決心の日〜>
  昨晩は息子宅で一晩明かし、早朝に帰宅。誰にも見つかることなく、無事に帰ることができた。今までは何でもなかった行動さえも、慎重にならなければならないのだ。
 今日は娘の知人、小山田氏が来られるということで、家族が集まった。小山田氏はいろんな人々の悩みの相談、そして内容によって弁護士と共に解決してきた人だそうだ。
 夕方、彼を迎えた。そして、これまでの経緯をすべて話した。すると小山田氏は、
 「人は一度失敗しても、やり直すことが出来るんです。吉澤さんは二人の連帯保証人であっても、無責任な長嶋・大林両人の責任までを取ることはないですよ。
 破産法(※1)は法律で守られたもの、新しく出発するために定められたものです。私が全面的にあなたを守りますから、本気で出直す準備をして下さい。」と説いてくれた。彼の力強い言葉に家族全員が納得した。そして、小山田氏は早速、弁護士に破産の手続の経緯(※2)を報告してくれた。
 もう、昔の恨みを忘れ、"ゼロからの出発"を決意した日となった。


<9月25日〜マンション売却〜>
 小山田氏の指導のもと、まずはマンションを売却することにした。そして、いよいよ今日、競売が公開され、落札した業者が家を調べにやってくる日。私は身の安全を守るため、朝早く義母の家で一日を過ごすことにした。現在のマンション購入にあたっては様々な苦労があり、また、我が家となってからは15年の家族生活の記録が詰まっている。
 デザイン事務所を開設した頃は、ビルの一室で仕事をし、妻と子供の待つアパートへ帰る。そんな毎日が10年続いていた。当時、会社の室料と自宅のアパートの賃貸料が重なるため、節約も兼ねて家と仕事場を一緒にしようということになったのだ。義母に頼んで、その頭金を工面、さらに銀行で住宅ローンも組み、やっとこぎ付けた契約。それから新しい生活が始まった。子供も小学生、中学生そして高校生活をここで過ごした思い出のわが家であった。体の弱い妻も、入退院を繰り返しながら過ごした家。そんな15年の思い出が頭をよ過ぎった。
 義母の家から夜遅くに帰宅した。業者との打ち合わせを終え、このマンションを引き渡す日取りも決まったとのこと。この家を手放すという、大事な話に加われなかったのはとても残念であった。しかし、感傷に浸っている場合ではない。2ヵ月後の11月末の住家、雨風を凌ぐ場所を探さなければならないのだ。
 こんな辛い日々の中でも病気がちの妻は愚痴ひとつ言わず、よく辛抱してくれた。
 感謝の気持ちはでいっぱい。しかし、今日は長年努力して得た家も、築いてきた信用も瞬時に失った日であった。

<9月27日〜水洗トイレ〜>
 "ピンポン、ピンポン"、"ドン、ドン、ドン"。ドアを叩く音、電報、5分ごとに鳴る電話。取立てはますます激しくなっていた。電気のメーターが回らないよう、電気を消し、ひっそりとした生活を続けている。特にトイレでは、水洗の音が聞こえないよう、廊下に人影がないのを確かめて流す。そんな毎日だ。
 『挫折はみんな味わっているはず。成功した人には奇跡も起こったはず。夢は無尽蔵、必ず実現するはずだ。』自分にそう言い聞かせながら、ただ耐える日々。

<9月28日〜ある喫茶店にて〜>
 30年前から仕事上でお付合いのある正司氏に電話を入れた。快く会って頂けるとのこと、朝7時に家を出た。約束の8時まで、とある喫茶店で時間を潰した。コーヒーを飲みながら、現在と過去を思い直すと、失われたものが万華鏡を覗いたように入り乱れた。目の前が暗く、人生の儚さだけが頭をよ過ぎる。
いろいろ物思いに耽っていると、どこからともなく妻のいつものあの言葉が聞こえた気がした。
「お父さんは物事にこだわりすぎるよ。こだわりを捨てて、もっと自然に考えて生きてみたら?」私は、頑な過ぎていたのだろうか?冷静に考えることができた。すると、少し目の前が明るくなってきた。そんな時、ふと壁に掛かっていた、相田みつをさんの言葉が目に入る。
"良き出逢いを"
私は胸を打たれた。今の自分の心境にやさしく、そして強く響いて来て、何だか急に晴れやかな気持ちになった。まだまだ人生これからだ。ゼロからのスタート!今は辛いが、これからどんな"良き出逢い"があるかも知れない。そう思うと、今は家も会社も信用も失ってしまったが、これからまた得ていけるような気がした。
と、同時にこんなときではあるが、私の若い頃からの夢=抽象画の追求を、もっともっと実現へ導いて行きたいとさえ、思ったのだ。いや、こんなときだからこそ思えたのかもしれない。

<9月29日〜娘へ〜>
 早朝、娘が会社に出掛ける折に、
「今日は友達と新しい家を探しに申し込みに行くから、少し帰りが遅くなる」と何気なく言って、出て行った。
そうだ。11月には住むところがないのだ。改めて実感した。娘は早くからそれを察知し、家賃が安くて環境の良い場所をいろいろ探していたようだ。
今回の件では、様々な面で娘には本当に世話になったし、勇気付けられている。お世話になった知人や弁護士の紹介、家のこと、仕事が出来るようにと業者の紹介、お世話になった人へのお礼も忘れず、食事などの生活面でもきっちり切り盛りしてくれた。また、弱気になっている私に厳しく、優しいアドバイスもしてくれ、精神的にも私の心の支えとして、妻と共に頑張ってくれている。それほど厳しく育てたわけでもないのに、彼女はしっかりと状況を把握し、適切に行動できる。
『本当に成長したんだなぁ。』と驚く毎日だ。娘はいつも、
「ここまで何の苦労もせず、育ててくれたお父さん、お母さんに感謝しています。」と言ってくれる。
心より生きられるものこそ、永遠の感動と喜びであると思う。娘に感謝。そして妻に感謝。

<9月30日〜努力は一生、失望は一時〜>
 30年も苦楽を共に大きく成長したK印刷社。今日はその社長、専務、社員の方々に今の立場と心境を話し、今後も変わらぬ取引をしてくれるよう、お願いに上がった。しかし、社長は、
「破産するような人間は信用できない。今の状況では仕事に悪影響を及ぼす。我が社としても信用問題だ!」と。この一言で取引は中止と決定された。社長3代、会社の発展と共に歩んだ私にとって、あまりに残酷な内容であった。しかし、そうなのだ。社会は"義理で物事を一緒に行う。"―そんなものかもしれない。
 自分としても決心した限り、過去をすべて忘れなければならない瞬間かもしれない。そう、痛感した。

第二章'97年10・11月の出来事へつづく

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