Cimabue 1/8


チマブーエ (1240年頃?-1302年7月14日以前)


 Cimabue。イタリアの画工、モザイク職人。フィリッポ・ヴィラーニ Filippo Villani とヴァザーリは、彼にジョヴァンニ Giovanni という名を与えているが、史的根拠はない。本名、チェンニ・ディ・ペーポ Cenni (Benciviene) di Pepo。「チマブーエ」は恐らく渾名で、これは「牡牛頭」の意か、もしかすると「他人の考えを砕く者」の意かもしれない(*1)。ローマとピサの文書に、チマブーエがフィレンツェ市民であったことが確認される(同地の生まれか?)。そして、恐らくピサで歿した。1302年7月までに、チマブーエの相続人がフィエーゾレに住んでいたことが記録され、彼がこの時点までに歿していたことが推量される。

 記録によって確認できる彼の現存作品は、僅かにピサ大聖堂内陣モザイク壁画の一部、 聖ヨハネ のみであり、その他、今日チマブーエの手になるとされているものは、すべて伝承と様式からの帰属である(*2)。

(*1) 前者は cima (頂)+ bue (牛。特に去勢した牡牛)、後者は動詞 cimare (top, shear, blunt の意。[1] )からの推測。[2] は、cimare を「先を摘む」の意と記しているが、これは現代イタリア語であって、1300年頃のトスカーナ方言でこういう意味があったのかは不明。(私は当初、[1] の bull-head を、bullhead と混同し、「頑固者」と書いてしまったが、これは誤りだった。こういうい紛らわしい書き方はやめてほしい。例えば、[3] は、Ox-head と親切に書いてくれている。bull と bue は近親語なのかもしれないが、それなら、Bull Head とか Bull's head とか、他にも書きようがあるだろう。)

 渾名の由来が後者の場合、「神曲」註解の伝える伝承と調和的であるらしい。それに依れば、チマブーエは自分の作品を誇るだけでなく、批評を軽蔑していた(Jacopo della Lana, Pietro Alighieri)。彼は、批判されたり自分の気に入らない作品は壊してしまうように、気位が高く、尊大であったという(Ottimo Commento)。ダンテ「神曲」内のチマブーエの言及箇所は以下の通り。

チマブーエは絵画界で王座を占めたと思ったが、
いまではジオットが名声をえた、
ために前者の影は薄れてしまった

(煉獄篇 第11歌 94-96行、[4])

 これは逆説的に、ジョット以前のチマブーエの名声を証拠立てている。なお、写本画家グッビオのオデリージ Oderisi da Gubbio によってこれが詠われるのは、高慢の廉で浄罪をする者の場(第一の環道)であるが、この部分の云わんとすることは、地上の名声の儚さ・移ろいやすさであって、チマブーエの高慢に(少なくとも直接的には)言及しているわけではない。

(*2) ここでは、一般に広く受け入れられている帰属を従ったが、より慎重な意見もあるようである。[3]参照。史料の少なさや矛盾から、20世紀初頭、特にドイツ人研究者の一部で、実在を疑われたこともあったという。



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