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題名
東京都東水元地区およびその周辺地域にみる
盆行事「ガラガラ」のようす
提出: 2001年10月4日
はじめに
本稿の目的
私がはじめてそれを見たのは、千葉県印旛郡白井町(現白井市)平塚であった。植物で作られた棚のようなもので、脚が4本あり、ほぼ正方形をした天井部のそれぞれの角から下りている。4本の脚部は土に直接刺し込まれている。天井部はイネ科とみられる植物の葉で作られ、どのように編み込まれているのかは当時の私には想像できなかった。土の上に出ている脚部はおよそ15cmで、天井部の辺も同じく約15cm四方であった。集落の入り口に墓地があり、全ての墓標の前にそれはあった。生粋の千葉県民ではない私にはとても不思議な風景だったが、用事があったため、それが何かは調べることはしなかった。
ところが昨年、講義の課題に民俗学的な調査が言い渡され、かねてからの疑問を調べる機会を得た(注.1)。
白井市平塚の現地に赴き、住民に聞き取りをおこなったところ、それは「ガラガラ」という名称であることがわかった。盆に先祖の霊を家に迎えるが、墓には迎えらることのない「留守番の人(霊)」がおり、「ガラガラ」はその人達のための食事を乗せるための棚なのだという。調査地の平塚だけでなく、隣接する市町村にもある風習であるらしい。迎えの行事の様子や「ガラガラ」の作成方法を聞くことはできたが、その行事の由来や意義は住民にもはっきりとはわからないとのことだった。
その後「ガラガラ」について調べを進めていくうちに、私の住居近くでも供えられていることがわかった。私が住んでいるところは新興住宅地であるが、同じ地区内で1kmほど離れた古くからの集落の墓地で、「ガラガラ」を発見したのである。市内や市外の隣接する地区でも「ガラガラ」が確認され、供えられる範囲は思ったより広いのではないか、と思うようになってきた。さらに文献を調べてみると、予想以上に広範囲で「ガラガラ」の分布が見られることがわかった。その名称も用途も、地域によってさまざまであるらしい。にもかかわらず、その形状においては、さほど変化がないようだ。
「ガラガラ」については、まとまった文献がみあたらない。各自治体による民俗資料調査報告書を中心に「ガラガラ」に関する記述を拾い集めているのが現状である。
資料を読みすすめていくうちに、都会に隣接する東京都葛飾区でも、「ガラガラ」を供える風習があることが判明した。文献によると、「ガラガラ」を自作せずに「現在は花屋などで買ってくる家も多い」(葛飾区郷土と天文の博物館,1999)とあった。当地を調査することで住宅地での「ガラガラ」の様子が明かにできると考え、調査地とした。
そんななか、ある文献を見つけた。直接「ガラガラ」を論じたものではないのだが、「ガラガラ」を扱う人々の認識を探る手掛かりを示唆したように感じた。際物の生産と流通を論じたもので、3冊のシリーズになっている。際物とは、「年中行事に関連した商品、またはそれに類する芸能、季節感を演出する商品、そして寺院の祭礼で売られる縁起物」(内田,1994)である。際物のうち、盆の用具であるおがら、杉葉、マコモ、ホオズキ、花、焙烙などは、市で売られる。この市は、「その主力商品の内容から草葉を商うということで草市と呼ばれる」(萩原,1997)。市は、かつては千住の土手などで近郊の農家や、周辺地域から品物を集荷した仲買人などが売り手となり、それを都心で小売する八百屋などを対象にしたものだったという。現在は、商品の流通形態の変化もあり、草の市はみられない。生産者と小売業者との間で商品を橋渡しするかつての草の市の役割は、各地の卸売市場が果たしているといえよう。流通の機構が変わっても、現在も際物は生産者、卸売市場の商人(以下仲買人と呼ぶ)、小売り業者、消費者という商品の流れはかわらない。
では、「ガラガラ」の流通のなかで、生産者、仲買人、小売り業者、消費者の間では、お互いにどのような認識をもっているのだろうか。萩原が述べるように、3者の間には、互いに価値観に隔たりがあるのだろうか。そのなかで、消費者が持つ「ガラガラ」に対する神秘性が伺えるかもしれない。また、前述の白井市では、現在でも供える分は各家で作成していた。両地域では、盆用品そのものである「ガラガラ」に対して、認識に違いがあるのだろうか。
材料の確保の問題があるにしても、作成にさほど技術力を必要としない「ガラガラ」は、どのようにして流通されているのか。また際物として、「ガラガラ」は、どのように位置付けることができるのか。それらのことを探ることで、「ガラガラ」を供える由来や意義に少しでも近付けるのではないかと考えたのである。
なお、本文中では、調査地の名称に従い、調査対象の供え物の名称を「ガラガラ」に統一する。
「ガラガラ」の概要
「ガラガラ」は、千葉県北部、埼玉県南部、茨城県南部、東京都東部で見られる。その名称は、「ガラガラ」、「ガラガラッチョ」、「ガラガラチョ」、「ガラガラゼン」、「ガラゲッチョ」、「コシカケ」、「ホトケノコシカケ」、「サルノコシカケ」、「イス」、「ノダナ」、「テンガイ」、「オタナ」、「オゼン」、「ボンガラ」、「マコモノゴザ」、「ボンブチ」、「ダンジュウロウ」、「シノウ」など、さまざまである。
「ガラガラ」は、盆行事において使用される。東京都の大部分の地域では、新盆で盆行事を行う。調査地である葛飾区東水元周辺でも新盆で行う家がある。それらの家では「ガラガラ」は供えていない。予備調査により、月遅れの8月に行う家もあり、「ガラガラ」はそれらの家で供えることが判明した。「ガラガラ」は、地域内の旧家で供える。「田舎の人が供える」という証言もあった。ちなみに、「ガラガラ」を自作する千葉県白井市では、8月に盆を行う。
「ガラガラ」は、墓に供える。仏のうち、家に迎えられない「留守番の人」に供えるものだという。地域によっては、辻や家の庭にも供える。このことについて、予備調査では、墓から迎えられた仏が、迷わずに家までつけるように供えるのだ、と説明された。
「ガラガラ」の供え方には、天井部にアラヨネ(キュウリやナスを賽の目に刻んだもの)を乗せる、天井部で線香を焚く、また天井部に何も乗せずに下で線香を焚くなどの、地域差が見られる。
千葉県白井市平塚では、新竹(ニイダギ)=今年生えたモウソウダケを、内側の肉を削いで細くしたものを脚につかう。また、手賀沼で採ったマコモを干して使う。竹を2本十字に組み、そこへ干したマコモを組み上げて作る。そのようにして出来た「ガラガラ」は、13日夕方までに墓地にたてる。
東京都では、「ガラガラ」を立てるのは墓を洗う日で、11日や13日、また迎え火を焚く数日前の都合のよい日である。これは、埼玉県でも同様である。
白井市平塚では、竹筒を2本用意し、節をのこして切る。一方に線香、もう一方に花を立てる。太めのものは、節を深くして切り、水を差して花を生ける。線香を立てるほうは、細くてもよい。節を浅くして切る。これらを、「ガラガラ」の前の地面に刺す。
地域によっては、「ガラガラ」の上に乗せるために、夏にできた、ナス、キュウリを刻んだものを混ぜる。東京東部では、これを「アラヨネ」と呼ぶ。白井市平塚では、これに加えてインゲン、イモガラの葉(ヤツガシラの茎)を刻んで混ぜる。夜寝る前に、お米を一掴み水につけておき、五本指で掴む。朝笊に入れて、刻んだものに混ぜる。白井市平塚では、これらを14日の早朝に、「ガラガラ」の上に載せる。
東京都や埼玉県では、「ガラガラ」は、盆行事が終わった後に廃棄される。白井市谷田では、次の年に「ガラガラ」を立てるまで、墓に立てておくようだ。白井市平塚や船橋市北部でも、翌年の3月にも墓に放置されていることから、同様であると考えられる。
研究方法
予備調査
予備調査として、新盆にあたる、7月13日に予備調査を行った。水元4丁目のM店で、東京都葛飾区水元地区周辺で「ガラガラ」がどのように供えられているのかを聞き取り調査した。また、同点で販売する「ガラガラ」の仕入れ元を聞き取った。この調査を元に、聞き取りをする対象や、観察調査の日程など、調査の計画を立てた。
現地での観察調査
予備調査の結果、当地で「ガラガラ」が供えられるのが8月13日から15日の、いわゆる月遅れの盆であることが判明、観察調査はその盆期間、及び文献で「ガラガラ」が立てられると記述がある、墓掃除が行われる8月12日に行った。
東水元3〜5丁目地区における「ガラガラ」を供える実態を13日に調査した。また、周辺地区の西水元、南水元、東金町と、東水元地区から西方向での実態も調査した。14日には、東水元1、2丁目地区と、その東に隣接する東金町5〜7丁目地区で調査を行った。15日は、東水元地区から水元公園を介して北に隣り合う、埼玉県三郷市高州、東町、鷹野、戸ヶ崎、及び埼玉県八潮市大須、古新田での実態を調査した。いずれの地域でも、調査は東水元と、水元公園を介して接する地帯で行った。16日には、仲買人にあたる東京都中央卸売市場葛西市場のE卸が取り扱う「ガラガラ」の仕入れ先である、茨城県稲敷郡東町での実態を調査した。
「ガラガラ」の分布状況を、地区内の寺院、及び家の入り口(カイドウ)や道端において調査した。また、それがどのように供えられているのかを記録した。
なお、見落としを防ぐため調査は各地区内を徒歩で行い、供えられた状態は写真で記録した。
聞き取り
「ガラガラ」の流通過程で、それぞれがその流通過程をどのように認識しているのか、ということを明らかにするために、聞き取りを行った。生産者、小売り業者、その仲介をおこなう仲買人、及び「ガラガラ」を購入して使用する消費者を対象として調査した。
これにより、生産者、仲介者、小売り業者、消費者が、それぞれお互いのことをどれだけ認識しているのかを明らかにする。
また、コントロールとして、墓地に供える「ガラガラ」を、購入せず自らが製作することがはっきりしている千葉県白井町において、聞き取りを行った。「ガラガラ」が流通して分業化が進んでいる地区との比較をおこなうことを目的とする。
仲買人
予備調査の結果、販売する「ガラガラ」は東京都中央卸売市場葛西市場で仕入れる予定であることが判明した。そこで、東京都中央卸売市場葛西市場で「ガラガラ」を扱っている、E卸にて、聞き取りを行った。同店で販売する「ガラガラ」は、どこから仕入れるのかを聞き取った。
聞き取りは、「ガラガラ」が販売中であろうと考えられる、盆の前、8月2日に行った。
小売り業者
予備調査で聞き取りを行った、水元地区のM店で再度聞き取りを行った。生産者や消費者に対して、どのように意識しているのかに留意して質問を行った。
また、周辺地区の生花店で、同様の聞き取りを行った。
日時は、予備調査で「ガラガラ」の販売が終了すると判明した8月12日に行った。
消費者
東水元地区及びその周辺で、「ガラガラ」を設置中の人に対し、聞き取りを行った。「ガラガラ」の流通過程を、どの程度意識しているのかに留意して質問した。
日時は、「ガラガラ」を立てるとされる、墓掃除を行う8月12日、また「ガラガラ」に供え物をするとされる、送り火が行われる8月13日に行った。
生産者
E卸で仕入れを行うと聞いた、茨城県稲敷郡東町にて聞き取りを行う予定でいた。E卸では、販売の関係上、特定した生産地を聞くことができなかった。そこで、東町の集落を訪ねて、墓地などで「ガラガラ」が供えられている地区を明らかにして、その地区において聞き取りを行おうと考えた。
日時は、「ガラガラ」を盆の終わりに廃棄する地区において、廃棄するとされる8月16日に行った。
他地域
消費者が自ら生産する千葉県白井市白井で、盆用具を販売している販売者に対して聞き取りを行った。
「ガラガラ」の流通過程をどのように認識しているのかに留意して、質問を行った。
調査地の概要
東京都葛飾区東水元
区北部。北は都立水元公園で、小合溜井を隔てて埼玉県三郷市と接する。西を東西に東金から埼玉県三郷市に至る岩槻街道が通じる。東端の小合溜井一帯は都立水元公園。大部分は住宅地だが、北部の水元公園に接するあたりでは旧家が見られる。
東京都葛飾区水元
区北部。東を南北に旧岩槻街道、南を東西に都道269号が走る。南の都道沿いには清掃工場や都立水元高校がある。宅地化した地域であり、新興住宅地が広がる。
東京都葛飾区西水元
区北部及び北西端。北は大場川を挟んで埼玉県三郷市、八潮市、西は足立区。西端を中川が南流れし、飯塚橋が足立区と結ぶ。また、北端を西流して中川に注ぐ大場川(古利根川)には閘門橋が架かる。南端を東西に都道269号が通じる。隣接諸町とともに宅地化している。
東京都葛飾区東金町
区北東部。北を埼玉県三郷市に接し、南東を江戸川を挟んで千葉県松戸市に接する。中央部を見と街道から分岐したバイパス線が通る。南をJR常磐線が走り、金町駅がある。金町駅周辺には、商店街が見られる。宅地化している。
埼玉県三郷市高州
三郷市最南端。東は江戸川を隔てて千葉県松戸市、西、南は東京都葛飾区。北境を大場川が西流する。南から北西へ主要地方道松戸草加線が走り、南部で県道茂田井久兵衛線を分岐する。田畑の混在する住宅地域。県道、主要地方道沿いの一部に商店街を形成。
埼玉県三郷市鷹野
市の南部。東は曲流する江戸川を隔てて千葉県松戸市。海抜1.5mの低湿地帯であるが、水田が埋め立てられ畑地化したところが宅地化。
埼玉県三郷市東町
市の南部。東は江戸川を隔てて千葉県松戸市。住宅地域。西端を南北に走る県道茂田井久兵衛線沿いには商店街がある。
埼玉県三郷市戸ヶ崎
市の南西端。西は中川を挟んで東水元、東を主用地方道葛飾吉川松伏線で挟まれた、南北に細長い地域。主要地方道沿いには商店街がならぶ。集落は中川左岸の市前提棒状を中心に発達し、後背低湿地に耕地が広がる。
埼玉県八潮市大瀬
市の南東部。東は北部が中川を隔てて三郷市戸ヶ崎に、南部が同じく戸ヶ崎に、南は大場川を隔てて東京都葛飾区に接する。北西から南へ走る主要地方道松戸草加線が中川に架かる潮止橋を渡って東に向かい、三郷市へ抜ける。那珂川が町を川西と川東に二分し、川西の中川沿いに住宅が密集。
埼玉県八潮市古新田
市の南東部。西は大場川を隔てて東京都葛飾区に接する。ほぼ中央を東西に中川が流れる。住宅が密集しはじめ、南北に走る市道沿いは商店街となる。
茨城県稲敷郡東町
茨城県南部。北に稲敷郡桜川村および稲敷郡江戸崎町、西に稲敷郡新利根村、東に横利根川を挟んで千葉県佐原市に、南に利根川を挟んで千葉県佐原市、および千葉県香取郡神埼町にそれぞれ接する。町中央部を東西に新利根川が流れる。町最東端を佐原街道が、東から北へ国道125号線が走る。田園が広がる農村地帯で、集落が点在する。
本論
調査地及び周辺地域の盆行事の様子
東水元のようす
東水元地区では、地区内の墓地で「ガラガラ」が確認された。供え方は、家によって、「ガラガラ」の上には何も乗せていないもの、上に石を乗せたもの、上にハスの葉を置き、その上にアラヨネを乗せるもの、が確認された。墓の地面がコンクリートで覆われている家では、脚を切られた「ガラガラ」が供えられているところも確認された。
また、墓地と家の間の道端(以下道端とする)や、家の敷地の入り口(以下カイドウとする)でも、「ガラガラ」を供えているところが確認された。畑地など地面が土の場合は、そのまま脚を地面に突き刺していたが、塗装された道路では、箱を置いてその中で脚を立てて供えているところも確認された。中には箱の中に土を入れ、その土に「ガラガラ」の脚を突き刺しているところもあった。その供え方は家によってさまざまであり、線香を上に置くタイプ、下に置くタイプ、「ガラガラ」の前で焚くタイプが確認された。また、「ガラガラ」の上にハスの葉を置き、その上にアラヨネを乗せるものも確認された。
水元のようす
新興住宅地であるためか、墓地自体が少ない地域で、道端やカイドウでも「ガラガラ」が確認できなかった。一方、古くからの集落に近い遍照院(水元5)の墓地で「ガラガラ」が確認できた。その供え方は家によってさまざまであった。調査の結果、アラヨネを乗せるもの、線香を乗せるものが確認された。また、脚を単独では支えられないほど折って、線香立てに寄りかからせて供えているところもあった。
西水元のようす
地区内の墓地で、「ガラガラ」が確認された。その供え方は家によってさまざまであった。この地区では、上に線香を乗せたものが多かった。また、上にハスの葉を敷き、その上にアラヨネを置いたものも確認された。墓の地面がコンクリートで覆われているところでは脚を切った「ガラガラ」が供えられていたが、土や石敷きの墓では脚を地面に刺して供えているところが確認された。地面が土であるにもかかわらず、脚を切られて供えられていた「ガラガラ」も確認された。また、墓の前に2本の棒を立てて、その上方で間を渡した棒に縄を巻きつけた墓もあった。
道端やカイドウでは、「ガラガラ」が確認できなかった。
東金町のようす
地区内の墓地で、「ガラガラ」が確認された。その供え方は家によってさまざまであった。この地区では、上にハスの葉を敷いてその上にアラヨネを供えたものが多かった。また、上に線香を置いたもの、上に石とアラヨネを乗せたもの、上に何も乗せないものが確認された。この地区では、「ガラガラ」ではなく、ゴザを供えたものも多く確認された。
道端やカイドウでは、「ガラガラ」が確認できなかった。
埼玉県三郷市高州のようす
地区内の墓地で、「ガラガラ」が確認された。この地区では、上に何も乗せないものが多かった。上に線香を置くものも確認された。また、上に器を乗せて中に餅を入れたものも確認された。この地区では、片側を落としたゴザも見られ、「ガラガラ」と共に供えたもの、単独で供えたものが確認された。
カイドウでも「ガラガラ」が確認された。上に線香を乗せたもの、上に何も乗せないもの(下にチリ紙があるものもあった。もしかしたら、その中になにか入れていた跡かもしれない)が確認された。
埼玉県三郷市東町のようす
地区内の墓地で「ガラガラ」が確認された。この地区内の墓地で確認された「ガラガラ」は、前に筒を1本地面に刺し、そこに花を生けていた。
道端やカイドウでは、「ガラガラ」が確認できなかった。
埼玉県三郷市鷹野のようす
地区内の墓地で「ガラガラ」が確認された。この地区内の墓地で確認された「ガラガラ」は、上に線香を置くものだった。
カイドウでも「ガラガラ」が確認された。この地区のカイドウで確認された「ガラガラ」は、上に何も乗せないものだった。また、「ガラガラ」の横に、ナスとウリで作った牛馬を供えたものも確認された。
埼玉県三郷市戸ヶ崎のようす
地区内の墓地で「ガラガラ」が確認された。この地区内では、上に線香を乗せたものが多かった。上に何も乗せないものも確認された。また、墓の前に2本の棒を立てて、その上方で間を渡した棒に縄を巻きつけた墓もあった。
道端やカイドウでは、「ガラガラ」は確認できなかった。
埼玉県八潮市大須のようす
カイドウで「ガラガラ」を確認できた。上に何も乗せず、前に竹筒なども置かずに供えられていた。
埼玉県八潮市古新田のようす
地区内の墓地で「ガラガラ」が確認された。この地区では「ガラガラ」よりも、ゴザが多く供えられていた。「ガラガラ」の上には線香が乗せられていた。また、墓の前に竹をアーチ上に刺し、そこに草を巻きつけ縄でくくり付けた墓もあった。
道端やカイドウでは、「ガラガラ」は確認できなかったが、道端で上に線香を乗せたゴザを供えているようすが確認できた。
茨城県稲敷郡東町のようす
東側の地区を調べたが、墓地や道端、カイドウで「ガラガラ」は確認できなかった。
「ガラガラ」に関する聞き取り
予備調査
調査日: 2001年7月13日
調査地点:水元4 M店
名称: 「ガラガラ」
仕入れは葛西の市場
お墓と、お墓と家の中間に置く。お墓と家の中間に置くのは、家に帰る仏が迷子にならないようにである。
屋根にしているところもある。
7月の盆はシンプルである。
調査日: 2001年7月13日
調査地点:金町 花屋
旧盆の人が使う
今は葦を切って使う
旧盆の頃は、置く
調査日: 2001年7月13日
調査地点: 南水元4 T仏具店
佐倉市上勝田在住 T(女性40代後半)仕入れ業者
名称:「名前なし」
ナス・キュウリを1cmのさいの目にしたものに、米を混ぜたものを、盛る
盆綱といい、マコモのアミに石を挟み、子供に引かす行事がある。NHK、千葉TVで放映されたこともある。盆が16日のところもある。
14日に、仏が天竺に旅行に行くので、お弁当を持たす風習がある。
予備調査の結果、「ガラガラ」を供えられるのは月遅れの盆、すなわち8月13〜15日である、ということがわかった。また、販売される「ガラガラ」の仕入れ元が、「葛西の市場」こと東京都中央卸売市場葛西市場であることが判明。これを元に、調査対象の仲買人を選定した。
仲買人の証言
調査日: 2001年8月2日
調査地点:臨海町5 東京都中央卸売市場葛西市場 E卸
証言者: H.Y(男性30代、江戸川区在住)
茨城県稲敷郡東町で仕入れた。
自分では使わない。よく知らないが、売っているだけ。
国道16号沿いの地点で見かけるようだ。足立の方はない。
海沿いの地域では見ない。盆が終わったら、海に流してしまうからではないか。
我孫子では、上に線香を焚くので火事になるといわれ、禁止されているらしい。
「ガラガラ」は、お盆の前には売り切れる。水元・金町では、花屋が自分で作っている。
「ヤネ」と呼ぶ人もいたようだ。
迎え火のとき、葛西ではオガラを焚き、浦安では藁を焚く。
創価学会、門徒は、このような行事をしない。門徒は正月も松を飾る。
仲買人は、自ら「ガラガラ」を使用することはせず、生産者と販売者との仲介をしているのみであることがわかった。また、生産者については、商売上のことであるということから詳細に聞くことはできなかった。ただし、その所在地は茨城県稲敷郡東町であると証言。調査の目安とした。
販売者の証言
M店
調査日: 2001年8月12日
調査地点:水元4 M店
証言者: H.H(男性40代、住居は調査地に同じ)
名称:「ガラガラ」
マニュアル通りに店に置いている。この地域はこういうのが必要、と言われて置いている。
売っている「ガラガラ」は、(夫人と)2人で作っている。大きさは決まってない。なんとなく、大体15〜20cmの大きさに作る。
この地域の花屋の元締めは、O店である。竹もO氏から確保した。マコモは、三郷の用水から。
O店に2年いた。「ガラガラ」の作り方は、O氏で教わった。
墓から遠い家では、「ガラガラ」を置くお墓から家に来る目印として、家の辻にもたてる。明日(13日)東水元、西水元で、家の前などで「ガラガラ」を供えるところが見られる。時間は夕方から夜。(ご主人のご実家は東水元で)家のお墓は延命寺。うちは、明日夜18:00からやる。21:00にやる家もある。
水元のあたりは、あまり見られない。新興住宅地だから。新興住宅地ではやらない。
昔からの農家のほうでやる。
E卸から、今年少し確保した。松戸の市場からも仕入れる。「ガラガラ」の足は店で切る。墓地の下はコンクリで、足を刺せない。
E卸が仕入れた「ガラガラ」を作ったのは、お年寄りのアルバイトではないだろうか。
「ガラガラ」の前に供えるのは、シキビとオギリである。シキビは、創価学会では、普段使う。これらは、飾る家と飾らない家がある。ガラガラをやっても、シキビを飾らない家もある。ガラガラをやらない人は、シキビも飾らない。
「ガラガラ」を家にして『ヤネ』とするとこもある。西水元で、禁止した寺もある。
意味わかってやっている人は、あまりいないのではないだろうか。こういうのが必要だから、とやっている人が多いのではないか。
売られている「ガラガラ」は、1個400円だった。
O店
調査日: 2001年8月12日
調査地点:西水元1 O店
証言者: K.O(女性60代、住所は調査地点に同じ)
名称:「ガラガラ」
市場は、太田、葛西などあちこちから仕入れる。登録しないと仕入れられない。
実際に作っているひとはわからない。
早い人は1週間〜13日午前中に買う。足の長いのは売りきれた。
使っている人は、地元の人である。
お盆には、お箸とオガラで迎え火をする。
お盆には、団子、お茶とか旬の物といった、昔から決まったものを供える14日にはおそばを、同日3時にはトウモロコシを供える。
昔の人は、土葬で、仏様一人一人に「ガラガラ」を供えた。上にお線香を焚く。足の長いのを、コシカケと呼ぶ。
H店(Y店)
調査日: 2001年8月12日
調査地点:東金町2 H店(Y店)
証言者: E.Y(男性30代、住所は調査地点に同じ)
T.Y(男性70代、住所は調査地点に同じ)
名称:「ガラガラ」
「ガラガラ」は、仏壇とは別に、庭、墓、角に置く。
お墓参りのとき、墓から家へ向かう最後の角に供える。地面に刺して、上に重いもの(果物)を乗せる。お墓にも供える。このごろ保健所がうるさいので、家の前では、ハエがたかる前まで供える。「ガラガラ」の足は、地面に刺さないから切ってしまう。足は折ってもいい。ナス・キュウリを賽の目に切り、供える。
店頭に並ぶ金花、銀花は仏壇に供える。
ミソハギは、仏の清め、ぼうごん、払いに使う。上から下に咲くことから、地に戻ることを暗示する。よって、お祝いには使えない。生前はサカキを供える。
ホウズキは、仏様の提灯である。霊が、家から墓へと帰って行くときに持つ。また、霊がごちそうで腹をこわしたときのためでもある。活きている人間にも、食中りに効く。
ガマの穂は、霊の杖である。若い仏様にはいらない。
藁で出来た牛馬は、代用品である。水元では、もともとナス、キュウリを使う。送りのときに燃やせるようにしている。霊は、家に戻ってくるとき馬に乗る。霊の世界に帰るときも馬に乗る。帰りのおみやげは牛にのせる。
ホウロク(素焼きの皿)は、霊を呼ぶものである。庭、寺に置いて、オガラを半分切って上で燃やす。霊は3日くらい家にいて、そのあと送られる。そのとき、オガラの残り半分をホウロクの上で燃やすバチバチ鳴る音で仏様を呼ぶ。昔は、ここいらでは麦わらを燃していて、オガラは使わなかった。終わった後、ホウロクは水をかけるかたたいて割った。
15日は送りである。送りの提灯は家でつける。ちなみに、迎えのときは、墓でつける。
16日は嫁を実家に帰す。盆送りは16日からである。『盆の16日〜』という唄もある。この日は『ヤブイリ』と呼ぶ。
「ガラガラ」は、市場とかで仕入れる。
(若い店員さんは、「ガラガラ」の使い方は知らなかった)。
仕入れ元は、いずれの販売者も市場であることを証言した。市場の仕入れ元についてはあいまいで、あまり関心をもっていないことが伺えた。ただし、M店では、販売している「ガラガラ」を、販売者である自らが作成していると証言した。M店によると、O店でも作成しているとのことだったが、O店の証言の中では、その事実は確認できなかった。M店では、店主の本家が所在地の隣接地区にあり、自らも「ガラガラ」を使用するという証言を得た。
また、「ガラガラ」の供え方と盆行事について、詳しい証言を得ることができた。「ガラガラ」は、霊が墓から家へ帰るための道順を示すもので、なおかつ墓に供えるものであることが判明した。
消費者の証言
調査日: 2001年8月12日
調査地点:水元5 返照院
証言者: T.F(男性50代、西水元6在住)
名称:「ガラガラ」
昔はマコモで自分で作っていた。今は花屋で買う。O氏が作っている。
現在は花屋で購入している「ガラガラ」が、かつては使用者自らが作成していたという証言を得た。また消費者は、販売している「ガラガラ」はその販売者によって作成している、と漠然と捉えていることが伺える。
他地域での証言
調査地点: 2001年8月10日
調査地点:白井市白井 Y店
証言者: Y.Y(男性50代、住居は調査地点と同じ)
名称:「ガラガラ」
14日に朝参りをする。昔は時間を争って行ったものだが、今は朝5:00頃行く。『ハダシ参り』といい、昔は裸足でお参りした。今はサンダルやクツでお参りする。
朝参りのとき、里芋の茎などを刻んで、皿に入れて持って行く。これを墓でガラガラに移す。仏様の供物である。お花はこの日にも供えるが、その日に限らない。
13日夜遅く墓へお迎えに行く。夕方提灯持って行く。家に来ていて、いないであろう仏様へお供えをする。留守番をしている仏がいるというのである。限られた人しか家に来ないから、その留守番の仏へのお供えである。
15日夜遅く送る。提灯を持って墓へ行き、『また来年も来てください』と唱える。
最近は簡略化が進んで、スーパーのお肉のトレイなどで「ガラガラ」の代用する人もいる。
今年初めてマコモゴザを店に出した。家の仏様へ、上にご飯を乗せてお供えするものである。昔は自分で作った。10個出したうち4つ売れただけで、あまり売れない。
「ガラガラ」は、ここらへんは自分で作るから売らない。売っているところは、あまりないのではないだろうか。
迎え火の際の「ガラガラ」の供え方について、詳しい証言を得ることができた。それによると、「ガラガラ」は、家に迎えられない「留守番の人」と呼ばれる霊のために供えられていることがわかる。家に迎えられる霊とは別種の霊の存在が考えられていることが伺える。ただし、その存在は、あまり深くは考えられていない。
考察
聞き取り調査の結果、以下のことが考察される。
まず、「ガラガラ」の意義が、どう捉えられているか。
東水元に菩提寺を持つM店では、「ガラガラ」は墓、及び墓と家との中間に置くと証言していた。東金町のH店でも、庭、墓、角に供えると証言していた。その証言を裏付けるように、東水元、三郷市鷹野、三郷市高州、および八潮市大須地区では、実際に道端やカイドウで「ガラガラ」を供えるようすが確認できた。今回の調査では確認できなかったが、予備調査の聞き取り(M店の証言)によれば、西水元でも、かつては道端やカイドウで「ガラガラ」を供えていたとされる。予備調査では、「ガラガラ」を供えるのは「田舎の人」、「古くからいる人」なのだという証言を得た。これらのことから、「ガラガラ」を道端やカイドウを供えることは、調査地域の中では比較的古い習慣ではないか、と考えられる。
白井市白井のY店によれば、「ガラガラ」は墓の「留守番の人」のために供えるとされていた。迎え火によって家に迎えられた霊のほかに、家に迎えられずに墓に残った霊のために、食物が供えられていた。
一方、東水元及びその周辺地区では、迎え火によって家に迎えられた霊のためにも「ガラガラ」が供えられていた。家に向かう霊が、家までの道程を間違えないように、「ガラガラ」が道端やカイドウで供えられていた。墓やカイドウ、道端の「ガラガラ」は、線香やアラヨネが乗せられたり下に置かれたり、またなにも置かれなかったりと、さまざまな供えられ方をしていた。墓に残った霊と、家に迎えられた霊とは、明確に区別して考えられてはいないのではないだろうか。
「ガラガラ」を購入して供えていた消費者は、その「ガラガラ」を製作したのは、購入元のO店ではないか、と考えていた。当のO店では、市場で仕入れたと証言している。これらのことから、消費者は、購入した「ガラガラ」をだれが生産しているのか、はっきりとは認識していないことが伺えた。萩原の言う「都市の人々の近郊農村への無理解や無関心さ」(萩原,1997)が、ここにも現れているとも言えるのではないだろうか。また、消費者は、昔は自分で作っていた、ということは知っていた。「昔は自分で作っていた」という証言は、他の何人かの人々からも得ることができた。
販売人であるO店のO氏は、「ガラガラ」の製作は、農家のアルバイトだろう、と述べていた。しかし、その地区については関心が無いようだった。
M店のH氏は、販売用の「ガラガラ」を市場で仕入れる一方、自身で製作したものも店頭に並べると証言した。以前はO店で働いていたという同氏が「ガラガラ」の作り方はO店で覚えたと言うことから、O店でも販売用に「ガラガラ」を製作していたのかもしれない。また、仲買人がどこで「ガラガラ」を仕入れているのかについては、あまり頓着していないようすだった。
仲買人であるE卸のY氏は江戸川区在住だが、自身では「ガラガラ」を使用しないと述べていた。仕事がらか、「ガラガラ」がどこで使われているのかを詳しく話してくれた。
一方、「ガラガラ」を自身で製作して使用している白井では、販売は考えていないらしい。今回確認できなかったが、E卸で仕入れたという茨城県稲敷郡東村でも、似た状況であると予想される。
消費者も販売人も、「ガラガラ」の生産者にはあまり深くは追求せず、仲買人は、購入された「ガラガラ」の用途をはっきりとは認識していない。また、生産者も、自身が製作した「ガラガラ」がどのような経路でどのような使われ方をしているのか、おそらく関心が無い。こうした「ガラガラ」の販売機構は、堀(1997)や萩原(1997,1999)が述べていた際物の市の形を、緩やかではあるが、保っているのではないだろうか、ということが考えられる。
販売人が、販売する「ガラガラ」を自ら製作し、また使用するという形態をとっていたことは、興味深い。消費者も、なんとなくではあるが、その製作者を予想していた。自ら製作して使用していた、「ガラガラ」を供えるかつての姿が、わずかに残っているのかもしれない。
まとめ
まとめ
今回の調査で感じたのは、「ガラガラ」を供えることが簡略化しているのではないか、ということだった。宅地化が進み、地域が変質していく中で、「ガラガラ」の供え方も多様な姿を見せるようになった。その一方、かつては行っていた道端やカイドウで行う「ガラガラ」の供えも消えていた。白井市白井では、最近では「ガラガラ」の代わりに、肉などを乗せるトレイが使われていることもあるという。東水元では、「ガラガラ」の作り方を知っているお年寄りもいたが、現在は生花店などで購入していた。東金町のH店(Y店)では、70代のT.Y氏は盆行事を良く知り盆用品の供え方にも詳しかったのに比べ、20代とみられる若い店員はあまり詳しくないようだった。これも、簡略化の表われと考えられる。
宅地化がそれほど進まない白井市白井、および白井市平塚では、「ガラガラ」の流通が見られなかった。かつては自作していた「ガラガラ」が流通するようになったのは、地域が宅地化することにより、住民に分業化が進んだことが原因ではないだろうか。
その流通の過程が、かつて草の市で取引されていた時代に比べて透明化し、消費者にも「ガラガラ」の生産者がなんとなく予想できるようになる。そのような状況の中で、際物としての「ガラガラ」の神秘性は失われつつあるのかもしれない。萩原(1999)の「無意識のうちに、祭具としての際物を必要として期待をしているのではなく、際物を行事の形態のみを整えるための道具の一種としてしか考えてはいないということになるのではないか」という指摘にもうなずける。
「ガラガラ」の供えられ方の簡略化も、「ガラガラ」に対する神秘性の喪失がもたらすものだといえないだろうか。その神秘性の喪失の過程は、以下のように予想される。
集落が宅地化することで新旧の住民が混在するようになると、地域のまとまりがゆるまり、かつての集落の習俗も変質していく。また、地域の宅地化が進むことで住民の役割の分業化がすすみ、かつては自作していた「ガラガラ」などの盆用具までもが流通するようになる。その流通機構の透明化にともない、かつては消費者が抱く神秘性が「ガラガラ」から失われ、それが「ガラガラ」の供え方の簡略化に表われるようになる。簡略化していく「ガラガラ」の伝承が、伝承の主体である世代が下がるにつれて、「ガラガラ」に対する神秘性をさらに失わせていく。
「ガラガラ」の古い形を残していると考えられる白井市平塚ですら、「面倒な習慣なのに、お姑さんがいるからやめられない、『なにかあったら…』と言われる」、という証言があった。
「ガラガラ」に、まだ神秘性を感じている者もあり、その一方ではすでに「ガラガラ」をただの祭祀の道具としか捉えていない者もいる。「ガラガラ」の神秘性が失われていくにつれ、その由来や意義が見失われ、やがては「ガラガラ」の習俗自体も消えて行くのかもしれない。
問題点
今回の調査では、「ガラガラ」の意義や意味までは解明するにいたらなかった。だがそのヒントは、供える人が「ガラガラ」に持つ神秘性、というものの中にあるのではないか、と考えられるようになった。今後は、この「神秘性」というものの本質はなにか、という点に注目して調べを進めていきたいと考える。
「ガラガラ」の本来の姿を想像することはできたが、調査地域の範囲が限られているため、その確定を行う事はできなかった。確定するためには、「ガラガラ」を供える本来の姿を確定しなければならない。そのためには、さらに多くのさまざまな性格をもつ集落について調査する必要がある。
また、仲買人が「ガラガラ」を仕入れていた茨城県稲敷郡東村東部では、「ガラガラ」が供えられている姿が確認できなかった。そのため、生産者がどのように流通過程を認識しているのかは検証する事ができなかった。今後は、さらに調査範囲を広げて、生産者の意見を調査していきたいと考える。
謝辞
今回の論文を製作するにあたって、以下の方々にご協力をいただきました。
H.Y氏(E卸)、H.H氏(M店)、K.O氏(O店)、E.Y氏、T.Y氏(Y店)、T.F氏、Y.Y氏(Y店)の各氏には、お忙しい中「ガラガラ」についてお話しをしてくださりました。
H大学のN先生、S先生、M先生には、研究の方針を考えるにあたり、数々の助言してくださりました。
ここに謝辞を呈します。
注
注1):2000年8月16日に、印旛郡白井町(現白井市)平塚にて、当地域の盆行事と「ガラガラ」についての聞き取り調査を行った。本稿において、「白井市平塚」とあるものは、全てこの調査をもとにしたものである。
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