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今夜の番組チェック
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♪♪♪♪♪♪♪♪♪ しゃべるならベトナム語 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪
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♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ 第四十三号 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
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【しゃべるならベトナム語】Vol.43 5/2/99 by べベット
567人のしゃべったらベトナム人の方にお送りしています。
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新茶を隔晩!“しゃべるならベトナム語”の時間です。
この時間は大阪淀川区東中島のアジア図書館語学センターのベトナ
ム語受講生がお送りいたします。
ご意見、ご感想、ご質問等、あるいは間違いがございましたら、ご
連絡、ご指摘していただけるとたいへん嬉しいです。
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傷痍軍人というのは日本では滅多に見かけない。戦争をもう半世紀
もしていないから? 傷痍軍人がとても傷痍軍人してるのは物乞い
しているときだ。日本は‘恥じ’て出てこないのか、それとも福祉
が厚いのか。韓国では外よりはまだ暖かい地下街の階段で、ベトナ
ムでは外国人の集まる宿街や繁華街で彼らに会うことができる。で
もそれ以外でもいたるところにいる。逆に日本では、足腰の鍛え方
が足りなかったゆえなのか、歩行に支障をきたす老人を多く見かけ
る。長生きのせいだけとは思えないくらいに。
よく歩く、からだを動かす。よく噛んで食べる、食べ過ぎない。食
べ物は欧米に比べれば日本はまだましだろう。問題なのはダイオキ
シン濃度くらいしかない。
いつも時間をきちんと守るべベットは、朝十時の待ち合わせ時間に
地下鉄の乗り換え駅でいらいらさせられたけど、なんとかあまり待
たせないですんだ。初めて会ったその日と二度目に会ったときとは
ずいぶんと印象は変わる。知ってる人だ、というそういう安心感が
単なる好奇心なのかそれともその人の魅力なのかわからないままか
き立てられる気持ちにとって代わられてしまってる。そうはいって
もときには、相手を知っているというレベルにまだいくらか踏むこ
とのできるステップが待っていて、そのステップごとに変容する関
係を楽しめるかもしれない。僕の場合、相手が物好きでなければそ
ういう機会はなかなか来ないみたいだけど。日本人はきわめて雑種
な人たちで、民族性をとやかく言うことは難しいけど、一つの分け
方として、農耕する弥生人と、さまよえる縄文人というのがある。
きまった土地を耕さず、匂いにつられてさまよいゆくほうの遺伝子
が僕にはあるような気がする。(あえて言わないけど‘耕す’とい
う意味の言葉がもう一つ別の行為を暗喩するという言語学的な傾向
はヨーロッパでもアジアでも遭遇した)
駅から案内してくれる教会までの短いあいだにも別の教会があった
りした。たくさんの人がそれぞれに宗教的に生きている。創価学会、
日本では胡散臭く思われがちな団体も、イタリアでは代表的な仏教
の宗派で、ワールドカップに出てきたロベルト・バッジォも信者だっ
たりする。マスゲームビデオで宣伝する創価学会は北鮮みたいだし、
やたらお金のかかるキリスト教の一派と称する統一教会も信者の収
入から税金のように集金していくところは、一般に所属する宗教団
体への献金が収入の10%程度の韓国にあってはごく普通なのかも
しれない。池田大作と文鮮明(ムンセンミン)、どちらが儲かって
いるんだろう。とりあえず勝手にヤハウェみたくポアだけやらない
でくれればもしかすると救われるチャンスはある。
信仰する神に違いはあっても真摯な信仰心にはほんとも嘘もない、
というのがナルニアの‘さいごの戦い’で出てきたテーマだった。
そんなことは少なくとも旧約聖書をどう叩いても出てこない。やっ
ぱりそれだって絶対的な命題ではなくってアドホックなもの。宗教
は僕にとっては何も救わずただ世界を記している。救いなのは真摯
な信仰が教祖を漂白しうる希望があること、救いがないのは多くの
真摯な信仰をもってしても教祖が最後まで正気を取り戻せないこと。
そんなことを考えながら着いた教会で、案内してくれている韓国人
の女の子は教会に集まってくるたくさんの人に僕を紹介していく。
少し早く着いて制服に着替え終わっている聖歌隊のメンバーで今度
日本に留学するという青年、女の子の友だち、教会の牧師さん、オー
ストラリアに留学したことがあって英語をしゃべることのできる十
五才くらいの女の子。聖歌隊は歌の練習を始める。
Ba.n thuo^.c to^n gia'o na`o ?
ばん、とおっく。トン ザオ?ナオ。
あなたの宗教は何ですか?
ba.n (二人称単数をあらわす代名詞)あなた、君
thuo^.c [属]属する
to^n gia'o [宗教]
na`o (名詞のあとにおいて)どの、どんな
宗教が何かということを訊かれたならば、自分の生活に規律を与え
ているものについて考えてみる。そういうものが抽象概念でしかな
ければ、人の生死に際して自分のとる態度について考えてみる。
僕は強い意志は世界に残響を残す、と思っている。人は意志の容れ
ものであり、意志の共鳴箱でもある。ソリトンとなった意志はたし
かに時と場所を超えて伝播し相互作用すると。
多かれ少なかれそれは人に共通の感覚だと思う。そしてそれがゆえ
に肉体の滅亡したのちの意志の存在に関して人は脅迫されている。
その脅迫をいかにして退けるか、だ。
死は存在のシルウェットであり、こころの輪郭を表現する大事な機
会であることも多いから、花火師のように細心の注意と情熱とをもっ
て準備しなくてはならない。それは生のなかで見せる数かずの表現
の延長であったり、あるいはそのときのためだけに準備されるもの
であったりする。
まるで‘石原慎太郎’? 今どき誰も知らないよ。
大きな意志の力を畏怖するよりさきに、自分の存在に感動する生き
方。でもそれをいつかは大きな意志の力につなげていこうとする。
そうするとやっぱりキリスト教的かも。別にキリスト教によってす
べてが取り仕切られているのではないとしても。
聖書を牧師さんと教会に来ている人たちとが一緒になって読みあげ
る。歌を歌う。牧師さんが説教を始める。サスペンスフルな調子で
話が続く。
Chi? co' cuo^.c so^'ng vi` ngu+o+`i kha'c mo+'i la`
ちぃ コオ?クオック。ソン?ヴィ、ングオィかっ?もい?らぁ
cuo^.c so^'ng dda'ng qui' .
クオック。ソン? ダン?クウィ?
他の人のために生きることだけが生きるにあたいすることである。
(Albert EINSTEIN)
chi? 〜だけ
co' (存在をあらわす動詞)〜がある
cuo^.c so^'ng 生活、人生
vi` 〜のために
ngu+o+`i kha'c 他人
mo+'i la` まさに〜である
dda'ng (動詞)〜に値する
qui' [貴]貴ぶ、貴い、貴重な
昂揚した牧師さんの声が穏やかな調子になってきたとき、突然、僕
の名前が語られた。それから‘イルボン’という音も。みんなが振
り返ったり横を向いたりしながらいっせいに僕のほうを見るなか、
僕はいつもの自信に満ちて立ち上がり、みんなの表情を見やったあ
と、ゆっくりとお辞儀をした。そこで牧師さんが僕の紹介を続け、
それでみんながさらに感激したような表情になった。言葉の威力だ。
♪ ♪ ♪
それではまた。
He.n ga(.p la.i .
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