卒論への道
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卒論への道
このサイトは、ワタクシあま☆ありきが卒論を作成するに当たって選んだテーマ「ガラガラ」についての情報を発信し、あまつさえ情報をもらえたらな〜…という目論見で立ち上げたサイトです。
卒論のテーマは盆行事!!旧盆であるとはいえ、その期日は着実に迫ってきています。しかし、未だ決定するのは対象行事のみ…論文の目的、仮説すら決まっていないため、肝心の観察対象地域もしぼられていない、というしまつ…
現在は、連日図書館に通い、「ガラガラ」が行われているという地域の特定に務めている段階にあります。しかし、本日(7/26)は連日の暑さにバテてしまい、おうちでダラダラと過ごしてしまいました…
これではアカン!と、このたび、あたらしいページを作ったのが、本ページ。今日から、卒論に向けて、どこまで調べを進めたか、ということをお知らせしていこうかな〜と、考えています。
このページをご覧になって、ご助言していただけるのもうれしいです。
10がつ 1にち 火ようび
ひさびさの更新です。
夏に集めまくっていた資料のまとめにてんてこ舞いでした…。
来週のゼミで発表するので、その内容をこちらで発表します。
卒論の仮目次とアウトラインです。
盆行事「ガラガラ」の空間的広がりにみる変遷の考察(仮題)
《仮目次》
I. はじめに
・ 目的
・ 盆行事の概要 …盆の説明、柳田他の先行研究
・ 「ガラガラ」の概要…行事の説明、先行研究
・ 「ガラガラ」を取り上げる意義
II. 方法
・ 2000年調査…千葉県印旛郡白井町(現白井市)平塚
・ 2001年調査…東京都葛飾区水元周辺、埼玉県三郷市周辺
・ 2002年調査…茨城南部、千葉北西部
・ 文献の処理
III. 結果
・ 空間的な広がりと多様性
・ 他の盆行事の分布との関係
IV. 考察
・ 分布の意味づけ→柳田他の先行研究との相違
・ 「ガラガラ」の変遷についての考察…オリジナルの形と変化した形
V. まとめ
・ →柳田他の先行研究との相違はここにもってくるべきか?
・ 反省と展望
・ 謝辞と参考文献
《アウトライン》
I. はじめに
・ 目的
「ガラガラ」の空間的な変化から、民俗事象の変化の構造を考察する
・ 盆行事の概要
柳田の解釈 もともとあった祖霊信仰に、外来の仏教による無縁仏の解釈が付加
→はじめに祖霊信仰ありきで論がすすめられ、その論理には無理がある
和歌森の解釈 収穫感謝祭に祖霊供養が付加
→作物のお供えがすなわち収穫感謝の名残、とする論理に無理がある
鈴木の解釈 もともとは全ての霊を供養していたものが、祖霊とその他に分化
高谷の解釈 盆棚の歴史的な変遷は、現在の無縁仏用、新霊用、先祖用の盆棚の順
→「ガラガラ」の変化を説明するのに無理がない解釈ではないだろうか
・ 「ガラガラ」の概要
「ガラガラ」はいわゆる
月遅れの盆(8月13〜15)
に、墓や家の前、辻などに置かれる。竹を十字に組み、マコモで約15cm2に編み込んだもので、棚のような形状をしている。その分布は
東京都北東部から埼玉県南東部、千葉県北部、茨城県南部
、呼称は
「ガラガラ」、「ガラガラッチョ」、「ガラガラチョ」、「ガラガラゼン」、「ガラゲッチョ」、「コシカケ」、「ホトケノコシカケ」、「サルノコシカケ」、「イス」、「ノダナ」、「テンガイ」、「オタナ」、「オゼン」、「ボンガラ」、「マコモノゴザ」、「ボンブチ」、「ダンジュウロウ」
などさまざまである。供え方も、
天井部にアラヨネ(キュウリやナスを賽の目に刻んだもの)を乗せる
、
天井部で線香を焚く、また天井部に何も乗せずに下で線香を焚く
など、地域差がある。
盆に先祖の霊を家に迎えるとき墓にいて迎えらることのない「留守番の人(霊)」のための食事を乗せるための棚である
、また
迎えられる霊が腰をかけるための棚である
、などの説明がある
比較的まとまりを持った分布をもち、形状が似通っているにもかかわらず、呼称や用途が変化に富んでいる、不思議なお供えである。にもかかわらず、まとまった研究は少なく、各自治体の教育委員会などが発行する民俗資料や郷土誌などに記述がみられるのみである。
・ 「ガラガラ」を取り上げる意義
「ガラガラ」は、現在家ごとに行う盆行事である。その方法は代々受け継がれており、変化は起こりにくい。また、昔からの習慣だとして、意味は深く考えられることがなかった。
それゆえこの行事は以下のことが予想される。すなわち
特になにもなければ変化はおこりにくいが、外来から何らかの新しい解釈がもたらされるとたちまち変化が起こるのではないか。
だとすると、「ガラガラ」の変遷を調べることは、他の地域の盆行事からの影響や、行事に対する地域の住民の解釈の変遷がわかる。
そして、
はたして柳田ほかの先行の解釈で盆行事の変遷の説明がつくのか
、という検証が可能となる。
III. 結果
・ 空間的な広がりと多様性
・ 他の盆行事の分布との関係
IV. 考察
・ 分布の意味づけ
行事は、
「なにかわからないもの」だったものが、次第にその時代の人が納得できる意味付けをなされていくもの
ではないだろうか。
少しずつ行事の内容が変化し、次にその名称が変化し、やがては解釈そのものも変化していくのではないだろうか。
分布の広がりからその仮説を検証していくことが、今後の作業の課題である。
8がつ24にち 金ようび
今日は
盂蘭盆会
を行う地域が多い日です。お寺でお坊さんに、無縁仏(餓鬼)にお経をとなえてもらう行事です。盆棚や墓の飾りも今日限りで片付けてしまうところも多いため、「ガラガラ」の分布を調べるのも最後のチャンス!ということで、先の16日の調査で廻りきれなかったところを調査しました。
勝田台駅からバスで上横戸へ。
千葉市花見川区横戸町
です。バスの行く手には
なにやら煙がたちこめていました。
バス停近くの
明星寺
に、ありました
「ガラガラ」
。上には輪ゴムで止められたなにやら茶色いもの…おそらくは「アラヨネ」でしょう。
…予想外です。
こんな南にあるとは思いませんでした。
思わぬ分布の広がりです。さらに南の地域ではどうなのか、と思いつつ…
さてバスで北上して下横戸へ、同じく
千葉市花見川区横戸町
です。少し道を入り、集落の入口の
下横戸町共同墓地
を目指しました。ここでも
「ガラガラ」
を確認。上には「アラヨネ」の痕跡が残っていました。墓地の床がコンクリなため、「ガラガラ」は、
足を切ってあったものや、切ってないもの
がありました。
バスで通った道に出て、反対側の八
千代市勝田
へ。
水田を抜けて畑地にさしかかると、
畑の中で石碑
を発見。近付いて見ると、前に
「ガラガラ」に似た供え物
が供えられていました。
竹でできた脚に乗るバッテン
の上には、
「アラヨネ」
を乗せたゴザが乗せられていました。
さらに奥へ向かうと、
円福寺
に到着。門前には、
先ほどみつけたお供え
が供えラ得れています。奥の階段の上には神社があり、鎮座した石碑の前には
「ガラガラ」
が供えられていました。と、お寺の読経を終えたおばあさん方6名と行き会いました。思い切って聞いてみると、
ここでは「オゼン」と呼ぶこと、仏様=ご先祖様に向けたお供えであること、昔は作っていたが今は作る人が決まっていてそこから買うこと、勝田台駅近くの仏具やさんでも売っていたこと、
などを教えていただきました。お名前をお聞きしても教えてくださりませんでした…
さらに奥の墓地で、先ほどのお供えと
「ガラガラ」
が供えられていました。
おばあさん方に教えてもらった仏具やさんで訪ねると、「オゼン」ということ、仕入れてくること、ナスやキュウリを1cmの賽の目に切り乗せること、先祖供養のためであること、などを教わりました。ここでもお名前は名乗ってもらえず…
ここで、あまりの湿気と暑さにリタイア。
近くで花火大会が行われるため駅前ではお祭を開催中。すごい人出でした…
・おまけ・
下横戸バス停そばのガードレールの端の
落書き
。
ツッコミところは多々ありますが…
「公週」
ってなに?
8がつ16にち 金ようび
今日は新京成線・前原駅よりレインボーバス(京成バス)船尾車庫行きに乗り
島田台
で下車、そこから島田台、神久保(いものくぼ)へと調査しました。
島田台島田
の
庚申塚
の前に「ガラガラ」を発見。
足に竹のつなぎ
がしてありました。
近くの墓地でも発見。上に「アラヨネ」(キュウリやナスなどをみじん切りにしたもの。米が混じることもある)が置いてあったのですが、そこに米ではなく
小豆
が混じっていたところに興味を覚えました。
国道16号沿いの商店で聞いたところ、
2〜3年前はやっていたが今はやらない、留守番の人のご飯を供えるである、自分で作る、名前はわからない、
という証言を得ることができました。
を越えて
神久保
へ。墓地で1軒だけ、
足を切った「ガラガラ」
を見つけました。
小池
のお寺を2つ廻ったのですが、「ガラガラ」は見当たりません。
『カラスが来るのでお供えはお持ち帰りください』という看板があったので、あるいは撤去されたのかもしれません。国道16号の下を通って反対側の
神久保
の集落に向かうと、
路傍に「ガラガラ」
が供えられていました。
バスで米本団地の近くまで行って調査をしようと考えていましたが、バス停でバスを待っていたら、みるみる空が暗くなりました。
なんかイヤ〜な気がしたので、バスの行き先が勝田台駅と知るや否や、行き先を変更。
そのまま帰路につきました。
24日までは「ガラガラ」も片付かないとみて、また後日チェックすることとします。
・おまけ・
神久保
でみつけた
狛犬
さんです。
なんとなくしかめっつら。
8がつ15にち 木ようび
今回は京成酒々井駅より東方、
印旛村平賀
から
印旛沼
方面へ、そして
印旛村山田
から
佐倉市
にかけて
調査をしました。
印旛村平賀
の西端・小字
戸田
の墓地で
「ガラガラ」
が供えられていました。
先日
成田市
で確認した
二足タイプ
もありました。
二足タイプの分布を考察する上で興味深い形態です。
東方に行くと「ガラガラ」は見つからず、また
違った供え方
を目にしました。
佐倉市に入ってさらに印旛沼沿いを調査しても、「ガラガラ」は見つかりませんでした。
京成佐倉駅近くの花屋でお話を伺うと、このあたりでは供えない、八千代市や成田のほうで行う、とのことでした。
また資料の写真をお見せすると「
ボンゴゼン
だね」と指摘しました。
このことは、「ガラガラ」の呼び名について、私が今まで把握していないものもある可能性があると言えます。
連日の疲れがたまっているため、京成佐倉駅から帰路につきました。
最後の方にはふらふらしてました…
8がつ14にち 水ようび
今日は、
茨城県龍ヶ崎市
で、論文で分布が確認された以西の調査をしました。
常磐線に乗ってから、佐貫で降りて竜ヶ崎線で竜ヶ崎まで行き…と考えておりましたところ、ふと気付くと佐貫駅。おまけに発車ベルが鳴っています。
急いで降りました。あせりました…
さて龍ヶ崎の市内で寺の墓地を調べていたところ、
ありました「ガラガラ」
。2軒のお墓で(ところでお墓ってどうやって数えるのでしょうか?1軒2軒というぐあいでいいんでしょうか?)。いずれも上に茄子や胡瓜を細切れにしたものが乗っていました。
中心地を外れて次の地域に向かう途中、
お花屋
さんをみつけました。
店内を覗くと、「ガラガラ」が。
迷わず入ってお話をお伺いしました。
とても親切にお話をしてくださり、あまつさえ缶ジュースまでごちそうになってしまいました♪
お忙しい中ありがとうございます。
お話によると、この地域では
「コシカケ」
と呼ぶこと、
藤代町
で店を出していたときには売れていたが龍ヶ崎では売れていないということ、お供えは
「留守番の人」
が
「腰を掛けるため」
にすること、などがわかりました。
「留守番の人」と「腰を掛ける」が入り混じるという、興味深い説明が聞けました。
その後数カ所の集落で墓地を調べましたが、いずれでも「ガラガラ」は確認できませんでした。そのかわりに、お話を伺ったお花屋さんから聞いた
「ボンダナ」
が多数見られました。
次にバスに乗って
新利根町駒塚
で調べましたところ、ここでも「ガラガラ」は見かけず、龍ヶ崎市内で見かけた「ボンダナ」ともまた違った
お供え
を多数確認できました。
暗くなってきてさすがに恐くなったので、その後バスに乗り「江戸崎」に向かいました。
ネットでバスの路線図を入手したのですが、そこに
「江戸崎(JR)」「江戸崎(関鉄)」
とあり、私は
てっきりJR線と関東電鉄の駅があるのだ
と思い込んでしまったのです。
そのわりには地図に線路が書いてないなあ、と思ったのですが…今思うとその時点で気付くべきでした…。
さらに駅があるのはどの路線かをチェックするためにケータイで調べたところ、「お問い合わせの駅名は検索できませんでした」の文字が…今思うとその時点でさらに気付くべきでした…
まあとにかく行っちゃえ、というので停留所で降り立った所、それらしき施設が見つからない。
店を空けている酒屋さんに聞いたところ
「このあたりじゃバス停のことを駅っていうのよ」
…え…?
あわてて付近のバス停をみたところ、常磐線の駅に向かうバスの最終はすでになく…
…泣く泣くタクシーを呼びました…5,700円もした…
JR荒川沖駅に着いたときには、心底ほっとしました…。
・おまけ・
龍ヶ崎市内のあるお宅のお墓で、
こんな置物
を発見しました。
故人はヘビースモーカーだったのでしょうか?
ちなみにこの置物、私は初めてみましたが、後に龍ヶ崎市内で別の墓地のお墓でもさらに1個見かけました。
流行ってるのでしょうか?
8がつ13にち 火ようび
調査2日目です。
今日は
JR成田線・鹿島神宮行き
に乗り、
久住駅から南方へ
と地域を調査していく…つもりでした。
成田駅で、
来た電車
に飛び乗ったら、それは
我孫子行き
でした…
元に戻るのももどかしかったので、予定を変更。
下総松崎
(しもうさ・まんざき、と読むらしい)駅で降り、そこから西方へと調査していくことにしました。
駅から近い地域の墓地を調査し、さて次へ…と地図を頼りにルートをとったのですが、ふと気付くと最初の墓地…
…あれ?
気を取り直してルートを変えて目指す地域へ…としばらく進んだのですが、どうも地図と道の形がちがう…
ここはどこだ…?
…どうやら、地図が作られた後に道路を新しくし、微妙に変わっていたらしい。
加えて、道路の広さに変化がなく、地図に記された道路がどれだかわからない…
そんなこんなで小1時間ばかし迷ってしまいましたが、その後はなんとかルートをとれて、集落をまわることができました。
一時はどうなることかと思いました…
文献で「ガラガラ」を供える、という集落にも行ったのですが、今回は確認できませんでした。
ですがそこから くらい離れた地域の聖地霊園で、
足を2本落とした「ガラガラ」
を確認することができました。
残念ながらそのお墓をお参りした方にお会いできなかったため、お住まいはどこか、なんという名前か、なぜそんな形でお供えするのか、などということを聞くことができませんでした。
今回は
こういう
ルートをとりました。途中ハスを栽培しているところがありました。
ハスの花が満開
できれいでした。
・おまけ・
調査途中にみかけた
看板
です。
「浦島」…お酒を大量に飲んで、ツブれて寝てしまって、ふと気付いたらみぐるみはがれてた…なんてことはないですよねえ…
8がつ12にち 月ようび
いよいよ調査です。
今日は調査地に向かうため、常磐線・取手駅から
関東鉄道常総線
に乗りました。
単線
で2両編成、というなかなかアジな1時間1本の電車でしたが、途中の水海道駅が終点。下館行きに接続していて電車で乗り換えたのですが…これがまた
1両編成のワンマンカー
で、アジにさらに磨きがかかっていました。
上宝駅で下車。
無人駅どころか駅舎すらありませんでした。
途中で買ってたおべんとを食べて、ここから出発。
昨日の予定どおり、恐らく「ガラガラ」は供えないだろうなあ、と思っていたルートをとりました。
が、ワタクシ、見極めが悪かったです…
伊奈町、谷和原村、茎崎町も、なんて…甘かった…
予定したよりはるか北方、
下妻市東部、明野町西部、つくば市北部
を辛うじて廻れました…
予想通り、「ガラガラ」は供えられていませんでしたが、
市原市・シノウと同タイプ
が複数箇所で見られました。
「ガラガラ」の変遷を知る上での考察に役立てるかもしれません。
調査した墓地の一つでは、カブトムシ(死体)
を見つけ、感慨にふけってました。
文献では「コシカケ」を供えるとあり、それが本当なら分布のまとまりよりかなり北方だなあと懸念していた、
いばらき市国松
でのようすが確認できたのは大きな収穫でした。ここでも結局「ガラガラ」は見られませんでした。
ちなみに、本日の調査ルートは
こう
でした。
ルートの全長は19.86km。足がぱんぱんです…・
・おまけ・
ルートの途中、橋の袂にくくりつけられていた
手書きの張り紙
。(子尊戦争に成りましたので移転にしました。と書いてあります)
「子尊戦争」ってなんでしょうか…移転て、なにをだろ…
8がつ11にち 日ようび
さて、前回からだいぶ日が空いて久々の更新です。
この間なにやってたかというと、方々の図書館をまわってしつこく資料を集めていました。
それなりに成果もあり、その結果はまた後日。
今日の話題は、今後の調査の予定についてです。
いよいよ盆(月遅れ)です。調査本番です。
とはいえ、盆が始まるのは13日から。
しかし、「ガラガラ」を墓や辻にセッティングするのはだいたい今日か明日のようです。
とはいえ、「ガラガラ」にお供えをしたりするのは13か14日。
なので、お供えの状況を調べるには早すぎます。ですが、「ガラガラ」を供えるかどうかの確認は可能。
というわけで、明日は
「ガラガラ」を供えるか疑わしいところ
をチェックしに行きます。
具体的には
茨城県つくば市
ですが、可能ならばさらに南の
伊奈町
や
谷和原村
、
茎崎町
なんかも見れたらなあ、と考えています。
明日から連日、炎天下での調査になるようです…気をつけていってきます…
7がつ31にち 水ようび
「ガラガラ」
を供える理由としては、「留守番の人に(食べ物を)そなえるため」と答えた地域のほかに、
「仏様が腰をかけるため」
と答えた地域もありました。
「留守番の人」は
家に迎えられない霊
を指すとして、「腰をかける」霊とは
家に迎えられる霊
のことです。
墓や辻の「
ガラガラ
(当該地域では「コシカケ」という名称になります。便宜上名称を「ガラガラ」に統一します)」に腰をかけて待っていた霊は、提灯の灯りで家に迎えられるようです。
家に迎えられた霊は、縁側などで用意された盥で「
足を洗って
」から家に入るのだ、と説明されました。
霊が「足を洗う」、とはまたおもしろい説明です。
そこで、迎えられた霊が「
足を洗う
」、また迎えの時に
縁側に水を入れた容器を用意する
、という風習のある地域をマークしてみました。

地図において、
赤のドット
が「ガラガラ」を供える地域、
水色のドット
が迎えられた霊が「足を洗う」地域です。
この図を見ると、
「足を洗う」
地域は、
「ガラガラ」
の分布からはわずかに西方にずれているように思われます。
また、地図の範囲には入っていませんが、さらに西方の
保谷市(現・西東京市)下保谷
では「
便所にバケツの水をかけ…先祖を濡縁から盆棚へ案内
」するそうです。
練馬区石神井
では、迎えに行った家人が帰ってきたら、
水をひいて「足を洗う」
、という報告があり、あるいはこの風習と関連付けられるかもしれません。
さらに
北区
では迎えに行った家人が
「足を洗う」
、また
「足を洗う」真似をする
地域があるそうで、これは迎えられた
霊
が「足を洗って」いたものが、いつのまにか
霊を迎えに行った家人
が「足を洗う」ように変化したものだ、とも考えられます。
霊が「
足を洗う
」分布と、
「留守番のひと」に「ガラガラ」を供える
分布とは、実はいくつかの地域では重なっています。
これは、
「ガラガラ」の風習が変遷する過程を考察する上で大きな手がかりになる
かもしれません。
今後は、「コシカケ」系か「膳(ガラガラ?)」系かといった「ガラガラ」の
名称の分布
、また上に食べ物を乗せるか、なにも乗せない・線香を乗せるか、といった「ガラガラ」の
供え方の分布
が、迎えた霊の扱いなどといった
他の風習の分布
とそれぞれどのような重なり方をするのかを調べるのもいいかなあ、とか考えています。
7がつ29にち 月ようび
「ガラガラ」
は、だれのためのものか、という説明の中で、白井町(現・市)で聞き取りをしたときに
「留守番の人」
のためにするのだ、と教わりました。
この
「留守番の人」
に似て
「留守居」
だの
「留守仏」
にお供え物をする、という風習が、
三多摩
をはじめ
長野や岐阜
でも見られるという文献をみつけました。
そこで、
「ガラガラ」を供えるのは「留守番の人」やそれに類するものに対してだ、という説明が報告された範囲を示してみました。

地図において、
赤のドット
が「ガラガラ」
を供える報告がある地域、
緑のドット
が「留守番の人」
に供える、という報告がある地域です。
この図を見ると、
「ガラガラ」
の分布と
「留守番の人」
の分布範囲とは、少し
重なりがある
ように思えます。
行為そのものに対しその意味付けについては報告が少なく、この図は必ずしも実際に「留守番の人」にお供えをする範囲である、とは言い切れないことは、昨日と同様です。
はたして、
「留守番の人」に供える地域は、ほかにどんな広がりをみせるか、また「ガラガラ」を別の目的に使っているとする地域とはどのような違いがあるのか、
というところも調べる必要があるようです。
7がつ28にち 日ようび
そんなわけで、今は
「ガラガラ」
の分布範囲を調べています。
とはいえ、まとまった論文は1つ、埼玉県に関するものが見つかっただけ。
なので、文献としては、各市の調査資料や県史などをこまめに当たっています。
こつこつと…
そうして調べた今までの結果と、私自身が確認した場所を分布図にしてみました。

分布図の空白地帯は、「ガラガラ」がない、のでは必ずしもなく、報告や記述がなかった、という地域も含まれます。
この図を見ると、
「ガラガラ」
の分布は
東京都
では北東部、
葛飾区
や
江戸川区北部
にあることがわかります。また正確な地域がわからなかったので記していませんが
足立区の北部
にもあるそうです。
埼玉県
では南東部の
三郷市、吉川町(現・市でしょうか)、八潮市、草加市東部、越谷市南東部
にもわたります。
千葉県
は北西部の
市川市、野田市南部、柏市、船橋市北部、
にみられ、
白井市、八千代市北部、印旛村、佐倉市、成田市
に点在することがわかります。分布図に示さなかった
鎌ヶ谷市、我孫子市、流山市、沼南町
は、正確な分布がわからなかったですが「広範囲で行われている」という記述がありました。
茨城県
は、南西部の
取手市
で分布があるようです。ただし、茨城県のデータはまだ全てに当たっておらず、これからの課題です。
分布図をみると、その範囲は海岸寄りにはみられないことがわかります。
範囲の広がりを考えるにあたり、注目すべきは
千葉県八千代市、佐倉市、成田市、大栄町、下総町、栄町、利根村、茨城県利根村、龍ヶ崎市、河内村、東村、江戸崎町、桜川村、美浦村、阿見町、牛久市、筑波町、守屋町
あたりかな、と現在は考えています。
また、これらの分布図が意味するものはなにか、を考えなくてはいけません。
7がつ27にち 土ようび
まずは
無縁仏
のはなしから。
2000年に
「ガラガラ」
を調査したとき、
「ガラガラ」
は盆に迎えられて空っぽになったハズのお墓に残っている
「留守番のひと」
のために供えるのだ、という内容の証言を得ました。
留守番の人…?それはどのようなモノを指すのか…?
考えつくのは2つ。
1. あまりに古い先祖で、祀る側にもわからない霊
2. 先祖とはみなされない霊(異常な死に方をした身寄りのない霊、子孫を残さずに死んだ霊)
このうち、
1.
は柳田國男が言うところの「33年忌をすぎた」「祀り上げがすぎた」状態、つまり
「祖霊」
である、ということ。
2.
は「祖霊」になれない
「無縁仏」
である、ということ。
とりあえず、私は
「無縁仏」
について文献をあたってみました。
だいたいの文献は柳田説に沿った筋で論理を展開しているのですが、そのうちの一つに興味深い論理がありました。鈴木満男『盆に来る霊―台湾の中元節を手がかりとした比較民俗学的試論―』です。
すなわち、柳田は
本来盆(正月)に帰ってきたのは「祖霊」のみで、「無縁仏」は後に仏教者の教えが広まった結果付け加えられたものであった
、と述べた。それに対して鈴木の考え方は、
まず「祖霊」も「無縁仏」も区別されていなかったものが、後代それでは忍びないという感情から、「祖霊」をわけて考えられるようになった
、というものでした。
また、
「無縁仏」を祀る棚(「無縁棚」)
に対する考え方にも柳田とは違う考え方があるようです。
すなわち、柳田説では
本来は「祖霊」を祀る棚(「盆棚」)が祀られ、初盆を迎えた死者(「新仏」)の棚や「無縁棚」は後代必要に応じて祀られるようになった
、というものでした。高谷重夫『餓鬼の棚』では、「
現在みられる本仏(祖霊)と新仏の…差は両者の性格の差より発したものというより、いわば、盆棚の歴史的変遷の過程を示すものとすべきである。
」「
現在、無縁・餓鬼の棚とされる戸外の棚が実はもと本仏の祭壇であった
」という論理が展開されています。
鈴木と高谷の考え方に、あるいは
「ガラガラ」の成り立ち
を解く鍵があるのかもしれないなあ、などと考え、調べをすすめている次第です。
