[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪ しゃべりたいベトナム ♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ 第三号 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
【しゃべりたいベトナム】Vol.3 by kurita
389人のしゃべったらベトナム人の方にお送りしています。
♪ ♪ ♪
だれにでも“しゃべりたいベトナム”がある
Bardamu de "La voyage au bout de la nuit"
はじめに。
著作権および文責は原稿をお寄せくださったかたに属しています。
ご意見、ご感想、ご質問などありましたら、ぜひとも本文著作者、
または“しゃべるならベトナム語”宛てにお寄せくださるようお願
いいたします。
僕もそうだけどたいていの人は日常性の洪水のなかで記号化された
飛び石をつたってなんとかおぼれずに生きている。
でもときどきは、小さかったころの世界がそうであったような、あ
らゆる感性が言葉になる以前にそこにあった広がりのなかに戻って
いきたくなる。
ある画家の絵に吸いよせられていくときはそういうのに近いのかも
しれない。
kuritaさんの文を読んでそう思った。
なんでもないと思っているときでも、深いところを。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
スピリチュアルな画家
ベトナムに行ったことのある人なら、多分殆どの人が目にしてい
ると思う光景がある。それは例えばブイ・ヴィエン通り周辺で。ベ
トナムにありがちな鰻の寝所のような薄暗い部屋で、何人もの人が
汗水をたらしながら絵筆をふるっている。彼らの周り、そして部屋
中には夥しいキャンバスが立て掛けられている。絵画工房のようだ
けれど、よくみるとそれらの殆どはどこかで見たことのあるような
絵ばかりだ。しかも記憶にあるものより、ずっと色が濁っていて、
デッサンも拙い。一瞥して通りすぎると、また同じ光景にあう。も
しや先刻のは幻かと思って振り返ると、やっぱりそれは幻ではなく
てそこにあって、やれやれと思って歩きだすと、また同じ光景が。
これは一体なんなんだろう?彼ら、何十人もの彼らは何だって同じ
ような色彩で、同じような場所で、同じような大きさの、同じよう
なちょっとお世辞にも上手いとは言えない模写を描き続けているん
だろ。
これが私のベトナム美術シーン(?)に遭遇した第一印象だった。
そんなわけでベトナムの現代美術になんかちっとも期待していな
かったのだけれど、ある日何気なく立ち寄ったサイゴンの本屋で私
は出会ってしまった。ホン・ヴィエット・ズンに!
彼(Hong Viet Dung 残念ながら手元に資料がなくて声調が不明で
す。)はハノイの美大出身の油絵画家で、実は結構その道では知ら
れているということを後から知ったのだけれど、とにかく彼の絵は
素晴らしくスピリチュアルな魅力に満ちている。まだ実物は観たこ
とがないのだけれど、それほど印刷の良くないベトナムの美術雑誌
に載っていた絵は本当に魅力的で、それまですごい勢いでページを
捲っていた手がすっかり止まって、ちょっとぼうっとなってしまう
位素敵だった。
赤茶けた煉瓦をソフトパステルにしてはたきつけたようなのっぺ
りして柔らかみのある色を背景に、パーム椰子らしい葉を持った白
い服の少年僧らしい人物が横を向いて立っている。画面は全体的に
同系色の色彩で彩られていて、輪郭は何もかもが曖昧だ。少年僧は
こちらに表情を見せない程度にほんの少し俯きかげんで、手にした
葉が翼のようにも見える。背景はどこまでも続いているようで、広
い空間にぽっかりと人物が浮いているような孤独な感じもするけれ
ど、本当のところはそういった感情というレベルからはずっと遠い
ところに存在しているような気もする。
この感覚は何処かで以前にも感じたことがあると思って、か弱い
脳みその記憶の糸を辿ってみると、思い当たったものがある。現代
日本画だ。
東山魁夷や高山辰雄が描いたいくつかの作品。例えば有名な『青
響』や『食べる』など。緑とも青ともつかない、山そのものが何か
別の生き物であるかのように描かれた、白く蒼くけぶった風景、赤
茶けた平面的ではあるけれど羊水を思わせる豊かな背景に、まるで
空中に浮かんでいるようなポーズで卓袱台に向かい、茶碗を手にし
た子供。(あるいは羊水に浮かぶ胎児のイメージであったりするか
も知れない。)そういった絵を見ていると、画面に描かれたものの
奥に強烈な、けれども静寂に満ちた「何か」が見えそうな気がする
ことがある。その「何か」が、ホン・ヴィエット・ズンの油彩の中
にも強烈に感じられる。
高山辰雄は自分の絵について、「個性を大事にして表現するとい
うのではなく、全てのものに共通する何かを描きたい。そしてそれ
らは自分が存在している場所から立ち上ってくるものでなければな
らない。」と語っているけれど、高山、東山、ホンの三者は共にそ
の全てのものに共通する「何か」を描いているのではないかと思わ
せる。絵柄はそれぞれ三者三様であるのだけれど、画布(紙)に彩
色された奥にあるものを探ろうとすると、どうも少なくとも私には
同じものが見えてしまう気がするのだ。
先程の二人の他にも伊東俊平(この人は日本では珍しく想像力の
ある西洋画家だと思うんだけど)という、こちらもかなりスピリチュ
アルな絵をかく画家がいるのだが、彼の絵はそのどれもが深い意識
の底に下りていくような印象を見るものに与えていて、展覧会をや
ると不眠症の人達が「なんだかこの絵を見ていると、眠れそうな気
がするんです」と買って行くことが多いと聞いたことがある。彼ら
がホン・ヴィエット・ズンの絵を見たら、きっと同じことをいうだ
ろうという気がする。
ホンの作品は他にも、ノン・ラーを被って蓮の華をもった黒いア
オザイの女性とか(ノン・ラーに黒いアオザイとくればお婆さんだ
けど、絵ではどうも若い女性のように見える)、粗末な法衣をまとっ
た僧侶なんかをよく描いていて、どの絵も人物は大抵一人きりでぽ
つんと無表情か、表情がわからないように立っている。その姿は何
のアクションも起こしてはいないけれど、見るものをどこか遠いと
ころへ誘っているようで、私は強烈に惹き付けられ、しばし夢心地
になってしまう。本当に魅力的だ。
ここまでたらたらと続く文章を読んでくれた人は、きっとホン・
ヴィエット・ズンの絵に多少でも興味を持ってくれた人だと思うの
で、もしハノイに行くことがあったら、タン・ロン・ギャラリー
(Ta(ng Long Gallery)に行ってみて下さい。本物が見られる筈で
すから。かくいう私も今年の年末には、彼の絵を見にそこに行く予
定です。楽しみ楽しみ。
でもそれほど熱心な美術愛好家でもない私にそう思わせるような
画家がいるなら、ベトナムの美術状況も実は私がブイ・ヴィエン通
りで脱力感に襲われたほど、実際には悪い状況ではないのかも知れ
ない。という淡い期待を持って、これからの渡越を楽しみにしてい
るのだ。
Copyright © 1998 べベット All rights reserved.
Tu es le/la
e lecteur/lectrice.