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第二章
'97年10・11月の出来事



<10月2日〜今日の記録〜>

 今日は仕事の手配をするため、会社を訪ねる。手配はすぐに済むのだが、昼間に帰宅することが出来ないので(取立て屋に見つかってしまうため)、一日を外で過ごさねばならない―。以下、今日の記録。

7:00 家を出る。
7:30 新しく開通したJR東西線に乗った。
8:30 開発中なのか、人気の無い寂しい駅で降りる。
8:45 駅前からバスに乗る。乗客は私と作業服の男性のみ。
9:30 駅前でふと男性が声を掛けてきた。中学時代の同級生だった。彼は出勤途中だったが、近くの喫茶店で雑談。その後、電車に乗って会社へ。
11:00 会社に到着。仕事の手配は15分くらい。
11:30 小さなとあるホテルのロビーで30分休憩する。しかし、そのとき金融関係の人物が入ってくる。後を付けられたのか?ホテルの奥で身を潜める。
 すると彼は彼女らしい人と一緒に車で立ち去った。やはり、人通りが多いホテルはダメだ。気を付けよう。
20:00 何とか時間を潰し、帰宅。もちろん、家の周りの安全を確認して。
 一日を無駄に過ごすことの大変さ、苦労をしみじみ感じる一日だった。これからも、仕事の受注や手配、納品の際にはこのような一日を送らねばならないのだろう。そう考えると気が重くなる。


<10月8日〜正司さんからの仕事依頼〜>
 友人や仕事の関係の人々に連絡が取れなくなって3週間が経った。ひっそりと、ほそぼそと暮らす毎日であったそんな日の夜7時、娘が会社から帰るなり、
 「お父さん今日会社に正司さんから電話があって、仕事があるので連絡が欲しい」
と。
 なんと嬉しいことだろう。仕事のない辛さを感じていた折りだった。
 家に連絡が取れないため、娘を通して連絡を入れてくれたという。正司氏は私が独立した30年ほど前から仕事面でご協力いただいた人。
 この苦境の時期に、事情を知っているにもかかわらず仕事が出来る喜びを感じた。早速、正司氏に電話を入れることにした。


<10月9日〜打ち合わせ〜>
 今日は昨日いただいた仕事の打ち合わせである。妻が心配をするので、前日から息子の家に泊めてもらっていた。
 息子に電話をする。すると、夜12時に快く迎えに来てくれ、彼女の手料理と缶ビールが・・・。ありがとう。本当においしかった! 
 朝9時、息子の家を出発し、正司さんとの仕事の打ち合わせが無事終わった。
 さぁ、制作!と思ったとき、今の私には業者がいない。その上、時代はアナログからデジタルへ。すべて、Macデータに移行されていた。また、娘に相談することとなった。すると、娘は即座に桜田さんを紹介してくれた。桜田さんは支払いも出来ない私の仕事を快く引き受けてくださり、無事納品することができた。
桜田さんには感謝の言葉も見つからない。このとき得たMacの知識、それが4年経った今も活きている。


<10月10日〜長嶋・大林のこと〜>
 ここで少し、長嶋、大林について話しておこう。事件の発端となった、長嶋、大林とは、私を含め3人で企画デザイン制作ができる会社の設立を夢見ていた。
長嶋はデザイン、フィニッシュワークの仕事の面できめ細やかな仕事をし、感性も優れた人物だ。人の悪口を言わず、自分が不利になっても弁解せず、忍耐強い。
人からも信頼される性格だった。しかし、そのため本当の姿、本心が見えにくいところもあったのも事実。人にモノを頼まれると断りにくい、ところがあった。
 一方、大林は、字植オペレーターとしての、腕は一流。しかし、何を考えているか全く理解できないところがある。お金に困ったときも、私が、
「みんな、家族や友人に頼んで金策してるんや。君も頼んだら!」というと、
「家族や友人にそんなこと言える訳がない。」と。
 また、こんなこともあった。彼が、
「もうダメだ。不渡りが出る!」と言うので、何とか金策して金を渡したところ、まず自分の生活費を取り、それから銀行決済をするという始末だ。万事がそんな人間であった。だから、大林は私に頼むとき、いつも長嶋を通して相談をするのだった。


<10月23日〜公団当選の日〜>
 9月25日にマンション売却と引渡しが決定して早1ヶ月が経った。その間、娘は仕事が終わってから、会社の友人と2人で家賃が安く、環境の良い公団を申し込んでくれた。夜遅くまで下見を重ね、帰宅する毎日が続いていた。
「今日、探した住宅はお兄ちゃんがアドバイスしてくれた、北の方角に行ってみたよ。環境も良いし、抽選に当たったらいいのになぁ。」
 ―そんな娘の努力が報われたのか、今日、公団より、当選の通知が!雨風を凌げる住宅のつもりが、その北方面の立派な公団が当選。妻も私も肩を寄せ合って嬉し泣きした。娘にはありがとうの言葉しか見つからなかった。娘は、その後も公団との契約、区役所への転居届け等、精力的に走り回ってくれた。
 "目の中に入れても痛くない"と可愛がっていた娘の成長ぶりに驚いた一日でもあった。


<10月31日〜破滅への日々〜>
 夢と希望をもって独立し、デザイン事務所を設立したのだが、今振り返れば後半の15年は破滅の日々であったかもしれない。
 もともと、資金があったわけでもない。支払いに困ると、銀行より借入れ、長嶋と大林も経営は同じような状態であり、3人協力して、夢の実現に向かい頑張ったものだった。
 しかし、"同類が寄る"と妻が言うように、オイルショックによる、得意先の倒産など、3人の資金繰りは悪く、終には私のマンションを担保に、金融会社から借入れが始まったのである。銀行と違い、利息は10倍。返済は進まず、利息を支払うのが精一杯。2週間に一度、地下鉄を乗り継ぎながら、利息にも満たないお金を持っていった。元金は増す一方。この15年間、利息のために働き、生きたようなものだ。何人もの先輩が経験し、体験した結果であるはず。しかし、一度自分に降りかかると、身から出た錆、当然のことながら誰も助けてくれない。
 無となった今、生きられるのは妻の力と息子、娘の成長ぶりが嬉しいからだろう。結局、最後に残ったのは家族なのだとしみじみ思う。本当に感謝している。
 独立、自営とは、大きな資金力と自分にも他人にも厳しく生きる姿勢が大事であろう。―失くしてから気づいたことは余りに多くある。


<11月30日〜いよいよ新天地へ〜>
 苦労して購入したマンション。苦楽を共にしたマンション。子供の成長を楽しみに暮らした家。約20年住み慣れた家を明け渡す日が来た。昼間に引越の準備をするのは良くないという周囲の配慮で、私は3日前の夜から一足先に、ポリバケツ、タオル、電気毛布を持って新居で生活することになった。
 まず、入居の手続。ガス、電気、水道などの開栓。そして、部屋の掃除など。
ここは、今までの住まいより、北に移ったためか、風が少し冷たい。また、自動車の量も少なく、空気が澄んでいるように感じた。家の通りには緑が多く、生活環境に適している。家の前には小さなスーパーと喫茶店。一筋向こうには緑の多い公園と病院がある、郊外の住宅地には良くある風景が広がっている。
 いよいよ、引越しの日。引越しには家族の事情を良く知っている業者に頼み、早朝より開始し、誰の目にも留まらないまま、無事に家族が到着した。
 業者の人々の親切な対応、息子そして息子の友人の働きに感謝しつつ、家族の再会を喜び合った瞬間。

 悔しさ、口惜しさは山ほどある。将来への生活・仕事への不安もある。しかし、ここで過去を切り捨て、新しい生活の場が得られたことに感謝したい。新たなる再出発を誓い合い、家族全員涙した。これからもその涙を忘れず、手放さず持ち続けていたい。
 そして、妻は「過去にこだわらず、前進あるのみ。前向きに頑張って下さい」
と、私を励ましてくれた。


第三章'98年の出来事1へつづく

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