聖武天皇

国分寺建立の詔


 聖武天皇が発せられた「国分寺建立の詔」については、現在残されている記録は三つあり、以下のものから読み取ることができる。

「続日本紀」    (しょくにほんぎ) 797年に編纂
「類聚三代格 巻3」(るいじゅうさんだいかく)11世紀(約300年後)に編纂
.正倉院御物銅板   天平宝字7(763)年頃、東大寺の左級書記 安都雄足筆

 いずれの記録も原文のままではなく、何回か書き写しを重ねをした段階で、誤記や加除訂正等によって書き換えられている。
 たとえば「類聚三代格巻3」では、本人が知り得るはずのない、聖武天皇が没した後の世の成りゆきまでが書き加えられている。
 「続日本紀」では、原文にはあったとされる、聖武天皇の一族についても善福祈願あるいは永代供養を願うように書かれた部分については、割愛されれている。
 そして、正倉院御物の銅板については、東大寺の西塔建立の際に納めるものだっだが、銅板への記載のためか、字数をかなり省いている。

 このように、それぞれに文章が違って残されているが、これら残された記録すべてを掲載し、訳してみるのも良いのだが、文章の量が多すぎてしまうので、ここでは「続日本紀」に記されている詔だけを紹介してみよう。            (上総国分尼寺資料館の講座「詔を読む」にて学習)

「続日本紀」に書かれている「国分僧寺・尼寺建立の詔」の本文

「続日本紀」掲載の詔を訳す

続日本紀巻14  聖武天皇(天平13年2月)

 詔曰く、私は徳は薄い身であるが、忝なくもこの重任(天皇に即位)を承けた。しかし、未だその成果を得ていないので、寝ても醒めても恥ずかしい思いをしている。いにしえの為政者は皆、国を泰平に導いて災難を除き楽しく暮らしていたのだが、どうすれば良いのだろうか。
 近年、稔りも少なく疫病も流行している。そのため先年諸国の神々を祀り、また国々に一丈六尺の釈迦三尊像の造立と、さらには大般若経の写経を命じたのだ。そのためか、この春から秋の収穫まで風雨は順調で五穀が豊かに実った。このように誠を願えば霊を賜わることができるものである。
 金光明最勝王経】には『もしもこの経を読誦すれば、我が四天王が常に擁護くださって、一切の災難を消し去り、病気も取り除き、常に歓喜に満ちあふれた生活を送ることができる』と書いてある。
 そこで諸国に七重塔を建てて、金光明最勝王経と妙法蓮華経を十部(誤記らしい)ずつ写すようにするものとしたい。私は別に、金字の金光明最勝王経を書き写して、各国の塔ごとに納めることにしよう。こうして仏教を盛んにさせて、天地のごとく永く伝えられるようにし、擁護の恩寵が死者、生者ともにあることを願うようにするもめである。
 これらの塔を造る寺は国の華でもあり、建立にあたっては必ず好い場所を選ぶようにすること。あまり人家の近くで生活臭のするような所ではいけない。また、あまり遠くで人の労をかけるような所でもよくない。国司どもはよろしく私の意志を国内に知らしめるとともに、これらを執り行って寺を清潔にきれいに飾るようにすること。
 また国僧寺には封戸五十戸と水田十町を、尼寺には水田十町を施すこと。僧寺には僧侶20人を入れ、寺の名を金光明四天王護国之寺とすること。尼寺には尼を10人を入れ、寺の名を法華滅罪之寺とすること。両寺は適当な距離をおき戒に順うこと。僧・尼にもしも欠員が出たらすぐに補うように。
 毎月8日には金光明最勝王経を読経すること。また、月の半ばに至るごとに羯磨(こんま)を暗誦し、毎月六斎日には行事を執り行い、公私ともに漁・猟などの殺生をしないように。国司らはこれらをよろしく監督するものとする。

                        芭裳裟(HP制作者)訳     

<注釈>

・「釈迦三尊像」
 釈迦如来像は、お釈迦様そのものを像としているが、仏陀は生前これを喜ばず、お釈迦様の死後に弟子たちが像にしたと伝えられている。その釈迦如来像とともに、薬師如来、阿弥陀如来を含めて三仏と呼んでおり、それぞれ一仏として独立している仏も少なくない。 さらに、主となる仏様を中心にして、両脇に一体ずつの脇像を配しているものを「三尊像」とよんでいる。
 釈迦三尊像の中では、現在、止利仏師が造ったとされる法隆寺の釈迦三尊像が最も有名で、 これには釈迦如来の主仏に対し、脇侍として薬王菩薩・薬上菩薩を従えている。
  さて、国分寺建立の詔でいう「釈迦三尊像」の場合では、この頃一般的であった文殊菩薩・普賢菩薩の脇侍を配するものであったろうと推測されよう。ただし、資料によっては「挟侍菩薩(きょうじぼさつ)二躯」と書かれているものもあるが、この「挟侍菩薩」については少々勉強不足なので今後調べることにする。

・「大 般 若 経」
  大乗仏教の教えを説いたものとして代表的な教典で、「一切皆空」を説く。西遊記にいう三蔵法師であるところの玄奘三蔵が、インドから持ち帰りサンスクリット文字から漢字に翻訳しものである。 「大般若経」そのものは全600巻からなる膨大お経であり、今日の「般若心経」は、そのなかからこれを要約し、266文字としてものであり、正確には 「摩訶般若波羅密多心経」と呼ばれるようになったものである。 今日、この「般若心経」は、天台宗、真言宗、臨済宗、曹洞宗などで広く読まれている。

・「金光明最勝王経」
  国分寺建立の詔の文中で金光明最勝王経の一部を引用している。 「この経を読み広める王があれば、四天王が常に守護し、病や憂いを癒し、願いごとをことごとくかなえ、喜びをもたらす」という。すなわち、この経を広め唱えることにより、国家の隆盛と病災からの守護という功徳が得られるものであるということ説いている。そして、この四天王による国家鎮護の教えがもととなり、国分寺建立の根拠としたものである。
 とくに聖武天皇にとっては、もっとも切実な三つの政治課題があった。その一つは、当時天然痘や赤痢が大流行し、聖武天皇自身も息子を亡くした疫病からの救済である。二つは、気候不順による、凶作・飢饉からの救済と五穀豊穣の祈願である。そして三つは、日本国家存立への威信をかけたアピールであり、これらの政治課題を解決するための拠り所としたと思われる。

・「妙法蓮華経」
 西暦200年頃に中国の僧侶である鳩摩羅什(くまらじゅう)が、これをサンスクリット文字から漢訳したことにより、中国や日本において、仏教の布教に多大な影響を与えた大教典である。今日ではこの妙法蓮華経のうち、二十八品(章)の第二十五章目の経文であるところの 「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」 またの名を「観音経」と呼んでおり、これもまた独立した経として多くの宗派で広く唱えられているものである。 

奈良国立博物館ホームページ「名品紹介」
「紫紙金字金光明最勝王経」  「大般若経」(RETURMすると出る)
http://www.narahaku.go.jp/meihin/syoseki/071.html