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長門国分寺

僧 寺 跡

2003年12月26日 訪問

 おそらくは長門国府が略されて“長府”(ちょうふ)と呼ばれるようになったことは、だいたいの察しがつくものであろう。他にも思いつくままに挙げれば、周防国府の防府(ほうふ)、駿河国府の駿府(すんぷ・静岡市)、甲斐国府の甲府などは皆これに該当するであろうと思われる。
 さて、現存寺は下関市街の市役所西側の南部町にあり、まずそこを訪れた。ところが長門国府や創建国分寺跡等は、下関駅から山陽線でいえば広島・岡山方面に3駅目、距離にして北東におよそ10qの下関市長府にある。現存寺がなぜ10qも移動してしまったかについては、レポートのなかで明らかにしよう。

 長府は、やはり古い街、すなわち城下町のためか、毛利家屋敷武家屋敷が建ち並ぶ町並が保存され、情緒あふれる土地であった。
 それにしても、1200年の歴史を探る私にとってみれば、戦国時代をはじめとして以降の武家屋敷となっていることは、国分寺創建時代の遺跡保存からしてみれば、多くの地で障害となっているとこれまでも感じてはきたが、ここも例外ではなかった。
 ここも最低のレポートになりそうだが、とりあえずは数少ない国分寺・国府の面影を紹介してみよう。


僧寺跡の礎石とその説明表示

僧寺跡の礎石

 僧寺跡は長府宮の内町にあったが、武家屋敷街の中心にある市立長府中学校の北、100b の路地の角と言った方がわかりやすい。そこに礎石がただ一つだけ置かれ、説明表示があった。
 そこに、こう書かれていた。
 
「当地から北にかけた一帯がその境内地跡 地形上他国のものより寺域が小さく方一町程度と推定されている」
 「境内」とは伽藍ではなく寺域と思われるが、およそ 109b四方の規模だという。


他の礎石は持ち去られたのかそれとも地中に眠るのか

 やや大きめな僧寺跡では、200b四方はある。すると、四分の一程度ということであろう。
 この礎石以北が境内だとすると、画像の背景の二階建てアパートから後方100bまでが寺域となる。しかし住宅地でもあり、発掘調査はかなりきびしく、伽藍配置も不明だ。

  「中世は大内・毛利両氏 近世は長府毛利氏の庇護を受けていたが維新後次第に寺勢が衰退 明治二十三年本市南部町の大隆寺跡に移転した 国分寺跡からは創建時の軒丸瓦や土器などが出土 長府博物館や教育委員会で保存している また寺宝の『不動明王立像』『十二天曼茶羅図』は国分寺に現存し ともに重要文化財に指定されている」


長門鋳銭司跡の碑がある覚苑寺境内
東大寺大仏の青銅もここから運ばれた

 僧寺跡から200b西になる覚苑寺(かくおんじ)。長府毛利藩三代目藩主綱元が建てたお寺であり、やはり、時代とともに土地の転用がされている。境内には狩野芳崖、乃木希典の銅像もある。さすが、ここは長州藩だ。
 明治維新まで受け継がれていたとは驚きである。おそらく廃仏毀釈によるすう勢であったと思われるが、どうにもならなくなって南部町に移転したわけであろう。

長門鋳銭司跡

 上画像の左手の道をまっすぐ行くと、200bほどで覚苑寺に着く。そこに鋳銭司跡がある。
 そこでは、奈良・平安時代にかけて和同開珎の鋳造がされており、また東大寺大仏鋳造の原材料もここの青銅が使用された。
 和同開珎はここの他、武蔵・近江・河内・播磨・太宰府でも造られたとされているが、遺構が確認されているのは長門だけのようである。


現存寺


明治23年に長府から ここ下関南部町の中心街に移された

 現存寺は明治21年に、南部町(下関市役所西側)の大隆寺跡に移転しが、戦災で焼失し移転当時をしのぶ堂宇は残念ながら何も残されていない。

 宗旨は高野山真言宗で、寺号を別格本山長門国分寺と号する。画像を撮るについては、門柱に書かれている寺号を入れて撮るつもりであったが、「国分寺」と書かれている位置に、すでに新年を迎える準備のために、門松が取り付けられていてどうにもならなかった。


総社跡など

 平安中期以降になると、これまで赴任した国司が一巡参拝するはずであった管内の神社が、すべてに代わる一つの神社が建てられこれを参拝し、一巡参拝は省略されるようになった。これが総社である。
 長門総社は、縮小されたとはいえ、この長府毛利邸の屋敷のなかに、昭和四十年代頃までその社の一部を見ることができたようだ。
 まさしくこの街の名は長門惣社町である。

 長州藩の毛利氏はその本拠を萩に置いていたが、その一族は長府、防府、柳井などにそれぞれの屋敷を置いていた。総社はその屋敷に転用されていたわけである。


なんの脈絡もないが功山寺と博物館


功山寺 本堂

功 山 寺

 こうざんじ:鎌倉時代創建、唐様建築の美しさを保つ仏殿は、わが国最古の禅寺様式を残しており、国宝に指定されている。
 歴史の舞台としては、かつて、毛利元就に追われた山内義長が自刃した所でもあり、また高杉晋作が明治維新の転機となる旗揚げをしたところでもある。


功山寺 山門

博 物 館

 功山寺の山門西に並んでいる博物館


長府博物館(画像をクリックするとリンクします)