[ BRIAN SETZER ]

1959年4月10日 NEW YORKにグレッチを持って産まれてきた男がいる。
ブラッドレスファラオスというバンドでキャリアをスタートさせた10代のBRIAN SETZERが、17歳の時に偶然ジュークボックスからきこえてきたジーン・ヴィンセントの「BE-BOP-A-LULA」を聴いてロカビリーにのめり込むことは偶然の運命だったといえようか?


1980年、リー・ロッカー(WB)とスリムジム・ファントム(Dr)と共に古き良きロカビリーミュージックを再現した伝説的バンド「STRAY CATS」を結成。が、NEW YORKではロカビリーに対して敷居は高く、路頭に迷う結果となった。
そんな彼らを認めたのは本国アメリカよりイギリスの方だった。グレッチ6120をひっさげ、ロカビリーなんだが、どこかジャジーなブライアンのギターは、そのテクと創造性で話題を呼び、イギリスで精力的にギグを行った彼らを争奪戦の末にARISTAレーベルがGET。

『STRAY CATS』でついにメジャーデビューを果たした。いまだにライヴでもPLAYする「RUNAWAY BOYS」、80年代を代表するといっても過言ではないヒット曲「ROCK THIS TOWN」等、1STアルバムが残した衝撃は計り知れない。 2ND『GONNA BALL』3RD『RANTN'RAVE WITH THE STRAY CATS』、アメリカデビューである『BUILT FOR SPEED』を発表後、83年STRAY CATSは解散を余儀なくされた。

ブライアンもリーもスリムジムもそれぞれの道を歩み、SOLO作品を精力的に発表。しかしその作品のいずれもが、ロカビリーやロック主体の彼らとは切っても切れない物であったことはいうまでもない。そんな彼らが時を経て88年に再結成するのはそう不思議なことでもなかっただろう。

BRIAN SETZERの凡人とは違うところはここからだ。STRAY CATS再結成からしばらくすると、94年『BRIAN SETZER ORCHESTRA』を世に放った。これは彼にとって特別なアルバムで、いままでSTRAY CATSに対してやはり総じて冷たかったといわざるを得ない世間の反応に対して一石を投じるBRIANの起死回生でもあるプロジェクトなのだ。


ORCHESTRAと冠しているとおり、16人編成のホーン隊&BRIANのギターという、幼少の頃まさに「BRIANがやりたかったこと」である。ロカビリーにスウィングをミックス、これは未だかつて体験したことのないサウンドに仕上がったのだ。この1STも2ND『GUITAR SLINGER』も衝撃的ではあったが、その衝撃度とセールスは必ずしも比例はしないようであった。
しかしBRIANは確固たるビジョンを持っていた。98年そのビジョンがついに具現化する。なんと2曲ものグラミー受賞曲を排出する記念碑的アルバム3RD『DIRTY BOOGIE』を世間は認めネオ・スウィング・ブームを瞬く間に巻き起こした。4TH『VAVOOM!』を発表する頃にはグラミー常連と化しているほどの大出世ぶりだ。

 さらにBRIANの凄い一面は、そこでもバンドの基本であるトリオでのロックンロールを忘れない。「68 COMEBACK SPECIAL」はORCHESTRAのリズム隊、バーニー・ドラセル(Dr)とマーク・ウィンチェスター(WB)が結成した純粋なトリオロカビリーバンド。そして2004夏にはやはり原点であるSTRAY CATSを再々結成させて欧州ツアーを敢行している。

これだけのパワーとエネルギーはまさに敬服せざるを得ない。どこからわき上がるのか?BRIAN SETZERは本当にロカビリーとはじめとした音楽を愛している。
いつまで経っても、はじめてジーン・ヴィンセントがジュークボックスから流れてきたときの純粋な少年の心の輝きを持ったギターキッズなのだろう。



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