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今夜の番組チェック

アローダンスコミニュケーション
▼過去の作品紹介

2006年の公演・参加・振付等

2005年以前の公演・参加・振付等


2003年

  • 「BLUE TIME」60分
    「夜と朝」「意識と無意識」「動きと動き」「呼吸と呼吸」など、二つのもののはざまに存在する
    「表現出来ないあいまいさ」をもちながら、ないとなりたたないもの「目や触覚で認識出来ない
    が確実にあるもの」空気・音・気(感情)など・・・。そんな日本独特の「間」という概念をダンス
    で表現。3人のダンサーにより繰広げられるこの作品は、2人の間に挟まれる事で生まれる場に、
    それぞれがそれぞれの時間を体感する事で生まれる動き(ダンス)で構成されている。
    2003年11月 パリ日本文化会館プレミア (フランス・ナンシー国立ダンスセンター/フランス・マルセイユ/パリ日本文化会館)

  • 「ONE WAY」45分
    その名の如く2人のダンサーが舞台を右から左へ(一方向)45分かけて移動するダンス作品。
    これ以上ないシンプルなコンセプトの中で繰広げられる巧妙で奇天烈な時間・空間。二人の駆け
    引きが新たなる世界を作り上げ、同じ方向に進んでいるにも関わらず何重にも見えてくる道。観
    るものの想像力を掻き立てる多彩な一本道である。
    2003年3年3月 高松市立美術館プレミア (高松市美術館エントランスホール)

2002年

  • スペースX(スタジオ劇研)60分
    スペースは1999年に創られた「スペース4.5」シリーズを元に拡大して創作された作品であ
    る。2種類のソロダンス・1つのソロパフォーマンス・2種類のヂュオで構成される。
    1人の人間の中からこぼれる様に出て来た時間と空間、それが現実的な空間から虚構の空間へ、
    そして時が経つにつれ、一つの時間の流れが幾つもの流れに分かれていく。シンプルな白いエリ
    アは後半、観る者のイマジネーションにより深く拡大され捩れて行く。そして物語は1人の人
    間の中に消えゆく様に帰結する。
                    2001年11月 パリ国立ダンスセンター(CND)プレミア

スペースX 写真 「スペースX」は1999年に創られた「スペース4.5」白テープシリーズを元に、拡大して創作された作品です。作品は2種類のソロダンス・ひとつのソロパフォーマンス・2種のデュオで構成されます。
ひとりの人間からこぼれるように出てきた時間と空間、それが現実的な空間から虚構の空間へと変容していく、そして時が経つにつれひとつの時間の流れがいくつもの流れに分かれる。 変わることのないシンプルな白い四角いエリアは後半、観客のイマジネーションにより、より深く、拡大され、捩られていく。そして物語はひとりの人間の中に消えゆくように帰結する。

(60分ダンサー3人)

2001年

  • HAN☆PUKU
    (アートコンプレックス1928)

この作品は歩く事・見る事・触る事・普段意識せずしている行為を意識する事で、 ただ無意識に流れて行く時間に何らかのエネルギーが生まれてくるのではないかという意識の元、創作を進めました。一つ一つ繰り返すにしても、それは「一期一会」一つ一つが違ったものであり、一歩の繰り返しが道になり世界になる。 一日の繰り返しが一年になり一生になる。一つの行為、或いは気持ち・或いは物に対して、 どれだけの愛情を注ぐ事が出来るのか、又その込めた愛情の繰り返しの先には何があるのか、 その事がどういう風に舞台の上に立ち現れてくるのか・・・
(70分ダンサー10人)

  • ケッテンショウキ(一抹の人間昆虫記)
    (アートコンプレックス1928)

ヤザキタケシ ケッテンショウキ昆虫は脱皮する事によって物理的に美しい容姿と自由な身体を身につけ、生をおおらかに全とうする。 逆に我々人間は脱皮することによって物理的な容姿や自由は必要としなくなり、すべて余分なものがなくなった時完成され人生を全とうする。 この作品は一つの試みとして「起承転結」を「結転承起」と人間が脱皮していくさまを逆から進んでいくという4部構成で進められます。
虚栄を脱ぎ去る「第一の脱皮(ドラッグクイーン姿)」、肉を脱ぎ去る「第二の脱皮(内臓人間姿)」、 自意識に縛られた自分を脱ぎ去る「第三の脱皮(ソロ)」、 目に見えない自分にとって大切なものが具現化してくる 「第四の脱皮(デュオ)」。普遍的なシリアスなテーマ(輪廻転生)を、ダンスとユーモアを融合させ、 エンターティメントとアートの絶妙なバランスを成立させた作品。
(30分ダンサー3人・アクター1人)

2000年

  • ici(ここ)

さまよい続ける魂の行方・さまよい続ける肉の行方・さまよい続ける骨の行方
確かに自分はここにいるはず
いや或いはいるつもりなのか?
不確かな物体である自分
さて、いったい私の立つ場所とは?
(18分ソロ)

  • U&K

イソップの童話「うさぎとかめ」を我々流に再検証してみました。
わき目も振らず只ひたすらにゴールを目指す真面目で律儀なかめさん。
いい天気、いい景色に酔いしれ余裕のあまり昼寝にこうじるうさぎさん。
果たしてこのレースに勝利する意義があるのでありましょうか?
周りの状況を見られるうさぎさんは本当は優しいうさぎさんで、かめさんのひたむきさに打たれ、わざと寝過ごし負けたのかもしれませんし、 或いはたんなるうっかり屋さんだったのかもしれません。あなたならどちらの生き方選びます?
以上のレースの模様は劇場・ダンスにて実況されます。
(30分ダンサー5人・ギタリスト1人)

  • スペース4.5(タナトス小僧のエロスな気分)

隔離された場所に投げ出された男の刹那。
シリアスでコミカル・人間のどうしょうもない弱さや馬鹿な部分に愛情こめ、アヴストラクタルな形で踊られた作品。 スペース4.5(レッドトリッパー)が陰の場であるとするなら、このスペース4.5は陽の場である。
(25分ソロ)

1999年以前

  • スペース4.5(レッドトリッパー)「スペース4.5」 20分
    自分の身体をメジャー代わりに使い、白いビニールテープを用いて床に白いエリアを創るところ
    から始まる。そこは閉塞された狭い空間ですが、ここには喜怒哀楽様々な感情が入り混じった無
    限の広がりを感じさせる空間があります。ただでさえ限られた舞台空間の中に、もう一つ絞り込
    んだ場創り淡々と動く。これは自分に課した一つの実験場でもある。限られたスペースの中、雰
    囲気で見せるのでなく動く事に重点を置き、最後までとどまることなく踊り続ける。
    1999年6月 芸術祭典・京 京都国際交流会館プレミア
    時がどのような数字を刻もうが、私はこのスペース4.5(四畳半)で生きてきました。狭い閉塞された空間ですが、 ここには喜怒哀楽様々な感情が入り混じった無限の広がりを感じさせる空間があります。ただでさえ限られた舞台空間の中に、 もう一つ絞り込んだ場を造り淡々と踊る。これは自分に課した一つの実験の場でもある、限られたスペースの中、 雰囲気で見せるのでなく動く事に重点を置き、最後まで止まることなく昇華に至る。
    (15分ソロ)

  • スペース6

ここは四角く区切った小さく狭い人工的なスペースではありますが、見方によっては我々にとって、 かけがえのない無限の広がりを持つ広大なスペースと化するのです。ここでは、喜怒哀楽に代表される様々な感情と肉体と が混沌として存在しています。この狭いスペースの中で、四つの身体と四つの感情を攪拌する事によって、 この空間に何が化学反応として立ち起こってくるのでしょうか。基本的にはスペース4.5で踊られた場とダンスを、 四人で踊るとどうなるのかという発想から生まれた作品。
(25分ダンサー4人)1999年

  • エスパス(お茶の間)

エスパス ここはある大家族が住んでいる家です。不思議な事にここの住人は押し入れから出入りする事が慣わしになっています。 後ろの方で少しだけ口を開けた押入れの隙間の向こうには何があるというのでしょうか。 裸電球の灯る部屋に一人また一人と押し入れから出てきます・・・これはスペースシリーズのデラックスバージョンです。 四角く区切った小さなエリアで男と女・男と男・女と女・男女入り混じり4人・8人と様々な組み合わせで繰り広げられるダンスバトルです。 見ようによっては妖怪達の不気味な家族会議に見えるかもしれない異様な世界です。(75分ダンサー11人)1999年 撮影:福永 幸治

  • セキバク

感情を抑えれば抑えるほど、サディスティックに暴力に走って行く男。はっきり「NO」と言えず、 ズルズルと男の言いなりに落ちて行く女。ただひたすらに男の後を追い、ジレンマに落ち自暴自棄になる女。 悲しみが衝動を起こしてしまう。襲われた女も悲しいし、襲ったほうも悲しい。他人とのコミュニケーションが薄くなった今日、 自分をどう表現すれば良いのかわからない3人の若者に焦点をあて、ストーカーを題材にし、言葉では言い表せない潜在的な感情を、 暴力的な二組のダンスで表した作品。(30分ダンサー3人・エキストラ数名)1998年

  • トリップ(バニョレ国際振付賞ノミネート作品)

一人一人がそれぞれの空間を移動している。4人が出揃った時から、時間と空間が錯綜しだす。 ある時は時間を共有し、またある時は空間を共有する。そしていつしかお互いの心に触れ合い共に歩き始める。 肉体のダイナミズムの中に、内的心理描写を盛り込み、自分と他人との間を行きつ戻りつする人の心の葛藤や、 人が空間をさまよい錯綜する様をユニークな動きで描いた作品。
(25分ダンサー4人)1997年

  • 不条理の天使

あらゆるものを手に入れたいと望む一人の男が、欲望をかなえるたびに向かって行く場所は天国か地獄か。 マイムとダンスをフュージョンした形でアルチュール・アッシュの曲にのせコミカルに演じられた作品。
(20分ソロ)1995年

  • フィッシュダンス

川のせせらぎ・列車の汽笛・遮断機のノイズ・雨の音・風の音・虫の音
田舎風景と都会の雑踏の音を絡ませ、その音情景の中に自分自身を置き、 ドキュメンタリー風に感じるままに動きを作り上げた記念すべき第一作。
(15分デュオ)1994年

  • レクイエム

叙情的なピアノの調べ、中原中也の哀しくノスタルジックな香りのする、刹那的な男の物語。
この音と詩との出会いからインスピレーションを得、浴衣と下駄で一人の死へ向かう男の哀しみを、淡々と演じ踊る。
(10分ソロ)1994年



  • P.A.N.通信 Vol.41掲載
    ■恋してるみたいなダンス

上念省三<関西国際大学コミュニケーション研究所>

 ヤザキタケシ率いるアローダンスコミュニケーション(ADC)は、京都府南部にある城陽市の文化パルク城陽で、まず6月23日に「HAN☆PUKU」の公演を行った。これは以前Art Complex1928で上演した作品で、 率直に言うとその時にはいささかまとまりを欠いた寄せ集め的な作品のように思えていたのだが、今回はうまい具合に剰余と思えた部分は刈り込まれ、メリハリがついてカッチリとまとまったように思えた。
 さて、本稿でADCを取り上げようというのは、この公演が単独の公演にとどまらず、ワークショップ生募集のための一つのプレゼンテーションであったことを面白いと思ったからだ。 この公演で20名のワークショップ生を募り、10回のワークショップを経て、7月21日に同署で発表公演「京の真夏の運動会」を行うという、1ヶ月の時間はどのようなものであったのか。 公演のチラシに「『コンテンポラリーって何やねん?』と言われる方は」まず6月の公演を見ろと書いてあったが、ジャズダンスやバレエの経験はあっても、コンテンポラリーに接したことのない多くの人には、 映像+ノイズで流れを断ち切ったり、美しい動きをあえて崩し壊したり、あえてみっともない動きを見せたりといった「HAN☆PUKU」は、たいそう新鮮だったろう。 また、ヤザキや松本芽紅見の<狂異的>(造語)でグルーヴィな動きにも、度肝を抜かれたことだろう。
 「京の真夏の運動会」は、自由なおしゃべりからそれこそ運動会の入場行進、威勢のいい掛け声と、楽しく祝祭的に始まった。メンバーの表情がイキイキしていたのが何よりである。 バレエなどのダンス経験のある人も多かったようで、動きにキレのある人も散見された。動き自体はシンプルなものが多かったが、段取りの指示も適切だったようで、モタモタしたところがなく、見ていて心地よかった。
 印象に残ったのは、中盤でヤザキと松本が見せた男女のコンタクトのせつないような表情の提示だ。2人の男女のゆらぎや同調が、恋のスリルのようだったし、去りぎわの視線の交差も熱かった。それに続いて、 全員が集団の中で自分の相手を見出し、手を振ったり微笑を交わしあったりするところでは、身体がふれあうという初源的なコミュニケーションの重みが、心のゆれにつながっていくことを直接的に見せられ、 このようにシンプルなコンセプトによって、意外なほどに大きな感情のあふれが見られたことを、とても貴く思った。
 この一連の流れは、城陽市の外郭団体である財団法人が中心となって進めたようだが、このような形で多くの人に、ダンスがまるで恋みたいにドキドキするものであることが伝わったことが、何よりよかった。

今年のアルティ・ブヨウ・フェスティバルは、まずヤザキタケシ&彗星舞遊群「トリップ」(二月八日)が記憶に残ることだろう。 ダンスがどこまで身体のダイナミズムを鮮やかに見せながら、痛快なエンターティンメントでありうるかの極限を示した二十分間として。 スピーディで切れ味鋭い動きは、人間の身体の鮮やかさを隠すことなく開示してくれたし、行進曲に合わせたユーモラスな動きは美しい顔立ちのクールな表情とも相俟って、会場を爆笑させた。 ヤザキの成功は、このようなフェスティバル…二時間余の間に数グループが次々と上演する…という形態の中で、自らの持つ属性の中から何をどう切リ出し、どう見せていくかをしっかり把握できていたことに負うと言っていい。 その切り出しの鋭さによって、ダンサーたちの動きにも思い切りのよさが生まれ、特に田村博子を他のユニットにおけるよりもずっと美しく鮮やかに見せたことは、特筆に値する。 動きに迷いとむだがないように見え、切り口の確かさを証しているように思えた。これらはヤザキのこれまでのソロ活動と、彼らが参加してきた「DANCE CIRCUS」などの合同公演で磨かれたものだとも言えるだろう。

  • ダンスマガジン前田充

 98年6月号より
(前略)まだ「深味」に欠けるきらいがあるが、動きの連動性の点で期待できる逸材である。その点でもうひとりをあげれば、「トリップ」のヤザキタケシである。 たまたま時空を共有した人間が展開する「動的世界」を描き出したが、現代のストリートダンス感覚を交えて多彩な展開をみせた。洗練されれば、一つの収穫となるだろう。



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