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♪♪♪♪♪♪♪♪♪ しゃべりたいベトナム ♪♪♪♪♪♪♪♪♪
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♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ 第一号 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
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【しゃべりたいベトナム】Vol.1 by 野中 一貴
222人のしゃべったらベトナム人の方にお送りしています。
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だれにでも“しゃべりたいベトナム”がある
Bardamu de "La voyage au bout de la nuit"
はじめに。
著作権および文責は原稿をお寄せくださったかたに属しています。
ご意見、ご感想、ご質問などありましたら、ぜひとも本文著作者、
または“しゃべるならベトナム語”宛てにお寄せくださるようお願
いいたします。
今日、これからお話しになるのは、野中一貴さんです。
野中さんは、昨年末から今年の年初にかけてユネスコのスタディー
ツアーに参加してベトナムに行かれました。その報告会での発表の
かたちに沿ってお話しになります。
♪ ♪ ♪
野中 一貴 17歳
高校3年です。今回のツアーでは、ベトナムの光と影を見てきたよ
うに思います。最近は日本ユネスコ協会連盟にもよく行っているの
で、何か質問などあれば事務局の方に持っていきますので興味をも
たれた方何でも聞いて下さい。
また、感想文に出てくる「寺子屋」を支援するために書き損じたは
がきを集めています。もし送っていただける方は是非私まで連絡い
ただけると幸いです。
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The thing which I thought of at Vietnam and Japan
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野中 一貴
mailto:m-nonaka@mx4.meshnet.or.jp
皆さん初めまして。これをお読みの方は海外へ行ったことがあり
ますか? 僕はスイッチでもあるかのごとく、羽田に着いた瞬間か
ら日本の生活に戻ってしまいました。今ではベトナムでの出来事が
遠い昔のような気がします。でもその体験を忘れないよう講演会な
どに積極的に参加し、今後も理解を深めていこうと思っているとこ
ろです。
まず最初に行動を振り返りながら思ったことを書きたいと思いま
す。皆さんも行ったつもりになってお読み下さい。
今回の旅行は僕にとって Seasons of change(悠久の時の流れの
中での、人物や事象の様々な移り変わり(常識や価値観など)に対
する詩的表現)の連続でした。アジアの熱気に触れたのも初めてで
したし、ストリートチルドレンだった子供たちと会うのも初めてで
したし、識字教室を見たのも初めてでしたし、あふれかえるバイク
の波を見たのも初めてでしたし、彼らの生活に触れたのも初めてで
したし、日本以外のアジアを見たことのない僕にはいい刺激となり
ました。
まず初めにルオンソンに行きました。ルオンソンに行くのにハノ
イから1時間半。車(トヨタのマイクロバス)では、川を渡り悪路
をこえて行けるところまで行き、途中から山に登ること2時間。ほ
とんどロッククライミングに近い状態の所もあったりしながらやっ
と上って、下りてやっと村に着くかというところで、村の子ども達
が出迎えてくれました。あんなにまわりを山に囲まれていたので
(中国の水墨画に出てくるような山に囲まれていた)、人々は閉鎖
的かと思ったら開放的でした。あんなにコミュニケーションがとれ
るとは思ってもみませんでした。それから他に思ったことは、電気
もガスも水道もない、そんななかで人々は生き生きと暮らしていた、
子供たちの目はやさしかった、そんな感じに思えました。そこで日
本の子供たちはどうかと思ったわけです。情報化社会にのみこまれ、
豊かさに埋もれ、光を失っている子供が多いのではないかと思いま
す。例えば自分のやりたいことが見つからなくて犯罪に走ったり、
そんな子供たちを思い出し「文明は本当に必要なのか」と思いまし
た。それからその山道を歩いて長さ3メートル、重さ50キログラ
ムもある材木を街に売りに行く女の子達に会いました。あの材木を
売って3ドルというのは本当に驚きました。バイトをやっていたと
きに時給が安いと嘆いていた自分が恥ずかしいと思いました。
次にビンミン小学校で思ったことです。ビンミン小学校では障害
児と健常児が一緒に学習してました。しかし、校舎をまわっていた
ときにどんな障害を持つ子供がいるかなと思って見てましたが(障
害を持つ子供と持たない子供が一緒に学ぶシステムに興味をもって
いたので)、目に見て分かる障害児はトレーニングルームでリハビ
リをしていた子供たちとか一部だけでした。もっと重度な障害児が
いるのかと思ったらそんなでもなくちょっとがっかりしました。と
いうのはやはり障害者と健常者を分けて考える日本ではあり得ない
ことだから進んでいるシステムだなと考えていたからです。しかし
重度障害児が受け入れられないのは話を聞いてみるとしょうがない
なとは思いましたが。
次にハノイ市内でお買い物です。いろいろなものを売りにきまし
た。切手、絵葉書、ナイフ、笠・・・。僕らの年代が生きるために
働く、日本では考えられないこと。毎日遊んでいる自分が恥ずかし
くなってきます。
そしてフエに飛びました。フエでは子どもの家に行きました。子
どもの家は、4年前に東京で小学校の先生をしていた小山道夫さん
が単身ベトナムに渡り、ストリートチルドレンの救済のためつくっ
た家です。ここではこんな事を感じました。知的障害で警備員を将
来やらせようかと(小山さんが)言っていた子供が僕になついてく
れた。人になつけるほどおだやかになったんだなあと思いこんな施
設がもっと増えることを願いました。というのは小山さんが言うに
はこの施設にきたばっかりの子供は精神的にとんがっているらしい。
こんな年代から人に頼れない・甘えられないなんてあまりにもかわ
いそうだと思います。また自分がいかにいい生活をしてるかを改め
て思い知らされました。
そしてホテルに戻り伊藤さん夫妻の話を聞きました。伊藤さん夫
妻はJVC(日本国際ボランティアセンター)の職員(JVC:農
村開発・生活改善・森林保全・村落開発・職業訓練・地域開発活動・
医療支援・人権平和活動等を行っているNGOです)で、ベトナム
で農業指導をしています。伊藤さんの話を聞き思ったことは、小山
さんもそうですが日本から見ず知らずの土地に行って、訳の分から
ない言葉に囲まれながら作業・仕事をする。そこには相当な努力が
あったと思います。言葉が通じないと仕事にも支障をきたすし、語
学については血の出るような努力をしたのでしょう。それでも人を
助けたいという心に感動しました。とともに何も今まで活動してい
なかった自分が恥ずかしいと思いました。
次に、フエの世界遺産を見に行きました。フエの世界遺産は「フ
エの建造物群」といって皇帝が住んでました。ここは暑かったこと
しか記憶にありません。相当体力をここで消耗しました。ただ、ア
メリカの爪痕があちこちにあった事は覚えてます。
今度は、フエ青年協会の識字教室に行きました。子供たちが裸足
で歩いてる教室のまわりには、カミソリの刃が落ちていました。識
字教室自体を開くことも大切ですが、その環境を整え、生徒たちが
安全に学習できるような環境を造ることも大切だと思いました。
そしてそのあとにフエの大学生が支えているストリートチルドレン
の保護施設に行きました。たとえ犯罪者でもドアを開けて待ってい
るといったことにすごいなと思いました。日本だと犯罪者というと
どうしてもいいイメージがありません。でもこの言葉の裏には生き
るために仕方なく犯罪をしてしまうという子供が多いということが
隠されているのかなと思いました。
その夜ボートに乗り、伝統音楽を聴きました。船から身を乗り出
して空を見上げれば、あたりにネオンの光があったため満天の星と
いうわけではなかったがオリオン座が見えました。東京でも見える
星座がここでも見えるんだなーと感動しました。そして大阪でのブ
イチトルンさん(出発前に大阪で事前学習会をしたときに、話をし
て下さった人)の話を思い出しました。この海がベトナムに続いて
いるという話。空を見上げながらこの空は東京に続いているんだなー
と思うと地球って案外せまいのかなと思いました。それでも今回の
旅行までベトナムのことは名前しか知りませんでした。もっと他国
に目を向ける必要性を感じました。
次は、ホーチミンに移動しました。移動してはじめていったのは
NAAEの識字教室でした。ヤシの実をここでいただきました。僕
らのためにあんなにしていただけるなんてありがたい限りです。彼
らはどんな気持ちで僕らを迎え、話をし、質問を受け、学校を見学
させたのでしょうか。もっとこのことについて考える必要があった
なと思いました。また、女性が一生懸命学習して子供にそれを伝え
るというのは大切なことだと思いました。子供の非識字率もそれに
よって減少するだろうからです。
次に、戦争犯罪博物館を見学しました。ここではアメリカ軍が行っ
た残虐な行為によって生まれた奇形児のホルマリン漬けが印象に残っ
ています。死んでも生かされるのはかわいそうだと思いました。ま
た、あそこに彼らを展示しなければならない現状を悲しく思いまし
た。また、原爆もそうですが生きている人を殺す上に、新しい生命
にも影響をもたらす兵器を使ったことに悲しみを感じました。しか
しアメリカはあそこまでする必要はなかったのにと思います。僕ら
がいえることではないかもしれないですけど(日本も他国に対し残
虐な行為をしているのでアメリカのことはいえないかもしれません
が)。
次に市場で買い物でした。一緒に歩く人もいなかったので1人で
市場を物色していると1人の子供がきて日本語でいいました。「バッ
クは危ないよ」と。そして僕のあとをついてくるのです。そして
「何が欲しい?」と聞くのです。適当にバックとかいったらその店
につれていくのです。そしてしきりに買わせようとするのです。次
には「案内してあげるから僕に扇子を買って欲しい。たったの1ド
ルだからいいでしょう。安いじゃない。」というのです。いかに日
本人が他国に金をばらまいているか分かりますよね。彼は日本人が
金を持っているということを知らされ、日本人を相手にお金をもら
うためにだいたい市場にある店舗を覚え、商売に使う日本語を覚え
たわけですね。すごい世界ですよね。僕らは最低でも3年間は英語
を勉強します。それでも英語を満足に話せないのに、彼は(小学生
ぐらいだと思いますが)自分がいきるために、家族の店舗の売り上
げを伸ばすために独学で勉強したのでしょう。これにはもう脱帽で
す。でもこうなってしまったのはなぜかということを私達はもっと
考える必要性を感じました。あなたは何故だと思いますか?
次は、クチトンネルに行く途中に参加者の人から主にベトナム戦
争について話を聞きました。特に印象に残ったこと1つ目は、あと
でその話してくれた人がちょっともらしたアメリカだけでなく、日
本人がベトナムにした行為(日本の占領下であったとき日本軍が米
を奪ったため、ベトナム人200万人が餓死)についてです。今日
の日本の経済があるのは朝鮮戦争とベトナム戦争が背景にあること
は知っていました。しかし、日本が直接ベトナムに手を出していた
とは思いもしませんでした。2つ目は、アメリカのアーティストの
活動についてです。今この感想も Bob Dylan の「Blowin' in the
wind(風に吹かれて)」を聞きながら書いています。「何回弾丸の
雨がふったなら永遠に武器は禁止されるのか?」とボブディランは
訴えてます。他にもサイモン&ガーファンクルが「7O' Clock News
/ Silent Night(7時のニュース/きよしこの夜)」という歌の中
でベトナム戦争のことを歌ってます。有名なアーティストが叫んで
いる中、民主主義の国アメリカが戦争を続けたのは僕にとって信じ
られない事実となりました。そしてその人が言った「アメリカは兵
器を実験目的で使った」ということも印象に残っています。
次には、クチトンネルに行きました。ベトナム人は戦争の時に全
長200kmとも250kmとも言われるトンネルを掘り、そこで生活
をしてました。それが「ベトコンゲリラ」です。トンネルの中には
会議室、娯楽室(映画など)、生活部屋・・・生活するには何不自
由ないほど色々なものが揃ってました。しかし、どんなに快適に過
ごせても、日の光に当たれないというのはどんなにつらいことでしょ
う。そのうえアメリカ軍の爆撃をうけていたわけですから彼らのス
トレスは、相当たまっていたことと思います。それでもアメリカに
勝った彼らはすごいと思います。すごいの一言で片づかないほどで
す。
次に、博物館に行き水上人形劇を見ました。水の上の人形を後ろ
で操り劇をします。あの劇は何を表現していたのだろう。僕はおも
しろいと笑っていただけです。知ろうともしませんでした。これは
大変いけないことであると今になって反省してます。後日知ったの
ですが、フン・ヴォン(日本で言えば「日本武尊」にあたる人)の
神話をもとにした水上人形劇が行われているようです。しかし僕ら
が見た劇がそれかどうかは分かりません。もっと勉強していくべき
でした。
そして帰国しました。17日は僕の誕生日でした。素晴らしい誕
生日プレゼントをくれたのが名古屋ユ協です。17日に名古屋に行
きスタディーツアーの様子を発表してきました。聞きに来てくれた
人のほとんどが社会人で質疑応答の時間にこっちはどんな質問がく
るのかなと思い胸が高鳴りつつあったのですが、来た質問といえば
「天皇陛下が・・・」とか「書き損じはがきはどこに送れば・・・」
等、今聞かなくてもいい質問や、全く関係のない質問ばかりで少し
拍子抜けしてしまいました。何を聞きに来たんですかって、聞きた
くなるくらい。でも足を運んでくれただけでもありがたいのですが、
もうちょっとこの現状を日本国民が理解し、適切な支援・提供など
ができればと思いました。
帰国して思ったこと、発表などで話したこと等でここまで書かな
かったことを以下にいくつか書きました。
・いろいろな恵みを受け生きている僕らは大変幸せであると思いま
した。今まで僕らはそういったことを考えなさすぎた。
・今テレビからLove Songが流れている。日本は社会を批判するよう
な歌があまりかからない。これも裕福な証拠。そしてそういった
ことに関心のない証拠。
・日本の子供たちとベトナムの子どもたちと比べ彼らのほうが一生
懸命生きている
・向こうの子供の目は日本の子供に比べ優しかったように思う。
・日本の子供は優しさ・思いやりが豊かさに埋もれている。
・日本の生活水準の高さを改めて実感した。こういう環境に生きて
る中でやっぱり自分が豊かであるということは分からない。いか
に自分が豊かということを認識しそれで今後の生活を自分のため
になるような今だけ生きれればいいやというようなそんな考えを
改める。僕らには明日が保証されている。学習できる喜び、自分
が今生きている環境を見つめ直しそして明日にそれをつなげ自分
の人生を形成していく。
今回のツアーは色々な人の力により成功しました。その全ての人
に感謝します。
また、これをお読みいただいたあなたにも感謝します。
最後に、
こんな話をしても実際に見ないと他の世界の出来事で自分には関係
ないと思われるかもしれない。でも決して忘れないで下さい。以下
の言葉を。
「皆さんに言いたい。この平和な国で朝、目を覚まされるとき、こ
の平和が当然なことと思わないでください。また正義の享受は当
たり前のことと思わないでください。それらがすべての国にある
わけではないのです。」
「忘れてはならないことが二つあります。(ひとつは)過去を記憶
すること、私達が現在の生活をかちうるためにどれだけの犠牲が
はらわれたことか。(そして)つねに他者と自らを比較し相手か
ら学ぶこと。私自身も開発の遅れた厳しい国に生きる若者たちか
らたくさんのことを教えられています。」
(ユネスコ本部事務局長 フェデリコ・マヨール・サラゴーサさん)
そして考えてみて下さい。いまの自分を。いまの社会を。
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