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三河国分寺

僧寺跡と現存寺

2001年4月29日 訪問

 東名高速道路を音羽蒲郡インターで降りて、国道一号線を東へ戻るかたちとなる。やがて国府(こう)町に入る。すなわち、三河の国府があったところだ。そこから1500b東に進むと僧寺跡と現存寺がある。

 現存寺は、僧寺跡の金堂の位置に本堂が建っており、僧寺の寺域は、周囲をほぼ車道や農道に区切られているので、外観を想像するうえで、とてもわかりやすい。
 中門、金堂、講堂は、寺域の東側に寄って一直線上にあり、そして塔を西に配する典型的な国分寺伽藍配置となっていた。

 この画像は、上画像の回廊南側の南中心の中門位置から入り、T字路から撮したものである。本堂が金堂跡と考えてよい。それだけでも広いと感じてしまう。
 国分僧寺の創建はよく分かっていないらしいが、梵鐘は平安時代のもので、国の重要文化財になっている。もしかしたら、創建当時の繁栄を伝えるものか。

 現存寺の方のお話では、再建は「西11.5qにある西明寺(曹洞宗) の援助によってすすめられたことにより、現存寺も曹洞宗となった」とのことであった。それはもしかして、1506(永正3)年 の再建のことをさしているのかもしれない。
 それにしても、このあと立ち寄った有名な豊川稲荷は、豊川閣妙厳寺という曹洞宗のお寺のなかの“付属施設?”であり、お稲荷さんの方が有名になってしまったらしいのだが、この地域は歴史の流れから曹洞宗が多いことがわかった。

国の重文となる鐘楼

 高さ118p 下帯回り256p
 重さ678s 口径82.4p

 八葉蓮華紋文の鐘座の位置が高く、竜頭(上部のかざり)の向きが、鐘座の方向と直交するなど、古い形式のもの。
 制作年代は、奈良時代ともいわれているが、平安時代のものらしい。

僧寺・尼寺の想像図 左上が南になる(桜ヶ丘ミュージアム蔵)

西側から金堂跡に建つ現存寺の本堂を見る

伽藍では西になる塔跡 礎石と思われる石が2つころがっていた

 

美しい画像が見られます

http://www.ne.jp/asahi/m/hiroro/05_koku/


尼寺跡

 金堂は甲斐国分尼寺と並んで、全国一の規模を誇るためか、三河では僧寺より尼寺の方に力が入っているようである。桜ヶ丘ミュージアム蔵の尼寺の模型も、僧寺の模型がまだないのに比べ立派なものである。

 尼寺跡は僧寺跡から西に800b の場所にあったのだが、なんと、かつての静かな杜の佇まいはなく、尼寺の伽藍の復元工事をしていたのだ。
 下図のように尼寺跡公園にするようで、尼寺跡金堂の場所に建てられていた清光寺を移転させての大工事である。
 図は工事を示す看板にあった、完成図を写真に撮ったものである。

 @ かつての尼寺跡入口 

 画像@の角度から撮したもので、かつての尼寺跡入口を思わせる石柱と掲示板を撮したのがこの画像である。
 清光寺(当山もまた曹洞宗だった)が、すぐ西側に移転・新築して立派になった。まったく風景が変わったので、以前に訪れた方は戸惑うのではないかと思う。

A 復元工事で伽藍の全容が明らかに 

  画像Aの角度、すなわち北西から見たものである。手前にはなんと、内外両側に回廊がある複式回廊の北西にあたる角と、左に講堂跡、大きな楠の左側基壇が金堂跡になる。そして、金堂手前の中央にある小さな建物跡は、鐘楼か経堂と考えられる。
 これだけのものが復元されており、2001.4.28 現在、まだ工事中で立入禁止となっていたにもかかわらず、心躍る思いがした。



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