◆徒弟時代まで ボッティチェッリは、1444年頃、皮なめし職人マリアーノ・フィリペーピ Mariano Felipepi の末弟として、フィレンツェに生まれた。本名というか、元来の名は、アレッサンドロ・フィリペーピ Alessandro (di Mariano di Vanni) Filipepi である。本によって、括弧に括った部分が微妙に違うことがあるのだが、これは附加的なもので(西洋の人名の古い形)、特に拘る必要はない。Mariano は、言うまでもなく父親の名、Vanni は父方の祖父の名か、地名だろう。 彼の生年について、直接に言及している記録は残っていないが、父マリアーノの所得申告から算出されている。何でも、1447年の申告には、彼が2歳であること、1458年のものには13歳であることが記されているそうだ。ここから逆算すれば、ボッティチェッリは、1444年か、45年に生まれたことがわかるわけである。 この頃のイタリア人のあだ名好きは、よく知られているところだ。本名よりあだ名で知られている人の多いこと。「ボッティチェッリ」という名も、元々、長兄であるジョヴァンニ Giovanni のあだ名、Il Botticello (「小樽」の意)から来ているらしい(異説もあるが、あまり説得的ではない)。botte が「樽」、-cello が「小さい」を意味する接尾辞。きっと、ジョヴァンニさんは、小さな樽そっくりだったんだろう。もしかして侏儒だったのかもしれない。 1470年の最初のサンドロについての記録には、 すでに Sandro Mariano Botticello と記されているから、この時期までには、サンドロの方も、ボッティチェッロと呼ばれていた。いや、サンドロだけじゃなく、兄弟が皆、そう呼ばれていたことだろう。「小樽ちゃんのところの、〜〜」みたいに。実際、サンドロが死ぬまでには、Botticelli が、一家の姓になっていたそうである。現代イタリア語では、語尾が -o の名詞(男性名詞)は、複数形では、語尾が -i に変わる。この当時のトスカーナ方言も、調べていないないけれど、多分同じ(ちなみに、現代の標準イタリアは、トスカーナ方言というか、フィレンツェ方言を元にしている)。単純に、一家の姓ということで、複数にしたのだろう(*1)。まあ、このように、当時はまだ姓というものは、いい加減というのか、柔軟なものだったのだ。名前というのは、本来そういうものなのである。 (*1) この逆が、かの有名なガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei さんである。トスカーナ地方では、最初の息子に、その家の名をとって名付けることが、よく行われた。ガリレイ家では、家名を単数形にして、長男に命名したわけである。もっとも、ガリレイという姓自体が、実は、医者であった先祖のガリレオ・ボナイウーティ Galileo Bonaiuti の名前から取られたものなのだが。他にも、アッタヴァンテ・アッタヴァンティ Attavante Attavanti(写本画家)、ミケロッツォ・ミケロッツィ Michelozzo Michelozzi(彫刻家)、スペローネ・スペローニ Sperone Speroni (哲学者)等々。Bernardo Bernardi あたりは、現代でも珍しくないのではないか。中には、サントリオ・サントリオ Santorio Santorio (医学者で、ガリレオの友人)のような、姓・名、全く同じ人物もいる。
名前についての興味は尽きないが、脱線が過ぎるので、この辺で切り上げよう。 |