.

街道別の国分寺一覧(2)

東山道編(8ヶ寺)

お寺の写真をクリックしてご覧下さい

近江国分寺 美濃国分寺 飛騨国分寺 信濃国分寺
上野国分寺 下野国分寺 陸奥国分寺 出羽国分寺

「もくじ」の表示がされていない場合のみクリックして下さい。
「もくじ」と「トップページ」が表示されます。

 近江国分寺 滋賀県大津市別保
                           現存

 瀬田川の東側にある大江の台地に国府跡があって、発掘と復元作業が進められていた。それに比して僧寺跡の確定は進んでいない。
 川を挟み西側の別保に現存寺はあるが、琵琶湖畔の低地で跡ではない。国府跡近くで名神高速の南側の瀬田廃寺という説もある。紫香楽宮周辺の説は国府から15qと遠い。晴嵐小学校内に寺跡の碑があって、さらにわからない。

 美濃国分寺 岐阜県大垣市青野町
  高野山真言宗          現存・僧跡・資館

 東海道本線大垣駅から北西に8q。田園が広がるなかに、国分寺跡がとても立派に復元整備されていた。その北側に資料館が建ち、さらに北側に現存する国分寺が佇んでいる。
 創建から僅か30年の後には七重の塔を暴風雨で失い、140年後には火災で全焼した。尼寺のおおよその位置は 見当が付いているようだが、発掘調査はされていない。

 飛騨国分寺 岐阜県高山市
  高野山真言宗                現存

 高山駅のすぐ北東に400m程だろうか、広い通りに面して山門がある。境内に足を踏み入れると、文政年間の三重塔、その裏には創建当時の塔心礎石、1200年の大イチョウ、そして室町に建造された本堂は国の重要文化材になっており、創建当時を忍ばせるものが感じられた。 
 さらに、高山から北に10qの国府町に足をのばし、古墳群を見てまわった。

 信濃国分寺 長野県上田市国分
   天台宗         現存・僧跡・尼跡・資館

 上田駅から信越線沿いに南東に2qちょっとの場所。この寺の建て方は、長野市の善光寺と同じ建築スタイルで建てられている。
 1600(慶長5)年9月、関ヶ原の合戦に向かわんとする徳川秀忠の軍勢が中仙道の途中、上田城主真田昌幸屈服を企て、昌幸の長男沼田城主真田信之と義息になる本多忠政を使者に送りその結果、当寺が親子同士の会見場となった。

 上野国分寺 群馬県群馬町東国分
                        
僧跡・資館

 関越道前橋IC北2qの西側脇にあり、関越道からも、復元された外塀を見ることができる。
 上野の特徴は、七重塔 の基壇が復元されており
(写真中央)、これが全国僧寺の中で最大規模を誇ることだ。立派な塔にひきかえ 講堂の瓦が発見されず、講堂は茅葺きだった可能性が強いようである。また、現存する“国分寺”がないことも上野の特徴かもしれない。

 下野国分寺 栃木県国分寺町国分
 
 真言宗豊山派      現存・僧跡・尼跡・資館

 小山市の北、東北本線の西側。畑と雑木林に囲まれ、発掘・復元された尼寺跡が東側に公園として、西側には全く自然のまま僧寺跡が残されている。僧寺で発掘調査を進めており、礎石には近くで産する大谷石を使っていた。
 国府は南西約2qの栃木市内にあり、建物が復元され脇に資料館がある。また国分寺建立とともに薬師寺が建っていたことは驚きだ。

 陸奥国分寺 宮城県仙台市若林区木ノ下 
 
 真言宗智山派  僧尼現存・僧跡・尼跡・資館

 仙台駅から東に2q。奥州は戦乱が比較的少なく、史跡・建造物・法灯等の保存の良さに驚いた。同時に1200年もの間、藤原氏、国分氏、そして伊達政宗一族に引継ぎ守られたため、僧寺跡の礎石群はみごとに残り、政宗による現存寺の再建、現存する尼寺は他に類を見ない。
 源頼朝が奥州征伐で僧寺・尼寺ともに焼き払った源氏が、悪役に思えてきた。

 出羽国分寺 山形市薬師町
 
 天台宗                    現存

 山形駅より北東2q、馬見が崎橋の脇で護国神社の西側。文献では出羽の僧寺・尼寺は、二寺ともにその存在が証明されているが、今日も寺跡を示す礎石は発見されず、酒田説、米沢説、山形説など諸説が飛び交い今後の研究が楽しみの地だ。現存寺は、桃山時代に最上義光が支配する山形城下絵図に記載されていることから、桃山期には存在していたようだ。