美作国分寺
僧 寺 跡
2002年8月19日訪問
古い城下町である津山市街から外れた東津山駅の南東にあって、なだらかな丘陵地帯を田園地帯にした感じの所である。
僧寺跡の発掘調査は、1977年から3年間にわたって実施された。その結果、東塔を配し複式回廊は中門と金堂を結ぶかたちの、国分寺式伽藍配置であることが判明した。すでに、殆どの礎石は覆され失っていたものの、ほんの数個は現存寺に置いてあった。それでも発掘調査により、その周辺の基壇は河原石で入念に仕上げらた敷石群が出てきたという(下画像)。
とくに塔跡は2000年にも再調査を行い、犬走・雨落溝まで含めた基壇の規模が1辺24bと、全国の国分寺の中でも最大級であることが明らかになったようだ。
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<すこし余談> 東国になる上野国分寺の塔建物の、1辺は19bになるが、美作の塔礎石が残されていれば、塔も最大級であるかもしれない。
また、出土した瓦の研究から、僧寺跡から北西約5qの美作国府および、西約450b
の尼寺でも同じ瓦が使用されており、奈良の瓦工人が招かれて焼いたものであると考えられている。
さて、跡地は田んぼで堂塔跡の表示も何もなく、ただ田んぼだけを紹介するようになってしまったのは少々残念である。
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@ 南門あたりを撮る

あぜ道が曲がった先あたりが南門になる
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中央のあぜ道が、左に曲がった先あたりが南門になる。
画像が小さくて不明瞭だが、その先、田んぼが一段高くなっているあたりが中門跡になる。
さらにその先、右の電柱左下が集会場で、金堂はそこから左電柱手前まであったと思う。
上画像の伽藍配置図を見ると、現在の道が回廊北西角から入り、金堂をよけて横断しているのがよく分かる。 |
A 中門から金堂を撮る

あぜ道が中心線で 右手の集会場から
左手画面いっぱいまでが金堂になる
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右の電柱から、画像の左端まで金堂があったと思われる。あぜ道そのものが、中心線と考えていいようだ。
回廊は、この画像では両脇ともはみ出るが、撮影位置の背後からはじまる。
@画像の、右端平屋建てから左端平屋建ての巾まであったと伽藍図から推測できる。
B画像の右端軒は集会所裏のプレハブ増築部分である。撮影位置そのものが金堂跡で、中心より柱一本分やや東よりになるか。(いい加減なのであまり信用はしない方がよい) |
B 金堂跡から講堂を撮る

右手軒は集会場
田んぼ一部含めた先までが金堂
講堂は
その先の一段高い田んぼあたりだろうか
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集会場増築プレハブ裏の金堂基壇
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C 南東角から塔跡を撮る

右手の白壁の建物は現存寺の一部
下画像と見比べるとよくわかるが
畑の先の田んぼがほぼ全部塔跡になる
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C画像は、東南方向を撮影したもので、畑の先の田んぼが、ほぼ全面的に塔跡と考えてよさそうだ。右手白壁の建物は現存寺の一部であり、その左手に小さく金堂跡ならぬ集会場が見えている。
それにしても堂塔の礎石がほとんどない。すべて覆されたが、2〜3個程度は現存寺にあった。
伽藍はおおむね田んぼの中だが、跡地の表示すらなく、集会所前の看板をじっくりと見てから歩かなればならなかった。用地も確保している感じではなかったが、早急な土地の確保と整備が必要であると感じた(間違えでしたらご容赦を)。 |

塔跡全景(上方向北)
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塔跡南側犬走り・雨落溝
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塔跡の発掘調査の画像が、現地掲示板に写真があった。みごとな敷石である。 東国の国分寺跡では、こうした敷石を施した跡があったという話は聞いたことはなかったが、どうだろうか。
国分寺塔跡最大の基壇になるようだ。
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現 存 寺

寺号は竜寿山国分寺と称し、宗旨は天台宗となっている。
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現存寺の「国分寺略記」
註釈
@ 国分寺建立の詔は741(天平13)年2月に発せられたはずだが、3年11ヶ月早くなっている。どうしてだろう。
A 詔によれば国分寺の本尊は丈六の“釈迦三尊像”だったはずだが、どうして開基祖当時から“薬師如来”だったのだろうか。そういえば、越前国分寺でも開基当時から“薬師如来”であり、しかも行基作まで共通している。これは共通の“何か”があるかもしれない。
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B 崇徳上皇の第三皇子がこの地に入り、国分寺に身を寄せた際、地元の武士が領地を奪われると誤解し伽藍を焼き払ったという(「わが心の国分寺」より)。その後は「寺運衰微セル」だから、細々だけれど存在していたようだ。
C 森忠政(本能寺の変で信長に殉じた森蘭丸の弟)が、関ヶ原の戦い以後に津山藩主となり、信濃松代から津山城に入った。そして森氏により復興の手がさしのべられた。
D その後、松平氏が津山城に入り、松平康孝により現在の境内の再建がかなったようである。
尼 寺 跡
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尼寺跡は、僧寺跡から西に450bあたりということなので探したが、それらしきものに出会うことなく、ただあてもなく徘徊するのみだった。
そうこうしているうちに、すばらしい風景に出会ったので、思わずカメラを構えた。どこにでもある農村風景だが、眺めると妙に落ち着く。いわば“癒し系風景”とでもいうべきか。尼寺跡は不明のため、「その周辺の風景」として、尼寺跡代わりに載せてみた。 |
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