飛騨国分寺

僧寺跡

2001年8月22日 訪問


街中の広い通りに面した現存寺山門

 時折激しい雨が落ちる最悪の天気だったが、街ぐるみ古い文化が残されている飛騨の小京都、高山を訪れた。
 高山駅のすぐ北東に400メートル程だろうか、街中の広い通りに面して山門があった。
 創建は746(天平18)年で、詔からわずか5年で完成したという、創建が明らかでない国分寺が多いなか、最も早い建立であったに違いない。
 しかし残念なことに、819(弘仁10)年に火災となって焼失した。その後は不明で、1615(元和元)年に現在の伽藍で再建されたというから、800年の空白がある。

 めずらしい鐘楼櫓(門)。そのうしろに、1200年といわれる大イチョウが写っているが、国の天然記念物である。ならば僧寺の創建当時ということだろうか…

文政四年に建てられた三重塔
県の重要文化財の指定

室町時代の建造 500年は経過している
単層入母屋造りの本堂は国の重文
1200年の大イチョウ枝が邪魔して屋根の形が見えない

 鐘楼櫓と本堂の間の大イチョウは1200年というから、800年の空白を知っているものだろうか。
 本堂の建物は単層入母屋造りで、国の重要文化財になっている。しかも室町時代のもので、500年は経過しているという。つまり、元和元年の再建以前のもののようだ。
 鐘楼櫓の下層も同じく室町時代のものであるので、再建以前の 800年の空白は記録がないだけで、おそらく法灯は守られてきたのだろう。
 現存寺の正式名称は、医王山飛騨国分寺と称して真言宗高野派となっている。
 内部の仏像は、本尊薬師如来(国重文)をはじめ、観世音菩薩(同)や円空作の弁財天等も安置されていた。
 この心礎は創建当時のものと推定される。
 礎石の形状はほぼ方形を呈し、上面に円柱座を造り出し、その中央部に円形の穴があけられる。礎石の寸法は径約2b、高さ約1b、材質は地元では「松倉石」と呼ばれる流紋岩である。

尼 寺 跡

 尼寺跡の遺構が確認されたという、岡本町の辻ヶ森三社を訪ねた。現存寺から西へ高山本線の踏切を渡り、国道手前にある立派な神社だ。尼寺の跡らしきものは何もなく、それとわかるのは立札だけだった。
 そこに「創建当時の金堂は、正面七間で柱間寸法に尼寺と二尺の差をもつところがあるが、建物規模は
(中略)(僧寺金堂と)同じ大きさであるところが注目される」とあった。
 左に写っている自動車が邪魔なのでしばらく時間をつぶしたが、持ち主は戻らず、ついにあきらめて撮影に及んだが、興ざめである。


国府町は古墳の宝庫

 高山から北に 10qほど行くと国府という町がある。高山の他に国府跡があったのかと思い行ってみた。ウロウロしていると町の教育委員会があったので、さっそく訪ねてみた。
 すると「そういう話だったら教育長が詳しいから…」ということで、教育長さんがお話くださることになってしまった。

 「これは大変なことになった…」と思い、私もあわてて車に戻り名刺入れを持参した。ならば、スーツにネクタイで身を固めてくるべきだったか…。
 お茶をご馳走になりながら、恐縮の至りだった。
 教育長さんのお話によると、高山に国府が置かれる以前の時代に繁栄した土地だったようである。律令国家以前だろうか、4〜7世紀あたりの古墳が、むしろ高山より多く点在しており、むしろ点在よりも群居していると言った方がふさわしいかも知れない。
 国府跡こそなかったが、律令以前の“中心地”ともいえるかも知れない。
 画像は、なかでも大きな前方後円墳。