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1300年、群馬県出身の豪族、大胡彦太郎重治が牛込に移住する際、本国の鎮守であった赤城神社の分霊を祭ったことが、創建の端緒として伝えられています。その後は数回にわたって場所を移し、現在に至ります。赤城明神又は赤城大明神と呼ばれたこともありましたが、明治維新のときに今の社号に改められました。その社殿は『新撰東京名所図会』に載るほど壮麗なものでしたが、戦災で全焼し、狛犬だけが焼け残りました。
戦後は、新憲法にもとづく政教分離によって、戦前のように国からの援助が受けられなくなりました。そのため、土地を貸したり、境内に幼児園を創設するなどして神社を守りました。
しかし、このことが、他の神社にはない独自性を赤城神社に持たせました。
参拝のためだけに人が出入りするのではなく、通勤・通学の通り道となることで、地域環境、地域住民の日常の中に、神社が違和感なく溶け込み、人々の生活と一体化しているのです。
24時間お参りできて、途切れることなく人の行き来がある赤城神社は、積み重ねた歴史が醸し出す空気に包まれながら、未知の未来が運んでくる新しい風を常に追いかけています。
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