相模国分寺

僧寺跡

2000年3月29日訪問
2000年6月18日再訪

 創建は不明だが、温故館(市立郷土資料館)の学芸員に伺ったところによると、相模僧寺は塔が先に造られたのではないかという話であった。819(弘仁10)年に火災、878(元慶2)年には地震が襲いかかって、本尊薬師如来やその他の仏像も被害にあったほどであったらしい。
 それでも、1189(文治2)年には 源頼朝により、修復工事を朝廷に申請する文書が記されているので、僧寺は存続していたものと思われる。
 その後、室町時代に入って話題は現存寺の方に移っていくようで、1292(正応5)年には現存する鐘楼(国指定重要文化財)が、東光山国分寺(現存寺)僧尼寺に国分季頼から寄進されたとある。
 いつのまにか古国分寺がなくなってしまい、僧寺と尼寺が一緒になってしまって、説明している私にもよく理解できないのが正直なところなのである。

 僧寺の伽藍配置は、東西が160b、南北が120bで、西に七重塔、東に金堂が配置されている法隆寺型の伽藍配置となっている。 (温故館蔵)

 左の画像から現況を説明しよう。僧寺の寺域は、一部畑地や道路になっているが゙、ほとんどが宅地化を免れ、史跡として確保されている。
 塔と金堂の後ろ、すなわち講堂の前すれすれを東西に県道が分断している。金堂跡はまだ私有地だが、一部林と畑地で、見通しを妨げるものではない。
 東側外には、歴史資料館の温故館がある。

@ 中門跡基壇から七重塔跡基壇を見る

 下の画像は、手前の中門跡基壇から七重塔跡基壇を見たところ。模型と景色ではかなり距離感が違ってしまう。相模国分寺はそれほど広くなくとも、「とにかく広い!」を実感できる。右手林の画像の外に金堂が位置している。


 


A 西側から七重塔基壇と金堂の木立を見る

 復元保存されていた七重塔の基壇である。その基壇中央の上に見える、白い建物は、歴史資料館となっている温故館である。そして、左側の林の中に金堂跡があり、右側アパートの手前が中門跡。画像は西側から東方向に写している。


B 金堂跡は畑と林のなか

 右の石柱は、国分寺跡を示す石碑である。草むらに礎石が4〜5個点在しているのが見える。金堂跡は まだ私有地であるようで、一部金網が張られ畑になっていた。画像は南側から北方向に写している。


C 道路脇石積みからはみ出す講堂跡礎石

 もういちど上にもどって「写真撮影位置と方向」Cを見直してみよう。塔・金堂跡の後ろというよりも、講堂跡のまん前を県道が東西に横断している。堂跡礎石が道脇の石積みからはみ出していた。覆されるよりよいが、早く塔基壇のように復元保存してほしい。相模僧寺でいえばこれが心配だ。

 


現存寺

 東光山国分寺と称し、高野山真言宗で、本尊は薬師如来現存寺である。僧寺跡より200b 南のやや高台に位置しており、入口に大きな欅があった。本堂は平成6年の完成で、まだ本堂の白木の色が初々しい。


尼寺跡

 尼寺跡は僧寺跡の北約600bの所に位置している。近年、寺域内の発掘調査が実施され、金堂跡、講堂跡、鐘楼跡の基壇の一部が確認された。その結果、中門、金堂、講堂が南北一列に並び、講堂の両脇には経蔵と鐘楼がつく伽藍配置をとることがわかった。


個人のホームページだが海老名市を紹介

海老名市紹介のポームページ(温故館・国分寺跡)
http://plaza9.mbn.or.jp/~sone1997/13ebina.htm