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中山道19
中山道20
中山道21(終りの一歩)
中山道を歩く 第19歩
鳥居本〜高宮〜愛知川〜(五個荘)〜武佐〜守山〜草津〜(石山) 2009/4/3.4.5
いよいよ近江路に入った。
今回の隊列は、会長さん、Nさん、Pさん、隊長、二日目からはH谷さんも加わり、にぎやかに近江路を歩く。
今回、桜吹雪の中を歩こう!という会長さんの希望で、4月の第一週を選んだわけだが、どうも様子が違った。
3月の末頃より冬に逆戻りの天候が続き、近江路の桜はまだまだ、3分、5分といったところか。
私、隊長は、前日より彦根入りし、彦根城を午前中に見学したが、満開にはまだまだ道のりは遠そうだった。
近江鉄道 鳥居本駅 12:17集合
隊長の待つ、鳥居本駅に、かわいい電車が到着した。いざ、出発!

宿場の終わりに「左 中山道 右 彦根道」の道標あり。のどかな田園地帯を進む。

小野塚(小野の小町の出生地という言い伝え) 床山八幡宮(芭蕉ゆかりの昼寝塚)
ひるかほに ひるねせうもの とこのやま 芭蕉


石清水八幡宮と常夜灯 隊列はここで休憩をとる。桜がまだつぼみで、少し残念。

近江鉄道の踏み切りを渡り高宮宿に入る。

高宮神社 桜が美しい。

多賀神社の大鳥居(大社まではここから約3km) 常夜灯


芭蕉の紙子塚 たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子 芭蕉
1684年の冬、縁あって小林家三代目の許しで一泊した芭蕉は、
自分が横になっている姿の絵を描いてこの句を詠んだ。紙子とは紙で作った衣服のこと。
円照寺 (家康公 腰かけ石)

むちん橋(高宮橋)までが宿場である。

松並木が続く

「またおいでやす」 ふりかえれば 「おいでやす」
鳥居本宿入り口で迎えられ、ここで彦根市を出ることになる。

出町、四十九院、と過ぎ、豊郷小学校あたりには立場があったという。

間の宿 石畑 に入る。
隊列はトイレをさがして、くれない公園までに立ち寄るも、トイレは無い!
豊郷駅近くの墓地公園にトイレを見つけ、休憩をとる。近江路はトイレや休憩所が少ない。
中山道を観光として取り上げるなら、美濃路や木曽路を見習うべきだ。
おばさんは少し怒っています。

伊藤忠兵衛の生家 見学できないものか、中を覗き込む隊列。金曜日が休館とは!

一里塚跡のある又十屋敷 江洲音頭発祥地の碑

宇曽川と歌詰橋 将門首塚
その昔、殺された平将門の首が、この橋まで追いかけてきた。
この「首」に対して歌を一首、と言ったところ、歌に詰まり、首は橋に落ちたという。

本日の目的地、近江鉄道 愛知川駅 到着 愛知川 16:56〜彦根

2009/4/3 彦根ステーションホテル 泊
4月4日(土曜日) 彦根 8:05 〜 愛知川 8:25 到着。空模様が怪しい。
愛知川駅前では、朝取りの野菜が売られていた。

八幡神社 高札場跡 竹平楼(料理屋)

祇園社 常夜灯 御幸橋を渡る

橋を渡って左折、堤防の上の道を200mほど進み、常夜灯を右へ下り、近江鉄道の踏み切りを越える。
追分 道標 「右京みち 左いせひの八日市みち」
隊列は、五個荘の集落に入ってきた。
ここで、隊列は中山道から離れて、会長さんの希望で、「てんびんの里 金堂集落」に寄り道することになった。

近江商人の町並み 入り口には大城神社があり、りっぱな屋敷が続く


近江商人屋敷 外村繁邸、外村宇兵衛邸、中江準五郎邸を見学する
古くから伝わる雛人形、さまざまな人形が飾られていた。

民家を改造した、「たなか」で昼食をとる。
手打ちのうどん、定食、品の良い味付けでたいへんよろしいが、少し寒い。


雨が本降りになってきた。隊列は金堂の集落を抜け、中山道に合流する。
近江牛のコロッケ すぐ揚がります の看板が気になりながら、先を急ぐのだった。

清水鼻の名水 少し雨宿りをしつつ、先に進み、国道8号に合流する。
新幹線をくぐり、国道8号を強引に渡り、左 奥石(おいそ)神社参道に曲がる

鎌若宮神社

武佐神社 武佐宿に入る。

脇本陣跡 旅籠 中村屋 本陣跡


道標 近江鉄道 武佐駅

雨は降り続いた。六枚橋交差点まで、国道を歩く。
交差点を左へ、旧道に入り、しかし住蓮坊首洗池を通り過ぎてしまう。

道に迷いながらも、善光寺川の土手を行き、橋を渡って国道を進む


道はしだいに緩い上り坂となる。源義経宿泊の館跡

雨は本降り。会長さんはずぶぬれとなり、一足先に道の駅で休憩していると。
ここは鏡神社 義経元服の松 がある。

道の駅 かがみの里 暖かいコーヒーで休憩する。雨は強くなっている。

平宗盛終焉の地 蛙不鳴池(かわずなかずのいけ)

篠原神社あたりで国道から離れ、右の旧道へ。辻町に出る。

本日の目的地 JR野洲駅 まで、まだまだ距離があるのか。
犬の散歩のご婦人に道をたずねても、はっきりしない。
予定の時間はとっくに過ぎていて、あたりは雨のせいか、薄暗くなってきている。
桜生史跡公園 ここから、野洲駅まで、飽きるほど長かった。

ガードをくぐり、駅前通りに出て、やっと、目的地 JR野洲駅を確認した。
18:00は過ぎていた。隊列は東海道線で、彦根までもどる。約20分で彦根着。
駅前の居酒屋 彦一 で、濡れた身体を温め、打ち上げをする。
途中、五個荘の近江商人町並みへの寄り道もあって、かなりの距離の歩行であった。

2009/4/4 彦根ステーションホテル 泊
4月5日(日) 彦根 8:08 JR東海道線にて 野洲 8:29
昨日とはうってかわって、晴れ模様。ありがたい。

野洲駅から、少し近道を通って、中仙道に出る

蓮照寺 境内に道標がある。古い雰囲気の商店街を通り、野洲川橋を渡る。

道標 「すぐいしべ道」 守山宿に入る。

本陣跡 ろうそく屋 おみやげに、赤と白のろうそくを2本買う。

今宿一里塚跡 滋賀県下で唯一の一里塚跡 エノキの大木が残る。

えんま堂をのぞきこむ隊列。公園で休憩をとる。みかんを食べる。

大宝神社 へそむらの まだ麦青し 春のくれ 芭蕉

線路に沿った道をしばらく進み、天井の低い歩行者用トンネルを抜けると、草津宿に入る。

伊砂砂神社(重要文化財 応仁) 手を合わせつつ、休憩する。
Pさんのスペインみやげのチョリソーが、満を持してサーブされる。ゴチ!

アーケード街を通る。日曜日のせいだろうか、シャッターも目立つ。

割烹 天井川 にて、お花見弁当コーヒー付き をいただきました。
ちょうどその時、今回欠席の隊員Mさんが電話で北朝鮮のテポドン発射を知らせてくれました。
すでに日本上空を通り過ぎたというので、まずは安心。

川の下をトンネルでくぐると、追分の道標 「右 東海道いせみち 左 中仙道美のぢ」
川が道路より高い所を流れているという、天井川、川の両岸は桜で美しかった。
ここでは、本陣跡が公開されている。

さびれたアーケード街を過ぎると、立木神社に出る。

境内には移築された追分道標がある。

民家の軒下に道標あり。やがて、国道1号と合流する。野呂の一里塚跡

草津宿で中仙道は東海道と合流する。
ここより、隊列は東海道の標識を見ながら京都三条を目指すことになる。

民家の庭に入ると、清宗塚がある。野呂の玉川 休憩をとる。

弁天池には弁財天が祭られている。「ここから大津」の標識

一里塚跡の石碑のある交差点を渡り

標識に従って、何回か角を曲がりながら

建部大社だとすっかりまちがえた、建部大社末社 わざわざ階段を登り、手を合わす
集合写真まで、ここで写してしまう。いやはや

道を下ると、ほんものの建部大社を発見。
疲労した身体に鞭打ち、参道を進む

お参りをすませ、瀬田の唐橋に出る。

穏やかな春の日、波も静かな琵琶湖である。

橋を渡って石山の市街地に入り、本日の目的地 JR石山駅 へ到着。時間は4時。


JR東海道線にて、石山〜京都 約15分
京都駅駅ビル地下 かんじん堂 で、打ち上げ
会長さんは、このあと、ご友人と夜桜見物@二条城
H谷さん、Nさん、Pさんは、タクシーにて夜桜めぐり
その後 H谷さんは神戸へ、Nさんは東京へ、
Pさんは京都泊の翌日吉野の桜見物
さて私、隊長は夜桜に後ろ髪をひかれつつ
京都 17:56ひかり〜静岡〜ふじかわ号〜甲府 21:51
2009/4/5
中山道を歩く 第20歩
倉本〜須原〜野尻〜三留野〜妻籠〜馬籠〜落合〜中津川 2009/7/18.19.20
海の日の連休は、木曽路である。
昨年の連休に、奈良井、鳥居峠越え、そして木曽義仲ゆかりの地を進み、JR倉本駅まで進んだのだった。
あまりの猛暑に、須原までの予定をくり上げ、途中、無人駅 倉本で脱落したため、今回は、その無人駅 倉本からの出発となった。
新宿発8:00ちょうどの「あずさ」、会長、Nさん、Pさんが乗り込み、
途中、甲府からホットコーヒーの差し入れを持って、私、隊長が合流、今回のメンバーは4人である。
塩尻で中央西線に乗り換え、倉本駅到着は 12:03 であった。
無人の駅舎は、おばさんたちにはとても都合がよい。
そういえば、昨年は、ここで汗で汚れた洋服を着替えた、そして今年は、ここでお昼を取ることになった。
手作りのおむすびや、つけもの、ゆでたまごまで、しっかり腹ごしらえをして、いざ出発!
駅の裏側に回り、国道19号線からは離れる。
ひまわりがいっせいにこちらを向いて歓迎してくれた。

のどかな山間を進む。

やがて、 水船の里 須原宿 の標識に従って、左へ、須原駅前に出る。

桜の花漬で有名な 大和屋 の前で、しばし立ち止まる隊列。
買うのか?買わないのか?
入るのか?入らないのか?
お店に人気がないので、そのまま立ち去ってしまったが、少し後悔しているメンバーもいるかもしれない。

海の日の木曽路と言えば、お祭りである。
昨年は、原野でばったりお祭りと出っくわしたが、今年も偶然、ここ須原で祭りに出会った。
男たちの激しい御輿が練り歩く。どうやら有名なお祭りらしい。
一里塚跡と本陣跡

水舟と西尾酒造店
須原宿には道なりにいくつもの水船が置かれている。
裏山からの湧き水を、檜の大木をくりぬいた水槽に溜めて共同井戸として利用しているという。
もちろん飲料水としても飲めるので、私たちののどを潤してくれたのだった。

ここの神社のお祭りらしい。

祭りであることをのぞけば、それは静かな宿場である。
祭りは夜まで続くという、「夜まで見ていかないか?」、すでにできあがった祭り男の誘いに後ろ髪をひかれつつ、
隊列は先をいそいだ。

定勝寺(じょうしょうじ)桃山時代の建築で重要文化財となっている。

境内もきれいに手入れされている。隊列はここで少し休憩を取った。

踏み切りを渡り、伊奈川橋に向かう

崖の上の岩出観音堂をめざす。

木曽路は山の中。大島橋の手前で左折、国道からはずいぶん離れて山の中へ進む。
このあたり、標識も無く、道が正しいのかどうか不安になりながら、天長院をめざす。

天長院にて休憩。さまざまな表情のお地蔵さんに心休まる。

カシワバあじさいがまだ満開。道の両側はいろいろな草花が手入れされ、美しい木曽路である。
かつて間の宿であった弓矢集落を抜け、右にJR大桑駅を過ぎ、国道19号に合流。

この日の宿泊地 大桑 ビジネス旅館 関山 0264-55-3230 に到着。
廃墟かと思い通り過ぎたところ、隣にドライブイン関山を発見。
中から、女将さんが出てきて「いらっしゃいませ。入り口はアチラです」と指示された入り口は、
さきほど通り過ぎた、ほとんど非常口な入り口であった。すこ〜しびっくり、かな〜り不安
この日の宿泊者は我が隊列のみ。さっそくお風呂で汗を流し、広間での宴会となった。
ビールは冷えていた。まずは、めでたし。
雨の音なのか、川の音なのか。水の音とともに眠りにつきました。2009/7/18

翌7月19日(日)雨は上がっているようだ。しっかりと朝食を取り、隊列は国道を野尻方面に出発した。
すぐに道の駅 大桑 を発見。しかし朝早いため、まだ開店しておらず、
ここでおみやげでも、、と予定していた隊列は、残念無念に立ち寄ることなく、先に進んだ。

国道から離れ、踏み切りを渡り、野尻宿へ向かう。

東のはずれ→脇本陣跡→本陣跡→西のはずれ
この順で歩いているはずだが、雨のためもあって、なんとなくスルーしてしまった野尻宿である。


野尻をあとに、中央線の線路に沿ってしばらく進み、
国道に出て、十二兼の駅舎をめざす。
無人駅で休憩を取るという知恵がついている隊列。
トイレもお借りしました。


明治天皇小休止所 このあと国道と合流し、いくつかの小さな集落を抜ける。
当時はこのあたりが木曽路の最大の難所だったという。

羅天桟道(らてんかけはし)→与川渡橋 →金知屋集落を経て、国道から左へ抜ける
中央線ガードをくぐり、三留野宿へと向かう

本陣跡

このあたりもお祭りなのだろうか、玄関に並ぶ赤いはなおがかわいい。常夜灯

梨沢橋を渡り、南木曽小学校 標識に従って旧道に入っていく。

お昼になり、隊列は中山道を離れて、食堂を求めて、南木曽駅方面へと降りてゆく。
そこで子供御輿に出会った。
桃介橋の入り口に、うなぎ屋さんを発見するも、予約でいっぱいとのこと、断られ、
隊列は食堂を求めて、国道に降りたり、駅に向かったり。なかなか食を見つけるのはむずかしい。

南木曽駅 結局、隊列は近くのスーパーで、おにぎりとパンを買い、駅舎での昼食となった。
ついでにトイレもお借りする。木曽路ではたびたびの駅舎に感謝である。

予定では、ここで会長さんは隊列を離れ、奈良井経由東京へともどる予定だったが
時間が早かったため、妻籠まで同行することとなった。それもうれしい。
駅からは妻籠まで標識、案内が数多くあり、迷うことはない。

のどかな山里を歩く。巴御前ゆかりの振袖松
ところが近年老木となり、切られてそれが大きな水船にと変わっていた。

上久保の一里塚
「一里塚は慶長9年(1604)から17年(1612)にかけて、一里ごとに築造されたものである。
一里塚の基準は、五間四方、高さ一丈で、塚上に榎や松を植えた。
街道の両脇に対に築造され、旅人に安息と利便を与えた。
町内には十二兼、金知屋、上久保、下り谷の四ヶ所に一里塚があったが、現在原形をとどめているのはここだけである。
江戸から数えて七十八里めの塚である。」

妻籠城跡

左へ行けば大平峠を越えて隊長の出身地飯田へと続く道。隊列はいよいよ妻籠宿に入っていく。

鯉岩 鯉の形に似た岩であったらしいが、よくわからない。。。。。高札場

このあたりから観光客のにぎわいが見えてくる。

会長さんとここでお別れし、Pさん、Nさん、隊長の3人は、このあと妻籠宿を散策する。
お店をのぞきつつ、百草丸、スカーフ、のれん、などなどお買い物にいそがしい。

本陣跡、脇本陣 奥谷、歴史資料館 を見学。
雨がゲリラ的に降ったりやんだり、あまやどりもかねて、しっかりと見学する。


この日のお宿は 松代屋 0264-57-3022
お風呂、トイレとも改装してあって快適でした。ビールで乾杯!
もう一組の宿泊客は、中年男性2人中国語を話す女性3人の団体、、、怪しくも楽しそうだ。

2009/7/19
明けて7月20日(月)空は、きれいに晴れている。
昨日の観光客のにぎわいがうそのように、宿場は静かに朝を迎えた。

松代屋のお兄さんに見送られて、いざ、馬籠峠へ。

宿場を出て駐車場を通り過ぎ、しばらく進む。

大妻籠の集落に出る。国道と交わり、ここは飯田街道との追分である。
りっぱな卯建の民宿が並ぶ。

いよいよここから馬籠峠に向かって山道に入る。

下り谷集落 廃屋もあるが、おばあさんと犬一匹、休んでいた。
どのように暮らしているのだろう、あたりは森林と谷、川の音だけである。
木曽路はすべて山の中である。 倉科祖霊社

吉川英治の「宮本武蔵」に出てくる滝。 男滝 女滝 うむ。これは、涼しい。

滝上に茶屋があるが営業はされていなかった。再び、山道に入る。

樹齢300年の サワラの大木 ここで隊列は、ある知識職の男性と出会った。
彼はやおらリュックから聴診器を出し、(お〜っと)
「耳をすませてごらん。ほら、木の鼓動が聞こえるでしょ」
サワラの幹に聴診器を当て、隊員一人一人に、その脈々をした鼓動を聞かせてくれるのだった。
先生!ありがとうございます。
その辺り一帯は、人間の手の加えられていない昔からの森林地帯だそうである。

一石栃白木改番所跡 立場茶屋
ここでは無料で休憩できる。茶、梅干、冷えたキウリなど。トイレも利用できる。
水船からは冷たい水を補給した。ありがたい。そして馬籠峠である。

隊列は、その知識職の男性を先頭に、馬籠宿へと下った行った。
気持ちの良いハイキングコースである。


十返舎一九の歌碑
渋皮のむけし女は見えねども 栗のこはめしここ乃名物

隊列は男性に誘われるまま、茶屋に入り、休憩することになった。
コーヒー、私隊長はグラス一杯のビール、そして冷えたスイカ、枝豆、山菜のおしたしなどごちそうになりながら、しばらく話にはずむ。
知識職の先生は、ここのおなじみらしく、常連のお客様たちと歓談を始められ、
隊列は、トイレを借り、先生に深くお礼を言いつつ、先に店を出て馬籠へと向かうこととなった。
もちろん、おみやげに、栗おこわを1パック買うことは忘れていなかった。
しかし、ここでの休憩時間が後に電車の時間に向けての猛ダッシュにつながるとは、この時隊列は全く予想していなかった。
「妻籠から中津川なら、すぐですよ」という言葉を信じて、この日はずいぶんゆっくりと歩いていたのだった。

いよいよ馬籠宿に下りてゆく。高札場跡
恵盛庵(けいせいあん)にて、ざるそばで昼食を取る

ハイキングコースとはうってかわって、たくさんの観光客が訪れている
脇本陣資料館 大黒屋(いまでは土産物店となっているが、酒造りと金貸し)

藤村記念館(藤村の生家、島崎本陣跡)夜明け前などの原稿や初版本など展示されている


枡形を下れば宿場は終わり、ふたたび静かな中仙道が続くのだった

庚申 と 荒町集落

見晴らしのよい小公園で一休み。落合、中津川の町が眼下に広がる
桑の実の木曽路出ずれば穂麦かな 子規

送られつ送りつ果は木曽の秋 芭蕉
新茶屋の一里塚跡 「是より北 木曽路」の大きな石碑が建つ。
というわけで、隊列はここより美濃路を中津川に向かうことになる。
長い石畳の道がえんえんと隊列を待ち受けていた。

深い木立の中、急坂、下りである。十曲峠 苔むした石畳が滑りやすく危ない

石畳の終わる頃、医王寺へ到着。
落合までにはまだしばらく時間がかかりそうで、とにかく先を急ぐことにした。

やっとの思いで落合宿に入る。常夜灯 本陣跡(明治天皇小休所)

ここから中津川までは道路に化粧舗装がなされていて、その道がすなわち中仙道。
迷うことなく進んでゆくのだが、これが思いのほか大変な心臓破りの道であった。
大きな松の所で左折、国道19号を越えたり、急坂を上ったり下ったり、
もしかしたら隊列にとって一番の難所だったかもしれない。帰りの電車の時間は迫ってきたいるし。

与坂立場跡 この後急な下り。 そしてまた急な上り。子野の一里塚跡

そしてまた下り

子野の地蔵堂石仏群 時間を急ぐあまり、このあたり歩くのに精一杯で、休憩も見学もなし!

尾州白木改番所跡
山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉

国道を渡ると高札場があり、中津川宿である。
隊列はそこで駅方向に道をかえ、まっすぐ中津川駅へ向かった。
ほとほと疲れ果て、駅待合室で休憩をとりつつ、トイレを利用し着替えをしつつ、電車を待った
銘菓 すやの栗のお菓子は、とうとう手に入らず、こうやって中山道木曽路は完歩された。

中津川 16:48 しなの19号 →塩尻
待ち合わせ時間が長くあったので、
おなじみの 塩尻駅ビル ほっとしてざわ で打ち上げとなった
おやきのセット
電車の中では、馬籠峠の栗おこわも完食
塩尻18:44 スーパーあずさ32号→甲府、東京
満席、立ち席満員御礼の中
ぐっすり眠りにつきながら帰路につく
隊長は甲府下車。
Nさん、Pさん お疲れでした。
馬籠から中津川までが拷問のようなシゴキでした。
2009/7/20
中山道を歩く 第21歩 終りの一歩
石山〜大津〜京都三条大橋 2009/10/30
とうとうここまで来ちゃった。
2006年4月1日、会長さんと二人で日本橋を出発して3年半。
人生いろいろ、街道いろいろ、炎天の日も、雨の日も、ケモノ道も、雪道も、
迷い迷われ、とうとうこの日を迎えた。晴天!
今回はJR石山駅から京都三条までの約15kmの行程だが、ちょっとその前に、名刹石山寺を訪ねることにした。
どうやら芭蕉もこの地を訪れているらしい。石山駅には芭蕉像が立っていた。

今回は隊員全員参加の隊列である。三々五々、バラバラと、この石山寺に集結するのであった。
まず、京都前泊組のPさん、moroさん、私隊長が到着。
続いて、Hさんが京阪電車にて到着、遅れて、会長さん、Nさんが到着。6名の隊列で、いざ!

西国三十三所観音霊場の第十三番札所石山寺では、秘仏本尊の如意輪観音菩薩の公開が行われていた。
石山寺は、また、学問の寺としての歴史がある。
源氏物語は、ここ石山寺にて、紫式部が琵琶湖の湖面に映る十五夜の名月を眺めて構想を得て書き始めたと伝えられる。

紫式部の像を見て、山を下り、
隊列は2台のタクシーに分乗して、JR石山駅へ行く。
11時。いよいよ、最終行程が始まる。

NEC工場の脇を通る。松が街道の面影をしのばせる。
膳所(ぜぜ)城総門跡があり、ここからしばらくは旧膳所藩の城下町を歩く。

篠津神社 膳所城の城門が移築されている。

膳所神社 ここの表門も旧城門である。
続いて、和田神社 捕らえられた石田光成が一時繋がれたという
大銀杏の木がある。

義仲寺(ぎちゅうじ) 木曽義仲が眠る。 義仲公墓(木曽塚)

芭蕉は義仲を偲んで何度もここに宿泊し、没する時も「骸は木曽塚に」と遺言を残したという。
境内にはたくさんの句碑が建っている。
行春をあふミ(おうみ)の人とおしみける 芭蕉桃青
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
芭蕉翁墓 旅に病で 夢は枯野を かけ廻る 芭蕉

大津宿に入る。時々、古い町屋が見られる。左側に滋賀県庁。

そろそろ1時をまわる。昼飯時である。街道右側に一軒の食堂を見つけた。
隊列は何の躊躇もなくのれんをくぐったのだが。。。。食堂、味 さかえ
エビフライ定食のソースのみそ味は微妙。親子丼はNGだそうだ。カツ丼におけるカツの定義がもろくもくずされて。
それでもとりあえずの腹ごしらえである。安くてありがたい。力は出たか?
大津事件の碑がある。(1891年、来日中のロシア皇太子に対して警備の巡査が切りつけた事件)

しばらく進むと国道161号線に出る。札の辻 大津市道路元標
ここを直角に左折して、隊列は国道を行く。上り坂である。
線路をはさんで、蝉丸神社下社にちょっと立ち寄ってみる。

さらに国道を進むと、蝉丸神社上社がある。道路から手を合わせ、先をいそぐことにする。

交通量は激しい。歩行者専用の信号がなかなか青に変わらず、いらだつ隊列であった。
坂を上りきると、逢坂山関址である。
隊列は荷物を置き、休憩を取る。小さな公園になっており、トイレも完備。
逢坂山にちなんだ歌碑が並んでいる。
これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも あふ坂の関 蝉丸
夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の関はゆるさじ 清少納言
名にしおはば 逢坂山のさねかずら 人にしられてくるよしもがな 三条右大臣


国道から離れて旧道を下ってゆく。ここにも、蝉丸神社が。。。

再び国道に出て、下ってゆく。左側に 月心寺がある。
わずかに開いた木戸からのぞくと、走井(はしりい)の泉が目に入る。
隊列がうろうろしていると、中から寡黙な女性ひとり、無言で入り口の木戸を閉めた。
見学は許されず。ここは、走井の庭園として有名らしい。

名神高速道路をくぐってすぐ左の旧道へ入る。伏見道との追分である。
隊列は、右へ、京都へと向かう。軒下の菊の花がみごとだ。秋である。

草津宿より東海道を進んでいるわけで、時々このような東海道という石柱を見かける。車石
歩道橋で国道を渡り、四宮(しのみや)でいよいよ京都に入る。

山科の町並みに入ると、右に六地蔵がある。隊列は最後の休憩をとった。
京都三条で隊列を待つ出迎え組に、山科から連絡を入れる約束であった。
予定の3時をすでに過ぎていた。出迎え組はどうやら清水寺あたりを散策しているらしい。
三条大橋を渡った西詰め、スターバックスで隊列を待つという声に、重い身体を立たせ、出発するのであった。
ここから約1時間半ほどで三条に到着するはずであるが。


右に山科駅を通り過ぎ、広い県道に出たら東海道線の高架をくぐり、左の細い道に入る。
住宅街の細い道は、やがて上り坂となってゆく。

登りきった左手に、亀水不動がある。
亀の口から井戸水が落ちる。旅人は昔、ここで口をうるおし、休憩を取ったそうだ。
このあたり日ノ岡集落は落ち着いた旧道の雰囲気が残っているが、細い道にもかかわらず、車の通行が多く、とても危なかった。
さらに進むと峠の頂上付近で県道と合流する。いよいよ、三条大橋の標識が目に入る。


蹴上浄水場を左に、坂を下る。自転車が高速でわきをすり抜けてゆく危険な歩道である。
隊列は粟田口から、いよいよ入京するのであった。
蹴上の交差点を渡り、すぐに右手、旧道へと入る。京都らしい町屋が続く。

東山付近で再び県道(三条通り)に合流し、めざす三条大橋はすぐそこである。
どうやら日没前には到着できそうだ。

御所を向いて礼をする高山彦九郎

そして、三条大橋である。

出迎え組3名が、スターバックス方向よりこちらに向かって歩いてくる。
祝中山道完歩!
ありがとう、ありがとう、、、とうとう、ここまで来ましたよ、ありがとう。

記念撮影などなど、そうこうしているうちに、日は暮れてゆく
橋の西詰めでは、道中姿の弥次さん・喜多さんの銅像が隊列を迎えてくれた。
おかげさまで道中無事ここまでたどり着きました、と、報告をしてみる。

さあ、打ち上げはホテルのある四条近くの太郎屋である。
各種おばんざいを肴に、旅の思い出に花を咲かせる隊列であった。
隊員 会長さん、Nさん、Pさん、Hさん、moroさん、そして隊長
出迎え組 名古屋からはKさん、岡山からはシンデレラさん、東京からオードリーさん
総勢9名 京都の夜は更けてゆく。

翌10月31日、秋晴れのすがすがしい朝を迎えた。ホテルオークス京都四条
隊員はそれぞれ新しい旅の一歩を踏み出した。
会長さん、Nさんは平等院へ。Pさんは天橋立をめざし舞鶴方面へ。
Hさんはお気に入りの額縁を探して京都市内を。
そして、moroさんと私隊長は比叡山修行の旅へと。

江戸日本橋から百三十五里余、534km完全踏破の旅は、ここに終わる。

完
次はもしかして甲州街道だったりして...........................隊長
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