淡路国分寺
僧寺跡と現存寺
2001年12月26日
訪問
<いきなり余談>
思いつきだけれど、淡路島の「淡路」たる所以について考えてみた。
しかるに、淡路島の淡路たるは阿波への道、すなわち「阿波路」というところから名づけられているのではないかと思いついたのだ。そして、その“阿波”または“淡”は、鳴門の渦潮のことを指しているのではないだろうか。これについてはダジャレのレベルでもありいささか自信はないが、淡路の語源については、まじめにそのように考えている。ほんとうはどうなのか知りたい。

技術の粋を集めた現代の秀作
|
考古的建造物と文明の建造物
1200年前の歴史を訪ね歩く趣味を持ったが、その道すがらは最も近代的な建造物の恩恵に浴していることを、あらためて認識した。画像は明石海峡大橋である。直径5.23mmの鋼線を36.830本束ねて、淡路と本州を結んで吊したものだ。その細い針金の束で吊した橋を、たった今渡った。
諸国の国分寺を訪ね歩くことにより、はじめて淡路島に立ち寄ることができた。淡路国分寺は笶原(やはら)という珍しい字の地にあった。
|

淡路国分寺の本堂
|
僧寺跡と現況
画像の右手前にある寺名表示の門を入ると、右手に大日堂がある(下の画像)。
そこには、塔の礎石が残され、サイズなどからして五重塔だったのではないかと考えられている。なぜか、塔心礎石と4個の礎石だけお堂によって守られ、いちばん外側の石5個だったか、これらはお堂の周囲にあった。お堂には鍵がかかり、塔心礎石は見ることができなかった。
塔跡の礎石のほかは、千数百年もの経過のなかで覆されて見る影もないようだが、八葉蓮華紋や唐草模様の瓦も出土し、講堂・金堂・中門・南大門の存在が想像できると、説明板に書いてあった。ただし確認はされてはおらず、伽藍配置は今なお不明である。
|

塔心礎石を抱える大日堂
|
再建と戦火の歴史
創建は不明だが、本尊である丈六釈迦如来像内の墨書によれば、1340(暦応3)年に像を修理した記録がある。その後は、度重なる戦乱に巻き込まれた。200年後の1526(大永5)年、俊泉法師により上田城主にも協力を求め、国分寺再興を成し遂げたとある。
そして、その後も戦火によって焼失しており、都に近いという宿命で常に政争の渦中から逃れることができなかったようだ。戦乱もおさまった江戸初期の1600年中頃に再建されて今日に至っている。
|

周囲には5個の礎石が残されている
|

その礎石の一つ
|

創建期の丈六の釈迦如来が置かれている
|
釈迦如来像は創建当時か
創建当時の“丈六の釈迦如来像”があるという。入り口階段の左にある立て看板を読んでみた。
「この御本尊は天平時代の高僧の作とも伝えられ…」とある。これが本当ならば、聖武天皇の詔にいう「一丈六尺の釈迦三尊像の造立」そのものではないだろうか。ぜひ見せて欲しいと思って奥の木戸を開けたが留守だった。
この中には他に、平安中期の作の飛天像(県の重文)もあるという。塔跡の大日堂も締まっていたが、これでは諦められない。
|
鍵をかけっぱなしで保存することは、文化財そのものが存在していないことと同じ
それにしても、説明板では「国分寺本来の本尊である丈六の釈迦如来を本尊とするのは当淡路国分寺のみである。明治34年に国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されている」と書かれてありながら、しっかりと鍵がかかり中を見せないのだ。
近くでゲートボールに興じていた地元の人に聞くと、「この寺の人は法要があるときしか来ないよ。住職は奈良の方にいるらしい」とのことなので、ほとんど閉鎖状態にあるようだ。
丈六の釈迦如来を本尊とする国分寺は、もう一つあって、若狭国分寺の本尊となる仏像は鎌倉期の作であるが、ここは拝観料を出せば説明つきで拝観させてくれる。これと同格の貴重な文化財なのに、なぜ鍵をかっぱなしにしておくか…。
保存も大切だろうが、これほどの文化財を私のような一般市民に拝観できるシステムを、寺も三原町政も考えてもらえないものだろうか。もちろん、その保存や拝観管理の経費のために、拝観料あるいは入場料を徴収しても良いと思う。
国宝・重文等に指定されていながら、鍵をかけて誰にも見せずに保存することは、文化財そのものが存在していないことと同じであると思う。
尼 寺 跡 ?
尼寺跡を探し回ったが、土地の人数人に聞いたがわからず時間ばかりかかってしまった。そのうちに現存国分寺から北西1qのところに、名前も調べなかったが、ある神社があったので寄ってみた。ところが、その神社に通ずる路に大きな石がゴロゴロと無造作に置いてあった。
「もしかしたら尼寺跡の礎石かもしれない」と思ったのだ。ただしこれは、私のまったくの見当違いかもしれないので、自信は持てない。最近私は、大きな石を見ると「国分寺の礎石ではないか」と思う、まことに困った病になってしまったものである。(いい加減なレポートで申し訳ない)

海洋的あるいは南国的雰囲気のする神社前の道に石がゴロゴロ でも尼寺礎石かどうかはあやしい
|