伽藍配置
現存寺も尼寺跡も、ともに吉備風土記の丘自然公園のなかにあり、こうもり塚古墳をはさんで遊歩道で結ばれている。距離はおよそ500bほど東になるだろうか、小高い林の中にあった。
廃寺になってからは手つかずの状態だったのか、保存状態はとても良く、備中ほど残されている尼寺跡はむしろ珍しいといってよいだろう。調査により判明しているためか、現地で伽藍配置を推測するには難しくなかった。
南門跡
南門跡は一番低い場所に位置している。写真を撮っている私の背後には、東西に伸びる遊歩道があって、おそらく古道ではないだろうかと推測してしまう。
南門跡を示す表示板の右側階段を登り、その奥左手にかすかに中門位置を示す表示板が見えているのがわかるだろうか。
中門跡
伽藍配置を示す表示板は中門跡のところにあり、伽藍配置、尼寺跡、中門の三つの表示板がまとめて建てられていた。
礎石などは何もなく、表示板がなければただの雑木林としか思えない風情があった。
この先を進んでいくと、馬の背のような細い丘の上に位置していることからか、伽藍は南北に細長く講堂跡や北方建物跡あたりだは、西に傾き落ち込んだ地形だった。
金堂跡
金堂跡には礎石が多く残されていて、横から見ると下画像のように一直線に並んでいた。また、なめらかに円形凸面状に細工されているのがわかるだろうか。

薬師堂
位置関係からいうならば、金堂跡の東脇になるだろうか、小さな祠が佇んでいた。
ちょっと絵になるので撮ってみた。由来などについては、皆目見当はつかないが、もちろん、この備中尼寺の廃寺を拝して建てられているのであろう。
講堂跡と北方建物
講堂跡には3〜4個だったか、礎石が残されていた。ご覧のとおり、その位置は正確ではないようだ。傾いたり、ずれりしていて、他の礎石は持ち去られたようだ。
講堂の礎石は金堂同様、円形凸面状に精巧に細工されており、細工した職人のぬくもりが1200年の時を超えて伝わってくるようだった。
講堂跡・建物跡はぎりぎり西斜面になっており「何でこんな狭い場所を選んだのか?」という疑問が湧いてきた。
正面奥の表示板が北方建物跡だ。
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