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豊前国分寺

僧寺跡と現存寺

2000年3月31日 訪問

 中央政府に不満を抱いていた藤原広嗣は、740(天平12)年に太宰府で反乱をおこしたが、こうした情勢を背景に九州の国分寺は建てられている。創建の年代は不明だが、756(天平勝宝8)年、筑後・肥前・肥後・豊前・豊後・日向等26国の国分寺に「仏事荘厳具の下賜」がされ、このころまでに僧寺の主要な建物が完成していたものと考えられている。
 その後、 平安時代のはじめ頃には天台宗の勢力下に入ったため、 鎌倉・室町の時代にもかわらず法灯をともし続けることができた。 天正年間(1573〜1592年)初期に戦国大名大友宗麟の戦火にあい、主要建物はすべて焼失したと伝えられている。本格的な再建は江戸時代以降、小笠原藩の加護を受けてすすめられた。

  僧寺の伽藍は、東西が160b、南北が220bほどあり、南北から一直線に南門、中門、金堂、講堂がならび、金堂の南東に塔がそびえていたと推定されている。 上の画像では、 僧寺の塔が西に配置されているが、創建時の塔は東に位置していたと考えられている。僧寺の東200b に尼寺跡があった。

 現存寺は 金光明山豊前国分寺と称し、宗旨は真言宗高野派となる。
 山門奥に鐘楼門が見えるが、近づいて下の画像になる。鐘楼門は貞亨元(1684)年に建立されたもの。

 塔が再建されたのは1987(明治21)年であり、当時の 住職の発願により、およそ7年間かけて完成し、現在は福岡県の文化財に指定されている。
 さらにその奥の本堂は、1666(寛文6)年に建立されたものである。


豊前国分寺も歴史民俗資料館についても掲載されている

「九州観光案内HP」から「豊前国分寺跡」のページ
http://www.yado.co.jp/tiiki/tikuhou/bkokubunji/bkokubunji.htm



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