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医学の革命書(中)  病気症状の解剖その3


腫物及び火傷、切傷   「乳幼児及び小児病」   腎臓医術と若返り法  本医術と既存療法    治療に就ての注意  


腫物及び火傷、切傷」(73)

腫物には瘍疔は固より、普通の腫物、結核性、毒虫の為種々あるが、何れも浄化
作用であって、体内の不純物が毒血、膿汁となって皮下に集溜し皮膚を破って排
泄せられるのであるから、全く生理的自然作用ともいうべきで、放任しておけば
順調に治癒するのである。
然し乍ら右の過程の多くは激痛を伴うのみならず、傷庁の如きは生命に関する程
の危険あっと教育されている為、非常に恐怖を感じ而もそれは手術によらざる限
り治癒不可能とされている関係上急ぎ医師に行く、医師は薬剤の塗布又は水冷、
湿布等にて散らさんとするが結局はメスによって排膿の余儀なきに到るのが普通
一般である。
然るに手術の結果は薬毒等により意外な悪化を招く事があるのみか、手術の為の
治癒遅延は免れ得ないのである。

結核性の原因は、浄化発生によって一旦皮下に集溜腫脹せんとする時、水冷その
他の方法によって浄化停止を行う為、還元又は固結する結果、固結毒素の再浄化
は初発時より執揚であるから之を結核性というのである。

虫類又は獣類による傷害、即ち蜂、蛇、蝮の類、鼠、猫、犬等に噛まれた場合、
その動物特有毒素の為それぞれ症状は異るが、苦痛甚だしく蝮、鼠、犬等に至っ
ては生命の危険すらある。

然し本医術によれば、蜂の刺傷は数分間、蝮害は数時間、狂犬は数日間にて完全
に治癒するので、その実際を見る時何人もその偉効に驚くのである。
火傷及び切傷の場合大抵は化膿する。
それは人体の一部に傷害を負う場合、傷害部に近接せる毒素を主に他の各部にあ
る毒素と雖も誘導的に傷害部に集溜する。それが化膿であるから之は大いに喜ぶ
べき事であると共に放任すれば必ず順調に治るのである。
そして凡ての痛みは薬毒であり、痒みは然毒或は特殊薬剤によるのである。
又凡て皮膚に関する疾患の予後は醜痕を残す。即ち手術は引吊りとなり薬毒は紫
黒色等の痕跡を残すが、自然治癒によれば右の如き醜痕、色痕は残らないのであ
る。

右何れの症状と雖も本医術によれば重症も容易に治癒するのは勿論激痛も忽ちに
して緩和、又は除去されるので患者の歓喜は常に経験する所であ
る。



  「乳幼児及び小児病」 (74)

幼児及び小児に関する病気といえば先ず消化不良、便秘、疫痢、麻疹、百日咳、
肺炎、喘息、脱腸、ヂフテリヤ、腸炎、小児麻痺等 あろう。
乳児に於ける消化不良は最も多く嘔吐、青便、泡便等の症状であるが、嘔吐にも
単なる飲み過ぎの為と病気と両方ある。健康児と雖も呑み過ぎに因る吐乳は差支
えないが、病的は呑乳量が少ない割に吐乳するのである。
この原因は母乳中に毒素のある為でこの毒素の殆んどは薬毒である。
従而薬剤多用の経験ある母乳は特に甚だしく、又その乳が不良であるばかりか量
も少ないのである。
実際上薬削多用の都会の母親に乳不足が多く田舎のそれは稀であるにみても明か
であろう。

青便は不良乳の為であり、泡便は一層不良に由るのである。従而青便も泡便も毒
素の排泄であるから喜ぶべきであるに拘わらず、この理を知らぬ医学は不可とす
るのである。
又生後数カ月内に吐血する幼児がある。医家は驚ろいて胃潰瘍などというが、実
は出生直前古血を飲んだ為であるから何等差支えないのである。

茲で乳下足に就て一言するが、之には二つの原因がある。一は胃の毒結圧迫に
因る縮小の為摂取量は一人前だけで乳児の分にまで及ばないという事と、今一つ
は乳腺を毒結が圧迫する為で、全乳腺の乳量が完全に通過しないからである。
この場合毒結は数ケ所に及ぶもので触指すれば諸所にグリグリがあり圧すればか
なりの痛みがあり判然と分るのである。
勿論薬毒の塊リで微熱も伴う。
この点に於ても薬毒の如何に恐るべきかを知るのである。本医術によれば容易に
治癒するのである。
医学は消化不良児に対し、乳児脚気などと称し、母の脚気が乳によって伝染する
となし呑乳を禁止するが之等も全然誤りであって実は右に説いた如き薬毒乳の結
果で脚気ではない。

次に便秘であるが、便秘など乳幼児にはあるべき筈はないのである。寧ろ大人
と違い、液体便とその回数も一日二、三回が自然であるにも拘わらず便秘すると
いう事は何等か反自然的の原因があるからである。
その反自然とは例えば青便等の場合、医家は消化不良の為として故意に乳量を減
ずる事がある。如何なる場合と雖も乳児の慾するままに乳を与えるのが自然であ
るのに拘わらず乳量を減ずる如きは反自然である。
その結果としての便秘であるが、原因を思い及ばずして結果のみを恐れ潅腸を行
うのであり、潅腸の逆作用に因る便秘に対し又潅腸するという具合畢に既説の如
き腹部膨満となり生命の危険にさえ曝さるるのである。
之によってみても育児は飽迄自然でなければならないのである。


疫痢は乳児から五、六才迄が最も多く、偶には十才以上も罹患する事がある。
医学は伝染性となし恐れるが、之は伝染ではなく急激な浄化作用である。
又医学は食物に関係あるように思い、果実、菓子等は与えないようにするが、之
等も誤りである。誕生過ぎか又は生歯後の幼児は大抵な食物は差支えない。
そうして医学上疫痢は治癒困難とされているがその訳は医療に因る時疫痢の殆ん
どは死亡するからである。然るに本医術による時医学とは逆で治癒は高率で死亡
は殆んど無いといっても過言ではないのである。
而も二、三回の施術によってである。

麻疹は人も知る如く免れ難い病気で、その病症も重軽の差著るしく普通は一回
で済むが二回三回に及ぶものも尠くないのである。医学上原因不明とされている
が、之は遺伝毒血の浄化作用である。麻疹は稀には成年期に及んで発病する事も
あるが、普通は五、六才が最も多い。発病前大抵三、四日位三十八度前後の発熱
が持続する。その際皮膚をよく点検すれば何れかに少量の発疹を見るのである。

この病気は昔から風にあたる事を不可とし外出を禁ずるが、その理由は皮膚が空
気に触れる時は発疹が不充分となるからである。元来麻疹は発疹する程よいので
、発疹不良の結果は毒素が内部に還元するから其の為肺炎を起すのである。
麻疹に因る肺炎は肺胞全部に発疹しそれが為呼吸困難を起し小児の如きは呼吸頻
繁なる見るに忍びざるものがあり、周囲の者は驚ろくのであるが、之は左程心配
はない。二、三日にして次第に常態に復すのである。
本医術によれば容易に全治し発病時は一回の施術によって全身的発疹を見、肺炎
も速やかに治癒するのである。

その也の余病としては中耳炎及び血膜炎等であるが之等は放任によって全治する
のである。

百日咳も多い病気で、強烈な持続性咳漱あり、白い抱の如きものを盛んに嘔吐す
るのが特徴である。此の病気は咳嗽によって全部体外へ排泄される。それが百日
位を要するから百日咳というのである。又百日咳の咳嗽は息を引く時一種特有の
音を発するのでよく判る。

医療は毒素の排泄を止めて固めるのを本意とするが、幸い固めるに成功したとす
るも何時かそれの浄化が起る。それが小児肺炎又は小児喘息である。
本医術によれば普通一週問初発時二週問位にて全治するのである。


小児肺炎は、成人と同様呼吸逼迫、喘音、高熱等であって、勿論強烈な浄化作用
である。医療は強力なる浄化停止を行う結果往々死を招くが、本医術によれば一
週問以内で全治するのである。

(77)
脱腸は小児に多い病気で、中年には殆んどなく老年期に及んで反って相当あるの
である。この病気は重軽の差著るしく、軽症は成育するに従い自然治癒するが、
重症は容易に治癒し難く、医家は手術によりで腸の短縮を図るのである。本医術
によれば軽症は簡単に治癒し、重症は日数を要するが全治するのである。


ヂフテリヤは咽喉が腫脹し、呼吸困難となり窒息死に到るのである。勿論急激な
る浄化作用で、本医術によれば普通は数十分位にて治癒する。この疾患は霊的も
あって、これの治癒は相当困難であるが後に解説する。

小児麻痺は真症と擬似とあり、真症は霊的であるから後に説くから、韮では擬似
に就て解説するが、擬似の症状は例えば足部の支障によって歩行困難や、手指の
支障で、之等は何れも先天性毒素が一部に集溜している為で本医術によれば容易
に全治するのである。
之に就て一例を挙げてみよう。

十才位の小児、片方の足の裏、栂指辺が着けないので外側と踵だけで辛うじて歩
くのである。医診は小児麻痺となし、外側の筋が長過ぎ内側踵の骨が足りないと
診て、手術によって外側の筋を切り詰め、内側の踵に脛の骨を切除って着け足し
たが、数年を経ても少しも効果なく私の所へ来た。診査すると実際の原因は栂指
辺の裏側に毒結があり、栂指を着くと痛むので、内側を浮かして歩くのであった
が、医診はその発見が出来ず見当違いの手術をしたのであった。
故に私は栂指裏の毒結を解消した処、足の裏は完全に着く事が出来、普通状態と
なったが、今度は踵に足した骨が邪魔になって歩行が完全とはいえないので、私
が手術を奨め、右の足し骨を除去した処、完全に歩行出来るようになった。
要するに過れる医学は余計な事をしたのである。




    腎臓医術と若返り法 (77)

本医術は一言にして言えば腎臓医術ともいえるのである。曩に詳説した如く、
病原としての毒素は然毒、尿毒、薬毒の三種で、その三種が最も作用する局所と
しては腎臓である。先ずその順序を説いてみよう。

人間がこの世に生を享けるや、既説の如く先天性毒素としての然毒が先ず、背面
面腎臓部に集溜する。嬰児と雖も殆んどは背面腎臓部に相当の毒素を保有してい
る。幼児の起歩きの後れる原因もその為である。
そうして人間は成人するに従い、然毒の凝結圧迫により腎臓は萎縮し余剰尿が溜
結何等かの病気発生となり、それの浄化停止の為薬毒を使用する。
即ち以上三毒の圧迫が加わり腎臓はいよいよ萎縮する。元来腎臓はホルモンの製
出と、生理的残渣を尿によって排泄するという重要機能である以上、腎臓萎縮は
全身的浄化微弱とホルモンの欠乏を促す。その結果としての老衰は免れ得ない。

この理によって人間の元気旺盛なるは腎臓機能の活發に因るのであるから、人間
の強靭なる健康こそ、全く腎臓の強盛に正比例するのである。

腎臓が完全なる活動状態となるに於て、先ず全身が軽くなり挙措敏捷となる。頭
脳は明噺となるから能率は増進する。仕事に当って倦む事を知らず、且つ困苦に
堪え、万事楽観的となり、常に爽快感を保つから怒る事を厭い協調的となる故、
人から愛敬され成功者となる訳である。

又婦人にありては浄血者の持主となるから著るしく美を増し、不断の快感は接す
る人に好感を与え、ホルモンの増加は著るしい魅力を発揮する。故に夫婦は円満
となり、家庭内の風波は起り得なくなる。又老年者と雖も先ず二十年は若返える
であろう。その結果として普通九十才以上の長寿者となる事は敢えて難事ではな
い。

私は、人類の腎臓を完全たらしむるに於て、病者の絶滅、出産の増加は勿論、戦
争の絶滅をも期し得らるる事を信ずるのである。何となれば、完全なる腎臓は完
全なる健康体となり、完全なる精神を持ち得、完全なる精神の持ち主は闘争を厭
い、平和を好み、怠惰を厭い、利己愛を捨て、すべて常識的に事を処理するとい
うようになるからである。

私は思う、本医術を他所にして世界の平和の実現は得られないであろう事を。



   本医術と既存医術 (78)

前項迄に於て個々の病気に対し概略解説したが、それ以外の凡ゆる病気に就て
は類推すれば大体は判る筈である。
本来病気なるものは一定型的ではなく、万人が万人面貌の異なる如く悉く多少は
異るものである。
例えば肺患と雖も結核あり、壊疽あり、気腫あり、浸潤あり、肺炎あり、又単に
結核にしても各人それぞれその症状経過も同じではない。勿論その理由としては
体質、性格、環境、治療法の種類、過程、薬用の多寡等にもよるからである。
以上の如くであるから治療の上に於ても、診査の場合病原探求が主要条件で、所
急所を衝く事である。
急所を外れる場合、施術を如何に努力するも効果は薄い訳である。
然らば病原発見は如何にすればいいかというに、それは主として叡智と経験とで
あり、之等の条件を錬磨するには熱意と時日を要する事は勿論でそうする事によ
って漸次技能の向上が得らるるのである。

そうして本医術修得後一年位技能を錬磨した者と数十年間西洋医学を研讃したる
者とを比較する場合、その診断も技能も問題にならぬ程の差異を認めるのである

何となれば有数なる病院又は有名なる博士等によって不治と見放されたものが、
本療法によって而も一、二年の経験者によって全治せるもの日々無数に上る現状
であるからである。一言にして言えば、治る医術と治らない医術というも過言で
はない。

又今一つ言うべき事がある。それは本医術は新聞雑誌其の他印刷物によって決し
て宣伝しない事である。その訳は宣伝の必要がないからである。例えば患者が凡
ゆる療法によって治癒せず、煩悶懊悩の際偶々本医術を知って治療を受け又は生
命を救われた場合、感激と共に自己と同様の病患に苦しむものを看過出来ないか
らである。
従而之等の人に対し自己の体験を語る場合その言葉には力と生命がある。百の新
聞雑誌の宣伝よりも一人のその言葉は効果百パーセントであろう。
又病気全治者は本医術修得の意慾を起す事は当然であるから大抵は受講者となる
のである。斯様な順序によって本医術は今や非常な速度を以て日に月に発展拡充
しつつある。
従而その帰結として何れの日かは既存医学の没落となる事は火を睹るよりも明ら
かである。
勿論真実ならざるものの辿るべき当然の運命でしかあるまい。
その後に来るものそれは実に人類の理想たる病無き世界の実現である。




  治療に就ての注意 (80)

治療に就ての個々の注意を挙げてみるが、人間を霊と体とに区別する時、脊部
は霊にして、腹部は体に相応するのである。
従而霊主体従の法則により、凡ゆる病患は脊部が重要であり、脊部の治療をよく
行わなければ真の効果はないのである。即ち脊部の毒素が溶解しただけ前部の病
患は軽減するのである。
例えば胃痙攣の激痛と雖も、その激痛部だけの治療では効果は少ない。その場合
脊部を診れば左右何れかの肩甲骨と脊柱との中間に必ず固結がある。その固結を
治療するや忽ち胃部の激痛は解消するのである。然らば右固結は何であるかとい
うと、之は薬剤の固結したもので、服薬を持続し仰臥する関係上胃の後方から浸
透脊部ヘ沈澱固結したものである。

湿性腹膜炎に於ける膨満も化膿性腹膜炎の膿結も脊面賢臓部を治療する事によ
って奏効するのである。
其の他、心臓、肺、胃、腸に関する疾患も、凡て脊部を主に治療すべきである。


次に、人間の健康、不健康を判別するに就て最も明確に知り得る方法として、先
肩部を診る事である。
肩部が柔軟で、指で圧して指頭が一寸位没するような人は必ず健康であるが、肩
部が硬く柔軟でない人は不健康と断定して差支えないのである。
結核者は例外なく肩部が固く、重患者と雖も肩部柔軟者は恢復し易く、軽病者と
雖も肩部強堅者は恢復困難と共に強浄化発生し易く、その為生命の危険は免れ得
ないのである。
故に理想的鍵康診断法として肩部を診る事こそ、正確であり、簡単である事全世
人に告げたいのである。

次に頭痛の場合は必ず前額部に熱発を認めるが、その部を治療してもあまり効
果のない事がある。その場合耳下腺を主とし、淋巴腺えかけて大抵の人は固結が
あるから、其処を治療する事によって忽ち下熱、頭痛は去るのである。
故に頭痛以外の一般発熱者に対してへも耳下腺、淋巴腺扁桃腺部等を一応指査す
れば必ず大小の固結を認めるから、それを治療する事によって下熱する場合が多
いのである。


次に腕、指等疾患の場合、其の本原である淋巴腺から肩腕の頂部に当る所を充
分治療すべきである。それによって手指と雖もその治療が容易に奏効するのであ
る。
従而脚に関する疾患も右と同様その根原である腎臓部、脚の付根等をよく治療す
べきである。

茲で重要な事がある。
それは平均浄化作用なるもので、或―局部の溜結毒素を溶解した場合、間もなく
右以外の局部に浄化が起る。之を平均浄化という。例えば左腕が痛むからそれを
治療し治癒すると今度は右腕が痛み出す。それを治療すると脊中が痛むというよ
うに、恰度痛みが移動する如く想えるので患者も痛みの移動を訴えるが、実際は
痛みの移動などという事はあり得ない。之等は平均浄化作用に因るのである。
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