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備中国分寺                                          

現 存 寺

2001年12月29日訪問

現存寺のなかでは 屈指の美しさではないだろうか…
五重塔は国指定の重要文化財になってる

上は山門、奥の右側に勅使門が半分だけ見える

本堂、山門をくぐって右側に位置している

まず美しさに感動

 およそ国分寺を巡るなかで、これまでは遺跡や文化財などや、歴史そのものに感動することはあったものの、現存するお寺の美しさそのものにに感動することはなかった。
 現存寺のなかでも、屈指の美しさと折り紙をつけたくなるものだった。とにかく、この備中国分寺には感動した。

 まず、その美しさの主役である五重塔は、1821(文政4)年から20年をかけて建てられた。塔の位置は、創建当時のとはまったく違う場所であるが、これについてはまた後ほどふれたい。
 塔の内陣には仏壇を設けて、象・馬・鳥などの動物に乗った金剛界の五智、如来像(大日、阿弥陀、宝生、阿関、不空成就各如来像)が安置されている。
 塔の造りは、三層までは総ケヤキ造りで、四層・五層は松材である。高さは34bあり、岡山県唯一の五重塔になっていて、国の重要文化財に指定されている

 塔の画像は私にとってみれば、二枚とも自信作ではあるが、思うように陽射しが得られなかったので、やはり駄作だろうか…。

現存寺について

 現存寺は、1336年の南北朝頃の戦により焼失し、300年間廃絶していたものを、江戸時代の1717(享保2)年に、蒔田氏の庇護のもでの再建が始まりとなる。
 現在、日照山国分寺と号し、宗旨は真言宗御室派となっている。境内は五重塔は言うに及ばず、山門をくぐると勅使門まである立派な造りだった。

 この周辺一帯は、県立の「吉備風土記の丘自然公園」となっていて、史跡保存のための努力が十分になされていた。そして周辺には、多くの古墳や城址もあり、尼寺跡は、現存寺の東200b にはこうもり塚古墳があり、さらに300b 東の藪の中に尼寺跡がある。
 サイクリングロードも整備されており、四季折々の自然が楽しめる。


僧 寺 跡

僧寺跡の寺域築地塀跡の西辺上に
現在の五重塔が建っているところが興味をひく

上画像は法起寺式伽藍配置になっている能登国分寺の模型

上画像は南門跡
下画像はさらに進んで中門跡

 左画像の石仏は、現存寺の山門を入ってすぐ左手にある。これは石仏を撮したつもりはなく、その下の“礎石”を撮ったものだ。白い表示板には、ただ「礎石」と書いてあるだけで、塔心礎石かどうかは分からない。だいいち、塔跡すら発見されていないのだから…。

 画像は、僧寺跡と現存寺の配置関係が示された表示板である。
 僧寺跡については、発掘調査で判明している部分だけが表示されている。
 まず、南門とそこから東西両側と北に広がる寺域からは、東西163b、南北178bあり、築地塀の跡として発見されたようである。
 さらに、中門跡と回廊の南半分程度は判明しているが、それ以北は現存寺の建物のため、発掘調査はされていないようだ。

 それでも伽藍配置については、法起寺式ではないかと推定されるまで至っている。

法起寺式伽藍配置サンプル

 南門跡は間口五間、奥行きは二間であったことが判明しており、3個の礎石が残されている。他は抜き取られて今はないが、礎石の下部に敷き詰めていた根石が残っていたという。
 地形は南斜面に位置しており、南手前から南門と東西に広がる築地塀跡は2bほど高い段になっており、そしてさらに進んで一段高い所に中門跡がある。

 何の礎石であるかはわからない
石仏の足下には、塔心柱の穴でも
あいているのだろうか


尼 寺 跡

上画像は、南門跡から中門跡を見る
下画像は、中門跡 斜面になっていて
どのように建っていたのか?知りたいところである
金堂に向かって、さらに斜面を登る

斜面のてっぺんにある金堂跡とその脇の薬師堂

講堂跡と北方建物跡は、もう西斜面ぎりぎりだ

伽藍配置

 現存寺も尼寺跡も、ともに吉備風土記の丘自然公園のなかにあり、こうもり塚古墳をはさんで遊歩道で結ばれている。距離はおよそ500bほど東になるだろうか、小高い林の中にあった。

 廃寺になってからは手つかずの状態だったのか、保存状態はとても良く、備中ほど残されている尼寺跡はむしろ珍しいといってよいだろう。調査により判明しているためか、現地で伽藍配置を推測するには難しくなかった。

南門跡

 南門跡は一番低い場所に位置している。写真を撮っている私の背後には、東西に伸びる遊歩道があって、おそらく古道ではないだろうかと推測してしまう。
 南門跡を示す表示板の右側階段を登り、その奥左手にかすかに中門位置を示す表示板が見えているのがわかるだろうか。

中門跡

 伽藍配置を示す表示板は中門跡のところにあり、伽藍配置、尼寺跡、中門の三つの表示板がまとめて建てられていた。
 礎石などは何もなく、表示板がなければただの雑木林としか思えない風情があった。
 この先を進んでいくと、馬の背のような細い丘の上に位置していることからか、伽藍は南北に細長く講堂跡や北方建物跡あたりだは、西に傾き落ち込んだ地形だった。

金堂跡

 金堂跡には礎石が多く残されていて、横から見ると下画像のように一直線に並んでいた。また、なめらかに円形凸面状に細工されているのがわかるだろうか。

薬師堂

 位置関係からいうならば、金堂跡の東脇になるだろうか、小さな祠が佇んでいた。
 ちょっと絵になるので撮ってみた。由来などについては、皆目見当はつかないが、もちろん、この備中尼寺の廃寺を拝して建てられているのであろう。

講堂跡と北方建物

 講堂跡には3〜4個だったか、礎石が残されていた。ご覧のとおり、その位置は正確ではないようだ。傾いたり、ずれりしていて、他の礎石は持ち去られたようだ。
 講堂の礎石は金堂同様、円形凸面状に精巧に細工されており、細工した職人のぬくもりが1200年の時を超えて伝わってくるようだった。
 講堂跡・建物跡はぎりぎり西斜面になっており「何でこんな狭い場所を選んだのか?」という疑問が湧いてきた。
 正面奥の表示板が北方建物跡だ。


総社市のホームページ
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