讃岐国分寺

僧寺跡

2001年12月27日 訪問

讃岐歴史資料館には 西日本では比較的少ない復元模型があった
穏やかな屋根の反りが特徴的に思えた金堂の模型

伽藍配置

 僧寺跡は、昭和58年度からの発掘調査により、伽藍配置が明らかになっている。それと同時に、史跡としての整備事業がすすめられ、屋外の伽藍模型や僧坊跡の復元、築地塀の復原などが進められ、力強いかぎりである。
 左と下の画像は歴史資料館でいただいたパンフレットに掲載されている伽藍配置図である。
 左画像の青色が発掘調査済みの区域になっているようだ。
 東西220b、南北240bもある広大な寺域に、なぜか南大門、中門、金堂、講堂など南北に一直線の伽藍は西の隅に偏っている。

これは珍しい 室内にある復元模型ならよくあるが
跡地に復元模型を置いたのははじめて見た








 中門から金堂に伸びる回廊の中に東塔を配する、大官大寺式の伽藍配置となっている。この配置は南海道では、紀伊僧寺でも同じ型になっていた。それにしても、紀伊国分寺の伽藍より大規模である。

一部を復原した僧坊建物と基壇・礎石

 北方の僧坊跡は発掘調査の結果、全国の僧寺のなかでも最大級のものと判明した。
 東西84b、南北12bで、内部まで復原しているのは、僧坊ではここだけであろうか。その間取りは、東大寺戒壇院北室に似ているという。

僧坊建物の内部の復原

その金堂が建っていた跡の礎石群

僧寺跡の現況

 本堂は創建当時の講堂跡に建てられており、画像は金堂跡手前から撮ったもので、数多くの礎石が両脇に写っている。その下の画像は、右手に移動し斜めから撮ってみたものだ。

金堂跡礎石を東斜めから見たところ

七重塔跡の礎石群

 塔跡の礎石群である。画像は真南の正面から撮影したものだが、17個あるべき礎石が15個残されていて、手前左側の礎石は失われていることがよく分かるだろう。一辺が10.1bで、高さ63bの七重塔であったことが判明している。

 塔心礎石の上には石で造った五重塔が置かれているが、これもまた珍しいものだ。


国分寺町国分2177-1    087-874-8840 

讃岐国分寺資料館

 各地を巡っていると、郷土資料館や歴史資料館は多いものの、国分寺についての資料や出土品等を主として展示している資料館は、意外と少ない。
 左画像は金堂の復元模型や、国分寺落慶想像図などが展示される讃岐国分寺資料館。
 


現存寺

中門跡に建てられた現存寺の山門

 四国八十八カ所第八十番札所となる現存寺は、白牛山千手院国分寺と称し、古義真言宗御室派となっている。御室派とは、京都御室仁和寺を総本山といただく宗派だが、そこの別格本山になっている。
 画像は山門だが、創建当時の伽藍配置からすると、中門あたりになるらしい。南大門も約10b南になるので、撮しているあたりか、その背後になるのだろう。右の車が何とも雰囲気を壊しているが、私の車である。東京は日野からおよそ800qの道のりを走ってきたのだ。

講堂跡に建てられた本堂(鎌倉時代・国重文)

 本堂は鎌倉時代の建物。本尊の大慈大悲の十一面千手観音菩薩は、俗に丈六仏と称される5.6bの巨像だ。本堂と共に国の重要文化財になっている。

 創建は741(天平13)年、行基菩薩の開基と伝えられ、詔の直後に建てられたことになるだろう。1582(天正10)年に、阿波国分寺も燃やした土佐の長曽我部氏により、かなりの部分が焼き払われたようだ。その後、生駒氏、松平氏に保護されて今日に至ったようで、一度の兵火で済んだらしい。

創建当時の鐘(奈良時代・国重文)

  この鐘は、創建当時に鋳造され、長曽我部氏の兵火にも残った四国最古の鐘で、高さ約1.5b、重量が1200sある。旧国宝、重要文化財に指定。
 慶長14年(約400年前)の2月2日、当時の高松藩主生駒一正公が、朝夕の時鐘にと、田一町を寄進してこの鐘を城内に持ち帰ったところ、鐘は少しもならず城内外に怪異がおこり、また悪疫が流行し、一正公も病床にふすようになり、毎夜鐘が夢枕にたち「もとの国分へいぬ」と泣いたという。これは鐘のたたりに相違ないということで、同年3月14日に返されたという。


御朱印


第八十番札所のお札

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尼 寺 跡


この石碑を見て誤解してしまった(小学校脇)

 尼寺探しについては、きわめて不覚だった。予習をしたときには、法華寺があるということは読んで理解していたのだが、いざ訪ね歩くという時点で、すっかり忘れてしまったのだ。
 途中、小学校の脇を通り抜けようとする時に「史蹟讃岐国分尼寺跡」と書かれた石碑が立っていたのを見っけた。そして失敗は起きてしまった。


現存する「法華滅罪之寺」山門(送って下さった画像)

 その脇の田んぼが “尼寺跡”であると勘違いをして、この先の道を進まず、写真を撮って引き返してしまった。
 せっかく讃岐まで訪れておきながら、重大な失策であった。諦めきれないが、しかたがない。またいつか訪れる機会もあるだろう。
 ということで、尼寺跡はレポートできなくて申し訳ありません。

 こうした私の失敗に同情して、岡山の清水さんが左画像を送って下さいました。とても雰囲気があるお寺です。また希少にも“法華滅罪之寺”の名を継いでいます。

画像を下さった清水さんの「法華滅罪之寺」ホームページ
https://keijiban.e-topia-kagawa.jp/bbs/myblog/3002



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