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全国の国分寺一覧(4)

近畿編(13ヶ寺)

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                   史跡の保存の状態について

                      現 存   跡地かその近くに現在の「国分寺」がある
                      僧 跡    「国分僧寺跡」を表示するものがある  
                      尼 跡    「国分尼寺跡」を表示するものがある 
                      資 館    これに関する歴史資料館が近くにある 
                      地名のみ 地名のみが国分寺があったことを示す

 近江国分寺 滋賀県大津市別保
                           現存

  瀬田川の東側にある大江の台地に 国府跡があって、発掘と復元作業が進められていた。それに比して僧寺跡の確定は進んでいない。
 川を挟み西側の別保に 「国分寺」はあるが、琵琶湖畔の低地で跡ではない。 国府跡近くで名神高速の南側の瀬田廃寺という説もある。紫香楽宮周辺の説もあるが国府から15q と遠い。晴嵐小学校内に寺跡の碑があって、ますますわからない。

 伊賀国分寺 三重県上野市緑ヶ丘南町
                            
僧跡

  名阪国道 友生IC北東500bの場所にある。 どうしても素人歴史趣味には、“伊賀” というと忍者を連想してしまうのだが…。
 僧寺跡は、表示看板の右後ろに立つ南大門跡から始まり、 さらに右の白い点になる中門跡、金堂跡が見える。 もとは、画像のような松林に覆われていたと思われるが、であるならば廃寺になってからほとんど手つかずのままにあったのだろうか。   

 若狭国分寺 京都府小浜市国分
  曹洞宗永平寺派         現存・僧跡・資館

 現存寺は小浜線東小浜駅南500bの国道の北側にあり、全国に誇る二つの特徴があった。
 ひとつは、 丈六の釈迦如来像(鎌倉期)が安置されており、 聖武天皇の詔にいう “釈迦三尊像” の復元であろうか。 もうひとつは、伽藍の内側に円古墳を抱き込んでいることで、 誰のためのもので、 いったい何のために伽藍に古墳を抱え込んだのか。国分寺好きにはとても興味が持てるところだ。

 丹波国分寺 京都府亀岡市千歳町国分
 
 浄土宗                  現存・僧跡

  山陰本線亀岡駅を北へ3qの位置にあり、南北を山に挟まれた広い田園地帯の中に、樹木で覆われた古寺が丹波国分寺だった。
 山門の手前には崩れかけた土塀に草が生え、東に配した塔跡には、17 個すべての塔礎石が残され苔むしており、歴史を語る礎石群にしばらく栄枯盛衰の風情へと思いを馳せていた。 尼寺跡らしき所は、樹木が繁茂し立ち入れる状態にはなかった。

 丹後国分寺 京都府宮津市
 
 高野山真言宗         現存・僧跡・資館

 およそ数ある国分寺跡からの眺望では、丹後にまさる絶景は他にはなかろう。 むしろ逆に考えてみると、天橋立の松越しから見る往時の国分寺の姿は、海の青さと松の緑、そして堂塔の朱色がひときわ彩りを添えていたと思うと心が躍る。
 僧寺跡は東の金堂跡と西塔跡は礎石が残っていて、伽藍は整備されていた。現存寺が東側、、資料館は西側の後ろにあって保存はよい。

 山城国分寺 京都府加茂町列幣
  
真言宗              現存・僧跡・尼跡

  関西本線加茂駅から北西に2q。 740年に平城京から遷都した恭仁京は、 僅か 4年間の都であった。 その間、聖武天皇は国分僧 ・尼寺建立の詔を発し、恭仁宮跡地が僧寺域としてあてられ、宮城の大極殿は僧寺の金堂として再利用された。
  大極殿跡が小学校裏に遺跡として整備され、七重塔跡にはみごとに細工された塔礎石が完ぺきに近いかたちで残されていた。  

 摂津国分寺 大阪市天王寺区国分町
    
                       現存

 JR環状線寺田町駅北 300bにある。街の中の国分寺公園という遊び場に、「摂津国分寺跡」と書かれた石碑と説明板がある。
 ただし古瓦が出土したのみ。しかも天王寺区国分町の他に北区長柄、中央区森ノ宮中央にも「国分(町)」の名が残り、ここも有力だが僧寺跡と確定できていない。現存寺は市内の北区にあり、近くの天徳山国分寺は別の寺のようだ。

 河内国分寺  大阪府柏原市東条町
                          僧跡

 近鉄大阪線河内国分駅から東へ2q足らずの所に塔跡のみ残る。ぶどう畑に囲まれ、大和川を望む絶好の眺望恵まれてはいるが、これほどの北向き傾斜地の国分寺跡も珍しい。
 発掘調査により、塔の西に南大門・中門・金堂・講堂があり、東側に寺院の付属施設があったと説明板に書かれていたが、イメージするには難しすぎる地形である。

 和泉国分寺 大阪府和泉市国分町
 真言宗                     現存

 泉北高速鉄道、和泉中央駅から南東に4qのところ。一帯は田園と森林に囲まれ、現存寺は古くからの集落の中にあった。古瓦の出土はあるものの、発掘調査は不可能な状態にある。
 和泉国は757(天平宝字元)年に河内国から独立し、国分寺建立の詔より百年近く後に安楽寺を以て僧寺としたとある。その後、南北朝の戦い等、度重なる戦乱で大伽藍は消滅した。

 但馬国分寺 兵庫県日高町国分寺
  浄土宗                       現存

  山陰本線江原駅の北400b周辺にあたる。現存寺は僧寺跡北端に位置しており、画像の薬師堂はおそらく北方建物西端あたりになると思われる。
 僧寺跡の伽藍全体に私有地が広がっているため、史跡としての確保は難しい。伽藍配置は、西塔を配した国分寺式と判明しているようで、街の所々に伽藍を示す立て札があったことが、せめても、落胆した気持ちを抑えてくれた。

 播磨国分寺 兵庫県姫路市
  高野山真言宗            現存・僧跡 

 山陽線御着駅から北西へ500bのところにある。新幹線の絶え間ない通過音がする所だが、復原された播磨僧寺の大伽藍が広がっている。復原は東塔を配する国分寺式の、西側築地塀や南門、中門、塔、回廊と、金堂院中央の灯籠などに及んでいる。金堂跡と講堂跡の上に現存寺が位置している。
 昔から比較的多く人が住み、交通も戦も多かった地に、これだけの伽藍跡がよく残されたものだ。

 淡路国分寺 兵庫県三原町八木
  律宗                   現存・僧跡

 島南部の三原町役場から、北東に2qの所にある。僧寺跡に現存寺が建ち、門の右手に塔礎石が並べられてあった。創建当時の位置のようだが、塔心礎と4個の礎石のみが大日堂によって保護され、見ることはできなかった。
 また諸国国分寺唯一、創建当時の作とみられる丈六の釈迦如来座像は、法要の時にしか住職が来ないらしいので、これも見られなかった。
 

 紀伊国分寺 和歌山県打田町
                    
現存・僧跡・資館

  和歌山線下井阪駅北2qの位置。勢いよく宅地化が進行している地域である。 そんな中では広大な敷地で大工事を行っていた。工事は僧寺跡の復元と、講堂跡に建てた現存寺本堂の修理だった。
  画像は南大門跡の位置から、中門の階段と、木立直後の金堂跡基壇、木立右手手前の塔跡基壇、最後部の水色カバーの講堂跡(本堂修復) が見える。 宅地化に抗し、寸前での復元に安堵した。  


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