.越後国分寺

現存寺

1999年12月27日 訪問
2000年 5月 4日 訪問

 まず、国府は現存寺の近くに地名として残っているが、地名だけで本当の国府跡があったわけではない。高田の方にあったらしいという説もあるが、どこにあったか証拠となる遺跡は見つかっていない。
 僧寺についていえば、創建の記録はまったくなく、どこに建てたのかもわかっていない。もしかしたらということで、現存寺の境内を掘ってみたが、それらしいものは見つからなかったらしい。もちろん他の場所でも見つかっているわけではない。
 それから、越後には 尼寺は建てられなかったらしい。
 すべてが「ない」ばかりで、説明もどう書いていいのか困ってしまうし、我ながら情けなくなってくる。越後の国の天平時代は、まさに不明と謎と不思議の時代となっているようだ。

 とにかく判っていることだけ書こう。
 現存寺は永禄5(1562)年、廃寺同様だったものを上杉謙信が再興したが、どうしてここにあるのかは不明である。

 
現存寺は、安国山華蔵院・五智国分寺と称し、宗旨は天台宗となっている。
 (どうにもならない内容…。でも、これだけ書けた…。)


質素でも大陸的な匂いのする山門の佇まいを見せる
現存寺は永禄5(1562)年、廃寺同様のものを上杉謙信が再興した


山門をくぐるといきなり雪国となったが 二度行った画像を駆使しているだけ
建造は火災焼失以後の再建により新しいが 様式は格調高く歴史を感じさせる


ここの塔も 本堂の位置から南東方向にあり
国分寺としてはスタンダードな配置にある

 三重塔を現在の姿に建て直したのは 1856(安政3)年。宮大工曽武川常右衛門と江崎の長三郎の手により、およそ20年かかった。壁面には、高田の住人石倉 (後藤)正義銘の十二支と二十四支孝の中から選んだ、十二孝の彫刻がはめこまれている。